薬を買いに
朝食を食べてから、シャーリル、クロウ、リア、サフィで街へ出かけた。ミルーにはティアについてもらっている。ミルーがよく懐いているし、しっかりした子だから適任だろう。
「なんかさ、新鮮だね」
リアがくすりと笑った。それにクロウがにやりと笑う。
「がさつだからなぁ、シャルは」
「やっぱりスカートをはくとちゃんとした女性に見えるね」
三人に言われてシャーリルは肩をすくめた。
「着たくて着てんじゃないんだからさ、そう言うなよ」
今、シャーリルは女物の服を着ていた。一般的な女性が着るものだ。そして、いつも高い位置で括っている髪は下ろし、背中へ流していた。黙ってさえいれば“お嬢さん”に見える変貌ぶりだ。
戦争が終わって十年。以前より身分差が縮まったとはいえ、やはりシャーリル達下民と呼ばれる民は、上民と呼ばれる者達が集まるこの“街”には出入りしづらい。だから今日は、明らかな下民と分からないようこぎれいな服を着て、“それらしく”振る舞う必要があった。高価な薬を買うにあたって、そうでもしないと売ってさえくれないかも知れないのだ。
「あ、あれだよね、薬屋さん」
リアが見つけて指差す。
「そうだな。行くぞ」
そう言ってシャーリルとリアで連れ立った。クロウとサフィは少し離れた所で待つ。似た色合いの金髪と青い瞳。シャーリルとリアなら兄弟に見えるのだが、まさか上民が孤児を世話するわけはないので、クロウとサフィがいると怪しまれてしまうのだ。
「こんにちは」
シャーリルがそう声をかけて店へ入る。リアも続いて、にこりと笑いかけた。
「こんにちは」
リアがこぎれいな服を着ると、上民よりも貴族の子供に見える。そんなリアがいるだけで、シャーリルも身分が良く見えるというものだ。案の定、店主は二人を上から下までさっと眺めると破顔した。
「いらっしゃいませ、お嬢さん、お坊ちゃん。今日はどうされました?」
にこやかに話しかける店の主人は初老のお爺さんだった。
「妹が熱をだしてしまって。風邪薬が欲しいんです」
リアがそう言うと、店主は頷いて薬をいくつか持ってくる。
「今まで薬を飲んで体調が悪くなった事は?」
「いえ、ないですよ。でも少しお腹が弱いかな」
「それなら、こちらがいいでしょう」
そうして差し出された薬を笑顔で受け取ると、ちらりと二人は目配せする。
「おいくらですか?」
ここで初めてシャーリルが口を開いた。僅かに微笑んでいるから、ちゃんと“お嬢さん”らしい。
「七百リルです。お嬢さん」
「あれ、以前は六百リルでしたよね?」
すかさずリアが口を出すと、店主は若干焦ったように言った。
「おやお坊ちゃん。この薬は前から七百リルですよ」
「えっ、おかしいな。ここへ来る途中にあったお店では、六百リルだったけど。それが相場だと皆言ってたよ?」
薬の相場なんてものをシャーリル達は知らない。この情報はサフィからだ。彼はとても博識で、様々な情報を持っている。そのサフィから聞いた情報だから間違いはないだろう。店主はリアの台詞に慌てだした。
「そ、そんな筈はないですよ。他の店って、露店でしょう? あれとうちを一緒にされちゃあ困ります」
そんな店主に、シャーリルは溜息を吐く。
「けど、薬自体は同じでしょう? それなら他の店で買いましょうか」
なるべく丁寧な言葉使いでリアにそう話しかける。
「そうだね、姉様。百リルあれば砂糖菓子でも買ってあげられるものね」
リアもそう返して店の扉へ向き直る。すると――。
「お、お待ちくださいお嬢さん。うちは砂糖菓子もついて、六百五十リルで売りますよ。どうです?」
その言葉にシャーリルとリアは顔を見合わせた。そして、二人ともにっこりと笑って頷いてみせる。
「それならこの店で買いましょう。ね?」
「うん。それがいいね」
店主が慌てて奥から砂糖菓子を持ってきて差し出すと、それを受け取り、お金を渡しながら言う。
「ここは本当にいいお店だね。ね? 姉様」
「知り合いにも薦めておかないとね」
「それはそれは、ありがとうございます、お嬢さん、お坊ちゃん。これからもどうかご贔屓に」
店主は言いながら深く頭を下げて二人を見送った。
店から出ると、すぐにクロウとサフィが待つ場所へ向かう。二人は路地の影にいた。
「待たせたな!」
