プロローグ
先を通して見えるほど透明な剣。俺の愛剣。両手剣バーゼルセイバーが太陽の陽射しを受け茜色に滲む。
周りには何もない。ただ脚元に草木が茂っているだけの草原。草木の青臭い臭いと土の臭いが俺の鼻腔を擽る。
俺は茜色に染まった透明の両手剣を高々と掲げる。剣道でいう上段の構えをとるが、俺はそこから両手剣を右斜めに傾ける。
「ふっ…………」
と肺に溜まった息を吐き、身体の動きをより柔軟にするため緊張を溶かす。この世界では一瞬の判断によって命運が決まる。そのためにどんな怪訝さえも見捨てるわけにはいかない。
視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の人間の五感を最大限まで鋭くさせる。
体中の神経が身体の表面に出るんじゃないかってほど集中する。
ゾーン。
この状態に落ちた俺は負ける気がしない。
ここでの一年間があちらの世界の一年間だとは限らないから。今から二年前なのかどうかわからないが、俺が生きてきた約700日に感じた。この感覚は中学三年に出場したサッカー全国大会での舞台で味わった感覚と同一そのものだ。
あの時、俺についていける奴はいなかった。誰も俺を触ることさえできなかった。チームのみんなも俺のスピードについていくのがやっとだった。
まるで、自分だけの時間がズレている。そんな感覚をひしひしと全身で感じていた。
「……こい」
俺の呟きとともに、【魔獣ラクシャボルク】が咆哮する。
爆音とも思える雄たけびが空気が振動して、俺の皮膚にまで伝わってくる。
魔獣ラクシャボルク。
側頭部に羊の巻き角を付け、首から頭部にかけて生えているライオンのような鬣が象徴の牛とゴリラを合わした魔獣だ。
紫がかった茶色の毛皮に、膝まである異様に長い腕。四本の手足に備えられた爪は人間を骨まで切り裂き、強靭な顎とナイフのように鋭い牙は人間の骨を容易く粉々に砕き引き裂くだろう。
北の国シモンアスタのさらに北の岩場に生息しているはずの魔獣だ。
本来、草木しかないモンスターも魔獣もいないはずの草原に出現することはない。
俺はこの魔獣ラクシャボルクを討伐しに来た。
少しでも気を抜けば死んでしまう。
恐怖がないと言えば嘘になるが、今恐怖に刈られて逃げだせば本当にラクシャボルクの爪と牙の餌食になり死んでしまうだろう。
ラクシャボルクは四本の手足を器用に動かし、まるでトラックのような迫力で俺に向かって駆けだしてきた。三百キロはある巨体が地面を削りながら俺に近づいてくる。
十分にラクシャボルクを引き付ける。そしてラクシャボルクが俺を腕の長さの内、つまり射程距離に入ると、俺の眼前で立ち止まると、左手を地面に着け、左手、両足の三点でその巨大な体躯を支える。
そして残った右腕で俺をぶん殴ろうとしてきた。
一……、二……、の三!
ギリギリのところで左前方に飛び攻撃を回避する。
ラクシャボルクの丸太のような右腕が俺の右側を風を巻き込みながら空を切る。
真空状態になった空気中に思わず釣られて身体の芯がブレる。しかしそれを俺は左足に力を込め身体の軸を真直ぐに維持する。
軸を真直ぐにした状態で、上方に構えてあった透明な剣をラクシャボルクの右肩に狙いを定める。
そして剣を垂直にしたまま、思いの丈に振りきる!
「おぉぉおおお!」
俺の叫び声と共に透明な両手剣がラクシャボルクの巨大な肩を切り、食い込んでいく。あまりの質量から剣を手から離れそうになるのをしっかりと握りしめる。
グギャァァ!!
とラクシャボルクが悲鳴をあげる。
そしてラクシャボルクの右腕がボトリと音を立てて地面に落下する。
しかし俺の攻撃はまだ終わっていない。
手首を反して、振りおろした剣を斜めにたてると、俺は身体を身体を右に思いっきり捻り上げた。
すると透明な剣はラクシャボルクの脇腹を深く抉った。
再び悲鳴を上げると、ラクシャボルクが俺から距離を取ろうとバックステップした。
十分に距離を取ったラクシャボルクはガバッ!と顎を下げ口蓋を俺に向けてきた。
来た!!
