売られた喧嘩(?)は受けてたつ!
シャーリルがクロウとシェイザードと共に離宮の外へ出かけている時、離宮に一人の子爵が乗り込んで来た。小太りでよく笑うおっさん(タークナス子爵)だ。
子爵は門番が止めるのもかまわず離宮へ入り込み、偶然遭遇したリアとサフィにごまをすろうとする。が、”男”に触れられることにトラウマがあるサフィがパニックに陥り、結果子爵はシェイザードやラズウェルに睨まれることになる。
サフィはシャーリルが駆けつけたことで落ち着きを取り戻し、次の日にはいつものサフィに戻れたのだった。
タークナス子爵が離宮へ押し入ってから一週間後。
久しぶりにやってきたラフィスは珍しくシャーリルを見ても睨みはせず、難しい顔で厄介事を持ってきた。
「シャーリルさま」
「お、おう、なんだよ……大丈夫か?」
いつもは嫌悪丸出しのラフィスからそれを感じられず、シャーリルは非常に戸惑う。しかしラフィスはそれには答えず話を進めた。
「貴族たちの不平を訴える声が大きくなっており、少々厄介な事態になっております」
「はあ……で?」
朝食の席にやってきて挨拶を済ますなりいきなりこう切り出したラフィスは、大分シャーリルたちに感化されている。が、本人は気付いていないようなので周りは黙って面白がっていた。シェイザードはもちろん、いまこの状況も面白がっている。
「お気は進まないでしょうが、少しばかりこちらでの教養を身につけていただけませんでしょうか」
「は……きょうよう?」
「……礼儀作法とか貴族社会での常識よ」
真面目に頼んでいるラフィスが可哀想に思って、ティアが説明を買って出た。真面目そうなラフィスのこと、気苦労が多いのだろうなと察する。
「ああ! でもなんで今更?」
「本当ならば離宮へいらしたときに身につけていただきたかったのですが、陛下がその必要はないとおっしゃられていましたので。ですが状況が変わったのです。陛下も出来るかぎり身につけて欲しいとおっしゃっています」
「……王様がなぁ……」
悩むシャーリルの顔には『めんどくさい』という気持ちがわかり易く出ていて、ラフィスは首を掴んで揺すりたいのをぐっと堪えている。
「あの、なにかあったんですか? シャルについての不平が陛下へ向かっている、ということですか?」
「……その通りです」
ラフィスは目を見張った。下民であるティアがなぜ要求の真意を汲めるのか。とても下民らしからぬ立ち振る舞いもするし、不思議な少女だ。
「シャル、僕たち講義に行ってもいい?」
「おう、いいぞ。話は聞いとくから」
「じゃあ行ってくるね」
「おう、行ってこい!」
サフィとリアが席を離れた。とっさにそれを止めようとしたラフィスだったが、シェイザードと目が合い、止めた。二人の姿が見えなくなり、少ししてから話を再開する。
「実は、タークナス子爵が離宮へ入ったときのことで……」
「……サフィ、か?」
シャーリルの目に怒気が籠る。だがラフィスは宥めるように瞬きした。
「ええ。あのあと子爵から話を聞き出した輩が陛下に訴えまして。『男のように振る舞う下品な乳母と、精神欠陥のある子供を殿下のそばへ置くなど、納得できない』と……」
「なんだと?」
「なんて失礼な連中なの!」
いきり立つ二人をシェイザードと宥め、ラフィスは溜息混じりに言う。
「わたしたちが『殿下に悪い影響はない』と言っても『納得出来ない』の一点張りでして。そのまま対立しても良い方向には進みませんので妥協案が出されました」
「……それが『教養を身につける』ってことですか?」
「ええ、そうです」
納得したふうなティアの隣でシャーリルはラフィスを睨みつける。
「だからってなんでそっちの常識を押し付けられなきゃいけないんだよ。精神欠陥なんて言ったヤツどこにいるんだ? 殴るから教えろ」
「落ち着いて下さい。そうさせるわけにもいかないのです」
「なんで!」
勢いで立ち上がったシャーリルに座るよう促す。
「シャーリルさま。あなたをここへ呼んだのは他ならぬ陛下です」
「だから?」
「あなたへの不平は、陛下への不平です」
「はあ?」
シャーリルにすぐ理解出来ないことなど分かっている。だからラフィスは辛抱強く説得しなければならないのだ。
