第一章 熊蔵
第一章 熊蔵
熊蔵は百姓が嫌いだった。
土に這いつくばって、惨めな思いをしているように感じていた。というより、何もかもが気に入らなかった。いつも自分が不当な扱いを受けているように思えた。ただどうすればいい、というような思いにも至らなかった。とにかく気がむしゃくしゃして目にするものを蹴飛ばしたくなった。
けれど直接親父と対立したことはなかったし、言われたことはやっていた。ちょっと夜になると抜け出して酒を飲み博打や喧嘩をするぐらいだった。確かに最初はそうだった。ただもうすべてが詰まらなくなって、何の考えもなく村を抜け出した。気負いもなく済々した気持ちで江戸を目指したが途中で怖くなった。結局引き返したのが十六のときだった。
それから二年して親父が倒れた。ほとんど動けなかったので面倒を熊蔵が看るしかなかった。お袋は彼が小さいころに死んでいて、顔も覚えていない。そのとき初めてわかったのは、自分が親父のことを好きだったことだった。
だから、熊蔵は十八のときから親父の仕事を継いだことになる。その仕事は彼に向いていた。人と会話し、観察し想像することが楽しかった。それを口の利けなくなった親父に話した。熊蔵の好奇心が世間のどこかに通じ、それを親父に伝えるのが彼の日課になった。
そうすれば親父は生き続けると思った。だが、三年看病したが親父は亡くなった。治るとは思わなかったが死ぬとも思わなかった。朝起きたら両手を突き出して死んでいた。苦しいと言うより驚いた顔をしていた。明け方発作が起きそのまま逝ってしまったらしい。寒い朝だった。
しばらく無口になったが一月もすると熊蔵は前のように元気になっていた。貧しいが働いている限り食っていかれた。ただ通路が途中で切れていて、どこかに運ばれなくてはいけない物が熊蔵の中に溜まってきた。赤ん坊はかわいくなければ生きていけない。無防御であれば傷つけるわけにはいかない、それが普通の感性だ。だが見聞きするものはそれとは違っている。
それで考えることで親父と交信しようと熊蔵は思った。なんでこんなことになるのだろう、と呼びかけた。世の中は上下関係の細かい差別、しきたりで嵌めこまれている。それが世代を越える身分として制度になっているので、自分たちは閉じ込められた鳥だった。ただ角を立てず分際を守れば、たとえ卑屈に見えても温もりを感じられる。それなりの裁量と情愛を現すこともできる。
人の考えは何から出来ているのだろう。正しい考えがあるのだろうか。それなのに外れてしまうのは何故なのだろう。正しい考えに正しい行いが続けば良いように思えるが、それでも正しい結果になるとは限らない。正しいというのはどういうことなのだろう。
あれこれと熊蔵は話し掛けた。といって楽しく暮らしていければそれで良いと熊蔵は思っていたから悩んだりしょ気たりはしなかった。悪い行いも人も、なにやら奥があって面白く思えた。人は皆、違うから面白いのだと思っていた。熊蔵は何かに巻き込まれることはなかった。もちろん腹を立てたり笑ったり一つ一つ感応して揺れはするが、それだけのことだった。ときめくような昂揚を感じはするが、それも熊蔵を悩ますほどではなかった。熊蔵は目的を持たず無欲で享楽的だった。それは若い男としては当然のことだったのだろうが、それから数年経った今も変わっていなかった。
熊蔵は村人が好きだったけれどその生活は惨めなものだった。洟をたらした子供が走り回り、ぎゃあぎゃあ泣く赤ん坊を背負って垢にまみれた着物の女が、埃で汚れた顔の亭主と口論をしている。村のどこでも見る夕餉の風景だった。ちょっと澄ました家では威張りくさった主人が奉公人を怒鳴りつけ、目の吊りあがった女房が息を詰めている。子供たちは皆呆けた面をして素知らぬ振りだ。
