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終戦


「母上、だいじょうぶですか?」


 ラズウェルはベッドに横たわる母の手を握り、そう訊ねた。


 しっとりとした手触りだった金髪はかさつき、本来よりもくすんだ色に映る。眠る時間が多くなった身体は起き上がるのも辛いようで、大好きだった庭の散策も、一年以上出来ていない。


 頼りの父はここのところずっと働き詰めで、母の元へ寄り付くことはなかった。


「……大丈夫よ、ラズ」


 母は苦しい息の下から、柔らかく笑って手を握り返してくれる。その優しい笑顔を見ているとどんどん悲しくなってくる。きっと母は、もう長くは生きられない。


「っ……」

「まあ、ラズ……」


 声を殺して泣きながら、必死に、つなぎ止めるように手を握る。すると母は、父が好きだと言った濃い碧の瞳を細めて笑う。そっと重い腕を持ち上げて目元を拭われると、涙が止まらなくなりそうで必死に堪えた。


「……泣かないで……ラズ……私の病気は、仕方ない事なのよ……」

「うっ……母上……!」


 弱々しい母の姿は、言いようのない恐怖を煽る。


「ラズ……」


 名前を呼ばれて、滲む視界に必死に母の顔を映す。今だけは絶対に、この目に母の姿を収めなければいけない気がした。


「お父様を……助けて……あげて……ね……?」

「っ……母上……!」


 父は、こんなに苦しんでいる母の側にいてくれない。いてくれと頼んでも、それよりもしなければならない事があると言う。そうして顔も見ずに出かける後ろ姿が、悲しかった。


「父上は、母上のかおさえ……見に来ては、くれないのですよ!」


 それなのにどうして父の心配をするのか、ラズウェルは腹立たしくて握る手に力を込めた。すると母は笑う。仕方ない子ね、と言われているようだ。


「……お父様は……命を、賭けて……戦って、いるのですよ……」


 呼吸が、荒い。


(もう、限界ね……)


 そうエリシアは悟った。泣いて、怒って、自分を愛してくれる息子を、必死に瞼に焼き付ける。


「母上……! でも……母上はこんなに苦しいのに……!」


 ぼろぼろと泣きじゃくる息子を見つめ、エリシアは微笑む。


(こんなに……惜しまれて……)


 一度目を閉じて、愛おしい夫の姿を目に浮かべる。会いに来ないのは、弱った自分の姿を見てしまうと離れられなくなってしまうからだろう。今、彼は、必死になって戦っている。


(幸せね……私は……)


「……ラズ……?」

「っ……なんですか……?」


 力を振り絞って、ラズウェルの頬を指でなぞる。


「立派な、王に……なるのですよ……」


 する、と指が離れていく。どくりとラズウェルの胸が音を立てた。


(は……は……うえ……?)


 ぱたり、と腕がベッドに落ちる。母の瞼は、閉じられていた。その目の端から涙が流れ落ちる。


「……母上……」


 疲れて眠ってしまっただけだ。そうラズウェルは自分に言い聞かせる。眠っているなら返事がないのも当たり前だが、嫌な予感が胸をざわつかせた。


「……母上……」


 怖くて、ラズウェルはそっと母の肩を揺らした。目を開けて、この恐怖をかき消して欲しくて。


「母上……母上……」


 眠っているのを起こすのは悪いと思いつつ、そうでない事を悟っている。でもそれは、受け入れられることではない。


「っ……母上! 母上、起きてください!」


 ぞっとして力任せに揺する。その尋常でない声を聞きつけて、侍従が走り込んできた。


「殿下!?」

「母上! 母上っ!」


 ラズウェルは誰が入って来たのかも分からぬまま、必死に母を揺すった。駆けつけた侍従は王妃を見て事態を察する。急いで幼い腕を掴んで引き離した。


「殿下! お止め下さい!」

「はなせっ! 母上!」

「いけません、殿下!」


 力任せにもがく。声の限りに叫ぶ。もっと、もっと――もっと叫べば目を開けてくれるんじゃないかと。


 そんな望みに縋って――。


「母上っ! 母上っ!」


 手が、空を掻く。それは目に見えない魂を、必死で掴もうとしているようだった。



 ——掴める筈もないのに。







「ご帰還! 陛下のご帰還だ!」


 堅牢な王宮内に、慌ただしく音が響く。宮内に一歩足を踏み入れるや、王は乱暴に兜を脱ぎ捨て、早足に奥へと進む。


「陛下! ご無事でございますか!」


 駆け寄ってきた男になおざりに頷き、どんどん足を進める。小走りとそう変わらないほどの速さだが、決して走り出さないのは何故だろうか。その後を追いかけながら、男は意を決して声をかけた。王の向かう先は分かっている。今日までずっと寄り付かなかった、愛する妻の元だ。


 しかし――。


「陛下、おそれながら……」


 王は足を止めない。だから、男は叫んだ。


「エリシア陛下、死去にございます!」

「っ!」


 歩みが、止まった。騒々しかった宮内がしんと静まり返る。


 その瞬間、王の肩が怯えたように跳ねたのを見て、男は胸が引き裂かれるようだった。


「……三日前の事です……」


 蚊の鳴くような男の声が、広い廊下に消えていく。




 戦争は終わった。それを祝う民の歓喜の声が、王宮の中にまで響いていた。



 

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