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刻印の徒  作者: 生クリーム王子
第1章『忘却のゆりかご、軍師の産声』

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第11話 辺境の火種、あるいは狂気の量産

帝都から遠く離れた北西部の要塞、フェルゼン。

 そこは、隣国との小競り合いが絶えない、硝煙の匂いが染み付いた最前線だ。

 俺――レイン・バートレットは、この荒涼とした地に、臨時の軍事研究所を設立していた。

「……出力、安定。刻印、正常。これなら、素人の兵士でも一キロ先の的を射抜ける」

 俺が手にしているのは、改良を重ねた『第ニ種連発弩』だ。前回の失敗を糧に、寒冷地でも魔法が暴走しないよう、バネによる物理的な加速を強化したモデル。

 だが、その完成度とは裏腹に、俺の心はどこまでも冷えていた。

 ――記憶残存率:九十七・七パーセント。

 消えたのは、前世での「高校の図書室で、窓から差し込む陽光の暖かさ」。

 そして、この世界でルナが作ってくれた、少し塩辛いおにぎりの味。

 

 幸せな記憶が消えるたび、俺の視界からは「色彩」が失われていく。今の俺に見えるのは、敵の魔力の流れ、地形の起伏、風速の数値……戦場を構成するデータだけだ。

「……寂しい顔をしていますね、バートレット男爵」

 背後から、凛とした声が響いた。

 振り返ると、そこには白銀の甲冑を纏った一人の女性が立っていた。

 帝国の至宝と呼ばれる若き天才騎士、カトリーナ・フォン・シュヴァルツ。

 彼女は、汚職にまみれたロイター公爵派とは一線を画す、皇帝直属の『純潔騎士団』の副団長だ。

「カトリーナ卿。……騎士がこのような、油臭い工房に何の御用ですか?」

「貴殿の作る『道具』が、戦場の誇りを奪うと聞いて確認に来ました。……ですが、実際に目にすると、これは単なる兵器ではない。持ち主の『孤独』が形になったもののように見えます」

 カトリーナの瞳は、吸い込まれるような深い蒼色をしていた。

 彼女は俺の新型弩を手に取り、その銃身を優しく撫でる。

「私は貴殿を否定はしません。……魔力が低く、虐げられてきた者たちが、この道具で立ち上がる。それはある意味で、残酷なほど正しい救済でしょう。……ですが、レイン殿。あなたは、この道具を使って『誰』を救いたいのですか?」

「……救う? そんな感傷的な目的はありませんよ。僕はただ、僕というシステムを維持するために、勝利という結果を出しているだけです」

「……嘘ですね。あなたの目は、まるで迷子になった子供のようです」

 カトリーナは、俺の胸に手を置いた。鎧越しに伝わる彼女の体温が、微かに俺の記憶を刺激する。

 だが、その温もりさえも、今の俺には「不規則な熱源」としてしか感知できない。

「……カトリーナ卿。まもなく、隣国の精鋭がこの要塞に攻めてきます。あなたの騎士道が勝つか、僕の合理性が勝つか。……戦場で見定めればいい」

 翌朝、地平線を埋め尽くすほどの隣国の歩兵連隊が、フェルゼン要塞へと迫っていた。

 その数、およそ五千。対する守備隊は、俺が連発弩を持たせた平民兵、わずか五百。

「……敵軍、展開。重装歩兵を前面に、魔法師団を後方に配置しています」

 俺は冷静に指揮を執る。

 だが、隣国の軍勢の先頭に、一人の「異質」な男がいた。

 名を、鉄血のレオナード。

 彼は隣国の天才軍師であり、これまでの帝国の戦術をことごとく粉砕してきた男だ。

「……ほう。帝国が妙な玩具を持ち出したと聞いたが、あれがそうか」

 レオナードは遠くから俺の要塞を見つめ、不敵に笑った。

 彼は即座に、部下たちに命じた。

「全軍、盾を捨てろ! 軽装で散開し、不規則なジグザグ走行で肉薄せよ!」

(……しまった。読まれた!)

