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第三章 左平太

 



  第三章 左平太



 

 その日は晴れたが風が冷たかった。雑穀の飯を炊き味噌汁を作って食べ、握り飯に味噌を塗り包んで腰に下げ、熊蔵はいつものように徳兵衛の所に向かった。

 瀬谷の先の河合村に当日、吉治が立ち寄ったという。

 吉治と話したという勘兵衛を訪ねて、詳しい事情をきいてくれ、と徳治に言われた。行って帰って二刻かなと計算した。日が短い。


 仙吉の屋敷を見て、左平太の家の前を通った。そこが瀬谷への通り道だった。

 あい変わらずひっそりとしている。何か気になって、思いがけず戸を叩いた。


 はい、と篠が戸を開けた。

 話の途中でしたので、と微笑みながら熊蔵が言うと、昨日と同じように篠は背を向けた。熊蔵は戸を閉め、同じように座った。


 おっ母さんはどちらに、と訊く。

 都筑郡の吉田村の親戚の所に行っているが、今回のことは知らせていないという。

 今日近くに行きますので寄って戻るように伝えますよ、と熊蔵は言った。

 篠はしばらく黙っていたが、お願いします、と答えた。

 ここに一人でいたら不安になる。

 親戚の名を聞いて、では、と立ち上がった。

 怪訝な顔だったので、帰ってから話を聞かせてください、と外へ出た。


 河合村に急いだ。

 小歩きと呼ばれて、商売だから脚は達者だった。風は冷たかったが、陽が差して気持ちが良かった。

 勘兵衛は街道筋の引継ぎをしていた。

 人当たりのいい四十ぐらいの男だった。帳場の横で話を聞いた。


 若い男が日暮れすぎに来て、神奈川まで駕籠を頼んだ。前金でと言うと紙入から金子を取り出し見せている時に、事件を知らせる早飛脚が通り、それを見て逃げ出したということだった。


 もう一度見れば分かるんですね。

 もちろん。聞いた様子だと吉治というやつに間違えないな。

 金子は幾ら持ってました。

 ちらっと見ただけだが小判が一枚、二分金一つ、二朱金二つ、銀が一両ばかりというところかな。

 全部で三両ほど、大金だ。

 それで、どうして逃げたんで、と熊蔵は訊く。

 飛脚が神奈川へ走ると言うのを聞いたし、人相書きを持っていたからだね。

 なるほど。何か荷物はありましたか。

 これといって身に付けていたものもなかったな。木綿の袷に紬の縞羽織を着て、まあ普通の格好だな。

 脇差はしていましたか。

 それが覚えてない。差していてもおかしくないが見ていない。

 ありがとうございました。つかぬ事をお聞きしますが吉田村にはどう行きますか。

 勘兵衛は親切に家の場所まで教えてくれた。吉治が寄ったかもしれないなと、ふと思った。


 家はすぐわかった。

 裕福そうには見えなかったが、外で窺っていると女が出てきて、声を掛けた。熊蔵が説明すると案内してくれた。

 母親はそれほどの老人ではなかった。

 話を聞き分けて、それでは明日戻ります、と答えた。

 吉治に会いましたか、と喉まで出かかったが止めた。どう聞いても答えが辛そうに感じたからだった。戻ってから聞けばいいことだし、日にちも経ち、どちらにしてもここに吉治はいないと思えた。それに吉治を捜す役目でもない。


 八つ前にお篠のいる家の戸を叩いた。

 腹が減っていて、どうしようか迷ったが中に入れてもらってから握り飯を食べた。お茶をもらって、ようやく人心地ついた。熊蔵は吉治の件も交えてお篠に報告した。


 お篠は礼を言って話し始めた。

 左平太とはお屋敷で知り合いました。顔を合わせて挨拶する程度で一年過ぎましたが、若党が言い寄るようになって、困っているのを助けられたりして気にするようになりました。あれこれあって言い交わすようになりましたが、それを御用人が見咎めて理不尽ですがお暇を取らされたのです。

 二人して門外に放り出されるように追われ、途方に暮れて左平太に従ってこの村までやってきました。お屋敷には何か騒動がありました。それに知らず左平太は巻き込まれていたのかもしれません。

 そのことも今度のことも何も言いませんでした。何か考えていましたが何を考えていたのかは分かりません。苦しんでいるのにどうしてだか分からないのは辛いことだ、とお篠は訴えた。

