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夢世界

 酷い顔だ。

 鏡に映る己の姿を見る。黒髪を前に垂らした男の顔には血がこびり付いていた。唇の端から流れる血が悲痛さを物語っている。

 服は上下共々泥の土色と草の緑色が擦れて汚れている。垂れた黒髪には血や泥が付着してあちこちに跳ねて、跳ねた黒髪から覗く双眸は腫れて線のように細くなっている。

 ボロボロだった。

 これが今の秋咲 歩夢なのだ。

 皐月が立ち去り随分時間が経った後、ようやく感覚が戻ってきた身体を、必死に動かして家に帰った。

 全身を海斗に殴打されたダメージのせいで、不快な痺れが未だに残っている。

 「……酷い顔」

 それ以上見てられなく、鏡から目を背ける。

 僕の両親の帰宅は遅いので、怪我のことがバレる心配はない。

 「…………風呂」

 今はただただ全身を包む脂と土と血が混じった不快感を洗い落としたかった。


 風呂に入り、汚れを落とした後。食卓に作り置きしてあった夕飯に手を付けずに、二階に上がり自分の部屋に閉じこもる。

 電気も点けずにベットに転がる。

 「……痛い」

 海斗に殴られた頬を擦りながら呟く。

 海斗の拳は重かった。

 悲痛な叫びが拳に乗って僕の身体に押しつけられたような……あれは拳の重さだけではなかった。

 「……どうすればよかったんだよ」

 瞼を閉じても窓から刺す月明かりが鬱陶しかった。腕を瞳に押し当て全ての光を遮った。

 どうしていいのか分からなかった。

 どうすれば海斗に許されたのだろう?

 どうすれば皐月が泣かないですんだのだろう?

 考えても考えても一向に答えは出てこない。

 身体が重い。

 心が重い。

 どうしたらいいのか分からないまま僕の意識が暗転した。



 白い世界。

 上も下も右も左も前も後も全てが白で埋め尽くされた空間だ。

 これは夢の世界。

 僕だけの世界。

 いや、正確に言えば、これは秋咲 歩夢が創った世界と言える。

 暫く待っていると、白い世界に色が浮かび上がる。

 赤、青、黄、緑、紫、

 それらの色が混ざり、色彩を変え、彩度を変え、明度を変え、全ての色を作る。

 全ての色が作られると、色が四方八方に広がる。

 「…………」

 見慣れない光景に僕は咄嗟に目を瞑る。

 十秒が経ったか、二十秒が経ったのか、もしかして三十秒が経ったかもしれない。

 十分に時間をかけて目を開くと、

 そこには見慣れた景色があった。

 真っ先に目に入ったのは白く塗られた天井。首だけを動かして左を向くと、机と椅子と本棚がある。

 秋咲 歩夢の部屋だ。

 僕はベットから起き上がり、床に足を着く。足裏にひんやりとした感触が伝わる。

 これは夢の世界なのに意識が明瞭だ。

 僕は机に向かうと、そこには現実の世界にはない物がある。

 全国大会に出場した時の写真が写真立てに入れられ机の上に置かれてあった。

 写真の中の秋咲 歩夢は、黒髪の真ん中を逆立てて、満面の笑みでピースをしていた。歩夢に肩を組んで同じく笑っているのは海斗だ。その間に座って笑っているのが皐月。 その隣に‥‥。 その他、サッカー部のメンバーがそれぞれ笑顔で写っていた。

 現実の世界ではこの写真は三月十五日に僕が押し入れの中にしまっているはずだ。

 この世界は三月十五日よりも前の時間で止まっている。

 それは、秋咲 歩夢の世界が三月十五日に終わりを告げていることと同義なのかもしれない。

 「…………行こう」

 写真立てを伏せて、口の中だけで呟くと部屋の外に出ようと扉を開ける。

 何処か遠くの場所に行きたかった。

 こことは違う何処かへ。

 しかし、扉を開けるその先には、暗闇しかなかった。

 暫く、暗闇の前に足を竦ませ立ち止まったが、意を決して一歩前に踏み出した。

 踏みしめた暗闇はコンクリートよりも固く、難なく歩くことが出来た。

 この先にきっと何かがあると信じて。

 方向感覚と距離感覚と時間感覚まであっという間に狂い始め、遂には失われた。

 そもそもこの夢はいつまで続くのだろうか。夢は起き上がる直前の数秒で見ると聞いたことがある。だから、いつかはこの夢は終わるのだろう。だけど、この暗闇はいつまで続いていくのだろう。

