「私たち、付き合ってることにしない?」と、転校初日に学校一の美少女に頼まれました
俺が通う高校は、山と田んぼに囲まれた、どこにでもある田舎の県立高校だ。
全校生徒は三百人にも届かない。
一学年は三クラス。
誰が誰と付き合って、誰が別れたかなんて、下手をすれば本人たちだけじゃなくクラス中が知っている。
そんな平和で代わり映えのない学校に、その日一人の転校生がやって来た。
「今日からこのクラスに転校してきた、天宮美月さんだ」
担任の紹介に合わせて、教室の前に立った女子生徒を見た瞬間。
教室が、ほんの少しだけ静かになった。
長い黒髪。
透き通るような白い肌。
大きな瞳に整った顔立ち。
田舎の高校には似つかわしくない、という表現がぴったりだった。
「天宮美月です。よろしくお願いします」
それだけ。
たったそれだけの自己紹介だったのに、男子たちの空気が変わったのが分かった。
昼休みになる頃には、すでに彼女の周りには人だかりができていた。
「前の学校って東京だったんだよな?」
「どの辺?」
「部活とかやってた?」
「連絡先交換しない?」
次々に話しかけられる美月を、俺は自分の席から眺めていた。
大変そうだな、とは思った。
でも、それだけだった。
どうせ俺には関係のない話だ。
美人が転校してきた。
男子が浮かれる。
しばらくすれば、そのうち誰かが告白する。
それだけだと思っていた。
放課後、俺が彼女を見つけるまでは。
その日、部活に入っていない俺はいつものように校舎裏の自販機でジュースを買おうとしていた。
すると、普段なら誰もいないはずの場所に、人影があった。
転校生の天宮美月。
彼女は校舎の壁にもたれかかり、遠くに広がる田んぼを眺めていた。夕方の風が、長い髪を揺らしている。たったそれだけでまるで映画のワンシーンのようだった。
教室ではずっと笑っていたのに、今はまるで別人。
どこか、ひどく疲れているように見えた。
「……大丈夫か?」
思わず声をかけると、美月が振り返った。
そして……
彼女の時間が止まった。
そうとしか思えなかった。
彼女は、俺を見たまま動かない。
目を見開いていた。
まるで、目の前にいる俺があり得ないものだったかのように。
「……おい?大丈夫か?」
返事はない。
「おーーい!?」
少し強めに言うと、美月の肩が跳ねた。
「あ……ごめん」
「大丈夫か?なんだかしんどそうだけど?」
「うん、大丈夫」
そう答えたけれど、明らかに大丈夫ではなさそうだった。
美月はしばらく俺の顔を見ていた。
そして、困ったように笑った。
「ちょっと、びっくりしただけ」
「俺、そんな変な顔してる?」
「ううん」
「じゃあ何だよ」
「……なんでもない」
その言い方が妙に引っかかった。
けれど、転校初日の女子にそれ以上踏み込むほど、俺は距離感の分からない人間ではない。
「そっか」
それだけ言って、自販機に向かう。
ジュースを買い、振り返ると、美月はまだ俺を見ていた。
その目が、なぜか少しだけ泣きそうだった。
翌日。
俺は美月に呼び出された。
放課後の教室。
すでに他の生徒はいない。
「何?」
そう尋ねると、美月は少しだけ迷ったあと、俺を見上げた。
「朝倉くん」
「ん?」
「あのー……。ちょっと相談なんだけど……」
あー、これはあれだ。
告白とかではない。
俺も男だ。告白でもないことに無駄な時間は使いたくない。さっさと用件を聞いておこう。
「何?単刀直入にお願い」
「じゃあ言うね。……私たち、付き合ってることにしない?」
「……は?」
意味が分からなかった。
昨日会ったばかりだ。いや、会ったのはもっと前だが話したのは昨日が初めてだ。クラスは同じでも、まともに顔すら合わせていない。
もちろん会話らしい会話もしていない。
そして相手は、転校初日に男子たちの人気を独占した学校一の美少女。
「いや、待て待て。何の話?」
「そのままの意味」
「え?なんで?」
すると美月は、盛大にため息をついた。
「今日だけで三人に告白された」
「ははっ、モテるな」