そこへ熊蔵は、へいと、言って顔を出す。寄り合いの案内やら、お触れの説明などして家々を回る。生まれた者はいたのか、田畑の具合はどうだか、世間話などして帰っていく。それが熊蔵の仕事だった。たまに雑用を頼まれて駄賃をもらい、暇があれば手伝いをして小遣いをもらった。ただしそれは余禄で村から年に四俵の米をもらう。正確に言えば地頭からだが公的な下役だった。
定使いとか小歩きと呼ばれた。
人には構ってもらいたい面と構ってもらいたくない面がある。どちらかが多く占めれば、それは構ってもらいたい人と構われたくない人になる。同じとも違うとも見える。構われたくない人には呼ばれなければ近づかない。それだけのことで他のことは何も考えていない。別に誰にも臆することはないので、憚っているわけではない。そうしたほうが良いと感じるだけで、熊蔵にとって一種の処世術だった。
口うるさい者も怒鳴りつける者もいる。蔑んだり無視したり、そんなことは一々気にしていられなかった。大概は受け流すことにしていた。話の内容やその心情だけに気を向けた。すると存外恥じ入るのは相手の方だと思うようになった。怒りや蔑視はほとんど理不尽で、取るに足りないものだ。哀れむようになれば、ばつが悪いのは相手の方だと気づいた。
相模の国は海沿いの街道筋を除けば農村地帯で産業もなく金も集まらないから一家を構えるような渡世人はいない。在所では脇街道沿いにちゃちな賭場が立つぐらいで悪所もなく静かなものだ。十六の年、怖気づかなければ違った人生があっただろうが、そうであったらもうどこかで野たれ死んでいただろう。それでも良いような気がするが、選んだのはこっちの方だったということだった。
熊蔵は今の生活が気に入っていた。村を巡っていれば村人は皆知っているし、いい仲になった女もいるが続きはしなかった。所詮その場限りだったし、夢中になるような女もいなかった。なったとしてもどうなるものでもなかっただろう。
不思議に揉め事は起きなかった。納得づくの遊びだったと言うことだ。悋気も困るが薄情な女も嫌だった。近ごろ良い女がいたら所帯を持ってもいいかなと考えるようになったが、それには先立つものがいるなと気づいた。このままでは女も安心しまい。ただ本気で考えているわけではなかった。そんな女がいたら一目でわかる、と確信しているだけだった。何ににも時期があった。
親父はお袋の話をしなかった。本当を言えば、自分が親父の子であるかも分からない。そんなことを仄めかす人もいたが気にしなかった。親父は親父で、子を産んで死んでしまったのがお袋だった。実際どこかに逃げたのかもしれないが子供だけでも助かってよかったと思ってくれていただろう、そう親父を見て感じた。
親父は労働を与えたがその他には要求をしなかった。一間のぼろ小屋に二人で暮らした。囲炉裏があって煮炊きをして暖を取ってそこで寝た。熊蔵が幼いときは親父が飯を食わせ、寝込んでからは熊蔵が飯を食べさせた。寺の敷地だったのだろう、竹薮を開いて小屋を建てたのはいつのことになるのか、と熊蔵は前から思っていた。
熊蔵に言わせれば仙吉は構われたくない人だった。そのうえ厳格で生真面目だった。だから近づかないほうがいい。嫌って言っているのではなく、遠くから見て立派な人だと感じていた。その仙吉が殺された。名主を怨みから殺すなどというのは、まったく由々しい出来事だった。義憤に駆られるというより、有りうべからず代の末という感が強かった。
何か世の中がおかしくなってきているというのを感じる時が熊蔵にもある。家出人や水呑み百姓が増えているということは確かに有るが、それよりももっと心の持ち方にあった。タガが緩んでいるのか、手前味噌でささくれ立って来ているように見えた。そんな世相の先端がこの事件に現れたとも思えた。
