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手を繋いで

 離宮の周りはかなり幅の広い道が巡らせてある。大型の馬車がゆうに五台は並んで走れるだろう道幅で、離宮の存在を際立たせていた。


「あの時は勇んで行ったからあんまり気にならなかったけど、こうしてゆっくり見るとけっこう距離あるよな」

「ほんとだなー。やっぱ下町とは違うな」


 離宮を囲う道は『道囲どうい』と呼ばれ、貴族以上のものしか立ち入ることは許されない。そして道囲に沿って並ぶのは貴族たちの屋敷だ。そんなところをのんびりと、騎士ひとりつれて貴族には見えない女と子供が歩いているのものだから、屋敷の使用人たちが興味津々で顔を覗かせている。


「なんかさぁ。すごい見られてるけど……やっぱシェイが目立つのかな」

「……なぜそうなるんですか? 見られているのはシャルとクロウですよ」

「えっ、なんで?」


 シャーリルはびっくりしているが、クロウは少し呆れたようにシャーリルに言った。


「なんでじゃねーよ。俺たちが貴族にも上民にも見えないのにシェイザードさんと一緒にいるからだろ」

「あー……ああ、そっか。ここじゃあたしたちが珍しいんだな」

「……ようやく分かったか」

「おう、やっと」


 クロウに苦笑されて、シャーリルは悪怯れるようすもなく笑って頷いた。これでも優しい目線だとシェイザードは思う。もしもシャーリルが普段のように男装で歩いていたならぎょっとされていただろう。“見られる”ところではなく“凝視”だ。


「なあ、シェイ」

「はい、どうされました?」


 くるりと振り返ってシャーリルがシェイザードを見る。その拍子にスカートの裾と麦の穂の髪が揺れた。普段が普段だけに、こうして女性ものの服を着ているだけでも、改めてシャーリルは“女性”なのだと気付かされる。


「ここ抜けて上街に行ったらだめか?」


 ここというのは貴族たちの屋敷だ。離宮は王宮と比べて貴族の数が少ないため、そこを抜けるのにわけはない。屋敷ひとつ分を抜ければすぐに上街なのだ。たとえラズウェルやシャーリルが気に入らない輩がいたとしても、ここではそうそう動けまい。


「約束を守っていただけるのでしたら、良いですよ」

「ああ! 絶対シェイのそばは離れないし、クロウとほら、手も繋ぐ」

「……なんかこうされると俺がすごいガキみたいだよな……シェイザードさんと手を繋ぐのは?」

「構いませんが、それではシャルがひとりになってしまいます」

「じゃああたしもシェイと手ぇ繋げばいいだろ? ほら」

「! ……それはどうかご勘弁を」


 なんのてらいもなく繋がれた手を出来るだけ慎重に抜き取り、シェイザードは一歩シャーリルから離れた。


「なんで?」


 不服そうにされると困ってしまうが、ここは“騎士”であり“貴族”である自分を奮い立たせる。


「シャル。一番初めにお会いした時のことを覚えていらっしゃいますか?」

「……覚えてるけど」

「その時シャルは握手をしてくださいましたね」

「ああ……それがなん」

「あー……」


 悩むシャーリルの声にクロウが被せた。どうやらクロウは思い出してくれたようだ。そんなクロウをシャーリルがじっと見る。


「なんだよ」

「……ほら、ティアにも言われてただろ? “男女は無闇に接触しない”って」

「……ああ! そういやそんなこと言ってたな!」

「「……」」


 ぽん、と両手を打って頷くシャーリルを見て、シェイザードとクロウは思わず顔を見合わせた。これから先がそこはかとなく不安だ。


「ということですので、シャルとわたしが手を繋ぐということは出来ません」

「でもさ、顔見知りならいいって言ってたよな? 確か」

「……それはどうか離宮内だけにしてください」

「んー、どうしても?」


 今まで当たり前にしてきたことを制限されるのだ。シャーリルが納得いかないのも仕方ないことだろう。だがシャーリルは“ラズウェルの乳母”なのだ。その乳母が、ちょっと面識のある男に平気で触れるようなことがあれば、あらぬ噂を立てらるのは必至。それに“男”に対して警戒心のないシャーリルのことだ。“性別”という観点からのいやがらせが起きないとも限らない。


