第12話 鋼の迷宮、あるいは裏切りのワルツ
フェルゼン要塞の戦いから数日。勝利の余韻に浸る暇もなく、俺――レイン・バートレットは、帝都から届いた一通の「緊急召喚状」を握りしめていた。
内容は、皇帝フリードリヒ三世の急病、そしてそれに伴う帝都の封鎖。
だが、俺の「計算」は別の答えを導き出していた。
(……タイミングが良すぎる。北方での失敗を咎められたロイター公爵が、最後の手に出たか)
「レイン殿、準備は整いました」
カトリーナが、白銀の甲冑を鳴らして部屋に入ってきた。彼女の瞳には、いつもの高潔な輝きに加えて、微かな「迷い」があった。
「帝都は現在、ロイター公爵の私兵によって包囲されています。私たちの帰還は、そのまま反逆罪として扱われる可能性が高い。……それでも、行かれるのですね?」
「……僕にとって、帝国がどうなろうと知ったことではありません。ですが、僕の工廠と、そこに残した設計図が奪われるのは『損失』です。……損失は、排除しなければならない」
俺は淡々と答え、新型の連発弩を背負った。
――記憶残存率:九十七・四パーセント。
消えたのは、前世での「雨の日の午後に、図書館で読んだ小説の結末」。
物語の感動を忘れ、俺はただ「文字の羅列」としてその記憶を整理した。感情の欠落は、俺の判断をより冷酷に、より高速に研ぎ澄ませていく。
帝都へと続く街道。俺とカトリーナ、そして忠誠を誓ったわずかな兵たちは、闇に紛れて進軍していた。
だが、街道を封鎖していたのは、見覚えのある黄金の鎧を纏った一団だった。
「……ロイター家直属、『獅子騎士団』か」
カトリーナが剣を抜き、低く構える。
その騎士団の先頭にいたのは、俺が学園で打ち破ったはずの男、ハンス・フォン・ロイターだった。
「久しぶりだな、レイン! ……いや、バートレット男爵とお呼びすべきかな?」
ハンスは、かつての傲慢な笑みを消し、異様なほど落ち着いた様子で馬を進めてきた。彼の右目には、深い傷跡がある。演習での失態の後、父である公爵に「教育」された証だろう。
「ハンス。……君のような無能が、この包囲網の指揮を任されているとは思えない。背後にいるのは誰だ?」
「無能、か。……ああ、その通りだ。俺は才能ではお前に勝てない。……だから、俺は『誇り』を捨てた。……お前と同じようにな」
ハンスが合図を出すと、森の中から数十人の兵士が現れた。
驚くべきことに、彼らが手にしていたのは、俺が設計したはずの『第一種連発弩』の模造品だった。
「……設計図が流出したか」
俺の計算に、一瞬のノイズが走る。
工場の管理は完璧だったはずだ。だとすれば、内部の人間が……グレンダル侯爵自身が、保険としてロイター家に情報を売った可能性がある。
「驚いたか? お前の作った『魔法を殺す道具』が、今度はお前自身に向けられる気分は!」
「……カトリーナ卿、下がってください。……これは、僕の不始末だ」
俺は馬車から飛び出し、地面に膝をついた。
ハンスの兵たちが、一斉に弩を構える。射程内だ。一斉射撃を受ければ、俺の体は蜂の巣になるだろう。
「撃てッ!!」
シュシュシュシュ――!
放たれた矢の雨。だが、俺は動かなかった。
「……術式展開:磁場歪曲」
俺の手から放たれたのは、攻撃魔法ではない。
連発弩の矢の芯材に使われている「魔導鉄」の特性を逆手に取った、超強力な磁場干渉だ。
前世の物理知識――「電磁誘導」の原理を魔法で再現し、飛来する矢の軌道を無理やり曲げる。
矢は、俺の数センチ手前で不自然に反れ、地面へと突き刺さった。
「なっ……!? 全弾、外れただと!?」
「……ハンス。君は道具の使い方を知っているが、その『理屈』を理解していない。……僕の作った武器が、僕自身の計算を裏切ることはないんだ」
俺は、懐から小さな円筒形の装置を取り出した。
それは、連発弩の矢を「受信機」として利用する、広域共鳴爆弾。
「……起動。……『連鎖崩壊』」
パチン、と指を鳴らす。
地面に突き刺さった数十本の矢が、一斉に眩い光を放ち、爆発した。
「ぎゃああああッ!!」
爆風に吹き飛ばされるハンスの兵たち。
俺はその凄惨な光景を、テレビのニュースでも眺めるような無関心さで見つめていた。
「……レイン殿、やりすぎです!」
カトリーナが駆け寄り、俺の肩を掴んだ。彼女の手は震えていた。
「彼らは降参しようとしていた! なぜ、あんな残酷な……」
「……効率的だからです。……ここで恐怖を植え付けておかなければ、帝都までの道中で無駄な戦闘が増える。……カトリーナ卿、あなたは騎士道を守ってください。僕は……勝率を守ります」
カトリーナの手が、俺から離れた。
彼女の蒼い瞳に、今度は明確な「拒絶」の色が浮かんだ。
――記憶残存率:九十七・三パーセント。
消えたのは、前世で「恋人に渡そうとして、結局渡せなかったプレゼントの中身」。
後悔という感情が、また一つ削り取られた。
「……行きましょう。帝都の『王手』は、まだ先です」
俺は、這いつくばって絶叫するハンスを一顧だにせず、歩みを進めた。
背後に、自分を怪物を見るようなカトリーナの視線を感じながら。
俺の心は、もう波立つことさえない。
ただ、帝都を包む夜の闇が、自分の内面と同じ色をしていることに、微かな安らぎを覚えるだけだった。




