表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
刻印の徒  作者: 生クリーム王子
第1章『忘却のゆりかご、軍師の産声』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/36

第18話 計算された平和、あるいは鋼の揺り籠

帝都グラナダが、かつてのような「人の喧騒」を失ってから、三ヶ月が経過した。

 今の帝都を支配しているのは、石畳を打つ馬蹄の音でも、市場の威勢のいい声でもない。それは、街の至る所に張り巡らされた魔導伝導体から漏れ出す、微かな低周波の唸り――『都市管理システム・ゼウス』の鼓動である。

 俺――レイン・バートレットは、王宮の最上階に設置された「統合演算座とうごうえんざんざ」に鎮座し、数百万人の民のバイタルデータをリアルタイムで処理し続けていた。

 ――記憶残存率:八十・四パーセント。

 脳を焼くような苦痛は、すでに「不快な電気信号」として処理され、無視されている。

 今回消えたのは、前世での「冬の朝、吐いた息が白く染まるのを見て、なぜか心が躍った記憶」。

 冷たさや季節の移ろいを感じる情緒は、今の俺には贅沢すぎる不要な機能だった。

「……第十四区、労働効率が〇・八パーセント低下。原因は……局所的な栄養不足、および睡眠の質の悪化。……配給される合成魔導食糧のカロリーを三パーセント増加させ、全戸の照明魔導具に強制的な催眠波さいみんは重畳ちょうじょうさせろ」

 俺が指先一つ動かさず、思考のままに命令を出せば、街全体がその通りに動く。

 病気は流行する前に予兆を検知され、犯罪は「殺意の脳波」が観測された瞬間に自律型警備ゴーレムによって未然に防がれる。

 失業はなく、飢えもなく、争いもない。

 かつての人類が夢見た理想郷ユートピアは、今や一人の少年の脳が計算し続ける、冷徹な「定数」によって維持されていた。

「……完璧だ。……これこそが、不確定要素を排除した、世界のあるべき姿だ」

 俺の視界には、常に全帝都の熱分布、魔力密度、幸福指数の統計グラフが表示されている。

 人々は、俺が決めた時間に起き、俺が決めた仕事をし、俺が決めた時間に眠る。

 そこに「意志」はないが、代わりに「苦痛」もない。

 だが、その静寂を破る存在が、一人だけいた。

「……また来たのか、ルナ」

 背後の重厚な扉が開く音がした。

 かつてルナが俺に駆け寄ってきた時の、あの弾むような足音ではない。

 今の彼女の歩みは、泥沼を歩くように重く、悲しみに満ちている。

「レイン……。もうやめて。……街を見て。みんな、笑わなくなった。……確かに死ぬ人はいないかもしれないけど、これじゃあ、みんな大きな箱の中で飼われているお人形と同じだよ」

 ルナは、俺の前に跪き、鋼鉄の椅子に固定された俺の手を握った。

 彼女の体温。かつてなら、俺の心を温めたであろうその熱さえ、今の俺には「摂氏三十六・五度の熱源」としてしか計測されない。

「……ルナ。……『笑う』という行為は、感情の起伏に伴う過剰なエネルギー消費だ。……平穏へいおんという定常状態を維持するためには、感情の振幅しんぷくは最小限に抑えられるべきだ。……それが、生存確率を最大化させるための最適解だ」

「そんなの、生きてるって言わない! ……ねえ、思い出して。……初めてあなたが私に連発弩を作ってくれた時のこと。あの時、あなたは『誰かを守りたい』って笑ってた。……あの笑顔は、計算の結果だったの!?」

 ――記憶残存率:七十九・八パーセント。

 脳の奥底で、エラーメッセージが赤く点滅した。

 消えたのは、「ルナと初めて出会った時の、彼女の瞳の色に対する純粋な驚き」。

「……当時の僕の行動は、生存可能性を向上させるための、未熟な社会的投資に過ぎない。……今の僕には、そのような回りくどい手段は不要だ。……ルナ、君もだ。……君の存在は、僕の演算リソースの二・五パーセントを無駄に占有している。……これ以上の介入は、君の『人格消去フォーマット』を検討せざるを得ない」

 俺は、無機質な瞳で彼女を見下ろした。

 ルナは絶望に顔を歪め、俺の手を振り払った。

「……わかった。……あなたがそう言うなら、私は最後まで、あなたの『ノイズ』であり続ける」

 彼女が去った後、俺は再び閉ざされた暗闇の中で計算を再開した。

 