現場には折れた槍の柄、鞘、古下駄、無印の古傘、ほら貝が残されていた。槍の鉾の部分は見つからなかった。見にきた籐左衛門は自分の槍であることを見て取ったが、怖れてその場では何も言わず家にひき返した。すぐ調べたが見当たらず、女房に尋ねると隣家の吉治が来て、兄が手槍を作りたいので貸してくれと言われて貸したと言う。藤左衛門が驚いて吉治を訪ねると、兄の左平太が弟は戻らず、自分にも覚えがないと答えた。それを聞いた籐左衛門はとって返し、村役人に訴えると皆で吉治を探した、が行方はわからなかった。
それより前、下手人は逃げる所を目撃されていた。逃げ出した弥助が恐る恐る戻ってみると犯人が畦道を越えて川へ方へ向かっているところだった。すぐ人を呼んで追いかけたが追いつかず途中で血の付いた蓑が脱ぎ捨てられていた。
それがその夜までにわかったことだった。
次の日は晴れて暖かかった。
朝飯を済ませると、いつものように熊蔵は徳兵衛の屋敷に向かっていた。一日の仕事の指示を受けるためだった。ただ指示をするのは名主見習の倅、徳治だった。三十そこそこの優男で目はきついが腰は低かった。大店の番頭といった感じだ。庭に出て、てきぱきと差配していた。
「ちょっと待ってくれ」と熊蔵を認めると言った。
村は十数軒の地持ちのものになっている。あと百数十の家は従属しているといっていいだろう。徳兵衛の小作は三十に上るという。恨みや妬みはあるが、地持ちがいなければ食っていけない事情もあるので、さすがに感謝して平伏する人はいないが、村人も相応の礼はとらなくてはならなかった。
「親父さんも狙われていたかもしれない」と徳治は家に入ると言った。
「まだその危険はある。犯人が捕まらなければ」と続ける。
「吉治は最近奉公から戻ってきて、詳しい話は知らないはずだ。焚き付けたのは兄の左平太に違いない。知っての通り左平太は評判の悪党だ」と付け加えた。
確かに左平太はごろつきだった。地頭のところで長く奉公をしていたが、不始末があって暇を出されたらしい。それで三、四年前、村に戻ってきたのだが、仕事はせずに、遊んで歩いている。近隣の若い者を集めて手慰みを始めたり、強請りまがいのことまでしていた。
検地のことで呼び出したとき、脇差を差してきたので徳兵衛が叱ったところ、斬りかからんばかりだったという。さすがその場は収めたが遺恨を残している、と徳冶は言った。それに昨日のことだ。仙吉さんが殺られたのは家からの帰りの出来事だったんだ、と首を動かした。
それは初耳だった。さらに徳治は続けた。
「左平太の質地の一件で両給名主はもちろん関係村役人一同、親戚まで集まって相談をしていた。で、要は左平太を見張ってもらいたいのだ」
「分かりました、早速出かけます」と熊蔵は答えた。
関東ではよくあることだが村は地頭数人による支配を受けていた。それもこの村では坂本氏の本分家によってだった。地域ではなく縦割りの区別だ。机上で石高を合わせたようにみえる。そしてそれぞれに村役人がいた。徳兵衛は本家領の、仙吉は分家領の名主だった。ただそれは財政上の区分であって、それ以外は村は一つの単位で考えられていた。
領主は江戸の屋敷にあって用人侍も在村しない。
村役人と呼ばれるのは代表の名主、それに集落代表の組頭、監査監督の百姓代が三役になる。一番の任務は年貢の取り立てを領主に代わってやることだ。いうなれば村で請け負って、上納するために必要な村政全般を担当していることになる。以前、米は物納だったが今は貨幣に換算されて納めることになっていた。
左平太の家は関の集落にあった。村の一番北になる。だから最初、その日の仙吉の通った跡を辿ることになった。滝山道に出る里道が左側に幾本かある他は、一筋の道で右は田んぼになっている。人家が絶えると四万坂の数丁手前がやはり里道になっていて、待ち伏せたのならその林らしかった。花の手向けられた所が犯行現場で、熊蔵は手を合わせて往き過ぎた。そこから一丁ほどで急坂が始まる。
