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三十九才

作者: ねごとや

ニュースで四十歳定年制議論という記事を見ていて思いつきました

「ただいま戻りました」

蝉の声が姦しい夏の昼下がり、役所から職場に戻った私は今年五十二歳になる課長に報告に向かった。

「必要な手続きは全て完了しました。課長にも色々とご相談にのっていただきましたが、熟慮の末のこととしてご理解願います」

「そうか・・・・・・済ませてきたのか」

「はい。後日、総務課の方から課長に書類が回ってくると思います」

「そうか」

課長は、私の話を淡々と聞いていたようだが、ため息ともつかぬ大きな息づかいの後

「部長の方には、俺から下話はしてあるが・・・・・・君がいなくなると寂しくなるな」

と語った後、急にわざとらしく顔をしかめると

「ただ、残った時間で後任の育成と現在の君の業務の引き継ぎ、よろしく頼むよ」

と言い。そのまま顔を私からそらし、手元の書類の束に向けた。どうやら、席に戻っていいということらしい。

一礼して自分の机に戻ると、今年二十五になったばかりの事務の女の子が

「主任、本当に決めてきたんですか?」

と聞いてきたので

「ああ、課長にも言ったとおりだよ。女房とも相談した上でのことだ」

と答えると

「奥様も了承の上なんですね。奥様はどうされるんですか?」

とさらに質問を重ねてきた。

「女房は、俺より三つ下だしね。まだ考える時間はあるさ。とりあえず、“リミット”の俺はもうどうするか決断しないといけなかった。それだけのことだよ」

「淡々としてますね」

彼女は、私の回答にやや失望したようだが、

「夫婦も長いつきあいになるし、最終的にはどちらかがどちらかのおまけというわけでもないんだし。“最後”は自分で決めないとね」

と私も、自分でもびっくりするくらいに淡々と答えた。

「そんなものなのかな~~」

彼女は、なおも納得しかねるようにそう呟いたが、私としてはこれ以上に言葉を重ねる必要性は感じない。人生とその最後に関しては、人それぞれの選択があるのだろうし、何が正しくて何が間違っているというものでもないだろう。それに、私が下した決断によって、下の世代の負担が軽くなることも間違いなくひとつの現実だ。

「でも、私も主任の歳になったら、どうするか真剣に考えないといけないんですよね。やだな~、十四年なんてあっという間なんだろうなぁ」

「まだ十四年もあると思わないと。でも、俺も割と若い内に結婚したから下せた決断でもあったからね。君も早く相手を決めた方がいいよ」

「やだな、主任、それセクハラですよ」

「え、そうなの?参ったな。来年、“定年”の身なんだから、大目に見てよ」

「仕方ないな。じゃあ、大目に見てあげます」

彼女との軽いやりとりは、そこで終わり、私は引き出しからファイルをいくつか取り出し、今後の引き継ぎスケジュールの組み立てに思考の方向を切り替えた。

頭の中は不思議なほど、すっきりとして、私は業務に神経を集中させることが出来た。

大事な決断を下した後、だったからだろうか?

三十九歳の誕生日を迎えた私は、来年には“定年”になるのだから、やるべきことは実のところ、山ほどあるのだ。



長引く不況、民間企業を覆う業績不振と雇用不安の波は、税収の悪化と社会保障制度の不安を招き、いまや深刻なレベルでこの国の未来を危うくしていた。

そんな状況下、政府と民間主要各社は、ひとつの決断を下した。

四十歳定年制度である。

もちろん、ただのリストラには終わらない。

それでは、結局、社会不安を大きくするだけだからだ。

その手前の段階として、政府は“安楽死”を合法化した。

これは、当初、長期の難病患者や末期医療現場に向けてのもの、と誰もが思った。その後に続く四十歳定年制が本命の政策とは誰も予想だにしていなかったのだ。

“安楽死”が合法化され、社会的にも十分な認知がなされたとみるや、政府は次の手に打って出だ。

それが四十歳定年制である。

もちろん、四十歳になって職を離れては、いまの時代といえども再就職は容易ではない。

それを見越して、政府はこの“定年”を選択制とした。

選択である以上、“定年”を過ぎても第二段階の定年とでも言うべき六十歳までは勤め上げることは個人の自由である。ただ、四十歳での“定年”を選択した者に対しては、その年からの“年金”受給の権利が発生する。