 だが、俺のデータベースに、存在してはならない「警告」が舞い込んできた。

 ――警告。……北方の辺境、亡命貴族軍が集結。

 ――彼らを率いるのは……。

 ――『全魔力解放オールレンジ・バースト』を起動した、ゼノの死体。

「……先生。……死してなお、僕の計算を乱しに来るというのか」

 ゼノは、自らの死体さえも「魔力爆弾」へと作り変えていた。

 彼は隣国の残党を煽動せんどうし、この完璧な帝都を破壊するために、自らの存在そのものを「論理的な自殺攻撃」へと昇華させていたのだ。

 北の空が、不気味な紫色に染まる。

 ゼノが放ったのは、空間の魔力密度を極限まで引き下げ、連鎖的な空間崩壊を引き起こす『虚無の種子ニヒル・シード』。

 それが帝都に到達すれば、俺が築き上げた管理システムは、その基盤である魔力網ごと消滅する。

「……防衛プロトコル、フェーズ・ナイン。……帝都全域を『絶縁障壁ぜつえんしょうへき』で包囲しろ」

 障壁を展開するためには、膨大な魔力が必要になる。

 帝都にあるすべての魔石、そして……。

 民の命を繋いでいる、生命魔力バイタル・マナの九割を徴収しなければならない。

「……計算完了。……帝都の人口の四十二パーセントが、障壁展開の代償として『機能停止』する。……だが、残りの五十八パーセントと、帝国の物理インフラは維持される。……これが、現状における最も合理的な生存戦略だ」

 俺は、徴収ちょうしゅうボタンの上に指を置いた。

 四十二パーセント、約五十万人の命。

 それを犠牲にすれば、この「完璧な平和」は続く。

 だが、その時。

 俺の視界に、一人の少女のデータが強制的にポップアップされた。

 ――対象:ルナ。

 ――魔力適性:極めて高い。

 ――徴収優先度:最高。

 ――計算上の生存確率:〇・〇〇パーセント。

「…………」

 俺の指が、止まった。

 論理的には、彼女を真っ先に犠牲にすべきだ。彼女一人の魔力で、数千人の一般市民を救うことができる。

 

 ――記憶残存率:七十八・二パーセント。

 消えたのは、「前世での、母が作ってくれた味噌汁の温かさ」。

 

 脳内が火花を散らす。

 なぜ、ボタンを押せない。

 なぜ、この一人の少女という「変数」を切り捨てることができない。

 

「……バグだ。……これは、深刻なシステムエラーだ」

 俺は、自らの脳を強制的に再起動リブートしようとした。

 感情を殺し、ただの機械になればいい。

 そうすれば、五十万人を殺し、彼女を殺し、世界を救える。

 だが、エラーメッセージは消えない。

 

 【ERROR: REQUIRED VARIABLE 'LUNA' IS MISSING IN FUTURE FORMULA】

 (エラー:未来の数式に、必須変数『ルナ』が存在しません)

 俺の深層意識が、俺の論理にあらがっていた。

 ルナのいない世界を、俺の演算回路は「価値のない無」として定義してしまったのだ。

「……認めない。……僕は、こんな情緒という名のバグに敗北したりはしない」

 俺は、座席から身を乗り出した。

 徴収ボタンをキャンセルし、代わりの術式を書き込み始める。

「……全徴収ぜんちょうしゅうを停止。……全生命魔力を、市民に返還しろ」

 ――警告。……障壁が維持できなくなります。帝都は消滅します。

「……代替エネルギー(だいたいエネルギー)を供給する。……供給源は……。……個体識別名:レイン・バートレット。……僕自身の、全存在だ」

 ――警告。……その行為は、自己崩壊を招きます。記憶残存率は〇パーセントになります。

「……構わない。……『心』がない世界を守るために心を捨てたというのなら。……最後は、『心』を取り戻すために自分というシステムを破壊する。……これが、僕の導き出した、最後にして唯一の……『非合理的な正解』だ」

 俺は、自らの全神経を外部の魔導網へと接続した。

 

 ――記憶残存率:七十パーセント、六十パーセント……。

 

 脳から直接、魔力が噴き出す。

 視界が真っ白になり、前世の、そして今世の記憶が、濁流となって俺の魂から流れ去っていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