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刻印の徒  作者: 生クリーム王子
第1章『忘却のゆりかご、軍師の産声』

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第14話 亡霊の行進、あるいはゼノの誘惑

帝都グラナダの最深部、石造りの重厚な静寂に支配された「零号工廠ぜろごうこうしょう」。そこは、太陽の慈悲深い光さえも届かぬ、鉄と油、そして剥き出しの魔力伝導体が発する紫電の火花だけが明滅する、俺――レイン・バートレットの孤独な聖域であった。

 数日前、帝都のカフェでルナやアーサーと囲んだ、あの魔導イチゴのタルトの甘み。それを思い出し、反芻しようとするたび、俺の脳内にある演算回路は、不快なノイズをまき散らす。友情、約束、温もり。それら人間を人間たらしめる非効率な情緒という名のバラストを、俺の脳は今、生存と勝利のために冷酷に切り捨てようとしていた。

 ――記憶残存率:九十六・五パーセント。

 脳内の神経細胞ニューロンが、じりじりと焼けるような幻痛を伴って、また一つ目盛りを下げた。今回、俺の魂から剥がれ落ちたのは、前世での「雨の日の午後に、誰もいない図書室の窓際で読み耽った、ある古い小説の結末」だった。主人公が最後に何を選び、どのような救いを得たのか。その物語の核心であったはずの感動は、今の俺のデータベースからは跡形もなく抹消されている。代わりにその空いたメモリ領域へ、冷徹に、そして呪いのように書き込まれていくのは、大気中の魔力密度が流体構造に与える摂動の非線形方程式である。

「……情緒など、今の僕には不要なノイズに過ぎない」

 俺は暗闇の中で独り、設計図の上にペンを走らせる。カリカリという硬質な音だけが、不気味なほど規則正しく、工廠の壁に反響する。目の前にあるのは、新型の魔導連発弩の心臓部だ。これまでのモデルは、単に魔石のエネルギーを矢の推進力へと変換するだけの、いわば魔法の弓の延長線上に過ぎなかった。だが、次に俺が組み上げるのは、魔法という超自然的な事象そのものを、純粋な演算によって最適化し、物質の最小単位である原子レベルまで干渉させる、究極の『ロゴス』の具現体だ。

「……レイン様。深夜に失礼いたします」

 重厚な鉄の扉が、軋んだ音を立てて開く。入ってきたのは、皇帝直属の騎士、カトリーナ・フォン・シュヴァルツだった。彼女は帝国の至宝と称えられる天才剣士であるが、今の俺の瞳――魔力の流れを色分けされたスペクトルとして捉える「工学の眼」には、彼女はただの高密度の魔力熱源としてしか映らない。彼女が纏う白銀の甲冑の分子構造、施された防護術式の波長、その下にある強靭な筋肉の収縮率。それらすべてが、不快なほど明瞭な数値として、俺の視界にオーバーレイされる。

「カトリーナ卿。……睡眠不足は、前線指揮官の判断力を三十パーセント低下させ、反射神経をコンマ二秒遅らせる。僕を訪ねてきた理由が、その戦術的リスクを上回るものであることを切に願うよ」

 俺の声は、自分でも驚くほど硬質で、冷徹に響いた。もはやそれは少年の声ではなく、完成された自律型機械オートマトンが奏でる無機質な出力音に近かった。

「……隣国オルレアン公国が、動きました。北西国境、フェルゼン要塞の対岸にある『亡霊の森』に、彼らが秘匿していた機甲魔導師団が集結しています。その数、およそ五千。……そして、その軍勢の先頭を歩くのは、黒いマントを翻す、あの男……」

 カトリーナの指先が、微かに震えていた。彼女のような、戦場を幾多も越えてきた強者が、名前を聞くだけで本能的な拒絶反応を示す存在。

「……ゼノ先生、ですね」

 俺は設計図から顔を上げた。ゼノ。俺にこの世界の魔法の裏側を教え、工学魔法という禁忌の扉を開かせ、そして俺から人間性を奪い去るためのトリガーを引いた男。彼は学園を追放された後、隣国へと亡命し、俺が提唱した魔法の物理化という理論を、さらに邪悪で非人道的な形で発展させていた。

「ゼノ卿は、志願兵の脳を直接魔導回路とバイパス接続し、痛みも恐怖も、そして己の意思さえも持たぬ生体パーツとして運用しているとの報告があります。……レイン様。これは、あなたが始めた工学魔法がもたらした、一つの地獄ではありませんか?」

 カトリーナの問いは、本来なら俺の胸を鋭く貫くはずだった。だが、今の俺の心には、凪のような静寂しかない。

「……地獄ではなく、必然です、カトリーナ卿。……人間は、自分の脆弱な肉体という物理的制限を本能的に嫌う。ゼノ先生は、その非効率な人格という不確定要素を切り捨てたに過ぎない。……僕がこれから戦場で行うことも、本質的には同じです。不純物を排除し、純粋な結果のみを抽出する」

「兵士の脳をパーツにするのが彼の合理なら、僕は兵士を戦場にすら立たせないのが僕の合理だ。……カトリーナ卿。今回のフェルゼン決戦は、どちらがより優れた計算機であるかを証明するための、巨大なベンチマークになるでしょう」

 数日後。俺は最新鋭の蒸気魔導馬車を連ね、霧に包まれたフェルゼン要塞へと到着した。そこは、かつて俺が魔力十という無能の烙印を押されながらも、初陣で連発弩を振るい、絶望的な防衛戦を勝ち抜いた、いわば運命の出発点だ。だが、今の俺にとって、この要塞は思い出の場所などではない。ただの要塞という名の、防壁厚と射界が定義された、三次元の構造データに過ぎなかった。

