身分という名のしがらみ
「ねえ、ティア。貴族と上民って、どう違うの?」
廊下をラズウェルの部屋へ向かいながら、ミルーが突然疑問を投げかけてきた。
「なんでそんなこと聞くの?」
きょとんとしたティアにミルーは難しい顔をする。それが幼くて可愛らしい。
「下民とか、上民とか、貴族とかってよく言うけど、よく分かんないなぁって」
そんなミルーにくすくす笑いながらリアが答える。
「上民は、言わばお金持ちだよ。お店なんかで儲かって、さらに貴族や王族から定期購入が約束されると大金持ちだね」
「じゃあ、貴族は?」
「貴族は王宮で働いている人達の事だよ。上民でも王宮で働けるようになると貴族になれるって聞いた」
「「へえー!」」
「あれ、なんでシャルまで頷いてるの?」
リアにくすくす笑われて、シャーリルは笑ってごまかした。
「いやー、リアも物知りだよな!」
「シャルが物を知らなさ過ぎるんだよ」
ぼそりと言ったサフィの言葉は運良くシャーリルに届かなかったらしい。
「それじゃあシャルも貴族なの?」
「え?」
言われてリアも戸惑った。確かに、言ってみれば乳母という“仕事”を離宮でしている。どうなんだろうとティアに視線を移せば、首を横に振られた。
「違うわよ。貴族は王家に位をいただかないといけないし、そうじゃなければ家系よ。シャルのご両親が王宮で働いていたらシャルも貴族だけど、違うものね?」
確認されてシャーリルは頷いた。
「違うと思うぞ。だったら下町になんか住んでないだろうし」
「上民でもないの?」
続く質問にもシャーリルは首を傾げた。
「違うと思うけど……商売してたんなら兄さん、その金で学校に行ってたと思うし」
兄さん、という言葉に皆がぴくりと反応した。シャーリルに兄がいたことは知っている。そして戦死してしまったことも。
「皆は?」
「!」
無邪気に身分を聞かれてティアとリアが身を強ばらせた。それを知って、サフィが二人より先に答える。
「下民だよ。じゃなきゃシャルと一緒にいられないって。ね」
わざと二人にそう振ると、慌てて頷く。
「そうだよ」
「そうね」
「そっかぁ、じゃあ皆一緒だね!」
嬉しそうに笑うミルーに皆頷く。けれど、子供達はどこかぎこちなかった。
今日もラズウェルと共に講義に参加する。だが、やはりシャーリルとリアはぐっすり。ミルーとクロウはうとうとしている。そんなシャーリル達をセレイは睨みまくり、ラズウェルは呆れ、シェイザードは面白そうに見ていた。
「これにて本日の講義を終わります!」
お決まりの大声で講義を締めくくると、はっとシャーリルが目を覚ます。
「あ、終わった?」
眠そうにされてセレイの怒りがむくむく膨れる。
「いい加減になさい! なんですかその態度は!」
怒られて慌てて愛想良くするのもいつもの事となりつつある。
「いや、まあ、主役はラズなんだし、いいじゃん」
「よくありません! 貴女も色々と学ぶべきです!」
「乳母が政を学んでもいいんですか?」
シャーリルに噛み付くセレイにリアがにっこり笑って噛み付く。セレイは貴族然としたリアが苦手なようで、すぐにたじろいでしまう。
「え、ええ……多少は学んで頂いたほうが殿下の助けとなりますから」
「それは臣の仕事でしょう? それとも乳母は政の手伝いもするんですか?」
「それは……」
リアもなぜかセレイにはきつい態度だ。
「まあまあリア。もう講義終わったんだしいいだろ? ほら、ラズと一緒に遊ぼうぜ」
そう宥めるシャーリルに、よせばいいのにセレイは噛み付いてしまった。
「殿下に野蛮な遊びを教えないように!」
はいはい、と言おうとしたシャーリルの前にリアが立ちふさがる。
「野蛮って、なに?」
「!」
セレイがぎくりと身を強ばらせている。
(こりゃあ怒ってるな)
顔を見なくても分かる。いつも浮かべている笑みを消し去り、大人顔負けの眼光で睨んでいるに違いない。
「リア、もういいから」
後ろからぽんぽんと肩を叩く。それでも動かないリアに、クロウが声をかけた。
「ほら、行こうぜ。ミルーも緊張してるし」
「……そうだね」
促されて部屋を出て行くリアを、セレイは黙って見送るしかなかった。リアの豹変ぶりに身動きが取れないようだ。ラズウェルも少し唖然としているようだった。
「わるいな」
謝るシャーリルに、セレイは目をまんまるにして驚いていた。
「寝ないように気をつけるよ」
リアは人一倍言葉に敏感だ。肉体的な攻撃に敏感なのはクロウだが、言葉の攻撃に敏感なのはリアだった。二人とも、攻撃を受けたと思ったらすぐに応戦してしまう。それだけに二人だけで行動すると、よく大喧嘩して帰ってきたものだ。子供のみならず大人にまでそうだから、まったく大変だ。
部屋を出ると子供達が待っていた。ラズウェルとルヴィス、そして当然シェイザードも。
「リアはセレイが気に食わないのか?」
出てきたシャーリルに気付いてはいるものの、じっと黙ったままのリアにラズウェルがそう訊ねた。どうもリアの態度が気になっていたようだ。
「別に、そんなんじゃないよ」
声音はいつもと同じだが、目線は動かさず、表情も固いままだ。皆歩きながらリアの様子を伺う。どうしたのかとシェイザードに目で問われて、シャーリルは返答に困って苦笑した。
「そうか。セレイに対して少し厳しいと思ったんだが」