「笑い事じゃないよ」
「いや、俺に言われても」
「このままだと毎日こんな感じになりそう」
確かに、今日も彼女は休み時間のたびに誰かに話しかけられていた。
廊下を歩けば視線を集める。
昼休みには、他のクラスの男子まで……もちろん他学年の連中も様子を見に来ていた。
「だから彼氏がいることにしたいの」
「それで俺?」
「うん」
「なんで?」
本当に心当たりも、何もないせいで俺は率直に聞いた。
「もっといるだろ。彼氏役に向いてそうなやつ」
「例えば?」
「サッカー部のエースとか」
「嫌」
「なんで」
「余計に目立つし女子人気が高いやつは女子の標的にされる」
「女子ってめんどくせぇな。じゃあ、生徒会長」
「もっと嫌」
「人気者だぞ」
「だから嫌だって。バレたら余計に標的にされる」
俺は少し考えた。
「じゃあ俺はなんで?今のところ遠回しにディスられてる気分だけど」
美月は一瞬黙った。
そして、俺の顔を見た。
昨日と同じだった。
まるで何かを探すように。
「そういう意味じゃないの。気を悪くしたならごめん。朝倉くんが、一番安心できそうだったから」
「それは……褒められてる?無害そうってこと?」
「たぶん」
「たぶん?」
美月は笑った。
初めて見た、自然な笑顔だった。
「自分でもおかしい事を言ってるのは分かってる。でもお願い。彼氏のふりして」
「俺にメリットは?」
「私と一緒にいられる?」
「自分で言う?」
「だって美人でしょ」
「自覚あるんだな」
「そりゃあるよ」
即答だった。
俺は思わず笑ってしまった。
そして、そのまま。
「……まあ、いいけど」
「ありがと!よし、じゃあ私のことは美月って呼んでね!私は和也って呼ぶからさ?」
「ああ……」
「じゃあ連絡先教えて!明日からのことまた連絡するから」
それが始まりだった。
翌日から、美月は俺の隣にいるようになった。
朝は途中のコンビニで待ち合わせて、一緒に登校する。
昼休みは一緒に弁当を食べる。
放課後は一緒に帰る。
俺たちが付き合っているという話は、驚くほど早く学校中に広まった。
「なんで朝倉なんだよ」
「いつの間に?」
「マジで?」
「おい、詳しく聞かせてくれ」
男子たちの視線は痛かった。
正直、最初の数日はかなり居心地が悪かった。
けれど、その一方で美月は明らかに楽そうだった。
「告白されなくなった?」
「だいぶ減った」
「よかったじゃん、ってか減った!?無くなったじゃなくて?」
「うん。でも助かった。和也、便利」
「それ、彼氏に言う言葉じゃないだろ」
「偽装彼氏だから」
「ま、それもそうか」
そんなやり取りをしているうちに、俺たちは少しずつ普通に話すようになった。
美月は、見た目から想像するような完璧な女の子ではなかった。
虫を見ると本気で逃げる。
炭酸が飲めない。
方向音痴で、学校から駅までの道を覚えるのに三日かかった。
ホラー映画を見ると、その日の夜に一人でトイレへ行けなくなる。
鳩が苦手。
「それ、誰にも言わないでね」
「なんで」
「私のイメージが崩れるから」
「学校一の美少女にもイメージってあるんだな」
「あるよ」
「ちょうちょで悲鳴上げてたけど」
「言ーわーなーいーでー」
美月は、よく笑った。
最初は、男子たちに囲まれながら愛想よく笑っているだけだった。
けれど俺と二人でいる時の彼女は、もっと適当だった。
よく怒るし。
よく拗ねるし。
くだらないことで笑った。
そして俺も。
いつの間にか、美月といる時間を楽しみにしていた。
ただ、時々。
彼女は俺を不思議そうに見ていた。
俺が何かをしたわけでもない。
ただ笑った時。
何気なく手を伸ばした時。
夕方、隣を歩いている時。
そんな時、美月は急に黙って俺を見る。
「何?」
「……ううん」
「またそれか」
「何でもない」
最初は気になった。
でも、そのうち慣れた。
美月には美月なりの事情があるのだろう。あまり偽装彼氏の分際で踏み込みすぎるのは良くない。
そう思っていた。
夏休みが近づく頃、俺は美月の未来の話をするようになった。
