第13話 偽りの平和、あるいは軍師の休日
激動の帝都奪還作戦から数週間。
ロイター公爵の反乱は、レイン・バートレットの「非人道的なまでの知略」によって鎮圧された。
帝都は平穏を取り戻し、レインは若くして「軍事顧問」という、異例の地位を確立していた。
だが、その日のレインは、豪華な執務室ではなく、帝都の片隅にある小さなカフェのテラス席にいた。
「……レイン! こっちこっち!」
明るい声に顔を上げると、そこには見覚えのある、だが少し大人びた様子の二人がいた。
ルナとアーサーだ。
二人は、先の騒動での功績を認められ、特別に休暇を与えられていた。
「……二人とも。久しぶりだね」
レインは、自分でも驚くほど穏やかな声で言った。
――記憶残存率:九十七・〇パーセント。
ここ数日の激務で、記憶はさらに削られている。
だが、この瞬間だけは、脳内の「戦闘演算」が停止し、過去の残滓が緩やかに浮かび上がっていた。
「久しぶりも何もないわよ! あなた、帝都に行ってから一度も手紙をくれないんだもん」
ルナがぷんぷんと怒りながら、レインの向かいに座る。彼女の銀色の髪が、午後の陽光を浴びてキラキラと輝いた。
「おいおい、ルナ。こいつは今や『帝国の毒薬』なんて呼ばれる偉いさんだぜ? 俺たちみたいな学園の落ちこぼれとは住む世界が違うのさ」
アーサーが茶化しながら、レインの肩を叩く。その手の厚みと温かさが、レインの胸に不思議な違和感を運んできた。
「……『住む世界』か。……確かに、僕の周りには最近、数値と嘘しか転がっていない」
「そんなの、今だけ忘れちゃいなよ! ほら、これ、帝都で流行ってる『魔導イチゴのタルト』。すっごく美味しいんだから!」
ルナがフォークでタルトの一片を、レインの口元に運ぶ。
レインは戸惑いながらも、それを口にした。
(……甘い。……いや、この感覚は……)
前世で、佐藤として食べていたショートケーキの味。
それと、幼い頃にルナと分け合った、野いちごの酸っぱさ。
二つの記憶が、脳の奥底で火花を散らすように重なり合う。
「……美味しいな」
「でしょ!? レインが笑ったの、すっごく久しぶりに見た気がする」
ルナが嬉しそうに微笑む。
アーサーも、どこか安心したように笑いながら、エールを飲み干した。
「なあ、レイン。……俺、決めたんだ。騎士団に入って、お前の作った武器を使う奴らが、間違った道に行かないように見張ってやる。……お前の背中を預かるのは、機械じゃなくて、俺でありたいからな」
アーサーの不器用な決意。
それは、合理性では説明できない「友情」という名の非効率な変数だった。
だが、今のレインには、その変数が、壊れかけた自分の心を繋ぎ止める、唯一の楔のように感じられた。
「……ありがとう、アーサー。……ルナも。……僕が、もし僕でなくなってしまいそうになったら……その時は、君たちが僕を叱ってくれ」
「当たり前じゃない! 何回でも、何万回でも、レインの名前を呼んであげるわよ」
空は青く、風は穏やかだった。
これから始まる凄惨な戦争も、失われていく記憶の恐怖も、この瞬間だけは遠い世界の出来事のように思えた。
九十六・九パーセント。
消えたのは、前世での「嫌いだった上司の説教の内容」。
どうでもいい、ゴミのような記憶だ。
その代わりに、俺は今、目の前で笑う二人の笑顔を、脳の最も深い場所に焼き付けた。
たとえ明日、すべてを忘れることになっても。
この「甘いタルトの味」だけは、魂が覚えているはずだと信じて。