「『あんな乳母を選ぶとはどういうことだ』と陛下に言っているようなものなのです。普段ならそのような言動は諌められるべきことですが、それがなされなかったのはその意見に賛同するものが大半だということ。もちろん陛下が『口出し無用』と一蹴することは簡単に出来ますが、それをしてしまっては独裁になってしまいます。そうなれば臣を纏めることが難しくなり、陛下を弑逆しようとする動きが強まるでしょう」
「なんだよ“しいぎゃく”って」
「臣が主君を殺す、ということです」
「……!」
はっと息を呑んだシャーリルに、言い聞かせるようにラフィスは続けた。
「あなたをここへ呼んだ時点でこうなることは分かっていた。それでも陛下があなたをここへ置き続けたのは、ラズウェル殿下のためなのです」
「ラズの?」
シャーリルの目が和らぐ。
「陛下は……」
ラフィスは言葉を探す。国王の心情を代弁することは出来るが、それは国王の苦悩を安易にさらけ出すことでもある。ラフィス如きが口にしていいものではない。そう判断して言葉を引っ張り出した。
「あなたに殿下を託しているのです」
「……」
途端、シャーリルの瞳が揺れた。怒りは消え失せ、戸惑いが浮かぶ。このまま悩んでしまうだろうかと思ったら、一気に挑戦的な目を向けられ驚いた。なぜこうも切り替えが早いのか。
「……いいよ、やってやる」
「……よろしいのですか?」
聞かなくてもいいのに思わず聞き返してしまった。
「そうしなきゃ煩いやつらがいるんだろ。サフィのこともむかつくし、やってやるよ」
「……そうですか……感謝いたします」
このときだけは、ラフィスは心の底からの感謝を示すため、シャーリルの前に跪き、深く頭を垂れた。いつもなら慌てて止めそうなシャーリルだが、じっとそんなラフィスを見ていた。もしかしたら伝わっているのかも知れない。これが騎士の、心からの気持ちを現す行為だと。
「それで、どなたに教わればいいんですか?」
「それなのですが、あなたたちにも学んでいただきたいのです」
「えっ、わたしたちもですか?」
「ミルーも?」
「俺もかよ?」
覗き込んでくるミルーとクロウの勢いに押され、ラフィスは一歩後ずさって距離を取った。
「ええ、そうです。それに……申しわけありませんが、教師をつけさせていただくことになります」
「教師!?」
全員の目がシェイザードに向けられた。こんな話はひとことも聞かされていない。
「いえ……わたしも今朝聞きましたので……」
「じゃああたしはシェイに教わればいいのか?」
シェイザードは貴族だし、シャーリルの侍従だ。礼儀作法を教わるには打ってつけだと思ったのだが。
「いえ、実は貴族たちの不平に真っ先に異を唱えたのがシェイザードなのです」
「えっ……で?」
「つまりあなたを擁護するシェイザードが教えるのでは納得いかない、という意見が多く、別の人間を呼ばなくてはなりません」
シャーリルは思わずシェイザードを見た。真っ先に文句を言ってくれたというのが、驚きでもあり嬉しいことだ。シェイザードはただ微笑んだだけだった。
「承知していただけますか」
「……仕方ねぇだろ。ティアたちの方は?」
「ティアとミルーはラルセーナさまが引き受けてくださいました。午前中は王宮へ行って指導を受けていただきたい」
「「えっ、ララさんに教えてもらうの?」」
公爵令嬢を“さん”付けで呼んだことに絶句したラフィスだったが、ティアとミルーの期待いっぱいの瞳にさらに声を押し込まれた。その様子に苦笑して、シェイザードが続ける。
「ええ、そうですよ。サフィとリアはアルマレウス伯爵が教えて下さいます」
「初めて聞く方ですね」
不安そうなティアにシェイザードは安心させるように微笑む。
「大丈夫。サフィのことは考えてありますよ。男性ではありますがちょっと特殊な方なので、安心して接することが出来ます」
「特殊……?」
ティアの横でクロウが不審そうに首を傾げたが、いつも側にいるシェイザードの言うことなので少しは信用出来るか、とこっそり思っていた。
「じゃあ俺はシャルと一緒にやればいいのか?」
「いえ、別です」
「なんで!」