それからしばらく行って仙吉の屋敷の前を過ぎ、今度は緩やかな坂を曲がりながら降りていくと高札場のある関の集落に入る。まっずぐ行けば下鶴間村へ、左へ折れば八雲社を抜けて大山道、右は橋を越えて瀬谷村に至る。その橋の手前が左平太の家だった。ずいぶん前の代には村役だったという屋敷地も今は荒れたままになっている。
どうしようかと、中を窺って見たが傾きそうな家が見えるだけだった。しばらく様子を見てから訪ねてみようと決めて、向かいの樹の陰に腰を下ろした。
日差しが届かなければやはり寒い。首をすくめて待っていたが通る人も物音も聞こえない。時折り小鳥が囀るだけだった。静かだな、と思いながら立ち上がった。
声をかけて戸を叩いた。
誰かいるような気がした。だが答えはない。
もう一度戸を叩いた。一歩下がって待った。
返事をしながら、潜り戸を開けたのは頭に手拭を巻いた女だった。少し覗き込む感じになって、熊蔵は名を名乗った。
そこで、左平太の在宅を確認したが、朝出かけて戻らないという。
これで話は終りだが、このまま帰ったのでは子供の使いだ。
用があって参りました、待たせてもらいます、と一度押してみた。
すると、女はあっさり背を向けた。
戸を潜ると、多左衛門がいた。
「遅いな」と笑った。
関の番町様のところの組頭だった。地頭の屋敷の場所から本家領は本所様、分家領は番長様と呼んでいた。多左衛門は昔からの仲間だったが、今は組頭で熊蔵は定回りだった。
どうしてここにいるのか、と熊蔵は目で言った。
多左衛門は寄ってきて、女に聞こえないように声を潜めた。
「左平太は市之助が追っている」
市之助は熊蔵の同業だった。
公儀は連帯責任を課した。だから何でも村のことは他人事では済まない。相互監視ともいえるが、不祥事は死活問題でもある。吉治は容疑者であるのだから、当然その家は見張られていなくてはならない。
多左衛門は今度は熊蔵の顔を見ている。縄張りがあるわけではないが直接ここへ熊蔵が来るのは越権でもある。熊蔵はひとまず無視した。
今は話しにくい。多左衛門は理解したようだった。
女房は奥に引っ込んでいた。
そこで、二人ぼそぼそと話をした。
昨日からしらみつぶしに家々を探しているが吉治は見つからないらしい。もう村にはいないだろう、と多左衛門は言った。
数日前から母親も出かけているそうだ
そういえば、お前さんも昨日の相談には出ているんでしょ、と熊蔵が言いかけたとき、戸が何回か叩かれ、合図であったかのように多左衛門はそのまま外へ出て行った。
少し間があって、入れ替わりに市之助が入ってきた。小柄でがっしりとした毛深い男だった。
その話によると、左平太は下鶴間の名主の所へ訴え出たようだ。
熊蔵は驚いて聞きなおした。
左平太は家を出るとまっすぐ隣村の嘉右衛門の所に向かったらしい。
市之助はつけていって門前で待ったが出てくる気配がない。半時も門を睨み続けたが動きがなかった。通りかかった村の者に伝言を頼み更に待った。
ようやく手下の太吉が着いて、しばらくすると中から人が出て来た。見張りに太吉を残し、市之助は追いかけてその男を呼び止めた。
話を聞くと、左平太が来て、名主の仙吉を殺したのは弟の吉治だ、証拠もある。ただ村の役人に訴えればどうなるかわからない。地頭の用人と村役人が組んで、いい様にされてしまうので嘉右衛門のところに来た、と訴えたようだ。
そこでとりあえず、嘉右衛門は左平太を預かることにして、村へ知らせにやらせることにした。
お前さんは名主の徳兵衛さんに知らせてくれ。おれは組頭に知らせに戻る、と市之助は飛んで帰ってきた。それを聞くと今度は多左衛門も、熊蔵に知らせておけ、と言ってそのまま嘉右衛門のところへ向かったらしい。
それだけ一気にしゃべると、市之助も出て行ってしまった。
左平太も戻らないし、吉治も戻って来そうにない。女はそのことを知っているのだろうか。
「もし、」と奥に向かって声を掛けた。話を聞けたらいいのだがその気にはならないだろうな、と思った。案の定、答えはなかった。