 分かります。気を強く持ってください。何かあったら知らせに参ります、とだけ言って、家を出た。


 下鶴間まで様子を見に行かなくてはならないだろう、と考えて先に高札の所を左に曲がった。

 嘉右衛門の屋敷の前には案の定、市之助が張っていた。挨拶をして左平太の様子を聞いた。

 そのままだな。昨日、組頭は泊り込んだよ。

 多左衛門としたら引っ込みがつかないのだろう。

 身柄を拘束して話を聞きたいのだが、当然その権利があるはずなのだが、逃げ込んだ先が隣村の村役人のところとなると難しいことになる。支配地の旗本間の問題にもなるし、地頭の裁判権は小さいものだから勘定奉行の判断を待つことになる。だから少なくとも左平太の逃亡を阻止する努力をするしかない。遠巻きにして見張っているというわけだ。もちろん嘉右衛門にとっても左平太は客ではないから迷惑ではあるが、左平太の訴えが村役人と地頭用人とつるんでの不当な扱いとなると、一時保護するしかないだろう。まして左平太は事件の関与を否定し、殺人犯を特定して訴えているのだから、とりあえず地頭に伺いを立て沙汰を待っている状況にある。


 膠着状態といえる。

 それよりも熊蔵の疑問は、何故左平太は実の弟を売るようなことをしたのか、ということだった。話がついていないなら、ひどい裏切りだし、そうでないとしても吉治に犠牲を強いることになる。その意図は自己保身だし、あるいはそれ以上に世間を出し抜くことなのかもしれない。世の中の仕組みを逆手に取ったつもりなのだろうか。なにか屈折した悪意を感じる。そんな左平太を篠は信じているというのだろうか。もしかしたら吉治でさえも。

 なかなか熊蔵には解けそうもなかった。


 証拠が犯人を吉治だと告げている。二人組だとしたら左平太がまず最初に疑われる。それで左平太は先手を打ったのだ。共犯者であるかないのかは別にして疑われてしまえばそれを覆えすのは難しい。まず捕われてしまえば先は闇だ。伝馬町の牢屋で生き抜くのは厳しいし、見せしめのための刑罰は過酷だった。

 それを考えれば自分が助かるにはそれしかなかったのかもしれない。そのために弟を犠牲にする。罪を負ってくれと弟を説得したのだろうか。そう頼まれれば吉治は拒まなかっただろう。二人とも死んでしまうより兄貴を救った方がいいと決めたのだろうか。

 吉治は今どこを彷徨っているのだろう。

 やはり逃げ切れると踏んでいるのか。片方には逆恨みのような理不尽さで殺された遺族の悲嘆がある。一方には泥沼のような兄弟の怨念がある。

 こちらには道理も正義の欠けらもないのに、あまり憎しみが湧いてこないのは何故なのだろう。

 しょせん他人事ということなのだろうか。自分が無感動になっていることを嘆いたほうがいいのだろうか、と熊蔵は思った。


 どちらにしても多左衛門に会っていこう。

 脇の通用門から中に入り、庭の奥にいた家の者に案内を乞うて、詰めている小屋に連れて行ってもらった。

 会釈をして顔を見ると多左衛門が話し始めた。

 長くなるな、すぐに帰れそうもない。食料や着替えやら誰かに持たせてくれ。左平太とは会うこともできない。ただ向こうも左平太を倉に入れて身辺には気を遣ってはいるらしい。それより金が届いているようだ。

 どういうことですか、と驚いて熊蔵は訊いた。


 詳しくはわからないが親戚から大枚が持ち込まれたようだ。なにか工作を始めるかもしれないな。まあ左平太をよろしく、ということなんだろうが。

 これまた分からない話だった。情にほだされた訳でもなし、どんな思惑があるのか熊蔵には見当も付かなかった。

 そうだ、市之助には戻っていいと伝えておいてくれ。ここは俺一人で大丈夫だ。引き渡してくれと押し込んだ以上引くわけにはいくまい。向こうも承知だから日に一度連絡にくればいい。