ラズウェルはそう言ってじっとリアを見ていた。そんなラズウェルをちらりと見て、それから皆を見回して、そして、緊張を解くようにふっと息を吐いた。
「やっぱり、ちょっときつかった?」
ようやくラズウェルと目を合わせると、リアはちょっとぎこちなく微笑む。
「セレイさんが礼儀作法に良い意味でうるさい、真面目な人だっていうのは分かるよ。だから僕たちの態度に厳しいんだろうっていうのも分かる。でも」
リアはぐっと手を握りしめる。
「だからってシャルを馬鹿にするような言葉は、やっぱり許せない」
その言葉にラズウェルが目を見張った。やっぱり自分が原因だと分かって、シャーリルは苦笑するほかない。
「確かに僕らは貴族流の礼儀作法なんて出来ない。でもそれは貴族を馬鹿にしてるわけじゃない。なのにああやって蔑まれる」
リアの言葉に、ラズウェルは触れようとしていた手を引っ込めた。
「シャルは粗雑だけど、誰よりも優しく心に触れてくれる。そういうことを知りもしないで、なんであんな暴言を吐けるのか分からない。だから僕は、あの人が嫌い」
言い終えるや、リアは足早にその場を去ってしまった。慌ててティアとミルーが追いかけていく。
「……リア」
シャーリルは追いかけられなかった。リアがあんな風に思ってくれているのが嬉しくて。そんな場合じゃないのにぼぅっとしてしまったのだ。
ラズウェルは一歩踏み出して、それ以上追いかけることが出来なかった。自分は王族……貴族以上だ。そんな自分が追いかけてリアがどう思うか。そんな考えに足がすくんで。
(……俺が触れるのは……やはり嫌だろうか)
伸ばした手を引っ込めた。それは、触れてはっきりと嫌われるのがこわかったから。
(そういえば)
子息達の会話を思い出す。あのレヴェリー……上民ですら身分が低いと馬鹿にして蔑んでいた貴族の子息達。それはあまり良いことではないと思いつつも、当たり前に眺めていた自分。
思えばセレイも、ラフィスも、子息達も。皆が“下民”といってシャーリル達を見下していた。
(俺は?)
シャーリル達と話すとき、特に下民だという不快感はない。でも先程のようにセレイがシャーリルに何か言っても、ラフィスが嫌悪むき出しにシャーリルを睨んでも、何も思わなかった。何も。それが当たり前のことだと思っていたから。
どうしてリアはあんなに怒っている。どうして。
(シャルが、好きだから?)
そうだ。リアはシャーリルが好きなのだ。慕っていて、尊敬もしているんだろう。だから怒った。好きな人を侮られて怒らないはずがない。
(そうか……ああいうのが当たり前なんだ)
ラズウェルははっとして思わずシャーリルを見つめた。リアを追っていた目線がゆっくりラズウェルと合わさる。
「ん? ……大丈夫だよ、リアは」
少しかがんで、そっと頭を撫でられた。晴天の瞳が優しく笑う。ふと視線を動かすとクロウと目が合った。クロウはにっと笑い返す。
(俺は……怒りを感じるべきだったんじゃないか?)
リアが感じたように。
(だって……俺もシャーリルは好きだ。きっと)
一緒にいるのが楽しい。ラズウェルを“王子”ではなくラズウェルとして触れてくれるこの手は好きだ。多分、リアたちがシャーリルを好きなのと同じくらいに。
(なんで、怒らなかったんだろう)
自分が分からない。ああやってリアが怒ってその理由を聞いて始めて、不愉快という感情が沸いてきたのだ。次にセレイやラフィスや子息達が皆を侮るようなことを言えば、間違いなく自分は“怒る”だろう。
どうして今までそんな感情が沸かなかったのか。考えてラズウェルは自嘲した。
「ラズ、どうしたの?」
サフィが覗き込んでいて、気付けば皆が注目していた。
「なんでもない。リアは……そっとしておいた方がいいのか……?」
分からなくて聞いてみると、サフィはそうだね、と頷いた。
「なら、一休みしてから昼餉に誘おう」
「お、そうすっか!」
クロウが頷いて、皆で廊下を歩き始める。ラズウェルはそっと一人一人をうかがった。
(自分とは関係ないと思っていたんだ。自分に向けられる言葉や態度ではなかったから)
好きだと、確かに思うなら。関係ないわけがなかったのだ。それに気付けなかった自分が、ひどく哀れに思えた。
※下民…主に物々交換で生活している民。下町に住む。上民・貴族から蔑まれる傾向あり。
※上民…貴族相手に商売をしている民。上街に住む。貴族御用達になると鼻高々。王家御用達になると有頂天。下民を毛嫌いする傾向あり。
※貴族…王家に仕える民。王家に忠誠を誓い、真面目な人材が選ばれて『貴族』という位を国王から授かっている。実は、上民と下民には知られていないが、身分関係なく選ばれている。
ちなみに給仕や侍女たちも一応貴族。貴族のなかでも位が分かれていて、
『侍従(世話係・給仕係・清掃係・料理人)』『侍従頭』『兵士』『兵長』『騎士』『騎士長』『近衛騎士』『近衛長』まで順に位が高くなるが、
『近衛騎士』『近衛長』『男爵』『子爵』『伯爵』は王家からのお気に入り具合で上下関係が揺れる。
『侯爵』『公爵』は国王の補佐が職務のため、別格。
しかし公爵の子供が騎士になった場合は公爵と本人の気持ち次第で周りの態度が変わる……が、王家に煙たがれたらマズいのでみんな大人しくしています。