過去から進むための一歩
※若干暗いの続きます。
「それにしても、講義中寝ない自信はないなぁ」
今日はテラスで昼食を摂ることになり、料理が届くまでのんびりすることになった。テラスの手摺にもたれてシャーリルがぼやく。
「シャルは無理だよね」
サフィが呆れて言う。それにシャーリルは明るく笑った。
「だよなぁ。でもまた怒られちゃうだろ」
困って笑うシャーリルに、今度はラズウェルが呆れて言った。
「無理に受けなくともよいだろう。そもそも私の様子が知りたかったのだろう? なら、充分わかったのではないか?」
「ああ、まあ、それもそうだな」
言われて気付いたようで、シャーリルはぽんと両手を打ち合わせた。
「でもサフィは好きだろ? ああいうの」
「うん。出来ればこのまま受けたい。駄目かな?」
聞かれてラズウェルは頷いた。
「特に問題はないだろう。クロウは……」
「行くと思うか?」
「いや、思わない」
苦笑したラズウェルにクロウはにやりと笑った。二人は本当に、あっと言う間に仲良くなってしまった。
「多分ティアも行くんじゃないかな」
「じゃあ別行動でいいよな。昼は一緒に食うってことで」
サフィに頷いてそう言ったシャーリルに、シェイザードは苦笑して言う。
「シャル。せめて『食う』ではなく『食べる』と言ってください」
「うっ、シェイ……なんかティアに似てるな」
「シャルが男勝り過ぎるんです」
「というかむしろ、心は男?」
「まあサフィよりは」
「なんでそうなるの!」
嫌味で言ったつもりが嫌味で返され、サフィは悔しそうに拳を握りしめる。そんなサフィの頭をぐしゃぐしゃと撫でてシャーリルは笑った。
「……サフィたちは触れられるのが気にならないのだな」
ぽつりと零れた声に、シェイザードとルヴィスがこちらを見る。
「あ……いや、少し乱暴な触り方だと思うが、気にしないのだなと思って」
「ああ……そうですね」
ぼんやりシャーリルとサフィを眺めてラズウェルは続ける。
「母上とは……ぜんぜん違うな」
「……殿下」
エリシア王妃はとても穏やかな女性だった。愛しい息子に触れるときも、愛しい夫に触れるときも、優しくそっとするのが当たり前だった。
(では、殿下)
陛下はいかがでしたか? そう訊ねようとしてしまい、シェイザードはぐっと言葉を呑み込んだ。代わりに自身の記憶をまさぐる。国王はシャーリルと同じようにラズウェルに触れていたように思う。エリシアがもうちょっと優しく、と笑っていたのがつい昨日のことのようだ。
「ラズの母さんってどんな人だった?」
「!」
ひょいとクロウがラズウェルの顔を覗き込む。ラズウェルはもちろん、シェイザードもルヴィスもぎくりとした。
「っていうかさ、母さんってどんなの?」
「……は?」
どうも変わった質問に、ラズウェルはまじまじとクロウを眺めてしまう。クロウはそんな視線に少しむっとしつつも恥ずかしそうだ。
「ティアとリアとサフィは優しいって言う。温かくて優しいって。そうなのか?」
そう聞いてくるクロウは真剣なまなざしだ。それに戸惑い、もしかしてと思いつつ、胸を突く痛みとともに温かい記憶をすくい上げる。
「そうだな……母上は……とても優しい人だった」
「殿下……」
シェイザードもルヴィスも、ラズウェルが苦しそうにしながらもエリシアのことを話し始めたのに驚いた。信じられない思いだ。いつの間に話せるまでになっていたのだろう。
「話し方も触れ方も、とても優しい人だった。心の温かい人で……私を……」
エリシアの笑顔が目に浮かぶ。頬を、髪を撫でる温かさを感じる。
『ラズ』
優しい声が名前を呼ぶ。その声が懐かしい。
「ラズ!?」
クロウがびっくりしている。シェイザードもルヴィスも慌てて覗き込んだ。
「なんだ、どうした?」
「ラズ?」
シャーリルとサフィも慌てて駆け寄る。
「なんだよ、泣いてんのか」
シャーリルがぽんと頭に手を置いた。その拍子に涙がこぼれる。
「母上は……」
瞬きするたびに大粒の涙がこぼれていく。それでもラズウェルは続けた。
「母上は……私を、愛してくれていた」
「うん」
応えてくれる声を探せば、晴天の瞳がラズウェルを映して笑っている。その瞳に向かってラズウェルはもう一度言った。
「愛して、くれていたんだ」
「……うん。そう思ってた」
言われて、ラズウェルはシャーリルにしがみついた。ほとんど突進する勢いだったにも関わらず、シャーリルはラズウェルに負けないくらい、きつく抱きしめた。ラズウェルの背中をクロウが撫でる。サフィがそっと肩に手を置いた。
ラズウェルが声を上げて泣いている。このとき、すがりつける相手がいることに、シェイザードとルヴィスは顔を見合わせて笑った。ルヴィスの表情は分かりにくいが、それでもラズウェルを見つめる目がとても優しかった。
昼食の用意が出来たと侍女がやってきたときまで、ラズウェルは泣いていた。侍女たちの驚きようといったら、思わず涙が引っ込むほどだった。テラスに用意された食卓を囲んだころにリアとティアとミルーが来て、ラズウェルの目が赤いことに驚いてどうしたのかと駆け寄った。
それがどうしようもなく嬉しくて、ラズウェルは声を上げて笑った。
泣いてしまったのは、母を“懐かしい”と思ってしまったから。
嬉しかったのは、孤独じゃないと感じたから。
いつの間にか母の死を乗り越えられたことが、可笑しかったから。
自分は脆くて、でも自分で思うより強いのかも知れないと、そう思った。
その夜。
クロウはすっと眠りから意識が戻った。もともとの境遇のせいですぐに目が覚める。
(シャル……?)