 どれだけ歩いたのだろう。

 少なくとも一キロは歩いた。もしかして、三キロ、五キロを歩いたかもしれない。

 僕は暗闇を歩く。歩き続ける。その時。

 ようやく、遠く離れた場所に仄かな光が見えてきた。

 「出口……?」

 すでに頭の中には自分の部屋に戻るという考えはなかった。

 この暗闇から早く出たいという焦りから僕の足が次第に早くなり、いつの間にか僕は走っていた。

 微かな光を求めて、走る。

 残る距離は数十メートルを走破する。暗闇を抜けた先には、予想していない光景が光景だった。

 白い世界だ。

 何もないただ白い世界。

 「はは……」

 この光景が今の自分を表しているのかと思い。思わず乾いた笑いが零れた。

 白い地面に膝から崩れ落ち、地面に手を付けた。

 「……なんだよ。これ」

 いつまでこの夢は続くのだろう。何処にも行けないこの世界で僕は何をすればいいのだろう。

 遠くに行きたい。

 「何処か遠くに……行きたい」

 そう願った時。

 「本当にそれでいいのかい?」

 何処からか声がした。

 僕の眼前に黒と白の二つの羽根が舞い落ちた。

 顔を上げるとそこには天使がいた。

 いや、違う。背中に黒と白の羽を持った青年が僕の頭上で浮かんでいる。

 「本当にそれでいいのかい?」

 青年は再び問い繰り返してくる。

 「秋咲 歩夢君。アユムは本当に遠くに行きたいのかい?それは何のために、何の意味があるんだい」

 どうして僕の名前を、と問い掛けようとするが、ここは僕の夢の中ということを思い出す。

 僕の夢の中なら僕のことを知っていても不思議ではない。

 直感が無駄だと告げ、僕は、

 「……僕は現実から逃げたい。秋咲 歩夢に押しつけられた世界は僕が生きるのには辛すぎたんだよ。海斗も皐月も誰もかもが僕を見てない。過去の僕じゃない秋咲 歩夢を見てる。僕は秋咲 歩夢を知らない世界に行きたい」