「どうしてもです。殿下とシャルのためでもありますから、どうかご理解いただけませんか?」

「……」


 頼み込むこちらをじっと見返すシャーリルの目はまっすぐだ。何か読み取ろうとするその瞳に、守りたいという思いが伝わるようにと見つめる。


「……わかった。外じゃあ触れないように気をつければいいんだな」

「はい。ご苦労をおかけします」


 そう言って頭を下げるシェイザードに、シャーリルはもどかしそうに唸った。

「なんかさぁ、そういうの止めようぜ」


 多分、シェイザードの姿勢をなおそうとしたのだろう。両手がもどかしそうに宙をさまよっている。


「そういうの、とは? なにかお気に障りましたか?」

「そうじゃなくて! あたし、シェイに頭下げられるようなことしてないぞ」

「しかし……こちらが無理をお願いしているのですから」

「違うだろ? ここのきまりに慣れてないあたしが努力するのは当たり前なんだからさ。それにこっちは教えてもらってるんだから」

「シャル……」

「それ! そうやって呼んでくれるのに態度は全然違うだろ」

「……それは」

「なんていうかさぁ……ちぐはぐなんだよな。シェイは——」

「まあまあシャル。それは戻ってからにしようぜ」


 クロウはとっさにシャーリルの口を塞いだ。むっとしたシャーリルに睨まれるが気にしない。不思議そうにクロウを見ていたシェイザードに笑いかけて話を終わらせた。


「ほら、手ぇ繋いで。上街に行こうぜ!」

「……ああ」


 しぶしぶ従ったシャーリルにも笑いかける。歩き始めた二人にシェイザードも続いた。シャーリルはきっと、どう思ってるんだと聞くつもりだっただろう。だが事情を知らない人が聞けばあらぬ噂を立てられそうだ。だからクロウは無理矢理ふたりを引っ張って行ったのだった。




 貴族たちの屋敷を抜けると、大きな通りの真ん中が鉄細工の施してある柵で仕切られていて、その柵を越えると上街に入る。そこは下町とは違い、店も人も飾り立てて華やかだ。どんどん奥へ行こうとした二人をシェイザードがやんわり止めた。


「この道沿いにお願いします。大勢に囲まれてはわたしも満足にお守り出来ませんから」

「おう、分かった」


 頭上で交わされた会話にクロウはちょっと複雑な心境だった。シャーリルと手を繋いで、二人が触れ合わないように間にクロウが入る状態で道を歩く。上民たちの視線が集まっているが、いつもなら気にならないそれが今はかなり気になる。そのわけは。


「すげー……よくみんなあんな服着てられんなぁ」

「女性はああいうものですよ。シャルも着てみたら似合うと思うのですが……」

「あんなの着たら動けないだろ〜?」

「……まあ、そうですね。シャルの生活には必要ないかも知れません」

「だろ? シェイが用意してくれたやつ、丈夫だしすごい気にいってんだ!」

「それは良かった。ですが今日のような服も着慣れて下さいね。のちのち公の場で着る機会も増えますから」

「えっ!?」

「殿下のおそばにいるのですから、当然ですよ」

「……そ、そうか……」


 そんな会話を頭上で聞きながら、クロウはいたたまれない視線を黙って受け止めていた。

 仲良く話す男女の間に子供がいるわけで。そうなると事情を知らない人が見れば“親子”に見えるのだ。しかし問題は顔の知られているらしいシェイザード。シャーリルとシェイザードを見比べてひそひそ。シェイザードとクロウを見比べてひそひそと、あらぬ噂が広がる気配がおおいにする。


(でもシェイザードさん、気付いてないよな……)


 なんだかんだとシャーリルに注意していても、シェイザード自身はこういうことに疎いらしい。これは先が大変だな、とクロウはこっそり溜息を吐いた。あとでティアたちと相談しておかなければ。


