第3章:歪んだ鏡と、広がる波紋
季節は巡り、春が訪れようとしていた。
深夜の5分番組『バトン・オブ・ホープ』は、放送開始から半年で、局内の誰もが予想しなかった化け物番組へと成長していた。
きっかけはSNSだった。
「月曜の朝が来るのが怖かったけど、この番組を見ると頑張れる」
「日本の職人さん、カッコよすぎ」
そんな口コミが拡散され、見逃し配信の再生数は、ゴールデンタイムの人気ドラマを抜き去ったのだ。
取材対象は、特別な有名人ではない。
深夜の道路工事で「朝には綺麗な道を走らせてやる」と汗を流す警備員。
「日本の子供たちの理科離れを食い止めたい」と、手弁当で実験教室を開く町工場の社長。
彼らのバトンは途切れることなく、日本列島を縦断していた。
「……気に食わんな」
編成局長の阿久津は、局長室で葉巻を噛み潰していた。
手元には、週刊誌の記事がある。『東西テレビの良心、ここにあり』という見出しが踊っていた。
「所詮は素人の美談じゃないか。ジャーナリズムの欠片もない」
阿久津は受話器を取り上げ、内線を回した。
「おい、今度の日曜の『激論!ニッポンの危機』、構成を変えるぞ。……ああ、あの『バトン』の連中を呼べ。ゴールデンで晒し者にしてやる」
日曜日、午後7時。
東西テレビの看板番組『激論!ニッポンの危機』のスタジオは、独特のピリついた空気に包まれていた。
司会者の後ろには、巨大なパネル。「日本経済、沈没の危機」「世界から取り残されるガラパゴス日本」という、お馴染みの不安を煽る文字が並ぶ。
スタジオの袖で、ヒカリは緊張で震えていた。
「相馬さん……本当に私たちがここに出るんですか?」
「阿久津の命令だ。断れば番組は打ち切りだとさ」
相馬は腕を組み、雛壇に座るコメンテーターたちを睨みつけた。
そこにいるのは、いわゆる「出羽守」と呼ばれる論客たちだ。
元財務官僚で「日本は借金大国だ」が口癖の経済評論家。
そして、ロンドン在住のジャーナリスト、西園寺レイ。彼女は「海外では〜」「欧米の常識では〜」を枕詞に、日本文化を断罪することで人気を得ていた。
「本日は特別企画です。深夜で話題の番組から、日本の現場の映像をご覧いただきましょう」
司会者の合図で、ヒカリたちが作ったVTRが流れた。
今回紹介したのは、下町にある小さな金属加工工場だ。
若き三代目が、最新のNC旋盤と、先代から受け継いだ「キサゲ加工(手作業での微調整)」を融合させ、世界最高精度の医療用メスを開発した物語。
『日本の技術で、世界の命を救いたいんです』
三代目の真っ直ぐな言葉で、VTRは終わった。
スタジオに明かりが戻る。
ヒカリは期待した。きっと、この熱意は伝わるはずだ、と。
「……ふふっ」
静寂を破ったのは、西園寺レイの冷笑だった。
「美しい映像ね。でも、これだから日本はダメなのよ」
「え……?」ヒカリが声を漏らす。
西園寺は長い髪をかき上げ、カメラに向かって語り出した。
「手作業? 職人技? ……そんな前時代的なものに固執しているから、日本の生産性はG7で最下位なのよ。
シリコンバレーを見てみなさい。彼らは『どう作るか』じゃなくて『どう売るか』、プラットフォームを支配することを考えているわ。
こんな小さな工場が必死になったところで、世界市場では誤差にもならない。自己満足の極みね」
他のコメンテーターも追随する。
「そうですね。海外ではもっと合理的にM&Aが進んでいます」
「こういう精神論を美徳とする空気が、日本の改革を遅らせている元凶ですよ」
ヒカリの顔から血の気が引いていく。
あの工場の三代目は、寝る間も惜しんで、借金をしてまで機械を導入し、それでも「日本のために」と笑っていたのだ。
それを、涼しい顔をした安全圏の人間たちが、公共の電波を使って「無駄な努力」「日本の恥」と切り捨てている。
「な……」
ヒカリが声を上げようとした時、相馬が彼女の肩を掴んで止めた。
「待て」
「でも! 彼らは命を救ってるんです! それを笑うなんて!」
「今お前が叫んでも、ヒステリックな素人として処理されて終わる。それが奴らのやり口だ」
相馬の声は低く、地を這うような怒りを帯びていた。
司会者がまとめる。
「なるほど。やはり現場の自己満足ではなく、グローバルな視点が必要ということですね。……日本は、いつになったら大人になれるのでしょうか」
——CM入ります。
スタジオの空気が緩む中、相馬は拳を握りしめていた。爪が食い込み、血が滲むほどに。
(俺たちは、今まで何を見せてきたんだ?)
海外の権威を借りて、懸命に生きる自国の民を嘲笑う。
これが「報道」なのか?
いや、これは「歪んだ鏡」だ。日本を醜く映すためだけに細工された鏡だ。
相馬の中で、決定的な何かが切れた。
彼はインカムのマイクを外し、代わりに胸ポケットから自分の社員証を取り出した。
それをヒカリに渡す。
「え? 相馬さん?」
「持ってろ。……あと、俺の退職金計算しとけよ」
CM明けまであと30秒。
相馬健一は、ゆっくりと、しかし確かな足取りで、煌々(こうこう)とライトに照らされたスタジオの中央へと歩き出した。
長年染み付いた「事なかれ主義」という鎧を、脱ぎ捨てて。
(第4章へ続く)




