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刻印の徒  作者: 生クリーム王子
第2章『機神の不在、列強諸国の狂騒曲』

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第27話 魂のデフラグ

中枢演算室『アトラース』に、絶望的な沈黙が流れる。

 水槽の中で脈動する五万の人工脳。それらが一つの巨大な意識体クラスターとして、レイン一人の存在を押し潰そうと、目に見えない「思考の重力」を放っている。この街ネプチューンの繁栄を支える、あまりに合理的で、あまりに非人道的な「全自動演算」の正体。

「……さあ、選んで、レイン。この五万の脳、すなわちネプチューン市民すべての『意識の同期』を無理やり解除すれば、彼らの脳組織は情報のバックフローに耐えきれず、瞬時に焼き切れるわ。……彼らを救いたいなら、あなたは私の軍門に降り、再び私の『弟』として、世界の再定義を手伝うべきよ」

 エレノアの声は、銀色の霧のように冷たく、演算室全体に反響した。

 彼女の背後にそびえる魔導外骨格が、五万の脳から吸い上げた膨大な演算力を背景に、周囲の空間そのものを物理的に湾曲させている。もはや彼女は、個人の魔導師ではない。都市そのものの「意志」を纏った半神に近い存在と化していた。

「……レイン。……ごめんなさい、私の魔力じゃ、あの巨大な意識の壁を貫けない。……あそこに触れた瞬間、私の精神まであのシステムに飲み込まれて、消えちゃいそうなんだ」

 ルナが膝を震わせ、涙を浮かべながら呟く。彼女の「慈しみ」の魔法は、対象が多すぎる、あるいは複雑すぎる場合、逆に自らの心を摩耗させてしまう。

 カトリーナもまた、剣を握り締めたまま動けずにいた。目の前にあるのは、切り伏せるべき敵ではなく、救うべき「民」そのものが組み込まれた、巨大な生体迷宮なのだから。

「……ルナ、カトリーナ卿。……大丈夫だ。……僕は今、かつてないほどに『音』がよく聞こえている」

 レインは、二人の前に一歩踏み出した。

 彼の手には、先ほどエレノアの鏡像バリアを突破しようとして半ばで折れた「音叉」の残骸。

 だが、レインの目には、その折れた金属の断面さえも、新しい旋律を生むための「リード」に見えていた。

「……エレノア。……君は『愛』を計算に入れていないと言ったが、それ以上に致命的なエラーを犯している。……君は『ノイズ』を排除しすぎたんだ」

「……ノイズ? 何を言っているの。ノイズは不純物であり、排除すべきエラーそのものよ。演算精度を高めるために、一分一秒を惜しんでクレンジングしている私に向かって……!」

「……違うんだ。……工学において、純粋すぎるシステムは脆い。……適度な『揺らぎ』や『遊び』がない機械は、一箇所の不具合で全体が崩壊する。……五万人の脳を同期させているというが、彼ら一人ひとりには、君には制御できない『固有の不協和音パーソナル・エラー』が必ず残っている」

 レインが、折れた音叉を高く掲げた。

 彼の指先から放たれたのは、これまでの冷徹な青い魔力ではなく、どこか柔らかく、不規則に明滅する「黄金色の波動」だった。

「……調律、開始セット・アップ。……ターゲット、ネプチューン・メイン・バス。……全脳接続(全リンク)を対象に、一斉に『夢』を流し込む」

「な……!? システムに干渉して、何をしようというの!?」

「……デフラグメンテーションだ。……君が無理やり押し込めた、整然とした『管理』の数式。……その隙間に、彼らが本来持っていたはずの、断片的な、下らない、非合理的な『思い出』という名のノイズを再配置する。……それだけで、君の同期シンクロは瓦解する」

 レインが音叉を空中で激しく振るった。

 その瞬間、演算室全体を包んでいた無機質な重力が、一変した。

 

 水槽の中の脳が、これまで見たこともないような激しい発光を開始する。

 ある脳は「初恋の記憶」を。

 ある脳は「幼い頃に食べたパンの味」を。

 ある脳は「果たせなかった約束の悔しさ」を。

 

 エレノアが排除してきた「数値化できない非合理」が、レインの工学魔法を媒介にして、巨大な奔流となってシステムを逆流バックフローし始めたのだ。

「……ぐ、あああああっ!? 何、これ、は何……!? 私の、私の完璧な数式に、ゴミのような情報が……溢れ出して……止まらないっ!」

 エレノアが頭を押さえて絶叫する。

 彼女の意識は五万の脳と直結している。すなわち、五万通りの「非合理な人生」が、一瞬にして彼女の脳内に流れ込んできたのだ。

「……今だ、ルナ! カトリーナ卿! ……五万人の意識が一時的に『個』に戻るこの一瞬、システムと彼らの接続を物理的に遮断する! ……君たちの持つ、それぞれの『強さ』を、この音叉の振動に乗せてくれ!!」

「……わかった! 届いて、みんなの『心』に!!」

「……レイン様、我が剣気、すべてをお使いください!!」

 二人の魔力が、レインの持つ黄金の音叉に収束する。

 レインの脳裏で、失われた記憶の断片が、眩いばかりの光となって爆発した。

 

『レイン。……いつか君が、誰にも解けない数式に出会ったとき。……そのときは、自分一人で解こうとするな。……世界は、君が思っているよりもずっと、優しく、複雑で、非合理な力で満ちているんだから』

 かつての父か、あるいは師か。

 その声の主を思い出す暇もなく、レインは音叉を、演算室の中央にある「マスター・クリスタル」に向けて突き立てた。

 ――ガ、ァァァァァァァァァンッ!!

 演算室全体が、黄金の衝撃波に包まれる。

 それは破壊の衝撃ではない。五万の魂を、一つの鎖から解き放つための、慈愛に満ちた「解放の音」。

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