隣のベッドで眠るシャーリルへ視線を動かす。小さなうめき声が聞こえた。
「シャル」
呼びかけたくらいで目覚めないのは分かっているが、それでも声をかける。
「ぅ……あ……」
クロウはベッドを下りてシャーリルの側へ歩いた。やはり、夢にうなされているようだ。
「ぃ……さ、ん」
表情は苦しげで、唇を噛み締めながらも声がもれる。ベッドの上の手は、ぐっと上掛けを握りしめていた。
「シャル」
思わずため息を吐いた。またかという思いと、何も出来ないもどかしさ。それでも少しでも助けになればと、クロウはシャーリルのぐっと握られた手に自分の手を重ねた。びくりと撥ねた手が、必死でクロウの手を握ろうと動く。
「……ぃくな……に……さ……」
「シャル。俺たちがいるだろ」
必死な手に応えて、クロウもぐっと握る。空いているほうの手でシャーリルの頭を撫でた。
「し……で……にぃさ……」
「誰も死なない。大丈夫だ。シャル」
「だ、め……」
「シャル。起きろよ。俺たちがいるだろ」
「う……」
痛いほどに握りしめていた手が、わずかに弱くなった。ずっと撫でていると表情が和らぐ。それにほっとしながらクロウは握った手を少しだけ揺らした。
「シャル。夢だよ」
「に……さ……」
「寝ぼけんな俺だよ」
「……?」
まだ少し苦しげな表情のまま、うっすらとシャーリルは目を覚ました。
「あ……クロウ……?」
「まいどだな。一緒に寝んの俺だけだろ」
「……あ……あぁ、そっか……」
ぽろ、とシャーリルの目から涙がこぼれた。それにシャーリルが気付かないから、クロウも気付かないことにする。代わりに頭をぽんぽんする。
「起きるか?」
まだ夢に引きずられているらしく、どうもぼぅっとしている。しばらく待つとようやく答えた。
「あー……どうしよ」
「んじゃ、身体起こせよ」
「ん」
夢を見たあとのシャーリルはわずかに震えている。それを分かっているから、起きるのを手伝った。ひょいとシャーリルのベッドに乗って隣に座る。こうしてシャーリルがうとうとするまで側にいるのだ。触れ合っていた肩がだんだん押し付けられてきたら眠る合図。うっかりしていると首が傾いて思いっきり頭をぶつけるので気が抜けない。
はぁ、と吐いたシャーリルの息がまだ震えていた。でもクロウは何も言わない。シャーリルも何も言わない。ただじっと、お互い側にいる。
本当はクロウだって夢を見て飛び起きる。その時はシャーリルがなぜか起きていて、こうして黙って側にいた。辛い過去が悪夢になって襲ってくる。それをじっと耐える。二人で。
ずっとこうしていたから、なんとなく他の人ではだめな気がしているのだが、誰でもいいのかも知れなかった。
(うそついた……)
クロウはぼんやりとシェイザードを思い浮かべた。シャーリルが悪夢を見るから、それを自分しか知らないから離れられないんじゃない。いや、それも事実ではあるのだが、それよりも自分だ。自分の悪夢をシャーリルしか知らないから、離れられないのだ。
誰よりも過去を知られたくないから、それを知るシャーリルから離れられない。
(助けてもらう資格なんてない……)
ぎゅう、と胸が縮まる。でも、落ち着きつつあるシャーリルの隣でそれをさらけ出すわけにはいかない。だから、わざと自分からシャーリルに寄りかかった。
「クロウ?」
呼びかけには応えない。目を閉じて、シャーリルが眠るのを待つ。
「……ありがとな」
ぽんぽんと頭を叩かれて、クロウは少しだけ苦しさが紛れた気がした。