 俺の連発弩は、「面」で押し寄せる敵には無敵だが、高速でバラバラに動く標的を狙うのは難しい。

 レオナードは、俺の武器が『偏差射撃(移動する敵を予測して撃つ)』を必要とすることを見抜き、その計算を狂わせるための機動戦を仕掛けてきたのだ。

「レイン様! 敵の足が速すぎて狙えません! どんどん接近されます!」

 兵士たちの悲鳴。

 俺の計算が、戦場の「混沌」に追いつかなくなる。

 レオナードの戦術は、俺の「合理性」を、「予測不能な動き」で窒息させるものだった。

「……カトリーナ卿。出番です。……僕が射線を作ります。あなたは、その隙にレオナードの首を獲ってください」

「了解しました。……あなたの孤独な計算、私の剣で完遂させてみせましょう!」

 カトリーナが白馬を駆り、要塞の門を飛び出す。

 俺は連発弩の調整ダイヤルを回し、極限まで「弾幕」を広げる設定に変えた。

 一点を狙うのではなく、戦場全体に「死の網」を張る作戦だ。

 シュシュシュシュシュ――!

 凄まじい音と共に、数千の矢が戦場を埋め尽くす。

 レオナードの兵たちが次々と倒れる中、カトリーナの銀光がレオナードの喉元へと迫る。

 だが、レオナードは動じなかった。

「……甘いな、帝国の軍師。……私の『真の狙い』は、君の背後だ」

 その瞬間、要塞の内部から爆発音が響いた。

 俺を妬むロイター公爵派の貴族たちが、レオナードと内通し、俺の背後から暗殺者を差し向けていたのだ。

「……バートレット男爵! 貴様の命も、その設計図も、我らロイター家がいただく!」

 暗殺者の刃が、無防備な俺の背中に迫る。

 カトリーナは遠く、アーサーやルナもここにはいない。

(……ああ。ここまでか)

 死を覚悟したその瞬間、俺の脳裏に「消えたはずの記憶」が、強烈なフラッシュバックとして蘇った。

 

 ――記憶残存率:九十七・六パーセント。

 消えたのは、前世での「自分の名前」。

 ……佐藤。

 その名前を捨て、俺は完全に「レイン・バートレット」というシステムになった。

 

 その瞬間、俺の魔力が爆発した。

 魔力量十。しかし、そのすべてを「自分の肉体の加速」一点に注ぎ込む、狂気的な出力調整。

「……起動。……『局所加速』」

 俺の体が、残像を残して暗殺者の刃を避けた。

 そして、手元にあった未完成の連発弩を、零距離で暗殺者の胸に押し当てた。

「……さようなら。……僕を計算外に置いたのが、あなたのミスだ」

 ドシュッ。

 暗殺者の胸を、魔法の矢が貫いた。

 戦闘は、カトリーナの活躍と俺の「自衛」によって、なんとか勝利に終わった。

 レオナードの軍勢は撤退し、フェルゼン要塞は守られた。

 だが、カトリーナが戻ってきた時、彼女が見たのは、返り血を浴びたまま、感情のない瞳で設計図を書き直す俺の姿だった。

「……レイン殿。あなたは、助かったというのに、なぜそんなに悲しい顔をしているのですか?」

「……カトリーナ卿。……僕は今、一番大切なものを捨ててしまった気がします。……でも、それが何だったか、もう思い出せないんです」

 俺は、自分の名前さえ忘れてしまった。

 心にあるのは、ただ「次の戦いに勝つための数式」だけ。

 レオナードという、知略で俺を追い詰める強敵。

 カトリーナという、俺の孤独に寄り添おうとするライバル。

 彼らとの出会いが、俺の欠けていく人間性に、どのような火を灯すのか。

 九十七・五パーセント。

 俺は、ただ静かに、次の「破壊」の準備を始めた。

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