第16話 親友との決別、あるいは計算された裏切り
上空の巨大魔導飛行船『リヴァイアサン』から投下された数多の棺。それが地表に激突し、爆煙が晴れた後に現れた光景に、要塞の守備兵たちは凍りついた。
そこには、かつて帝国でその名を馳せた英雄たちが、見るも無惨な姿で佇んでいた。肌は不気味な青紫色に変色し、全身を走る血管は黒い魔力の奔流に耐えきれず、脈動するたびに皮膚を割りそうなほど膨れ上がっている。
「……アー……サー……?」
ルナの震える声が、戦場の静寂を切り裂いた。
俺の視界、すなわち「工学の眼」が捉えるアーサーの姿は、もはや生物の定義を逸脱していた。彼の心臓部には、ゼノの手によって、魔力を強制的に増幅・暴走させる『過負荷触媒』が埋め込まれている。
「……計測終了。魔力出力、定格の八百パーセント。……生体組織の崩壊率は毎秒〇・一二パーセント。……あと一時間もすれば、彼の肉体は細胞レベルで自壊し、残された魔力が大爆発を起こすだろう」
俺の声は、自分でも驚くほど淡々と、分析結果を吐き出した。
アーサー。俺がこの世界で初めて「対等な人間」として接してくれた男。俺の連発弩を誰よりも信じ、俺の背中を守ると誓ってくれた男。
その彼が今、理性を失い、獣のような唸り声を上げながら、俺に向かって巨大な大剣を構えている。
「レイン、どうにかして彼を助けられないの!? 彼の魔力回路を解除すれば……!」
ルナが俺の袖を掴み、必死に訴えかける。彼女の瞳には、まだ「救い」という名の非論理的な希望が宿っていた。
「……不可能だ。……彼の脳内にある言語野は、すでにゼノの送信する殺戮命令によって上書きされている。……今の彼にとって、僕は『排除すべき対象』という座標に過ぎない。……そしてルナ、君もだ」
アーサーが動いた。
爆発的な魔力の推進。彼が一歩踏み出しただけで、地面の石畳がクレーター状に陥没する。
その速度、時速三百キロ以上。もはや人間の動体視力で追える範囲を超えている。
――記憶残存率:九十四・二パーセント。
脳内で、硬質なガラスが砕け散るような音が響く。
今回消えたのは、前世での「夏の日の午後、部活帰りに友人たちと食べたアイスの冷たさ」だった。
そして、この世界でアーサーと交わした「いつか帝都一の騎士と軍師になろう」という、あの青臭い誓い。
大切な思い出が「質量と運動エネルギーの関係式」へと書き換えられていく。
「……来る。……回避は非効率。……迎撃を選択」
俺は手に持った特殊な魔導短剣を、地面に突き立てた。
アーサーの大剣が、俺の頭上から振り下ろされる。
空気が圧縮され、大鎌のような衝撃波が放たれるが、俺は一ミリも動かない。
「……起動。……『斥力格子』」
俺の周囲に、蜘蛛の巣のような細い光の線が展開される。
それは魔力によって空間の反発係数を極限まで高めた防御網だ。
アーサーの剣がその格子に触れた瞬間、凄まじい火花が散り、彼の攻撃は「物理的に反射」された。
「……ぐ、あああああッ!!」
自分の怪力によって腕を弾かれ、アーサーが体勢を崩す。
だが、彼は止まらない。自らの腕の骨が折れる音さえ無視し、彼は無理やり剣を振り抜こうとする。
ゼノによる神経操作が、彼の生存本能を完全に封殺しているのだ。
「……アーサー。……君の突撃パターンは、すでに僕の脳内でシミュレート済みだ。……次に君が取るべき行動は、左足への加重による側面からの薙ぎ払い。……確率は九十二パーセント」
俺は冷静に一歩下がり、連発弩の照準を彼の「膝」に合わせる。
殺すのではない。まずは、彼の機動力を奪うことが最速の解決策だ。
だが、俺の指が引き金にかかった瞬間。
「……殺……して……、レイ……ン……」
アーサーの濁った瞳から、一筋の涙が零れた。
一瞬。ほんの一瞬だけ、ゼノの支配を掻き消して、彼自身の意思が表層に浮かび上がった。
彼は、自らの肉体が化け物に変えられ、親友を殺そうとしている現実を、絶望の中で認識していた。
――記憶残存率:九十三・五パーセント。
脳が激しく明滅する。
消えたのは、ルナと一緒にタルトの店を探して帝都を歩き回った時の、あの胸の高鳴り。
「……情緒が、演算を阻害している。……シャットダウンせよ」
俺は自らの脳に、強制的な感情抑制の術式を叩き込んだ。
「……ターゲット、再ロック。……情動を排除。……純粋な物理的損壊のみを実行する」
連発弩から放たれたのは、通常の矢ではない。
それは、空気中の水分をプラズマ化させ、超高温の熱線として放つ『荷電粒子弾』。
ズドォォォォォンッ!!
熱線がアーサーの両脚を正確に貫通する。
肉の焼ける嫌な臭いが戦場に漂い、アーサーは悲鳴さえ上げられずに地面に転がった。
「……脚部の欠損。……移動能力を喪失。……次、腕部への攻撃に移行」
「やめて! レイン、もうやめて!!」
ルナが俺の前に立ちふさがる。
彼女の目には、今の俺が、地べたを這うアーサー以上に恐ろしい「怪物」に見えているのだろう。
「……ルナ。……どけ。……彼はもう、助からない。……コアを破壊しなければ、周囲五キロが消滅する。……君も、僕も、要塞の兵士たちも。……全員を救うために、彼という一人の個体を消去する。……これが最適解だ」
「そんなの、最適じゃない! 私が……私が彼の魔力を抑えるから! だから……!」
ルナがアーサーに駆け寄り、その傷ついた体に手を触れる。
その瞬間、アーサーの体から暴走した黒い魔力が、ルナの細い腕を焼き始めた。
「……あ、あぐ……ッ!」
「……見ろ、ルナ。……それが結果だ。……非効率な感情が、犠牲を増やす。……どけ。……僕が彼を終わらせる」
俺は一歩一歩、アーサーへと近づく。
俺の手元には、彼の心臓にある過負荷触媒をピンポイントで貫き、エネルギーを相殺させるための『零式収束』を施した特殊弾が装填されている。
アーサーは、地面に伏したまま、俺を見上げていた。
その顔は、もはや痛みさえ感じていないようだった。
ただ、悲しそうに、微笑んでいた。
「……済ま……ない……。レイ……ン……。俺が……弱……かった……せいで……」
――記憶残存率:九十二・八パーセント。
消えたのは、前世での「親友と呼べる存在と交わした、最後の下校路での会話」。
俺は、弩の銃口を彼の胸に押し当てた。
「……さようなら、アーサー。……君という変数は、僕の人生において、最も計算しにくい……けれど、最も美しいノイズだった」
引き金を引いた。
光が溢れ、アーサーの体が、純白の粒となって消えていく。
彼の魔力核が消滅し、周囲に漂っていた死の気配が、一瞬だけ清浄な風に変わった。
「……アーサー……!!」
ルナの絶叫が、虚空に響き渡る。
俺は、その涙を見ることなく、ただ上空のリヴァイアサンを見上げた。
「……ゼノ。……計算終了です。……次は、あなたの番だ」
俺の心には、もはや悲しみさえ残っていなかった。
あるのは、ただ、凍てつくような「殺意の計算式」だけだった。