「また来る」と熊蔵は口癖のように言って戸口に向かおうとした。
「待って」と声がした。また来てもらっては困ります、と女は言った。
熊蔵は引き返して上り框に腰を下ろした。女は立ち上がって勝手に行き、熊蔵の前に湯呑みを置いた。それから破れ障子の横に座って姿勢を正した。
名前は、篠だという。半身で対しているので視線は障子の桟の上になる。熊蔵は振り返って声を出している格好になった。
昨日の様子を尋ねると、夫は四つ過ぎに、用があると言って家を出たので、ひる過ぎに近所のお妙さんの所に遊びに行き、帰ったのは暮れ六つ前。その時左平太は戻っていたが、吉治は帰って来ていなかったらしい。
出かけるとき吉治は家にいたのか、と訊くと、夫の脇差や借りてきた槍をいじっていました。だから、何をするつもりかと訊きました。その時はいや、と言って答えませんでしたが、ここに戻ってきてまだ一月足らずで、よく知っている訳ではありませんが大人しい素直な人です。
それから繰り言のように左平冶のことを話し始めた。最近は怒りやすく、これからのことを気に病んでいる。夫が碌でもないことは知っているが、諌めても聞くわけでもなし、手の施しようがないなど、など。
最後にあの人が怨んでいるとしたらお屋敷の御用人ですよ。その手先になっていると勘違いしているのかもしれない、と言い出した。
それからお篠はしばらく黙っていた。急に立ち上がると、今日は帰ってください、と言った。帰りかけたときと状況は同じだったが、幾ばくかの話と予約を取り付けたことにはなった。
熊蔵はそれに納得して外に出た。柔らかな光と春めいた風が吹いている。明日からは二月だ。梅の蕾もふくらんでくるだろう。
さて、どうするか、歩きながら熊蔵は考えた。まず隣だ。それからだな、と思った。
籐左衛門は出掛けていたが女房はいた。しばらく話してから熊蔵は前日、槍を借りに来たときの吉治の様子を尋ねた。
それが、のんびりした感じでてっきり騙された、それに槍はがらくたで、役に立つとは思わなかった、ということだった。この女房では、ひきつった顔も笑って見えるかもしれない。ところで、お妙さんというのはどこの家だ、と訊くと、又蔵さんとこの嫁さんだ、と教えてくれた。
礼を言って熊蔵は出て来た。
高札場の向かいが又蔵の屋敷だった。後妻がお妙という名だったのをようやく思い出した。又蔵と左平太は地類のはずだった。
又蔵はいなかったが、お妙は乳飲み子をあやしていた。
昨日篠が来ていたか訊いた。
昼過ぎに来て、夕方に主人が帰ってきた時、ではそろそろと言っているうちに騒ぎが始まり、それでばたばたとして別れたそうだ。
「世間話で、年が近いもので親類の嫁同士、愚痴を言い合ったり、助けるようなこともありますし……」
と言葉を濁した。
「お篠さんは常州の出だそうです。番町のお屋敷に女中奉公に上がった時に左平太さんといい交わしたと聞きました。吉治の奉公先は、どこか炭問屋と聞いた覚えがあります」と語った。
お妙はひどく心配そうだった。気の良さそうな顔を曇らせている。
仙吉が殺されたことは悲しいことだし、憤慨もするがそれよりもなにか厄介なことが起きてしまった、という気が窺える。下手人に同情的ということではなくて、平穏な日々を破られてしまったことに驚き怯えているように見えた。
そのあと隣の八右衛門の所に寄り弁当を遣わしてもらった。といって握ってきた飯を頬ばっただけだったが、茶をもらった。今まで訪ねたところは皆番町様の領民だから通常熊像は立ち寄らない。八右衛門は本所様の組頭だから毎日のように顔を出している。家のものとも顔なじみだった。
八右衛門も在宅していた。それで話が聞けた。四十過ぎの小太りの男で低い声で話す。
「左平太は屋敷勤めが長かったから交渉して先代が亡くなったときに年貢を免除してもらっていたんだ。それが暇を出され、金に困って田畑を質に入れて二十両借りた。貸したのは誰だと思う。」