 剣呑な雰囲気ではないらしくお互い役目を果たしているという風だった。それは案内された時から分かっていた。嘉右衛門は財産があるだけでなく、学問もあり人徳もあると評判だった。ただ人徳の根拠については熊蔵は知らなかった。想像してみれば、こういうことなのかもしれない。まず威張っていない。この時代においてそのことは大きな意味があった。上下の差異によって秩序を成り立たせている以上、服装の相違やその間の作法だけでなく態度も威圧的でなくてはならなかった。畏れ入らせなくてはならない。だから多分、嘉右衛門は温和で優しくしていたのだと思う。それに吝嗇ではない。貧しい時代には重要なことだ。それらは自然な笑顔や口調に現れているのだろう。それだけではいけない。見識や信念がかいま見えていなくてはならない。優しさと厳しさの調和が人徳の核になっているはずだった。少なくとも熊蔵には縁がなかった。


 とぼとぼと門を出て来た。

 市之助に伝言を伝えると飛ぶように行ってしまったが、熊蔵はゆっくり歩いていた。しばらくそのまま歩いていたが、このままでは日が暮れてしまうと思い直し歩を速めた。農閑期の今、外に出ている者も少ない。静かな道に時折り子供達の声が聞こえるほか木々を渡る風の音が響くばかりだった。

 熊蔵は篠のことが気になっていた。村の女と少し違う挙措が心にひっかかっている。控え目でいて怯むことのない視線が何度も思い出された。好奇心であるとしても好意が混じっていることを熊蔵も最後に認めないわけにはいかなかった。

 とにかく姑が帰ってくれば篠も落ち着くだろうと考えてから、昨日熊蔵との会話中に思い立ったように話を打ち切った事と、親類からの金子とに関連がありそうに思えてきた。あのあと篠は誰かに会いに行ったのだ。そうなってくると左平太に言い含められているのかもしれなかった。疑心暗鬼になってくれば藪から蛇が出てくる。早とちりはしないことだと自戒した。

 

 戻って徳治に報告した。

 吉治の人相書きや街道筋の手配は徳治の仕業だった。手際のよさが吉治をだいぶ追い詰めたと見える。どこかに匿われていなければ江戸に向かうしかないだろう。この数日が勝負で、逃げ切れば見つからない。

 吉治が逞しければ別の人生を歩むだろう。それはそれだけのことで熊蔵の興味を引くことではなかった。侍なら敵討ちで遺族が一生を棒に振ることもできたが、百姓にその権利はないし、その気もないだろう。もう遺制にもなっている。真っ当な情が制度に絡みとられると碌なことにはならない。


 明日夕刻、両地頭様の御用人が見えられるので村境まで迎えに出て家へ案内してくれ。服部様と岩瀬様だ、別れ際に徳治はそう命じた。  




 次の日、徳次から勘助の所の様子を見てきてくれ、と頼まれた。

 もよが家出したようだというのだ。何やら遊行寺から飛脚が来たそうだ。徳次のところに来たので、村役の兵助に回したが、一応事情を知っておかなければならない。

 ただ熊蔵の方に訳があった。それでも断ることも出来ないので、寄ってみる。

 丁度ちよが庭先にいたので、どうかしたかい、と尋ねてみた。


 みんな参っているの、とちよは顔を上げてしばらく熊蔵を見つめていた。

 涙が流れそうだった。目が潤んでいたが泣き出しはしなかった。


 どうなるのかしら、目を伏せて呟いた。

 熊蔵は近付いて軽く肩に手を触れた。ほかにしてやれることがなかった。

 言葉を探していたが自分で驚いて手を放した。


 気休めしか言えないが、なんとかなるさ、と言うと、

 そうね、なんとかなるわね。安心したわ、とちよは笑った。


 それを見て熊蔵も笑った。

 楽しくなってくるようだった。そう、ちよといる時いつも楽しかったのを思いだした。なぜ一年も会わなかったのだろう、いくら忙しくなったとしても、会いたいと思ったこともあるが機会がなかった。約束をしたわけでもなし、どうにもならないような気がしていた。


