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振り回されるオトコたち


「ラズ連れて来たぞ〜!」


 という声とともにクロウが足を踏み入れると、そこにはすでにがつがつ食べるシャーリル達の姿があった。


「あーっ! そこ俺にも寄越せよ!」

「げっ、クロウが戻ってきた!」

「げっ、とはなんだよサフィ! お前の寄越せ!」

「ちょっとクロウ! ちゃんとラズを席に座らせてからでしょ!?」

「ティアがやったっていいじゃんよ!」

「ミルーも食べたい、サフィ!」

「はい、あーん」

「あーん!」

「や、やべぇ可愛過ぎるミルー!」

「もうシャル! ミルーをちゃんと座らせてよ!」


 相も変わらず騒がしい食事風景だ。ぽかんとしていたラズウェルは、ルヴィスにそっと背を押されて自然と席へ足を進めた。すとんと腰を下ろすと、すぐにシャルが皿に肉を取り分けてくれた。


「……ありが」


 とう、と礼を言おうと思った矢先、シャーリルがすごい事を言った。


「ほんとは庭で薪焚いて、それで焼いてもうまいんだけどさー。それだけは止めてくれって料理長に泣きつかれちゃって。まあ厨房借りたし、今回それは無くなったんだけどさ、今度はやろうな!」


 な! と言われてもラズウェルには答えようがない。


(庭で、薪で、焼く?)


 未知の光景だ。目眩がしそうになったので、慌てて話題を変えようと試みた。


「そ、そういえばシャル。今日は男装ではないんだな」

「あ、これ?」


 シャーリルが今着ているのは、元々こちらで用意してあった女性用の服だ。それを摘みながら、シャーリルはどこか照れながら衝撃的な発言をした。


「それがさぁ、狩りの時と捌く時に血糊付いちゃって。代わりの服がこれしかなかったんだよな。久しぶりだったからつい興奮しちゃって」

「!?」


 今、なんと。そう聞く事さえ出来なかった。あははと笑うシャーリルを呆然と見つめつつ、なんとか声を絞り出す。


「シャ、シャル、が……捌いた……のか?」

「おう! あ、あとクロウとリアとサフィもな!」

「……!!」


 どこに。一体どこに、自ら狩りへ行って自ら捌く女がいるというのか。


(目の前かっ……!!)


 ふらっ、と意識が遠のきそうになった。だが、はっとしてシェイザードの姿を探す。


(シェイザードは……っ!)


 見つけた。すぐ近くにいた。が。


「……」

「……」


 シェイザードは茫然自失していた。真っ白だ。きっと彼の中の何かが崩壊したのだろう。皿には綺麗に鹿肉が鎮座しているが、それを呆然と見つめたまま動かない。


(哀れな……まさか捌くところを見ていたのか……?)


 なんだかラズウェルが代わりに泣きたくなってきた。そんな状態のシェイザードにシャーリルが気付いて声をかける。


「シェイ?」

「……」

「おーい、シェイ!」

「……!」


 耳元で呼ばれてようやくシェイザードが戻ってきた。


「あ、ああ……シャル……」

「なんだよ、食べないのか?」


 鹿肉を指差されてシェイザードの表情が消えた。きっと必死で理性を保っているに違いない。


(良かった……俺はこうして全てが終わった後だけ見られて……)


 もの凄くほっとしながら、ラズウェルは目の前の鹿肉を食べ易い大きさに切る。


「い、いえ……その……しょ、食欲がないといいますか……」


 あのシェイザードが、しどろもどろになっている。哀れ過ぎる。


「なんだよ、すげぇうまいぞ。一口食べてみろって」

「い、いや……」


 シェイザードはシャーリルから視線を逸らさなかった。きっと鹿肉を視界に入れたくないのだ。


(同情するぞ……)


 切った肉を口に含んで味わいながら、ラズウェルは事の成り行きを見守った。その隣ではルヴィスも食べている。

 じっと目を逸らさないシェイザードに何を思ったか、シャーリルは首を傾げながらも笑った。それにつられて笑ったシェイザードの口元に、鹿肉が刺さったフォークを差し出し、悪意の欠片もない笑顔で言った。