そう言われても見当がつかなかった。ただ一呼吸置いただけで、すぐ話を続けた。
「おれだよ。ニ年前だ。あいつはずぼらで働かない、検地もさせないし土地も引き渡さないから半年して地頭に訴えた。約束を守らないから貸した金に利息の一両を添えて即刻返してくれ、とね。」
「そうしたら、しばらくして二十一両揃えて返しに来たよ。やつもばつが悪かったんじゃないのかな、親戚だからな。ただ訴えなければ、とぼけていたかもしれない。」
その金はどう工面したんだろう。熊蔵は疑問を口にした。
「そう、それが問題なんだ。やつは島津の岡左衛門からも質地にして十五両借りた。そこまではいいんだが、そこを地頭が上げ地するというんだ。没収だな。それも左平太名義のものすべてだ。」
百姓は建前上、領主から土地を借りているだけだから、咎があれば取り上げられるし、政策上必要なら上げ地をするがその場合反対の声は大きい。身から出た錆とは言えそれはひどいな、と熊蔵は呟いた。
「そうなんだ。ただ、あいつは年貢を払っていない。それでも、あんまりだというんで、親戚に預けてもらうよう地頭に頼み込んだ。それが去年の冬の話だ。年の暮れになって岡左衛門が訴えでた。当然だが上げ地に質はつかないから金を返してくれというわけだ。」
そうなるはずだと熊蔵も思った。
「地頭は名主に投げた。なんとかまとめろ、ということだ。それで昨日相談があった」
と言って八右衛門は一呼吸入れお茶を飲んだ。縁側に座っていると日が暖かい。静かな昼下がりだった。
「結論を言えば、家を処分して左平太は四両二分を払い、あとの残金、十両二分を徳兵衛さんが一両、親戚で六両二分、残りの三両を岡左衛門に泣いてもらうということになった。急ぐからと、そのとき一番先に帰ったのが仙吉さんだった。つるんで帰れば凶行はなかったかもしれないな」
「左平太はどんなようすでした」と熊蔵は尋ねる。
「いつになく神妙にしていたよ。あの場で騒ぐわけにはいくまい」
「何故名主さんが襲われたとお思いですか」とさらに訊いた。
「逆恨みではあるんだが」としばらく考えていた。
「吉治にとっては家がなくなることだな。左平太はどう言ったのだろうかな」と八右衛門は思案していた。
用人と村役が組んでいて、いい様にされてしまう、と左平太は訴えたという。でも仙吉は何の得もない。用人に頼まれて問題の処理にあたったに過ぎない。役をこなしていただけで殺されては堪らない。ただ熊蔵もそうだが村役人を地頭の手先だと考えるなら、その処置への反抗と見られなくもない。もちろん盗人にも三分の理の類いではあるけれど。
考え、考え熊蔵は上の空で辞去してきた。少し先なので、八雲社の手前の多左衛門のところへ寄ってみたがやはりまだ戻って来ていなかった。それで仙吉の屋敷に向かった。
仙吉には伝右衛門という三十過ぎの婿がいる。婿夫婦には四人の子があり、養子やら雇い人を含めると十五、六人の所帯になる。仙吉の母親は八十過ぎでまだ達者だったが、半狂乱になり、伏せてしまったらしい。そんなばたばたした所へ潜り込んだしまった。
徳兵衛の所へ戻るので、何か伝言はあるか、と伝右衛門を見つけて声を掛けた。熊蔵を認めると少し考えていたが、両地頭の御用人が検使に見える、日時がわかったら追って知らせる、そう伝えてくれ、と言って奥へ消えた。
それで、弥助を探して話を聞いてみた。迎いに出て供をした弥助は六十過ぎの老人だった。
「はっきり特定はできないが二人組だ」と言う。
「一人は蓑をつけ脇差を持ち、もう一人は着流しの者。槍は見ていない」
目撃者は今の所この男だけだった。後ろから背負っていた傘提灯を斬りつけられて、驚いて逃げ出し十間も行って振り向いたとき男たちを見た。
雨が降って薄暗くても一人か二人かの人影は見分けられただろう。そのあと大声を聞いたので更に一丁ほど先まで逃げたと言う。
