宰相閣下とその侍女
ラズウェルの講義が終わり、皆で昼食を摂りながらさきほどの行儀作法を習う話になった。すぐに不平を言ったのはもちろんサフィだ。
「だってどんな人か分からないじゃない。僕とリアだけじゃ不安だよ」
「そうだよね。大人の男相手じゃ、僕とサフィだと太刀打ち出来ないよ」
むすっとしながら具材をつつく二人。その様子に普段はいない人物が声を上げた。
「食べ物をつつくなど、品がないにもほどがあります」
「「……」」
とたんにラフィス対サフィ、リアの睨み合いが始まる。慌てて侍女たちが二人を宥め始めた。
「サフィさま。別の料理をお持ちいたしましょうか?」
「リアさま。お気持ちは分かりますが料理人が心を込めて作っております。どうか遊ばず食べてやってくださいませ」
「「あ……」」
二人ははっと目を見張った。侍女たちの心配りもそうだが、本来“食べ物で遊ぶな”などと侍女が客人を注意するなど以ての外なのに、きっとラフィスに怒られるのを承知で言ってくれたのだ。
「……ごめんなさい」
「ごめんなさい。……まったく、言い方ってものがあるよね」
リアがじろりとラフィスを睨むと、ラフィスは黙って睨み返した。和やかな食事の筈が、二人の間だけ嵐が巻き起こっている。
ラズウェルはそんな様子に戸惑いながらも、睨み合いを止めさせるべく言葉を引っ張り出した。
「……アルマレウス伯爵というと……あの風変わりな男のことか」
「ええ、あの男です。あの男ならば大丈夫かと」
「……なるほどな。そうかも知れない」
ラフィスとラズウェルの会話を聞いていたサフィが、不安そうに訊ねてくる。
「いったいどんな人なの?」
「……そうだな……男らしくない、と言えばいいのか」
「「男らしくない?」」
サフィとリアが一緒に首を傾げた。
「初めて見たときは女性ではないかと疑ったほどだ」
「「シャルみたいってこと?」」
「……そうだな。似ているかも知れないな」
サフィとリアは顔を見合わせた。男らしさがないのなら、大丈夫なのかも知れない。
「わかった。会ってみる」
「そうだね。まずは会ってみないと」
前向きに考え始めた二人の様子に、ラズウェルはほっとした。しかし一つだけ不安なことがあった。
「クレイヴだが……特に身分を気にする男ではなかったか? セレイよりも厳しいと聞いたことがあるぞ」
「げっ、ほんとか? 相性悪そうだな〜」
早くも嫌がるシャーリルに、ラフィスの冷たい視線が刺さる。
「なんだよ、やるよちゃんと。別に逃げ出したりしねーって」
「そういう案が口から出る時点で不安なのですが」
ふん、とそっぽを向いたシャーリルに、思わず意地の悪い笑みを浮かべてラフィスは教えてやった。
「まあ、その心配はないでしょうね」
「は? なんだよ……」
「クレイヴさまが逃がすわけはないでしょうから」
「……」
シャーリルは目線をゆっくりとシェイザードに向けた。
「……お側におりますので、頑張りましょう、シャル」
「……はあ……分かったよ」
半ば強制的に、シャーリルはきちんと行儀作法を習うことになりそうだった。
昼食が済むとそれぞれの教師に挨拶をしに行くこととなった。ティアとミルーはラルセーナに世話になるとあって、シセルが同行するようだ。サフィとリアをアルマレウス伯爵の屋敷へ送るついでにクロウもラフィスに引っ張られて行き、シャーリルはシェイザードに連れられてクレイヴ宰相のもとへと、離宮へ来たとき以来の馬車に揺られている。
「……ドレス着ろとか言われるかな」
「……言われるでしょうね」
「うわー……」
天上を見つめて背もたれに倒れ込む。淑女ではあり得ない動作だが、シェイザードはもう慣れてしまってすぐに注意する気も起きない。まあ、衆目のないところではそれでもいいかと思っているのだ。
「そんなにお嫌ですか?」
「嫌っていうか……ガラじゃない」
「……」