「卒業したらどうする?」
「どうだろうね」
「大学は?」
「考えてない」
「東京に戻るのか?」
「……戻れたらいいねー」
その答えが、妙に引っかかった。
「戻れたら?」
「うん」
「帰りたいんじゃないの?」
「別に」
美月は窓の外を見た。
「ここ、嫌いじゃないよ。それに遠距離恋愛はあんまりねー」
「いや、いつまで続けるつもりだよ」
「もう、そんな先のことよりも、私は今が大事なの」
「ふーん」
校庭の向こうには田んぼがある。
さらにその向こうには山。
都会から来た彼女にとっては、退屈で仕方ない場所だと思っていた。
「こんなとこずっといても何もないけどな」
「だからいいんじゃない?」
「それ褒めてるの?」
「え?褒めてるよ?」
その日、美月は少しだけ笑った。
けれどその直後、ひどく咳き込んだ。
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫」
「なんなすごい咳だったぞ?病院行った方が……」
「大丈夫だって」
少し強い口調だった。
何故か俺はそれ以上、聞くことができなかった。
美月は時々学校を休んだ。
理由を聞くと、病院だと言う。
「どこかすごく悪いのか?」
「昔からちょっとね。体弱いの、私」
「大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃなかったら学校に来てないよー」
そして。
「今はね」
「なんだそれ」
美月はそう付け加えていた。
俺はその意味を深く考えなかった。
夏休みが始まる。
俺たちは、ほとんど毎日のように会った。
田んぼ道を自転車で走った。
川辺でアイスを食べた。
夕立に降られて、コンビニの軒下で雨宿りをした。
本当に大したこともない普通の休日だった。
けれど美月は楽しそうだった。
「こんな何もない場所で大したことも無く、本当に毎日普通で良いのか?」
「何もないからいいんだよ」
「よく分からん。今時の女子ってお洒落なカフェとかに行きたいものだと思ってた」
「和也はずっとここに住んでるから、ここの魅力が分かってないだけだよ」
「そんなもんか?」
「ずっとここにいる人には分からないこともあるの」
「分かったようなこと言うな」
「分かってるから」
美月は笑った。
その笑顔を見るたびに、胸の奥が少し苦しくなる。
いつからだろう。
俺はもう、美月を偽装彼女だと思っていなかった。
もちろん、口ではそう言っていた。
でも朝、彼女から連絡が来ると嬉しかった。
学校を休むと気になったし、誰かが美月のことを可愛いと言っていると、なぜか腹が立った。
そして夏休みの終わり。
町の花火大会の日。
俺は、美月に会った瞬間、本当に言葉を失った。
淡い色の浴衣。
いつもと違う髪型。
「……何よ?」
美月が少し不安そうに聞く。
「いや」
「変……かな?」
「違う」
「じゃあ?」
美月はニヤニヤしながら俺に聞いてくる。
俺は少し迷って。
「可愛いよ。その浴衣」
と言った。
美月はしばらく俺を見ていた。
「そこは浴衣じゃなくて浴衣『姿』の私を褒めるところでしょ?」
「もう良いって、行こうぜ」
「それだけ?」
「じゃあ何て言えばいいんだよ」
「せっかく一生懸命可愛くしたんだから、もっと褒めて!」
「……すごく似合ってる。可愛いし綺麗だ」
すると美月は、満足そうに笑った。
「よろしい」
「勘弁してくれ。俺、今顔赤いよな」
「うん、すっごく」
その笑顔を見て俺は思った。
今日。
言おう。
偽装恋人を終わらせよう。
そして。
ちゃんと好きだと言おう。
花火が上がる。
夜空に大きな光が咲いた。
隣で、美月が空を見上げている。
人混みの中で、何度も手が触れそうになった。
けれど、最後まで繋がなかった。いや、緊張で繋ぐことが出来なかった。
「ねえ、和也?」
「ん?」
「私と出会えて、よかった?」
突然の質問だった。
「何だよ、それ」
「いいから」
俺は少し笑った。
「……よかったよ」
すると美月はほんの少しだけ、泣きそうな顔をした。