そう、“贅沢”をしない限り、もう働かなくても国が生活の保障をしてくれるのだ。

ただし――



それを選択した者の“寿命”は、自動的に政府によって決められる。

六十歳になった時、“四十歳定年”を選択した者に対しては、安楽死の措置がとられることになる。

この発表がなされた時のことは、私は鮮明に憶えている。

テレビの中で、それを発表していた当時六十五歳の官房長官が誇らしげに記者会見で語っていた様子を、まだ学生だった私はぼんやりと見ていたものだ。まさか、将来、それを自分が選択することなど想像することなどなく。

「三十九歳か・・・・・・」

別に誰に向かって、ということのない独り言が、自分でも気づかないうちに口からもれる。

来年、私はいまいる席からも、会社からもいなくなる。

それは間違いのない未来であり現実だ。そして、それでも何一つ変わることなく、会社も世の中も回っていく。これもまた確実な未来であることには違いない。



帰宅して、女房に報告するために、退社後のおつきあいに丁重に断りを入れていると、

「よう、話は聞いたよ。定年を選択したんだって」

同僚と話している私に声をかけてきたのは、今年六十五歳になる部長だった。

課長同様四十歳定年を選択することのなかった部長は、第二定年とでもいうべき六十歳を前にして、人件費抑制、整理解雇などのリストラでの成果を認められて取締役入りを果たし、六十五歳になったいまでも会社の重責を負っていた。

「はい、部長にもご心配をおかけしましたが、本日正式に手続きを済ませてきました」

そう、手続きに必要な書類を、私は昼休みを利用して役所に提出してきたのだった。書類を受理した窓口担当者は、課長よりもやや年かさと思われる女性職員だった。

「そうか-」

私の言葉を聞いた部長は、ややわざとらしく語尾を伸ばして応じた。感慨深さを表現しているつもりなのだろう。

「寂しくなるな。だが、ある意味うらやましくもある。これから第二の人生というわけだ」

制限時間つきではあるが――

「まぁ、君の第二の人生のためにも、残った我々は職務に励んで、社会システムを支えていくよ。定年までの残った時間、悔いのないようにな」

それだけを言うと、部長は歳に似合わぬ颯爽とした足取りで私達の前から去って行った。その後ろ姿を見送りながら、同僚は

「ある意味すげえよな。ああいう性格じゃないと、出世も長生きもできないんだろうな」

としみじみと語ったが、聞いている私は苦笑するしかなかった。



帰宅した私は、女房に

「今日、決めてきたよ。来年、定年だ」

とだけ言うと、女房は「そう」とだけ、短く応じただけだった。

彼女なりに思うところはあるのだろうが、私の決断をどうとって自分がどうするのか、それを決めるのは彼女自身である以上、私が何か言う必要はない。

特にお互いにその話題に触れることなく、食事を済ませ、テレビをつけてみる。

テレビタレントも、ニュースを伝えるキャスターも、いつの間にか、すっかり私よりも年上の面々ばかりになってしまった。四十歳定年制が施行されて十年以上が過ぎ、日本という国の平均寿命は随分と下がったというのに、テレビの中ではいまだに超高齢化社会が継続しているらしい。

チャンネルを切り替えると、今度は本日の国会答弁の様子が映し出された。

テレビの中には、六十歳の寿命を五十五歳にする法案が審議されており、答弁に窮する今年七十四歳の大臣がいて、それを今年八十歳になる野党議員が追求していた。

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