第34話 黒の賢者、命の模造
連邦議事堂『鉄の心臓』。
その最深部にある黒の工房は、もはや建築物とは呼べない代物だった。
壁は脈動する金属繊維で覆われ、天井からは無数の神経状のケーブルが垂れ下がり、それらすべてが一人の巨漢――黒の賢者バルタザールへと繋がっている。
「……来たか、レイン。……そして、かつて私が愛した『出来損ない』の試作機たちを連れて」
バルタザールの姿は、もはや半分以上が機械と化していた。
右腕は巨大なプレス機、脚部は多脚戦車のような重装甲。だが何より異様なのは、彼の胸部にある透明なシリンダーの中で、いくつもの「人間の心臓」が、魔導液に浸されながら規則正しく並んで鼓動していることだった。
「……バルタザール。君は、命をなんだと思っている。……材料工学は、命を『修理』するためにあったはずだ。……それを、部品のように扱うなんて……」
レインの瞳に、激しい怒りと、そして深い悲しみが宿る。
彼の中のわずかな記憶が、バルタザールと共に野戦病院で負傷兵を救うために、人工義肢を開発していた若き日の姿を映し出していた。
「……修理? レイン、君は甘い。……死ぬものを直しても、またいつかは死ぬ。……ならば、最初から死なない『材料』に置き換えればいい。……この工房に並ぶ心臓を見ろ。……これらはすべて、この街の市民が自ら差し出したものだ。永遠の命と、鋼鉄の強さを手に入れるために!」
「……違う。……彼らは、君の作り出した『恐怖』に屈しただけだ」
レインは一歩、前に出る。
彼の周囲には、数百機もの『アイン・ゾフィア』が展開し、一斉に単眼を光らせて武器を構えていた。
「……無駄だ、レイン。君の『調律』も、この圧倒的な物量の前には通用しない。……この工房の空気そのものが、君の魔力を吸収するナノマシンで満たされている。……君はもう、数式を組み立てることすらできない!」
バルタザールが右腕のプレス機を地面に叩きつけた。
衝撃波が床を走り、カトリーナとルナが弾き飛ばされる。
レインは一人、ナノマシンの霧の中で、呼吸を整えていた。
確かに、彼の周囲の魔力密度はゼロに近い。
だが、レインは笑っていた。
「……バルタザール。……君は、僕が『魔力』に頼って工学をしていたと思っているのか? ……工学の真髄は、そこにある『物質』そのものの性質を理解することだ」
レインがポケットから取り出したのは、一本の「古びた油差し」だった。
「……潤滑剤? そんなものが何に……」
「……ただのオイルじゃない。……これは、僕がこの工房に来るまでに、君のナノマシンの一部を捕獲し、その『自己増殖プログラム』を書き換えた、特製の『腐食性触媒』だ」
レインが油を地面に数滴垂らした。
――シュゥゥゥ……。
一瞬、静寂が訪れる。
直後、バルタザールの背後の巨大な壁が、まるで溶けるように崩壊し始めた。
「……な、何をした!? 私の最高傑作の合金が、なぜ……腐る(サビる)!?」
「……材料工学、第十七法則。……微細構造の完璧な整列は、一箇所の不純物によって『連鎖的結晶崩壊』を引き起こす。……君がナノマシンで街を繋げたのが運の尽きだ。……その回路を伝って、僕の『サビ』は今、この街のすべての鋼鉄へと伝染している」
ガガガガ、ギィィィィン……!!
工房を支えていた柱が、瞬時に赤茶色に変わり、脆い粉となって崩れていく。
バルタザールの身体を構成していた合金もまた、その「自己修復機能」が仇となり、腐食を全細胞へと広げていく。
「……バカな……! 私の、私の鋼鉄の帝国が……たった数滴の油で……!!」
「……バルタザール。……命が尊いのは、それが『いつか壊れる』からだ。……壊れないものは、命ではない。……ただの不変という名の停滞だ。……君は、材料を愛しすぎたあまり、材料に込められた『時間』を忘れてしまったんだ」
崩れゆく工房の中、レインは動けなくなったバルタザールに歩み寄り、その胸部のシリンダーを優しく、だが確実に停止させた。
「……さらばだ、友よ。……君の魂を、冷たい鉄から解き放つ。……次は、もっと柔らかい世界で会おう」
アイアン・グラードの街から、不気味な脈動が消えた。
黒煙が晴れ、何十年ぶりかの月光が、鉄の街を照らし出す。
街の外れ。
レインは、バルタザールから手に入れた「黒の記録」を、夜風にさらしていた。
「……レイン。……泣いてるの?」
「……いや。……目に、煤が入っただけだ」
レインの瞳は、どこまでも澄んでいた。
だが、その脳裏に刻まれた数字は、冷酷に彼の「終焉」を予感させていた。
――現在の記憶残存率:十九・八パーセント。
二十パーセントの大台を前に、レインはかつての自分が犯した「最大の罪」の正体に触れようとしていた。
次なる目的地は、世界の果て、永久凍土に閉ざされた「白の聖域」。
そこには「量子工学」を操る、最後にして最強の賢者が、レインの到着を待っている。