 会いたかった、と思いがけない言葉が熊蔵の口から出た。

 なぜ会いに来てくれなかったの、ちよは優しく訊いた。

 怖かった、これも別の者が言っているようだった。

 ちよが手を出し、熊蔵は手を握った。そして手を引いて木陰に行って抱きしめた。

 しばらくして、待っていたわ、とちよは言った。

 それからまた二人は抱き合った。


 何も考えなかった、震えてくる感情を押さえていた。ちよのほうが崩れてしまいそうだった。熊蔵は砕けそうな膝をふんばっていた。

 もう行こう、ひっくり返りそうな声で言って、手を取った。

 ちよの顔は紅潮していた。静めるようにゆっくり歩いて、家に入った。上がり框に座らせると、ちよは台所に行って水を持ってきた。

 気が付けばのどがからからになっていた。


 しばらく話を聞いていると、お構いもしませんで、となよが顔を出し沈んだ声で言って、そのまま引っ込んでしまった。なにか別の用で出てきたのかもしれない。なよは若い衆仲間でも美人で評判だった。ちよは快活な感じだったが、なよは淑やかなのかもしれない。三姉妹だからいろんな事を言う人がいるのだろう。勘助は婿だから爪弾きにされることがあった。村の中で変な縄張り意識があるのだ。


 もう心配しない、と千代は宣言した。どんなことがあっても平気よ。

 さっきのことはまるで忘れてしまったかのようだった。熊蔵の怪訝な顔を見て、手を取って、にっこり笑った。

 待ってね、と言って台所の片付けを始めた。

 勝手のほうで話し声が聞こえた。内容まではわからなかったが母親が何か言い、なよが慰めている感じだった。

 いなくなる、ということはどういう事なのだろう。

 熊蔵には考えが及ばなかった。


 立ち上がると外に出た。

 日が眩しい。裏に回って残っていた薪を割った。しばらくすると汗が出てきた。拭いもせず、あらかた割ってしまうと細縄で結んで小屋に運んだ。

 娘たちが出てきて挨拶をして別れた。

 ちよの目が何か訴えかけてくるようだった。何か言いたかったが憚れて言葉が出なかった。


 本所の地頭屋敷に熊蔵は何度も往復していた。禄千七百石の旗本坂本家には三人の用人がいて、服部はその中でも筆頭の用人だった。世襲なので当人はまだ若い。三十は越えていないように見えた。長身で髭跡が青い、細い顔をしている。禄三百石番町の坂本家用人、岩瀬とは面識がなかった。両名は一人ずつ供を連れて七つ前、徒歩でやってきた。出迎えているのも熊蔵と市之助の二人だけだった。

   


 翌日から取調べが始まった。

 寺を借り受け、臨時の白州を作り、関係者を呼び出し村役人、親類連署で調書を作っていった。できる限り徹底してやられたと言っていい。丸四日かかった。ただ残念なことに左平太は呼び出されなかった。

 これらの話を熊蔵は、書記として駆り出されていた兵助から聞くことになった。


 まず玄運が呼ばれ、容体書と見分書を提出している。治療に傷の個所を記した書類に相違ないと村役人全員で連印して、事件現場の絵図面が作成され役人もろとも検証した。遺留品の確認も行なわれた。


 多くの村人が尋問のために呼び出され、本人のほかに村役人が立会い、調書に黒墨で捺印した。

 重要証人は弥助だった。これに対して両御知行所の村役人一同は連名連印して、「私ども一同立会い、お尋ねについての口書を差し出します。弥助は正直者で少しも間違えないと存じます」と保証している。

 口書は口調通り書き取った調書の意だが、弥助は「顔姿はわからないが逃げる二人組を目撃した」と証言していた。


 また事件当夜の状況を籐右衛門は以下のように証言している。

「事件現場の四万坂下より大分離れたヤケッタのあたりで(私が)蓑を見出した件を(御検使様が)お聞きになり、その一部始終をお尋ねでございますのでお答えします。私は家に居りましたが事件の一報を聞き、驚いて現場に駆けつけましたところ、仙吉の供の弥助より聞きますのに、切り倒した者は田中に逃げ込んだというので、そのまま私を先頭にして大勢で、足跡を辿って行きましたところ、ヤケッタといわれている場所から先は辿れず、あちこち見回ると、境川の堤に手作りの蓑が一枚捨ててありましたので、しかと見ると少々血がついているので驚いて仙吉を切り倒した者の蓑だと心得、すぐさま持ち帰り村役人に届けました」


 事件当日の寄り合いについては詳細が語られた。参集したのは、当家の名主徳兵衛、それに名主仙吉、両知行所の組頭数名、それに質地入主の左平太と親類四人、取主の岡左衛門と親類一人。都合十二人だった。