「そっか」
「なんでそんなこと聞くんだよ」
「なんとなく」
「美月は?」
美月は少しだけ黙った。
花火が夜空で弾ける。
その音に紛れるくらいの小さな声で。
「私も」
そう言った。
花火大会が終わる。
帰り道。
俺は何度も、今言おうと思った。
美月。
俺はお前のことが好きだ。
偽装じゃなく。
本当に。
でも、別れる場所まで来ても……言えなかった。
美月が俺を見ていた。
何かを言いたそうだった。
「……どうした?」
「ううん」
「何?」
「何でもない」
そして。
「じゃあね」
とだけ言った。
いつもなら。
「また明日」
と言う。
でもその日、美月は言わなかった。
俺は少し気になった。
けれど。
「おう。またな」
とだけ答えた。
それが美月を見た最後だった。
夏休みが終わって、新学期が始まった。
美月は学校に来なかった。
最初は、病院だと思った。
翌日も。
その翌日も。
美月は来ない。
メッセージを送った。
既読にならない。
電話をした。
繋がらない。
嫌な予感がした。
でも、そんなことを考える自分が嫌だった。
そして数日後。
担任が教室で言った。
「天宮さんのことなんだが」
先生の顔を見た瞬間。
俺は、分かった気がした。
分かりたくなかった。
「……昨日の夜中に、亡くなりました」
何を言われたのか。
最初、理解できなかった。
夏休み中。
俺たちは毎日のように会っていた。
一緒に笑っていた。
花火を見た。
ほんの少し前まで。
確かに俺の隣にいた。
なのに……もういない。
美月の机の中は、いつの間にか空っぽになっていた。
まるで、最初から彼女なんていなかったみたいだった。
けれど俺のスマホには、美月とのやり取りが残っていた。
最後のメッセージは、花火大会の日。
俺が送った。
『家着いた?』
『着いたよ』
そう返ってきている。
俺はその後。
『今日は楽しかった。また学校でな』
と送った。
そこから返信はなかった。
ずっとそれが気になっていた。
ある日、俺の家に一通の手紙が届いた。
差出人は天宮美月。
俺は震える手で封を開けた。
『和也へ』
見慣れた文字だ。丸みのある美月の字。
『最初に和也を見た時。本当に、時間が止まったみたいだった』
俺は、初めて声をかけた日のことを思い出す。
『ごめんね。最初の私は、和也のことをちゃんと見ていませんでした』
『和也の向こうに、もう会えない人を見ていました』
手紙には、美月の幼なじみのことが書かれていた。
この町で生まれ。
この町で育った。
小さい頃から、ずっと一緒だった男の子。
美月が都会へ引っ越した後も、時々帰ってきては一緒に遊んだ。
そして中学生の時。
彼は事故で亡くなった。
『和也は、その人にあまりにも似ていました』
『横顔も。笑った時の目も。何かを見つけた時に、少しだけ口を開ける癖も』
『だから最初に見た時。もう会えないはずの人が、目の前にいるんじゃないかと思いました』
あの時、校舎裏で俺を見た美月の顔。
時間が止まったように動かなかった。
『だから、和也のそばにいたかった』
『それだけでした』
『男子に言い寄られて困ってるなんて、半分くらい嘘です』
思わず笑いそうになった。
「半分は本当なのかよ」
こんな時なのに。
『本当は、和也に近づく理由が欲しかっただけ』
『でも、似ていると思ったのは最初だけでした』
『和也は、あの人と全然違いました』
『あの人は、私が迷っていたら勝手に手を引っ張っていく人でした』
『でも和也は、私が立ち止まると待ってくれる』
『あの人は、私が泣いていても笑わせようとする人でした』
『でも和也は、何も聞かずに隣にいてくれる』
『最初は、その違いが寂しかった』
『でも、いつの間にか違うことが嬉しくなっていました』
文字が少しだけ滲んでいた。
書いた時に、涙が落ちたのかもしれない。
『もういない人と比べてしまって本当にごめんなさい。でも気づいたら……もう、あの人に会いたいと思うより』
『和也に会いたいと思う方が、ずっと強くなっていました』