「はい、あーん」

「!?」


 びきっ、と固まったのは何もシェイザードだけではない。その部屋一帯の時が止まった。


「…………」


 しーん、とさっきまでの喧噪が嘘のように静まり返る。それに気付いてシャーリルがびっくりしていた。


「……な、なんだよ」


 言いながらちらりとシェイザードを見ると、驚きのあまりか僅かに口が開いていたので、これ幸いと突っ込んだ。


「はい」


 ぱく。それ以外に反応出来ただろうか。いやきっと出来ない。それを見た者たちから色々な意味の悲鳴が上がった。

 シェイザードが食べさせてもらったという光景に女性達から黄色い悲鳴が。

 貴族に食べさせた下民の図に男性達から断末魔が。

 そして。シェイザードの様子がおかしい原因を分かっていた者達からは、同情の叫びが。


「どう? うまいだろ?」


 にっこり笑うシャーリルに、魂が抜けたシェイザードが答える事など、出来る筈がなかった。


 かくして、乳母の鹿狩り事件はシェイザードが真っ白になって意識を飛ばす、という可哀想な結果に終わったのだった。

 もう誰もこの女を止められない。誰もがそう、覚悟した。






 鹿狩り騒動の翌日。


 空が白み始めた頃、クロウはふっと、目を覚ました。窓から空を確認して、眠いながらもすっと冴える頭で少し考え、着替えて部屋の扉を開けた。

 すると案の定、ティアとサフィとリアがそこにいた。


「なんだよ……?」


 まだ寝られるのに、と睨みつけると三人がにやりと笑う。


「さすがクロウ! なんで僕らがいるって分かったの?」


 リアが好奇心も露に聞いてくる。ので、適当に流す。


「なんとなく。いるような気がした」

「にしてはしっかり着替えてるし」


 ティアも不思議そうだ。なので全うな台詞を言っておいた。


「起きたら着替えるだろ」


 そこで追求を逃れる事が出来たので、こちらから質問する。


「で? どうした?」

「さっきそこの庭に青い猫がいるの見たんだ」


 リアとサフィが笑うと、ティアが上目遣いにクロウを見る。


「ちょっと掴まえるの手伝ってよ」

「なんで掴まえるんだよ……」

「ミルーが喜ぶかなぁって。ほら、向こうにいた時はしょっちゅう山とか森とか川に行ってたから動物と触れ合う機会もあったけど、ここじゃあそうもいかないでしょ? だから」

「うーん……」


 ちらりと部屋の中を振り返る。シャーリルはまあ、熟睡しているし、シェイザード達が来るのもまだちょっと先だろう。


(ミルーの喜ぶ顔、見たいしな……)


 よし、とクロウは頷いた。


「じゃ、行くか」

「「「やった!」」」


 こうして四人は青猫探しへ出発した。



 ラフィスは気が気ではなく、クロウ達が青猫探し行った直後に離宮に到着していた。昨日、夕方にシャーリル達が見つかったのは聞いた。乳母が殿下を放って鹿狩りに行くなど以ての外だ。ついでにシェイザードを叩き起こして引っ張ってきた。


「で、もちろん注意したんだろうな?」


 足早にシャーリルの部屋へ向かいながら、ラフィスはシェイザードに話しかけた。こころなしかぐったりしているような気がしないでもない。


「いや……それどころじゃなかった……」


 シェイザードがこんな風に弱っているのは珍しい。


(一体何が……いや、聞いている暇はないな)


 取りあえずそれは置いておいて、ラフィスは一路シャーリルの部屋を目指す。その横で、シェイザードは己を元気づけていた。


(シャルに、鹿は美味しかったと言おう。うん。あれは確かに美味しかった……だがしばらく鹿は見たくない)


 若干、鹿恐怖症になりそうなシェイザードだった。




 シャーリルの部屋の前までくると、隣の部屋から弱々しい泣き声が聞こえていた。


「なんだ……?」


 訝しそうにするラフィスとは違い、シェイザードはすぐに誰の泣き声か気付く。


「ミルーだ」


 すぐに扉に駆け寄ったシェイザードに一声かける。


「まだ朝早い。出来るなら寝かせておけ」

「ああ」


 そのままシェイザードが隣の部屋へ消えて、ラフィスは目の前の扉を叩いて声をかけた。


「シャーリル様! 昨日の件でお話があります。どうか開けて頂きたい!」


 いつもならこれでは全く起きないシャーリルだが、今日は違った。ラフィスがもう一度扉を叩こうとした時、ゆっくりと扉が開いた。


(起きていたか)


 ほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間、ラフィスは目の前の光景に固まった。


(な…………?)


 シャーリルは確かに起きて歩いてここまで来て扉を開けたのだが、もちろん覚醒しているわけがなかった。


(こ……れは……っ)


 晴天の瞳は半分閉じていた。それはいい。それはいいとして。

 シャーリルの胸元ははだけていた。何故そこに目がいったかというと、普段は高い位置で一つに括っている髪が下ろされていたから。そしてその一筋が、はだけた胸元に入り込んでいたから。

 上質な木綿の服から覗く胸元には、形が良いと思われる胸がわずかに覗いていて、ぞわりと肌が粟立つには十分だ。加えて歩くのに邪魔だったのか、本来ならくるぶしまである裾を膝上までたぐり寄せて握っていた。それが片足だけだったのが救いなのどうなのか、無駄に綺麗な肌が目を引き寄せた。見えないところが余計に気になるのは、救いじゃないかも知れない。


 ごくりと唾を飲み込んだ。身体が熱くなるのが分かる。これは叱責すべきだと分かっていても、どうにも胸元と脚から目が逸らせない。


(こいつは……腐っても女だった……!)