ラクシャボルクが魔獣と呼ばれる所以。
それは魔法を使うことだ。
この世界の戦闘の勝敗を決定する要素である魔法。
唯でさえ人間よりも肉体的に勝る獣が魔法を使うこと。それがどれだけ危険なことかは理解はできるだろう。
しかし、俺はこの瞬間を待っていた。ラクシャボルクが魔法を使う時を。
ラクシャボルクの口蓋がオレンジとキイロに輝きだすと同時に俺は右足を一歩後ろに置く。そして腰を落とし、切先を後ろに回し、剣を地面と平行にねかせると、
「うぉぉおおおおおお」
と奮起させるための雄たけびと共にラクシャボルク目掛けて全速力で駆ける。
バチバチ!、とラクシャボルクの口蓋に溜まった雷が弾ける。次の瞬間。雷鳴が耳を貫くと同時に俺の視界にオレンジの線が映る。
ラクシャボルクの魔法。
雷閃。
雷の魔法の最上級魔法の一つに数えられるほどの魔法が今俺に向かって放たれた。
「うおおおおおおおお!!」
雷の一閃が光の速度で俺に向かう。
俺は心の奥底に潜む恐怖という怪物を無理矢理押し込め、両手で剣の柄を握り締める。
そして目にも止まらぬ速さで剣を振り、オレンジ色に輝く雷の一閃を透明な刃で受け止めた。
雷の一閃が透明な剣に当たり、そこから上下二つに綺麗に分かれていく。
俺はラクシャボルクの雷閃を切り裂きながら、ラクシャボルクへと距離を詰めるため、雷閃の威力に押し負けないように激走する。
「おおおおおおお」
全身全霊で飛び上がり、剣を跳ね上げ、ラクシャボルクの雷閃の源の口蓋へ剣を叩きつける。
ラクシャボルクの顔の上半分が吹き飛ぶと、ラクシャボルクの力が抜け、膝から崩れ落ちて、それ以上動かなくなった。
「ふぅ~~」
と俺は戦闘が終了して限界まで尖らした神経を宥める為に深く深呼吸する。
「凄いな。ラクシャボルクをこんなにあっさり倒すなんてな。一年前とは大違いだ」
「いつの話をしてるんだよ」
前方から不意に歩み寄る影があった。
声をかけてきたのは、俺の命の恩人であるアリサだ。
本名はアーサというのだが、呼びにくいとのことでギルドのメンバーはみんなアリサと呼ぶ。
アリサはターコイズブルーの澄んだ瞳に腰まで伸ばした黄金色の髪を三つ編みに束ねた。綺麗な顔立ちの女性だ。
実際誰の目から見ても綺麗に映るらしく。この一年間一緒に行動してきたが、数えきれないくらいの求婚を申しつけられていた。いつもは凛々しい彼女なのに求婚されるたびに顔を赤くしながら断るので、その姿が可愛いらしく今もまだファンが急増中だとか。
俺は嘆息をつきながら、剣に付着したラクシャボルクの赤い鮮血を取るために慣れた手付きで一度剣を斜め下に振る。
ビチャビチャッ、と血が地面に飛び散り、赤い斑点をいくつもできる。
「褒めてるんだから素直に受け取れ、このツンデレが」
「ツンデレっていうな。そんな素振りは一回もしたことはない。それに明らかに馬鹿にしてただろ」
「ほぉ、ギルドに入りたての頃に私以外の奴が話しても無視していた奴が何を言ってるんだ?」
「だから、いつの話をしているんだって」
確かにそんな時もあったけども……。
と一年前この世界に来てすぐの時を思い出す。
あの時の自分にあったら、今の俺なら躊躇せず殴りかかってやりたいくらいには最低のクズだった。
それでもギルドのみんなはそんな俺に救いの手を差し伸べてくれた。
どんなに感謝しても足りないくらいのことを俺はこの一年間でされた。
特にアリサにはギルドの中で一番世話になった。
「もういいだろ昔のことってことで。こんなことで言い争っても仕方がないしな。もうすぐ暗くなり始まることだし、血の臭いを嗅ぎつけてグリーディがきたら面倒だ。さっさと帰ろうぜ」
「それもそうだな。あいつらは手に余る」
【グリーディ】とは群れで行動する死体の肉を貪るこの世界でいうハイエナのことで、その上一度人間と戦うことになれば数の利を使って攻撃してくるため、出会ったら逃げるというのが鉄板の魔物である。
俺も何回か遭遇したことがあるが、その時は本当に死にそうになった。今では遭遇したくない魔物の中でトップクラスだ。
「肉は……いいか、不味いし、誰も食べないだろ」
本来なら討伐したラクシャボルクの肉を捌いて持って帰ってもいいのだが、あいにくとラクシャボルクの肉は筋肉が固すぎて肉屋に売っても高く買い取ってくれない。
今日ラクシャボルクを狩ったのはギルドの依頼にラクシャボルクの駆除があったためだ。
駆除するだけでもお金は貰えるので、わざわざ重たい荷物を増やしてまで少ない小遣いを稼ごうなどとは俺もアリサもお金には困っていない。