 対岸のオルレアン領からは、重苦しく、吐き気を催すような高密度の魔力波が、潮のように絶え間なく押し寄せてきている。それは、ゼノが作り上げた狂気の産物――重装機甲歩兵たちが、一糸乱れぬ動作で大地を踏みしめるたびに発する、非人間的な駆動音の不協和音であった。

「レイン、無茶だよ! 相手は五千なんだぞ!? しかも、全部が魔導鎧まどうよろいで武装してるなんて……こんなの、戦争じゃない。屠殺だ!」

 要塞の守備隊に先行して合流していたアーサーが、俺の胸ぐらを掴んだ。彼は相変わらず、暑苦しいほどに熱い男だ。彼の魔力は、その激昂した感情に呼応して、炎のような赤い光を放ち、周囲の空気を歪ませている。

「……アーサー。その手を離せ。……三秒以内に離さなければ、君の指の神経節に微弱な魔力干渉を加え、強制的に筋肉を弛緩させる。……それは、僕にとって不必要な魔力消費を強いる行為だ」

「お前……! 久しぶりに会った親友に、それが第一声かよ!? 目を見ろよ、レイン! 昔の、あのおどおどしてたけど、誰よりも優しかったお前はどこに行ったんだよ!」

「……死んだよ、アーサー。……効率の悪い記憶と一緒に、脳のゴミ捨て場へ捨てられた」

 俺は冷たく言い放ち、親友であったはずの男を、まるで道端の石ころを避けるように押し退けて、要塞の最上部にある中央展望台へと向かった。

 展望台には、ルナもいた。彼女は俺の姿を見るなり、何かを言いかけ、しかし俺の瞳に宿る絶対的な冷気――周囲の熱エネルギーさえも演算のために吸い取ってしまうような、非人間的な無関心――を察し、言葉を飲み込んだ。

「……ルナ。……君は、第一隔壁の後方、地下シェルターへ避難してくれ。……君の魔法は、まだ愛や願いといった、数値化不可能な情緒的エネルギーに依存しすぎている。……今回の、一ミリの誤差も許されない高精密な戦場において、それは致命的なノイズになる」

「レイン……。私、あなたの力になりたくて、帝都の図書館にある魔導書を全部読んで、一生懸命修行したんだよ。……あなたを、一人きりにはさせないって、あの日決めたんだから」

 彼女の蒼い瞳には、大粒の涙が溜まっていた。本来なら、俺の心臓はここで激しく脈打ち、前世の記憶と今世の想いが交錯して、熱い感情が溢れ出すはずだった。

 だが、今の俺の脳内にあるのは、ただ一つの論理回路だ。

 【IF (感情の介入 == TRUE) { 演算速度 -= 40%; 生存率 -= 15%; } ELSE { 勝利確定 }】

 俺は、彼女に背を向けた。一度も振り返ることなく。

 遠く、地平線の彼方から、黒い雲のような巨大な塊が、地を這うように迫ってくる。それは雲ではなかった。ゼノが率いる、オルレアン公国の亡霊騎士団。魔導回路を脳に直接埋め込まれ、痛覚を遮断され、ただ中央の命令塔ゼノからの信号に従って歩き続ける、五千の生体精密機械だ。

「……来ましたね、先生」

 俺は、手元の端末を起動した。

 フェルゼン要塞の周囲、半径五キロメートルにわたって、あらかじめ俺が独力で埋設しておいた数万個の『微細魔導センサー』が、一斉に敵の魔力波形を捕捉し、俺の視神経へとダイレクトにデータを送信し始める。

 五千の敵。それぞれの個体の魔力量、心拍数、装甲の摩耗度、現在位置、加速度、予測進路。

 それら膨大な、常人なら脳が焼き切れるほどの情報量が、俺の意識を真っ白に塗りつぶし、一つの巨大な「盤面ボード」へと変換していく。

 ――記憶残存率:九十六・四パーセント。

 消えたのは、前世での「高校の文化祭の夜、クラスメイトたちと笑い合いながら食べた、安っぽい、けれど温かかった焼きそばの味」。そのささやかな記憶が灰になるのと引き換えに、俺は「五千の敵を、一兵も余さず、同時に殲滅するための最適解」を導き出した。

「……フェルゼン守備隊、各員へ。……僕の許可なく指一本動かすな。……敵が、僕の定義した『絶対死滅域デッドライン』を越えるまで、息をすることさえ禁ずる」

 俺の声は、空気中の振動を直接制御する魔法によって増幅され、要塞全体に響き渡った。それは死神の宣告よりも、さらに無慈悲で、ただの統計的事実の提示であった。

 敵の先頭集団が、国境の川を渡り始めた。彼らの足取りはメトロノームのように正確で、一万本の軍靴が地面を叩く音は、巨大な一つの心臓が脈打つ鼓動のように聞こえる。その行進に、迷いも恐怖も、生への執着さえもない。

 その最奥。黒い馬に跨り、白磁の仮面をつけた男――ゼノが、こちらを向いてゆっくりと右手を挙げた。

「……さあ、見せてくれ、レインくん。君がどれだけ、私の領域へと近づけたかを。君が捨てた『心』の代わりに、何を手に入れたのかを」

「……先生。僕はあなたに近づいたりはしない。……僕は、あなたという非効率な先行例を乗り越え、その先にある、一切のノイズが存在しない『完全なる虚無』へと至る」

 俺は、端末の最終起爆スイッチを押し込んだ。

 要塞の壁一面に配置された、数千の魔導回路が同時に励起し、フェルゼンの大地が、まるでもう一つの太陽が生まれたかのような白光に包まれた。

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