 いつもの言動を思い出せと自分に叫んでも、目の前の肌が思考を奪っていた。これは誘っているのかと馬鹿な事を考えたところで、ようやくラフィスの思考が復活し出した。


(こいつが誘う筈がない。なら、この恰好はどういう事だ)


 そう考えて、やっと復活した。


(こいつが“女”の振る舞いをするわけがない。なら、これは)


 単に起きていないだけだ。そして、常識など考えないシャーリルが男の前かどうか気に出来る筈がないのだ。

 そう結論に至ったところで、ラフィスは自分にほっとした。そして言った。


「そんな恰好で出てくる奴があるか!」


 急いで扉を閉めようとしたら、思いのほか強い力で止められた。両手で閉まる扉を押さえた為に服の裾が本来の長さへ落ちた。それにもの凄くほっとするが、今度は胸が余計気になる。閉まる扉を押さえ込むなんて女のする事ではないのに、身体が女ってどういう事だと理不尽な怒りを膨らませる。


「手をはな」

「クロウ、どこ?」

「……は?」


 とろんとした目でやや下から覗き込まれ、小さく首を傾げた拍子に動いた髪がさらりと音を立てて視線を惹き付ける。そこには当然、形の良さを主張する胸が。


(な……なんなんだこいつは……)


 この状態のシャーリルには勝てない。そう、ラフィスの頭は判断していた。よろりと一歩後ずさる。ラフィスは初めて、シャーリルに恐怖を感じた。自分が保てないという恐怖だ。


「……シェイザード!」


 悲鳴にはならないように気をつけて、名前を呼んだ後すぐに隣の部屋へ駆け込んだ。驚くシェイザードはミルーを抱っこしてあやしていたのだが、そのミルーを出来るだけ優しく奪い取った。


「どうした? ラフィス。顔が青いような赤いような」

「あの女をどうにかしろ……!」


 まるでミルーに縋り付くかのように抱きしめるのを見て、シェイザードは目を丸くして隣へと急いだ。あのラフィスがあのようになるなんて、ただ事ではない。


 が。


「……!!」


 廊下へ出てきていたシャーリルとぶつかりそうになって、慌てて倒れないように背中に手を回したところで固まった。よろけたシャーリルが背中に回した手によりかかる。目が問題の部分に釘付けになった。


「あ……シェイ…クロウ、どこ?」

「……は……え……」


 これは、誰だ。こんなしどけない女がシャーリルだと言われても困る。いつものシャーリルはどこへ行った。ともすれば今にも眠りそうな程うつらうつらしている。


(このまま眠られたらまずい!)


 さっと頭に警鐘が鳴り響き、シェイザードはシャーリルに呼びかけた。


「クロウが帰ってくるまで部屋で待ちましょう、シャル!」


 とにかく部屋に戻って大人しくしていて欲しい。切実にそう願って呼びかけた。この状態のシャーリルは凶器に等しい。


「ん……クロウは……?」


 目を瞑りながら頷いたので少しよろけた。よろけた拍子にシェイザードの胸にもたれかかる事になり、胸元が見えなくなった事に若干ほっとするシェイザードだった。見えなければまあ、なんとか対応出来る。


「ラフィス! 何か被せるものはないか?」

「ちょっと待ってろ」


 何が必要なのか分かっているので、ラフィスはすぐに上掛けを引っ掴んで渡した。ミルーがきょとんとしてそれを見ている。どうやら涙は引っ込んだようで、良かった。

 渡された上掛けをさっとぐるっと巻いて、シェイザードはシャーリルを揺さぶり起こして部屋へ促した。


「シャル! 部屋へ戻って寝ましょう!」

「う……ん……」


 ふらりふらりと部屋へ戻り始めるシャーリル。しかしすぐにがくっと崩れ落ちた。


「シャル!」

「……」


 完全に寝ていた。がっくりと肩を落としてから、シェイザードは抱き上げて部屋へ運ぶ。ラフィスに扉に立ってもらい、上掛けを巻いたままでシャーリルを寝かせ、脱兎の如く部屋から出て扉を閉めた。


「「はあ……」」


 ほっと息吐く男達にミルーが首を傾げる。


「シャル、どうかしたの?」


 そんなミルーにラフィスが力無く笑った。


「……お前は立派な淑女になれよ」


 応援されたと思ったミルーはにっこり笑って元気よく応えた。


「はい! 立派なしゅくじょになりますっ!」


((ああ、癒される……))


 まさかこんな事態に陥るとは。二人の騎士は、目撃者がミルーだけで良かったと切実に思った。こんな情けない姿、誰にも見られたくないのだから。

 二人とも女性に疎いわけではない。貴族で騎士でこの歳だ。それなりに出会いも経験もある。だが、シャーリルに限っては油断していた、としか言い様がない。普段のシャーリルがあまりに常識はずれで自分たちの“女”という常識枠から外れていたために、シャーリルはいくら性別が女でも、“女”という部分がないものなのだと思っていたのだ。

 それ故の惨事だった。


「ミルー、私達が来た事、誰にも言わないで下さいね」


 シェイザードが情けなくも頼むと、ミルーはきりりとした顔で頷いた。


「うん、分かった。言わない」

「ありがとう、ミルー」


 幼い子供に頼る、情けない大人二人だった。




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