シャーリルが声をかけると、二人は笑って迎える。
「シャルの“お嬢さん”は上手く出来たか?」
そういうクロウにシャーリルがにやりと笑った。
「もう何度かやってるからな。一応“お嬢さん”に見えただろ」
「シャルは十分お嬢さんだよ。ちょっと粗雑なだけ」
くすりと笑ってリアが言うと、サフィは首を傾げて呟いた。
「……ちょっと?」
べしっ、とシャーリルはサフィの頭を軽く叩く。
「サフィは素直だなー?」
「それって褒めてるんだよね? なら叩くのっておかしくない?」
「そーか悪かったなー」
今度はぐしゃぐしゃと頭を撫で回す。
「シャル! 悪かったよ!」
ぱっと手を離してシャーリルは笑った。
「よし! 許す」
「さ、じゃあ戻ろうよ。ミルーとティアが待ってるよ」
「サフィも構って欲しいからってぐちぐち言うなよ」
にやりと笑ってクロウがからかうと、サフィはふてくされてそっぽを向く。
「別にそんなんじゃないよ。疑問に思っただけ」
話しながら進んでいるうちに、四人は街の外れの道を歩いていた。ここから脇の原っぱを通れば下民の住む町だ。
「へーえ? じゃあ、なーんでシャルにいちいちつっかかるのかなー?」
「クロウ! いい加減にしろよ!」
怒り出したサフィにあっかんべーをして、クロウは元気よく道を降りて原っぱに走って行く。それをサフィが懸命に追いかけ始めた。
クロウはいつもよく走り回っているため、かなり余裕でサフィをからかって走る。サフィは普段あまり走らないので、懸命に足を動かして追う。それを見て、シャーリルとリアは笑った。
「まったく元気良過ぎるな、クロウは」
「格別に体力と元気があるよね」
あっという間に姿が小さくなっていく二人に、リアがたまらず駆け出した。
「クロウ! サフィ! 待って!」
その姿に微笑んで、シャーリルも走り出す。
「こら! 年長者を置いてくな!」
長い髪が風に躍った。
その様子を、一台の馬車から乗客が眺めていた。馬車を止めるように言って、四人が走り去って行くのを見送る。
「あの子供達が気になりますか?」
主人が黙っているのに耐え兼ねたのか、一人の従者がそう尋ねた。主人はしばらく窓から見える四人を目で追っていたが、姿が見えなくなると、ぽつりと言った。
「……あの者達の素性を明らかにせよ」
言われた従者は、一瞬、言葉の意味が分からなかった。
「あの子供達の、ですか? 何か気になる事でも?」
「あの女もだ」
「……あの娘が気に入りましたか?」
その台詞に、主人は凍てついた目を向ける。
「……申し訳ございません。すぐに調べさせます」
出せ、と御者に命を出し、馬車は静かにその場を去って行った。
シャーリル達は家へ帰ってすぐ、ミルーに薬を飲ませて寝かせた。幸い軽い風邪だったようで、一晩ぐっすり寝たら治ったようだった。元気に起きてきてちゃんとご飯が食べられたのだから、もう問題ないだろう。
そんな穏やかな午後。珍しい来訪者はやって来た。
こんこん、と上品なノックの音がして、シャーリル達は一様に動きを止めた。そして、全員顔を見合わせる。しばらくそのままでいると、もう一度ノックがされた。
「…………こんな上品な知り合いいたか?」
「「「「「いない、いない」」」」」
五人一緒に手を振る。
「だよなぁ」
昼食後のプリンを食べていたシャーリルは、スプーンを半分くわえたまま首を傾げる。そうこうしている間にもう一度ノックがされた。これだけ焦らされても初めと変わらないノックをするその精神に感心する。
「シャル、出た方がいいんじゃない?」
リアがそう促して、隣でティアが頷いた。
「……仕方ねーか」
手にはスプーンを持ったまま、シャーリルは家の扉をちょっとだけ開いた。
扉の外にいたのは紛れもなく貴族以上の身分の騎士だった。さらりとした茶色の髪と菫色の瞳は、さぞ世の女性の心を誘惑してきただろう。その騎士は、シャーリルを見て驚いているようだ。
「……うちに何か用ですか?」
とシャーリルが尋ねると、はっと我に返ったようで、驚きをさっと隠してシャーリルに問う。
「こちらにシャーリルという女性がいると伺ったのですが、いらっしゃいますか?」
いやに丁寧だな、とシャーリルは思った。貴族が下民に対してする態度ではない。