気が楽だと思ったのにラフィスはばっさり否定した。喰ってかかるクロウを平然と見返し、淡々と言う。
「ミルーはまだ幼く、いくらラルセーナさまがお相手といえど不安でしょう。ティアは作法を覚えるのも早そうですし面倒もよく見ていますから、一緒のほうが良いでしょう。サフィはこの間のこともありますし一人にさせない方が良い。だから二人一組で見ていただきますが、クロウは特に問題がないように見受けられますが?」
「うっ……」
引き下がるしかないクロウに、ラフィスは驚くべき発言をする。
「ちなみにクロウはわたしが見ますから、そのつもりで」
「えっ!?」
ラフィスにしてみれば何気ない一言だった。だが、その場にいた全員の視線が痛いほど突き刺さるのには充分だ。
「……なんですか」
「いや……あんたってあたしたちのことは嫌いなんだと思ってたからさ……」
シャーリルの率直な言葉にラフィスの眉がぴくりと動いたが、彼らしく平然と言い返した。
「あまり好ましくは思っておりませんが、それは職務とは関係のないことです」
「いじめんなよ」
嫌々なのがありありと伝わってくるのでちょっとからかってみれば、ラフィスはさわやかに迫力ある笑顔を浮かべた。
「ご心配なく、シャーリルさま」
「……」
離宮へ来てすぐの頃にラフィスに怒られたことを思い出して、シャーリルは引きつった笑いを浮かべながら、そろそろとシェイザードの後ろに半分隠れる。ラフィスの心の底からの怒りがどうも苦手なようだ。
「あ……で、シャルには誰が?」
ラフィスとシャーリルの攻防を流そうと、クロウが話を促す。
「シャーリルさまにはクレイヴ宰相がついてくださいます」
「宰相さまが!?」
告げられた名前に反応したのはティアだけで、シャーリル、クロウ、ミルーは毎度の如く首を傾げてティアに問いかける。
「どういう人?」
「宰相さまよ! 国王さまの補佐をなさる方!」
「「「へえ〜」」」
そうなんだ、と頷く三人の姿にティアは項垂れる。こういうときにサフィがいてくれると非常に心強いのだが。そんなティアに苦笑して、シェイザードは補足した。
「ちなみにクレイヴさまはレステル侯爵ですので、エーセル公爵より少し下位になりますね」
「「「エーセルこうしゃく?」」」
そろって首を傾げられ、隣でラフィスが眉間を揉みほぐす。
「……おなじ読みですが、ラルセーナさまやシセルのお家より下位だということです」
「「「へえ〜」」」
ララはエーセルって言うのか〜、というシャーリルの呑気な声が耳に入り、ラフィスの目がすっと細められる。そんな同僚の心情を察してシェイザードは割って入った。
「ご了承いただけるならば、さっそく午後は顔合わせをいたしませんか?」
「えっ、もう?」
驚いて目を見開く様を見るのは面白い。シャーリルの言動は本当に子供よりだ。
「ええ。明日からは日中、それぞれに指導をしていただきますので、先に顔合わせをしたほうがよいかと」
「うーん……それもそうか……」
「俺はもう済んでるから、シャルについてく」
そう言ったクロウはラフィスと緊張した視線を交わしていた。お互い嫌っているわけではないが、かといって好意を持っているわけではない。下手言動をしたら即・敵認定だが、お互いのために慎む。そんな緊張だ。
そんなクロウの頭をぽんぽんと叩いてシャーリルは頷いた。
「おし! じゃあラズのとこに行こうぜ。終わったら話しとかないとな!」
「「「おー!」」」
小さな拳が三つ上がった。シャーリルを先頭に軽い足取りで子供たちが歩いて行く。その後ろを歩き始めながらも、小さな声でシェイザードがラフィスに問いかけた。
「シャルを相手に、クレイヴさまは大丈夫だろうか。お前より怒りやすい人だろう」
「……いちいち俺をひっかけなくていい。それにクレイヴさまの前ではあの女も大人しくなるだろう」
クレイヴ=レステルと言えば、貴族の間では避けて通りたくなる名前だ。ラフィスも不機嫌な様子のことが多いのだがクレイヴはその上をいく。苛ついていないときでもなぜか近寄り難い迫力があるのだ。間違っても気軽に声をかけられる雰囲気ではない。誰もが目が合う前に心の準備が必要な人なのだった。