表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
刻印の徒  作者: 生クリーム王子
第2章『機神の不在、列強諸国の狂騒曲』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

26/34

第26話 銀の賢者

中枢演算室『アトラース』を満たしているのは、数千もの人工脳が発する、かすかなバイオ・ノイズと、冷却用の海水が循環する重苦しい水音だけだった。

 中央のプラットフォームに立つ銀の賢者、エレノア。彼女の纏う白銀のドレスは、周囲の魔力密度に反応して、オーロラのような不気味な輝きを放っている。

「……姉、だと……?」

 レインは、激しい頭痛に耐えながら、少女の言葉を反芻はんすうした。

 記憶の断片が、濁流のように脳内を駆け巡る。

 幼い頃、共に数式を競い合い、魔法の真理を追い求めた日々。

 だが、その記憶の隅にある「エレノア」という存在は、今の目の前の少女とは、決定的に何かが違っていた。

「……そうよ、レイン。私たちは同じ『揺り籠』から生まれた。……この世界の不完全な理を正すために、ゼノ先生によって作られた、双子の演算機。……けれど、あなたは『心』という名のバグを捨てきれず、不完全な人間としての道を選んだ」

 エレノアが優雅に手を掲げると、周囲の水槽から無数の触手のようなケーブルが伸び、彼女の背後に巨大な「蜘蛛」のような魔導外骨格を形成していく。

「……見て、レイン。私が完成させたこの『ネプチューン・システム』を。……ここでは、誰一人として迷うことはない。数千の脳が、瞬時に最適解を導き出し、国民の幸福を計算し続ける。……これは、あなたが夢見ていた『完璧な世界』そのものでしょう?」

「……違う。……こんなものは、調和じゃない。……ただの、強制的な同調シンクロだ」

 レインは、自分の指先が微かに震えているのに気づいた。

 それは恐怖ではない。このシステムが奏でる、吐き気を催すほどに「完璧すぎる旋律」への拒絶反応。

 一切の誤差を許さず、すべての変数を管理下に置こうとする、死よりも静かな絶望。

「……カトリーナ卿、ルナ。……下がっていてくれ。……ここから先は、僕たちの……工学の、内側の戦いだ」

「でもレイン、あなたはまだ記憶も体調も……!」

 ルナの制止を振り切り、レインは一歩、また一歩とエレノアへ近づく。

 彼の手には、いつの間にか一本の「金属の棒」が握られていた。それは潜入の途中で拾った、ただのスクラップの支柱。

 だが、レインが触れるだけで、その錆びた棒は、超振動する「音叉おんさ」へと変貌を遂げていた。

「……面白いわね、レイン。記憶を失ってなお、その『調律』の技術だけは冴え渡っている。……けれど、私には通用しない。……なぜなら、私はあなたの『次の数式』を知っているから」

 エレノアが指を弾くと、背後の外骨格から、超高密度の「水銀マーキュリー」の雨が放たれた。

 ただの水銀ではない。一粒一粒が、エレノアの意識とリンクした極小の魔導ドローン。

 それらは空中で複雑な軌道を描き、レインの回避先を完璧に予測し、逃げ場を塞いでいく。

「……熱力学、第二法則。……エントロピーの増大は、避けられない。……君のシステムは、完璧を維持するために、膨大な『排熱』を無視している」

 レインは、迫りくる水銀の雨を、右手の音叉で「撫でる」ように弾いた。

 カチ、カチ、カチ……という微かな接触音。

 それだけで、絶対的な殺意を伴っていた水銀の粒が、レインの周囲で急激に「凍結」し、地面へと落下していく。

「……!? 水銀を凍らせた……!? 常温で、一瞬のうちに熱を奪ったというの!?」

「……奪ったんじゃない。……位置エネルギーに変換しただけだ」

 レインの足元の床が、一瞬にして爆発的な力で跳ね上がった。

 彼はその衝撃を利用して、重力を無視したような加速でエレノアの懐へと飛び込む。

 

「……計算済みよ。……物理的な接触は、私の『鏡像バリア』で反射される!」

 エレノアの周囲に展開された、銀色の皮膜。

 あらゆる衝撃、あらゆる魔力を、そのままのベクトルで相手に送り返す絶対防御。

 だが、レインは音叉を突き立てる直前で、自らの魔力の波長を「ゼロ」にした。

「……!? 消えた……? 魔力反応が……!?」

「……反射リフレクションは、対象が存在して初めて成立する。……ゼロは、返せない」

 音叉が、銀の皮膜を「すり抜ける」ように通過し、エレノアの胸元にあるメインプロセッサへと迫る。

 

 ――ガギィィィィィィィンッ!!

 激しい金属音が演算室に響き渡った。

 だが、音叉はエレノアに届く直前、見えない「手」によって受け止められていた。

 それは、エレノア自身の力ではない。

 演算室を支える数千の人工脳が、一斉に発した強力な「思念障壁」だった。

「……ふふ。……忘れたの、レイン? この街すべてが、私の身体なのよ。……あなたが私を倒そうとすれば、この街の数万人の『演算資源』が、盾となって立ちはだかる。……私を殺すことは、ネプチューンという都市を殺すこと。……あなたに、それができるかしら?」

 エレノアの瞳に、初めて歪んだ悦びが宿る。

 レインは、音叉を握り締めたまま、深淵のような絶望に立たされた。

 

 数万人の命を救うために、目の前の宿敵を逃がすのか。

 あるいは、世界を正すために、数万人の命を犠牲にするのか。

 

「……これが、君の言う『完璧な数式』か。……最低だな、エレノア」

 レインの脳裏で、何かが「カチリ」と音を立てて繋がった。

 失われた記憶の、最奥部。

 自分がかつて、なぜ「工学魔法」を創り出したのか。

 それは、誰かを支配するためでも、誰かを犠牲にするためでもなかった。

 ただ、隣で笑うルナのような、非力な存在が、理不尽な運命に抗える「道具」を与えるためだった。

「……エレノア。……君の数式には、致命的なエラーがある。……『愛』という変数を、君は計算に入れていない」

「……愛? 笑わせないで。そんな不確かな、数値化できない概念に、何の意味があるというの?」

「……意味なら、今から僕が作る。……五万の脳を、同時に救い、かつ君のシステムを解体する。……不可能を可能にするのが、僕の……『工学エンジニアリング』だ」

 レインは、折れた音叉を高く掲げた。

 彼の背後で、ルナとカトリーナが、迷うことなく魔力を捧げる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