 思っていることを青年に吐露した。

 「不正解だ」

 「え!?」

 予想の斜めを行く答えが返ってきて僕は驚いた。

 そもそも正解、不正解などあるわけがないが、

 「アユムは秋咲 歩夢には変わりないし、本当は海斗君と皐月ちゃんと一緒にいたいと願っていたはずだろ」

 「それは……」

 一瞬、戸惑った。

 一緒にいたい。三人でまた笑って楽しく幸せに生きていたい。苦しくても三人で力を合わせて乗り越えよう。

 最初はそう思っていたこともあった。

 でもそれは叶わぬ夢なんだと思い知らされた。

 海斗と皐月が一緒にいたいと思っていたのは僕じゃない。秋咲 歩夢だ。

 「じゃあ、アユム。君は誰なんだい?」

 「僕は……」

 僕は秋咲 歩夢の抜け殻だ。そう思っていた。

 「質問を変えようか。秋咲 歩夢とは誰なんだい?」

 「秋咲 歩夢は……サッカー部のエースで運動が出来て、頭が良くて勉強が出来て、みんなに優しくて、みんなから慕われている。強い人」

 「それが君の中の秋咲 歩夢か、随分と立派な人だね」

 そう言って、黒と白の羽を持った青年が僕の元へとゆっくり降りてくる。

 「そこまで分かっているのに、何故自分がそうなろうとしない?アユムは秋咲 歩夢だろ」

 「…………、」

 「ワタシは断言するよ。君は秋咲 歩夢になれる。運動が出来て、勉強が出来て、みんなに優しい秋咲 歩夢になれる」

 「そんなの無理に決まってる」

 僕は弱弱しく彼の言葉を否定する。

 「うん。無理だと思ってたら、どんなことでも無理になる。けどね。アユムはこれから変わらなくちゃいけないんだ。変わっていくんだよ」

 青年の顔には自信に満ち溢れていた。

 「どうしてそんなこと言い切れるの?」

 「ワタシは彼等を信じてるから」

 「彼等?」

 青年は僕を見据えて、続ける。

 「彼等もまた一人一人心に何かを抱えてる。けれど、弱くない。どんな困難にも立ち向かえる強い人達だ。彼等がアユムを変えてくれる」

 「僕を……変えてくれる」

 確認するように僕は青年の言葉を繰り返した。

 青年は深く頷き、

 「アユムが心の奥から海斗君と皐月ちゃんと一緒にいたいと願うならば、きっと彼等は力を貸してくれるよ」

 青年はにっこり笑っていた。

 「僕は……一緒にいたい……海斗と皐月とまた三人で一緒に……いたい」

 僕は手に、足に、身体に、力を入れて立ち上がる。

 ずっと大きいと感じていた青年はそれほど大きいと感じなかった。僕よりもちょっと背が高いくらいだ。

 青年はふっと笑い。

 「そうだ。そこから変わって行こう。歩夢」

 青年が右手を差し出してくる。僕も右手を出して彼の右手を掴む。

 十分長い間、握手を交わしてから僕たちは手を離した。

 「これから辛いことばかりかもしれない。でも、大丈夫。歩夢は強いから」

 「僕が強い」

 「その証拠に、ほら」

 その瞬間。僕の胸の中心から眩い光が放ち始めた。

 「なっ!」

 僕は驚愕の表情で己の胸を見る。

 すると、何かが僕の胸の中から光を放ちながら勢いよく飛び出した。

 それは剣だった。

 青年は僕の胸から飛び出した剣を片手で掴むと、

 「歩夢の心の姿。バーゼルセイバーだよ」

 青年の手の中には刃渡り、一メートルを裕に超える剣だ。しかし、その剣は鉄で出来ていなかった。まるでガラスのような先を見通せる程に透明な剣だ。

 綺麗。

 僕は自然とそう呟いていた。

 「こんなにも綺麗な剣を心に宿してる歩夢が弱いわけがないよ」

 青年は僕に透明な剣を渡してきた。

 「重い」

 剣は予想以上にずっしりと重くて、あやうく取り落としそうになる。

 「それが歩夢の心の姿だよ」

 「僕の心の姿」

 僕は透明な剣。バーゼルセイバーを見つめる。

 これが僕の心の姿なのか、と疑う。

 僕の心はこんなにも澄んでいるのだろうか?

 「大丈夫。心配ない。自分に自信を持って」

 自信なんて僕にはまだ持てない。

 だけどこの剣を見ていたら、もしかして……。

 その時。

 ゴゴゴゴゴ!!

 突然、世界が音を立てて揺れ始めた。

 「うわっ!」

 僕は剣を落としそうになり、慌てて両手で掴みなおす。

 「そろそろ。お別れの時間かな」

 青年は辺りを見渡してから、

 「歩夢。君は皐月ちゃんと海斗君と一緒にいたいと思うなら、違う世界に行かなくちゃいけない」

 「どういうこと?」

 あまりにも話の脈絡がなくて理解が出来なかった。

 「皐月ちゃんは今ワタシがいる世界に連れ去られて、監禁されている」

 「監禁だって」

 話に頭が追いつかない。皐月が違う世界で監禁されている。なんて言われても理解出来ない。

 「そうだ。今歩夢の世界に皐月ちゃんはいない」

 その間にも揺れは激しくなって今では立っているのさえ難しい。

 「世界の入口は、秋咲 歩夢が終わった場所だ。歩夢はあそこから、ワタシたちの世界に来て、皐月ちゃんを助け出すんだ。大丈夫。君になら出来る」

 そう言って、青年は僕に背を向け、黒と白の翼を広げた。

 全長三メートルはある翼が、黒と白の羽根を舞い散らせながら、羽ばたく。

 「まって!!」

 僕は上を見上げて叫ぶ。

 「あなたは誰なんですか?」

 青年はちらりとこちらを向くと、

 「ワタシの名前はフォストアブリア。きっとまた会えるよ。秋咲 歩夢」

 と言って、高々と飛翔していき、消えた。

 ドドドドドドド!!

 白い世界に音と揺れが一層激しくなる。

 『……む!……アユム!歩夢!』

 遠くから誰かの声が僕を呼んでいる。

 「どうなってるの?」

 白い世界が壊れていく。

 蜘蛛の巣のように亀裂が走る。亀裂の隙間から再び暗黒が覗く。

 『歩夢!歩夢!歩夢!』

 僕を呼び掛ける声が次第に大きくなって、世界に響き渡る。

 世界から白い部分が無くなり、暗黒が広がる。

 僕の足場がなくり、僕は暗黒の中に落ちていった。

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