「シャーリルはあたしですが」
「……」
騎士は途端に驚きを露にする。シャーリルの私服は男装だから、ぱっと見て女だと思わなかったのかも知れない。
「……失礼ですが、昨日は女性の恰好をしていらっしゃいませんでしたか?」
「……あんたは?」
相変わらずちょっとだけ開いた扉の隙間から騎士を覗く。そして、シャーリルの口調は決して上民以上に対して使うものではない。
「ちょっと、シャル!」
慌ててティアが駆け寄って来たが、シャーリルは片手を上げて制した。騎士は一瞬言葉を呑み込んだものの、すぐに持ち直した。
「私は第一騎士団のラフィス=フェルセイルと申します」
すっと綺麗な礼をして、ラフィスと名乗った騎士はもう一度シャーリルに問う。
「もう一度お尋ねしますが、昨日は女性の恰好をしていらっしゃいませんでしたか?」
「まあ、してたけど」
どこまでも無礼な態度にも関わらず、騎士は平然と対応する。
「シャーリル様。実は、ある子供の乳母になってもらいたいのです」
シャーリルはたっぷり騎士を眺める。遅れて言葉がこぼれ落ちた。
「……………………は?」
扉の後ろでは、五人も顔を見合わせて驚いていた。
「昨日、貴女が子供達と戯れている姿をある方が拝見し、是非乳母にとおっしゃられているのです」
「え………………は?」
どうも間抜けな返事しか返せない。色々と疑問が頭を飛び交った後、シャーリルはやっと一つ質問した。
「えっと、なんで様付け?」
「聞くのそこじゃねーだろ」
後ろからクロウの突っ込みが聞こえる。ラフィスはしばし瞬いた後、ちゃんと答えてくれた。
「それはもう、レヴァイン様のご指名された方ですので」
「「レヴァイン様!?」」
がたたっ、と音がした。何事かと振り返ると、ティアとサフィが立ち上がっていた。驚愕に目を見開いて。
サフィは情報に敏感だから当然知っているし、ティアは公言していないが上民の娘なので知っている。と、言うか。下民でも常識ではないだろうか。
「なんだよ、どうした?」
そうシャーリルが聞くと、慌てて二人が詰め寄ってきた。
「シャル! その歳でなんで知らないの!?」
サフィにそう言われてシャーリルは首を傾げる。
「は? なに?」
「なんでって! 知っておかないと!」
ティアにまで必死にそう言われて、シャーリルはちょっとだけ焦った。
「え、だから、誰?」
「「国王陛下!」」
その言葉に固まったのは何もシャーリルだけではない。そして。
「「「え―——っ!?」」」
町に絶叫がこだました。
「なっ、なんで国王が!?」
「いつ? 昨日のいつ?」
「シャルのどこ見て乳母なんかに!?」
シャーリル、ミルー、クロウの順に疑問を口にする。もう扉は全開だ。町人の目など気にしている余裕がなくなった。
取り乱した六人を前にしても、ラフィスは平然とした態度で答える。
「昨日、上街を去られる時にお見かけしたようです。貴女が子供達と戯れているのをご覧になったとか。その楽しそうな様子でお決めになったそうです」
「いやあれは戯れてるってもんじゃなくて、単に先に行っちまうから追いかけただけです」
ばっさりと言い切ったシャーリルに、ラフィスは僅かに微笑んで言い返した。その笑みでどれだけの女性を魅了してきたのだろうか。しかし。
「ともかく、王命ですので、シャーリル様には離宮へお移り頂きたく」
その笑みが好意ではないと悟ったシャーリルは、ふっと不遜に微笑んだ。
「あんたが命令してるようなもんだよな?」
「!」
空気が凍り付いたような気がした。それを砕くように、シャーリルは笑みを消す。
「悪いけどこいつらの世話があるから、誰かさんの乳母をやるってのは無理だな」
「ちょっと、シャル……!」
ティアが青い顔をして腕を引く。しかしシャーリルは平然とラフィスを見上げたまま続けた。
「大体乳母なんて柄じゃない。ガキの面倒は見れてもお行儀よくしつけるなんざ出来ないしな」
「……シャーリル様。レイヴァン様は貴女に礼儀作法を教えよと仰っているのではありません。……しかし……少しお時間を頂けますか。お相手して頂きたい子供の事で、詳細をお話し致します。聞いて頂きたいのです」
やや高圧的な態度を改めたラフィスをじっと見て、シャーリルは古ぼけた館へ招き入れる事にした。