再度確認すると、ちょっと不確かになった。
「そういわれると自信がなくなるが、ただそう見えた」と答えた。
確かに一人の犯行には見えない。槍と刀でやられているからだ。蓑をつけ脇差を持った男は吉治だろう。更に槍を持ち傘を差し下駄を履くとなると難しい。もう一人いたとすれば左平太になるが、現場にいられたのだろうか。それとも左平太以外の人物、悪党仲間なら考えられなくもないが、どうも段取りが良すぎるのだ。用意周到に企んでいたのではないのか、とも思えた。
戻り道で犯行現場から農地の方へ出てみた。畦道を抜けると、こんもりとした林があって川原に出る。林の陰から川を渡れないわけではない。そこからなら見咎められないだろう。橋に出るには人目がありすぎる。
林の手前に佐一の家があった。
「昨日は大変だったね」と熊蔵は戸を潜った。
「やあ、熊蔵さん。御用かね。」
真っ黒の顔をした佐一が囲炉裏から答えた。縄でも編んでいるんだろう。熊蔵は断りもなく框に腰掛け、手をかざした。女房が出がらしの茶を出す。
いつも悪いね、と挨拶する。
「何言ってるんだよ、熊蔵さん。名主さんは亡くなったってねえ」と女房が言う。
「下手人が通っただろう」と鎌を掛けた。
「そうさねえ、おまえさん」と女房は佐一を振り返る。
村の者は係わりを恐れる。余計なことは言いたくないのだ。怨まれても困る、と思っている。実際村に犯罪が起これば逮捕や護送や裁判やら、それこそ村全体で負担に応じなければならない。時間と金が掛かるのだ。だから大概は内済してしまう。示談で済ますということだ。喧嘩で殺しても七両で片がつく。訴えられれば死罪になる。だから左平太は弟を売ったことになる。吉治が逃げきれると思っているのだろう。公儀は百姓の殺されたことなど何とも思っていないから、自分たちで探せと言って連帯責任は押し付けても自分では動かないので多くは逃げられる。
「見たわけではないが、終いだなと言って通リ過ぎる物音を聞いた」と渋々佐一は話し出した。
「二人組だね」と言うと
「のように思えた」と佐一は嫌そうに言った。
「ありがとう、悪かったな。まったく嫌な事件だ。左平太が弟の吉治が下手人だと隣村の役人に訴えたらしい」と熊蔵は話した。
「ありゃ、どういうんだろうね」と女房は言う。それから他愛もない話をして引き上げた。
徳兵衛の屋敷へ戻って、ちょうど村の北側を巡ってきたことになる。
徳治に挨拶をして伝言を伝えた。徳治も番頭を下鶴間にやって多左衛門と一緒に左平太の引渡しを求めたが拒否されたらしい。それでひとまず検使役が来てから相談ということになった。頭の中はごちゃごちゃだが、家に戻ろうと思って急いだ。
村は東西十五丁余、南北三十丁余で細長い。もう日は暮れかかっていた。
熊蔵は気が変わって、自分の小屋を通り越し、すぐ先の兵助の屋敷に向かった。兵助は小屋の地主だし、親父の面倒を親身になって看てくれた恩人だった。それにそこにいる玄雲からも薬をもらった。だから、というわけではなくよく仕事の帰り顔を出して、話をした。そこで食事に呼ばれることもあった。
囲炉裏の席に兵助がいたので上がりこんだ。食事の膳を出してもらい、仙吉事件の話をしていた。兵助は黙って聞いていたが、ときどき質問をした。
「江戸の役人の出っ張りが早いな」と言っていた。
小屋に入ると囲炉裏に火をくべ湯を沸かした。発端は左平太がお役ご免になったことにある。お篠が知っているとしても、何があったのかは江戸へ行ってみないとわからない。それに分からないことが多すぎて、先は見えない。左平太は何を考えているのだろう。吉治はどこへ行った。仙吉の家族はどうなるのか。お篠は何かしようとしているのか。まったくとんでもないことが起こったものだ。暗闇の中でもごもご動いている黒いものを熊蔵は感じていた。
湯が沸くと残りの冷や飯にかけて少し食べ、煎餅布団に包まって熊蔵は寝てしまった。