シャーリルがそう言うと、そうですねと頷くしかないような気がしてしまう。例えばミルーのように少女らしい口ぶりだったり、ティアのように多少体面を気にするようなら、まだシェイザードも諭していたかも知れない。だが、シャーリルが女性らしい振る舞いをしたらどこか居心地悪く感じるだろう自分がいて、まさか口先だけで言いくるめられる自信もないので黙ってしまうのだ。
「我が君と殿下のため、頑張ってくださいね」
「……おう」
口に出来た台詞はなんとも薄っぺらいものだったが、シャーリルの返事もまた、拭けば飛びそうなほど薄いものだった。
馬車に揺られること一時間ほど。着いた屋敷は自然と隣り合わせの、環境だけならシャーリルたちが喜びそうなところだった。神妙な面持ちのシャーリルを面白いと思いつつも、シェイザードはクレイヴの屋敷へ誘った。
「なんのつもりだ、これは?」
部屋へ通されるなり言われた台詞がこれだ。いつもの通り、髪を高い位置で一つに括り、男物の服を着たシャーリルを上から下までまじまじと見て言った台詞だった。シェイザードへ向けた質問だったのだが、視線はシャーリルから外さない。
「いつもの様子を見ていただいた方が良いと思いまして……」
シェイザードが苦笑しながらそう言うと、クレイヴは心底嫌そうに顔を顰める。ラフィスよりも気持ちが伝わる表情だ。シャーリルの口の端が思わずぴくりと動いた。
「確かにな……普段からこのような振る舞いでは、とても人目に晒すわけにはいかない」
「あのな……人をなんだと」
「ご自身を鏡でごらんになったことはおありか?」
「……上街に行くときくらいなら」
ほう、とクレイヴの目が細められ、口元が意地悪く笑みを浮かべる。
「まさかその恰好で行かれるわけではありませんね?」
「ちげーよ。こんな恰好じゃまともに相手もされないからな。そういう時は髪を下ろして、女物を着て、リアと一緒にいけばそれなりに見える」
「ではそのようにしてみて下さい」
「は?」
「服はこちらで用意してあります。ニーユ!」
クレイヴが部屋の外へ向けて声を張り上げると、すぐに扉が開かれ、侍女が三着の服を持って入ってきた。侍女はぺこりと頭を下げると、ソファに服を並べてその脇に立つ。
「何をぼうっとしている、シェイザード。女性の着替えを覗くものではない」
「……え? ああ、そうですね。失礼します」
「あっ、ちょっとシェイ!」
「シャーリルさまも、まさか男の前で着替えるようなことはございませんね?」
「いや、そりゃさすがにないけど」
「ではお着替え下さい。そこの者が手伝いますので」
「えっ、あ、ちょっと!」
慌てて追い縋ろうとしたシャーリルが一歩動いたところで、部屋の扉は閉ざされた。完全にクレイヴのペースだ。その侍女であるニーユも主に似たのか、シャーリルの手を取って服の前へ立たせる。
「さあシャーリルさま。お早くなさいませんと旦那さまがお怒りになられます。どちらをお召しになりますか?」
「えっ……え?」
「さあ、どちらを?」
口に浮かべる僅かな笑みとは対照的に、その目は早くしろと脅していた。
「……えっと……動きやすい服がいい」
「では一番控えめなものにいたしましょう」
「はあ……ってな、なにしてんだ!」
「お召し替えの手伝いを。恥ずかしがらないで下さいませ。あら……布を巻くのではなくちゃんと下着をつけて下さい。これも用意させなければ……」
「い、いいから! 自分で脱ぐから!」
「これくらい慣れて頂かなくては。それにきちんとお手伝いが出来ないと私がお叱りを受けます。観念して下さい」
「いや子供じゃないんだから自分でやるって!」
「今日のところは布で構いませんから……そんな恰好で部屋中走り回るのはよして下さいませ。さあ、大人なのですからちゃんとして下さい。こちらへ!」
「だから、自分で」
「ならば旦那さまに着させていただきますか?」