そして俺は右手に持った両手剣_バーゼルセイバーの切先を地面に向け、柄の部分を自分の胸に揃えた。
すると俺の胸の中心が白く光輝くと今度は胸の位置にあった透明な両手剣が胸の光と呼応して剣全体が白く光輝く。胸の光と剣の光が同調して一つになっていく。一つになった光がみるみる内に胸の光源に収まっていき、やがて光が消失して、俺の胸には何も残らなかった。
「相変わらず。いつ見ても綺麗な光だな」
「そうか?目の真下でめちゃくちゃ光るから眩しいだけなんだけどな」
と俺は苦笑しながら答える。
そうなのか?とアリサは夕日に目を細めながら、
「そういえば。レオと初めて会った時はフレイザードだったな」
「もういいって」
アリサがまた昔のことをぶり返そうとするので、俺は落胆の息を吐く。
「あの時、フレイザード如きに襲われていた少年が今ではラクシャボルクを一人で倒すようになっているなんて、一年前の私なら思いもしなかっただろうな」
アリサは思い出したのかフッ、と苦笑しながら唇を歪ませていた。
「あの時の俺は忘れてくれ、黒歴史だ」
「ほんとだ。初めて見たときは今にも死にたい死にたい言ってた自殺願望者だったのにな」
「それはちゃんと説明しただろ。向こうの世界でいろいろあったんだって」
一年前に俺にどのような事情があったのかはギルドのみんなが知っていることなので、今更何を言われても恥ずかしくはないのだが、それは気持ちの問題だ。
「なぁ、アユム」
急にアリサが笑うのを止めて、俺の目を真直ぐに見詰め、真面目な口調で話しかけてきた。
「ん?」
と俺は短く返す。アリサが次に言う言葉は大体分かっていた。
今日の依頼もアリサが誘ってきたもので、おそらく今この瞬間を作るためだったのだろう。
この瞬間を作る為にラクシャボルクを倒させるなんて物凄いハタ迷惑な奴だ。
「幼馴染を見つけたら向こうの世界に帰るのか?」
そうだ。
俺はこの世界の住人ではない。
この世界とは違う世界から来た異世界人だ。
一年前。向こうの世界で幼馴染が行方不明になった。
俺はその時わけが分からないままでいた。
俺が絶望していくなかある日突然、
『幼馴染は別の世界に連れ去られている』
と黒と白の羽を持った天使に夢の中に話しかけられた。
そして透明な剣。バーゼルセイバーを授けられこの世界に放り込まれた。
それが一年前の出来事だ。
当初の俺の目的は幼馴染の皐月と取り戻すことだった。
しかし、この世界で生きていく内に、この世界での大切な仲間が出来た。あいつらと別れることになるのは嫌だと思うが……、俺にはあちらの世界に戻って一つだけやらなければいけないことがあった。
そして俺はアリサの質問に、
「どうだろうな」
とだけ返した。
我ながら女々しくて、卑怯で、最低で、一年前とまるで変わってないじゃないかと思う。
それでもちゃんと答えが出るまでアリサには待っていて欲しかった。
「……そっか、わかった。答えが出たら教えてくれ、私はどんな答えも受け入れるし、ギルドのみんなも分かってくれると思う。だから焦る必要はない。ゆっくり考えてから、教えてくれる勇気が出来たら教えてくれ。悪かったなこんなこと訊いて」
俺の言葉の意図を量ってくれたのか、アリサは笑ってくれた。
その笑顔は俺の胸の奥を締め付けると同時に俺を救ってくれていた。
アリサは、帰るか、と言いながら、ギルドがある街の方角を向き背伸びをした。
「……ありがと」
と俺は自分にだけ聞こえる音量で呟く。
「ん?何かいったか」
アリサはこちらを振り向き、笑顔で訊いてきた。
「いや、アリサは可愛いなって言っただけ」
「な!?」
アリサの白い肌が、薔薇色に染め上がる。
「どどどこにそんな…可愛いなんて…わたしなんて…全然可愛くない」
「ぷはっ」
アリサの面白い反応についつい笑ってしまう
アリサは唇を尖らせながら、
「な、なにを笑ってる?」
「やっぱり可愛いよ。いや、お世辞抜きで」
「な、な、な、」
再び顔面を赤く染め上げたアリサはその場に固まってしまった。
「冗談だ。さ、帰ろうぜ、フォストアブリアに」
俺は石像のように固まったアリサの肩をポンと軽く叩き、ギルドがある方向に走り出した。
「ま、まて!、大人をからかうな!」
石像状態から解放されたアリサが、腰に携えた片手剣を抜き、高々を上げ、鬼みたいな形相で追いかけてきた。
「うわっ!さすがにそれは死ぬって」
アリサの片手剣の錆にはなりたくないので、俺は必死に逃げだした。
不思議と俺とアリサの顔には笑顔が出ていた。
俺は今こうして笑えることに感謝をしている。
フォストアブリアのみんなのおかげだ。
これは俺、秋咲 歩夢が笑うまでの物語だ。