そこで俺の視界が滲んだ。
『私、和也のことが好きでした』
『たぶん……和也が思っているより、ずっと』
俺は手紙を握りしめた。
続きを読むのが怖かった。
でも、読まなければならない気がした。
『だから、本当に付き合うことはできませんでした』
『和也のことが好きだったから……』
『って和也にその気が無かったらごめんね』
『もしお互いに、本気で好きになってしまってたら。私がいなくなった後、和也に大きな傷を残してしまうと思ったから』
美月はずっと病気だったらしい。
転校してきた時には、もう残された時間が長くないことを知っていたようだった。
都会で治療を続けるのではなく、最後に大好きは幼なじみと過ごしたこの町へ戻ってきた。
ただそこで俺を見つけた。
『最初は、最後にもう一度だけ、あの人のことを思い出せたらいいと思っていました』
『でも和也と出会ってしまった』
『それで……生きたいって思ってしまいました』
その一文を読んだ瞬間。
俺の目から悲しみが溢れた。
もし、俺がもっと早く気づいていたら。
もし、俺がもっと早く告白していたら。
もっと何かできたのではないか。
花火大会の日。
引き止めていたら。
好きだと言っていたら。
でも手紙には、その答えまで書かれていた。
『あの日、花火大会で「私と会えてよかった?」って聞いたの、覚えてる?』
『あれはね、和也が私と会ったことを後悔しないか、怖かったからです』
『和也が「よかったよ」って言ってくれた時、本当に嬉しかった』
『だから、あれでよかったんです』
「ううぅぅっっっ……!!!」
よくない。
全然よくない。
あれは……俺が臆病だったんだ……。
もしかしたらこの夏でこの関係が終わってしまうかも、そしたら、そしたら……どうしても言えなかった。
『それから最後に「また学校でな」ってメッセージをくれたよね』
『返信できなくてごめんなさい。でもあれ、すごく嬉しかったよ』
美月は、返信できなかったわけではない。
したくなかったわけでもない。
ただできなかった。
お互い勇気を出せなかった。
ただ、それだけだった。
手紙の最後。
そこには。
『和也?私はあなたと出会えて本当に良かったよ?』
『誰かを好きになるってこんな素敵なことだとは思わなかった』
『私は最初、後悔していました』
『だって、もう誰かを好きになるつもりなんてなかったから』
『また失うのが怖かったから』
『でも和也に会えてよかった』
『和也を好きになれてよかった』
『だから、ありがとう』
『私の、最後の恋人になってくれて』
俺は、手紙を胸に抱えた。
俺たちは、一度も本当の恋人にならなかった。
告白もしていない。
手を繋いだこともない。
キスだってしていない。
ただ。
「付き合ってることにしよう」
その一言から始まった。
一年後。
俺は一人で、あの花火大会へ行った。
去年と同じ川沿い。
同じ場所。
同じように、人が歩いている。
頬を伝う汗。
屋台から立ち昇るソースの匂い。
子供たちの声。
遠くから聞こえる祭囃子。
何も変わっていない。
俺だけが、去年とは違っているような……そんな感覚だった。
夜空に、一つ目の花火が上がる。
俺は、誰もいない隣を見た。
「……会えてよかったよ」
去年、美月に聞かれた質問。
あの時は、少し照れくさくてぶっきらぼうに答えた。
今ならもっとちゃんと言える。
「本当に」
花火が、夜空いっぱいに咲いた。
「会えてよかった」
返事はない。
もうどこにもいない。
それでも夏の夜の風が、頬を撫でた。
俺たちは最初から偽物だった。
恋人のふりをして嘘をついて……本当の気持ちは、最後まで言えなかった。
それでもあの夏。
俺は確かに、人生で初めて一人の女の子を、心の底から好きになった。
そしてきっと彼女も、最後には俺のことを……。
幼なじみの彼ではなく、朝倉和也として好きになってくれた。
空にまた一つ。
大きな花火が咲いた。
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