鋭い目とともに言われた言葉に、さすがのシャーリルも一瞬頭が真っ白になった。
「え……?」
「お一人でさせるなんて、礼儀に反します。ですので私の手伝いを受け入れて下さるか、さもなくば旦那さまが」
「わわわかった! あんたに頼むよ……」
抵抗をやめた瞬間、驚くべき速さでひん剥かれてシャーリルは気が遠くなった。早くも逃げ出したくなっている。
「締めますよ」
「うっ! 苦し……なにやってんだ!?」
「締めているのです。ほらしゃんとなさって。昔のように息が止まりそうなほど閉めたりいたしませんから」
「昔ってなに!?」
「昔はこれの二倍、三倍は締め上げていたそうですよ」
「なんでこんなこと……」
「お腹は細く、胸とお尻はふくよかに見せたいのが女心です。さ、足を通して下さいませ」
「……も、もう自分で」
「前を向いて下さいな。髪を持っていていただけます? 背中のリボンが結べません」
「……」
もう、黙って従うことにした。この侍女に勝てそうな気がしない。
その頃、扉越しに聞こえてくる叫び声を若干気にしながらも、シェイザードは不機嫌そうなクレイヴに話しかけていた。
「今日は、顔合わせのはずでは?」
それなのに指導を始めるとはどういうことか。そう聞くともの凄く当たり前のように言われた。
「忙しい私が、顔を見る為だけに時間をあけるとでも思ったのか? シェイザード。随分甘い読みだな」
「……これは申しわけありません」
「まったくだ。よくもあのまま放置していたな。お前も少しは指導すべきではなかったのか?」
「まずは不用意に異性に触れない、ということを、最近ようやく覚え始めているところです」
「……とんでもない女だな」
呆れた声を聞きながら、確かに少し甘かったかも知れないと反省する。
しばらくして、ようやく扉が開かれた。
「準備出来ましてございます、旦那さま」
ニーユの言葉を聞いて頷き、クレイヴとシェイザードは部屋へ足を踏み入れた。
「……まあ、少しは見られるようにはなるな」
「……」
シャーリルはソファに座りながらもなぜか背もたれにしがみついていた。まあ漏れ聞こえていた会話から、相当精神的にダメージを受けたことは察する。
「シャル。せっかくクレイヴさまに見て頂けるのですから、どうか顔を見せてください」
「……」
努めて優しくかけられた声に、シャーリルはドレス台無しの据わった目でシェイザードを見た。恥ずかしいやら悔しいやら腹立たしいやらで、きっと戻ったら走り回って遊ぶに違いない。
「シャル。よく似合っていますよ」
「不細工な顔をしていないで立て」
「っ……!」
宥めるシェイザードとは裏腹に、クレイヴは容赦なく言い放つ。シャーリルが本気でクレイヴを睨みながら立ち上がった。ほどかれた麦の穂のような髪がさらりと躍る。ソファの脇にあるテーブルの上には髪飾りも置かれていたのだが、この様子だと断固拒否したのだろう。
それを一瞥して、クレイヴはゆっくりとシャーリルの髪に指を通し、整えた。普通の女性ならこうして触れられることでさえ気にするのに、まったく気にする素振りのないシャーリルには、不安が増す一方だ。
「まあ、いいだろう。黙っていればそれなりだな。確かに」
「気は済んだかよ」
「これしきで済むわけがない。笑ってみろ」
「はあ?」
「それで内面が隠れるのなら、今日はこれで終わりにしてやる」
「っ……!」
掴み掛からんばかりに睨んだシャーリルだが、ぐっと堪えて目を閉じた。なにか啖呵を切って屋敷を飛び出しそうだな、とシェイザードは覚悟する。が、シャーリルは逃げ出さなかった。深く息を吐いた次の瞬間、思わずその場にいた全員が瞠目してしまった。
「……これでいかが?」
緩く細められた瞳と弧を描く口元。小首を傾げて挑戦的に向けられた笑みは、一瞬いつものシャーリルを忘れるほどの、“女性”の笑みだったのだ。