 兵助の説明はこうだ。

 左平太に去年十二月、免許されていた地所を没収の命が下った。その内の一ヶ所を一昨年二月、期間五年で質地設定し十五両を岡左衛門から借り受けていた。田畑は売買をしてはいけないことになっている。年季十年を限り質物として預ることが許されていた。それも名主、組頭の判を証文に貰うように務め、判のないのは認められなかった。左平太はもともと働いて返す気がないのだから、期限が来て借金が払えなければ手放す気だった。だが上げ地の命が出て、岡左衛門は金を返済してくれと掛け合ったが、左平太は困っているので四両二分は返すが残金は後で支払うという。そこで岡左衛門は地頭へ訴えた。結果は連帯責任者で示談しろということになった。


 八右衛門に聞いた通り残金十両二分を親類で六両二分、徳兵衛一両、三両は岡左衛門に減金してもらい、四、五日中に決済することを決めたようだ。

 七つ時頃散会。仙吉は見送りを辞退して雨具蓑傘を借り一人で帰って行く。


 ただ八右衛門は言わなかったが、左平太の悪事はそれだけではなかった。熊蔵は詳しく知らなかったが、どうやらこういうことらしい。


 八右衛門の訴訟によって上地も決まり、その謹慎中に左平太は無断で仲間を同居させ日夜博打を催し、いやがらせのように用水路を潰したりしていた。

 そのことで更に地頭所へ訴えられ、呼び出しがあり手鎖の刑を受けたが、村役人一同が連印して嘆願した結果、事を穏便に済ませるよう刑のほうは免れたが上地の件は決定したということだった。


 それで身柄は村役人に預けられ帰村した。帰村して始めて岡左衛門に訴えられるのだ。

 それで十一月か十二月、問題の地所を検分しようとしたとき、徳治が言っていたように徳兵衛と一悶着があった。脇差を持って現れたのだ。


 左平太は二度呼び出され、二度謹慎を受けている。懲りてはいない。


 さらに風聞だが事件の一月前左平太は青山道を馬に乗った。途中馬子に酒食をおごり、自分も酔ってこう言ったそうだ。

 「この後殺す者がまだ二人いる。お上のことは言い回し次第、勝手に相成り候」

 左平太が長年勤めていた地頭所を「不埒な事件」のため辞めさせられ、村へ謹慎を仰せつけられ、引きこもってからニ年半経って訴えられている。その一年半後、事件が起こる。


 籐左衛門、篠、母も当然呼ばれ、吉治が槍を借りたこと事を証言している。

 さらに村の田畑屋敷を持つ百姓たち全員が呼ばれ、左平太と吉治両人が名主仙吉を殺害するに至る遺恨を抱いていたのか、その有無、風聞についてのお尋ねがあった。

 「遺恨を含む者も知らないし、人を切り倒すような話も聞かなかった」と、連印を捺して返答している。

 その上、念を押すように「左平太並びに弟吉治には仙吉に遺恨があったのかどうか、百姓一人一人に吟味追求したが、見聞した者は一切ない、とした件はいささかの相違もないと村役人一同が連印して申告する」としている。


 公式には遺恨の有無は否定された、ということだった。余計なことに口を挟まないのは村人の習いだ。

 反対に言えば養子の伝右衛門が証言した、仙吉懐中の三両への強盗殺人の線で進んでいるといっていい。

 

 下鶴間村名主嘉右衛門も出頭し証言した。

 「お尋ねにつき申し上げ奉ります。先月二十九日四つ半時ころ、深見村坂本様元家来伊沢左平太と申す者が、昨日弟吉治四つ半時より家出いたし立ち戻らぬうち、名主仙吉刃傷に及び由、驚きいり早速家内取調べましたところ、一尺八寸ほどの脇差一腰紛失致しおり、弟の手跡にて書き置き様のものあれば、弟殺害の儀相違なきものと存じ、然る上は捨て置きがたく村役人に申し出でたく思えども、もとより地頭所御用人と名主は馴れ合っているゆえ、お調べになっても理に合わぬ取り計らいをされると思われるので、勘定所へ差し出すようたっての申し出だった。深見村役人を呼び出し取り調べた所、何者とも分からないが仙吉殺害は事実だったので、勘定奉行所にも知らせ、当知行所へも相談している間、左平太は当地に囲い入れてございます」

 