「あっ、おいクロウ!」

「なんだよ」


 シャーリルに突然腕を引っ張られてよろけた。


「シャル、どうしました?」

「ほら、あの婆さん。昔から世話になってんだよ」


 シェイザードがシャーリルの動きに合わせてくれたので、両側から腕を引っ張られるという事態は避けられた。シャーリルの指差す方向へ顔を向ければ、確かに馴染みの婆さんがいる。


「ほんとだ。ばーさん!」


 大きな声で婆さんを呼んで手を振る。シャーリルも手を振って、クロウごとシェイザードもぐいぐい引っ張ってその婆さんのところへ走り寄った。


「おや、まあ……」

「久しぶり、婆さん! どうしたんだよこんなとこで」


 いつも通りにシャーリルが話しかけるが、婆さんは答えようとしてクロウを、そしてシェイザードへ目をやり、慌ててぺこりと頭を下げた。


「こりゃあ失礼を、乳母さま。あたしゃあ、ただ薬草を分けてもらいにきただけですよ」

「え……婆さん?」


 気さくな老人なのに畏まった態度を取られ、シャーリルの表情が一気に曇る。シャーリルが王子殿下の乳母になったことは、やはり下町の人間も知るところなのだ。クロウも悲しくなって懸命に話しかけた。


「足はどう? おっさんは手伝ってくれてるか?」

「ああ……ちゃあんと手伝っとりますよ。ありがとうございます、坊ちゃん」

「坊ちゃんって……俺はそんなじゃ」

「……二人もお元気そうでなによりです。こんな老人を気にかけてくださって……環境が変わって大変でしょうが、どうかご自愛くださいな」


 そう言って二人を見やるその目は、温かい愛情で溢れていた。シャーリルの表情を見ても態度を変えなかったのは、小さな頃から見てきたシャーリルが“身分”というものをよく分かっていないと思ったからだろう。こうして接することでシャーリルに自分の身分を分からせようとしているのだと、クロウは悟った。


「……婆さん」


 まるで縋るようにシャーリルが呼ぶ。繋いだ手がわずかに震えて、クロウは婆さんの目をじっと見たままシャーリルの手をぐっと握りしめた。


「頑張るよ」


 そう言ったクロウへシャーリルの視線が落ちる。でもクロウは婆さんの目をじっと見つめて続けた。


「俺が守るし、みんな頑張ってるから」

「……頼もしいですねぇ、坊ちゃん」


 クロウは大きく頷いた。そこからなにか読み取ったのか、シャーリルがそっと婆さんの前に跪く。


「婆さんも無理すんなよ。おっさんのことこき使ってやれよ」

「そうですねぇ。そうしましょうかね」


 婆さんが嬉しそうに笑って、応えるようにシャーリルも笑って、でもすぐに踵を返して走って行ってしまう。シェイザードがとっさに後を追い、クロウも後を追いながら、一度だけ婆さんを振り返った。婆さんはただ、温かな微笑をたたえていた。




「シャル! 止まってください!」

「っ……!」


 シェイザードの声にシャーリルは足を止めた。あの柵を越えたところだ。ここまでくれば充分だと思った。でも振り向けない。


「シャル」


 宥めるように名前を呼ばれて、シャーリルは握りしめていた拳から力を抜いた。本当は分かっていたことだったのに、婆さんの態度に打ちのめされている。


「おい、シャル」


 クロウの声にほっとした。くるりと振り返って二人に笑いかける。


「……分かってたんだけどさ、なんとなく」


 二人ともじっと言葉を待ってくれた。


「ここへ来たら、下町には戻れないんじゃないかってこと」

「シャル……」

「……まあ、前のようにはいかないよな」


 離していた手をクロウが握った。それを、確かめるように握り返す。


「婆さんもひでぇよな」


 笑ったつもりがどうにも上手くいかなくて泣きそうになったから、クロウの手を離してさっさと離宮へ向かって歩き出す。すぐに二人が両側に並んで、余計に顔が歪む。だから、思いっきり走った。


「「シャル!」」


 追いかけてくる。それが嬉しいのに逃げたくなる。もはや泣きたいのか笑いたいのか自分でも分からなくなって、シャーリルは離宮に飛び込むまで全力で走った。




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