 この取り調べの最中に吉治が虎ノ門の勘定奉行所へ仙吉殺しを自訴(自首)したことが伝わった。


 このことは当然、驚きをもって迎えられたが熊蔵には、自分だったら草鞋を履いての旅烏を決め込むのにと思わせた。吉治のおとなしさや気の弱さが現れているように感じられたのだった。それに独り罪を背負っての自訴であるなら余計だった。


 梅の花が綻びかけたころ、この地方ではまとまった雪が降ることがある。夕方、少し今晩は冷えるなと思うと夜更けから湿った雪が降り始め、朝方までしんしんと続き、辺りを真っ白にする。反対に冬の寒さは空気を凍てつかせるが雪が降ることはない。だから雪は春の兆しとも考えられた。


 吉治、自訴の知らせはそんな日の午後届いた。 


 いったいどうなっているんでしょう、と熊蔵は兵助に訊いた。

 例のように夕方また兵助の所を訪ねていた。半分、独りごとのような感じではある。その気になれば逃げ切れるはずじゃないか、という思いが熊蔵にはあった。


 兵助は長左衛門のことを思い浮かべていた。

 根拠はないが、吉治も労咳かもしれないと感じていた。なぜ奉公先から戻ってきたんだろう。問題を起こしたという話は出てこなかった。


 ただ、どちらにしても左平太の書いた筋に話は進んでいた。

 左平太が吉治に、自分が殺りましたと書かしたことは確かに思えるが、思えるだけで証拠がない。そして二人組の目撃者はいても、吉治と左平太だという証拠はない、吉治と他のだれか、宿にいる浪人に助を頼んだとも考えられる。

怪しいが断言はできない。

 用人もそれを感じていて、左平太抜きの粗筋を描いているというわけだ。


 確かなことをつなげれば、そんなことにしかならない。そうなったら、左平太は大手を振って放免ということになってしまう。それはまた困った問題になる。


 そんなことを兵助はかいつまんで熊蔵に説明した。


 ただ、納得しないのは遺族だし、伝右衛門は強硬に左平太主犯説を訴えている。それで村としては左平太に戻ってこられても困るので、この線で進むことを決めた。左平太を告発するということだな。

 このお調べは長引くぞ、覚悟しなくてはならない。


 最後に兵助はそう言った。


 吉次が自首したことで事件は落着したように見え、村人に安堵の気配が広がった。

 ただ、どちらにしても左平太から話を聞かなければならないので、用人は村役人に左平太の拘留を命じた。だがすんなりとはいかない。

 嘉右衛門はなかなか引き渡さない。

 そこで地頭が奉行所に伺いを立て、番町屋敷に引き取ることになった。


 ようやく二月十八日、村役人を含め総勢十名で左平太を縄付きで地頭屋敷に護送した。この間、伝右衛門らは交渉のため江戸を何度か往復していた。  


 同二十四日、伝右衛門と弥助に差添え小左衛門、左平太四人に呼び出しがかかり勘定奉行所に出頭した。

 白州では左平太は知らぬ存ぜぬで押し通し、弥助は口述書の通り証言した。その結果左平太は「手錠」を掛けての宿預けとなった。お縄頂戴(重要参考人)から容疑者への昇格であり、宿(民間の拘置所)での拘束、謹慎だった。


 吉治は伝馬町の牢に収監されている。

 ここは本来、未決や未刑囚のものであるが入ったら衛生状態の悪さや仕来たりで生死の保証はなかった。

 案の定、結局しばらくして吉治は獄死してしまう。

 流れものに助太刀を頼んだと供述して左平太をかばいきった。

 

 熊蔵はこれらの話の多くを兵助から聞いた。熊蔵は訴訟の件ではまったく埒外で、その間別の用事で本所を数度往復したきりだった。村は平穏を取り戻し、伝右衛門始め村役人だけが江戸に留められていた。


 四月に徳兵衛にも差紙(召喚状)が来て出頭していた。七つ刻に左平太(被告)と伝右衛門、徳兵衛たち(原告)双方が白州に入ったが、左平太は外に出るように告げられたという。何らかの配慮が働いたかもしれない。

 係りは勘定御留役石山久三郎、永山平次郎両名だった。


 伝右衛門は従来の左平太主犯説を陳述した。

 ただ、石山から不確かなことを賢しらに申し立てるは僭越と、お叱りを受けている。



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