第1話:沈黙の会議室と、小さな反逆
東京・港区。
ガラス張りの巨大なビルが立ち並ぶ一角に、その放送局「東西テレビ」はあった。
かつては報道の雄と呼ばれたこの局も、今は慢性的な視聴率低迷と、ネットからの「マスゴミ」という罵詈雑言に晒され、局内には澱んだ空気が充満していた。
午後3時。報道フロアの奥にある大会議室。
重苦しい静寂を破ったのは、編成局長・阿久津の怒鳴り声だった。
「なんだこの数字は! 『激論・日本の未来』、視聴率4.2%? 先週より下がってるじゃないか!」
阿久津は視聴率のグラフが印刷された紙を、長机に叩きつけた。
ズラリと並んだプロデューサーやデスクたちが、一斉に首をすくめる。その末席に、報道デスクの相馬健一は座っていた。45歳。白髪の混じり始めた髪をかき上げ、相馬は内心で溜息をつく。
(またか……)
「原因はわかってるのか?」
阿久津の問いに、チーフプロデューサーが揉み手しながら答える。
「はあ、やはり最近の視聴者は、難しい政治の話には興味がないようでして……。もっとこう、わかりやすい『敵』を作らないと数字が跳ねません」
「だったらやれよ!」
阿久津はホワイトボードを指差した。そこには、次回の特集案が書き殴られている。
『物価高! 無策の政府に怒りの声』
『海外では常識? 日本の遅れた教育事情』
『独占取材! あの謝罪会見の裏側』
「視聴者が求めているのは『怒り』だ。不安なんだよ、今の日本人は。だから、『お前が不幸なのはコイツのせいだ』と指差してやる。そうすれば溜飲が下がってチャンネルを合わせる。それがテレビの鉄則だろうが!」
阿久津の言葉は、悲しいかな、今のテレビ業界の「正解」だった。
日本はダメだ。政治家は悪だ。企業は強欲だ。
そう報じれば、一定の数字は取れる。SNSでも拡散される。相馬もかつては「ペンは剣よりも強し」と信じて現場を走り回っていたが、今はもう、この空気に抗う気力を失っていた。
「……相馬、お前の班はどうだ? 次のネタは」
突然話を振られ、相馬は手元の資料に目を落とす。
「は、はい。都内の公園で騒音トラブルがありまして……高齢者が子供の声がうるさいと。その対立構造を煽る方向で取材を進めています」
「『対立構造を煽る』か。まあいい、そこそこ数字になりそうだ」
その時だった。
部屋の隅、パイプ椅子に座っていた新人が、スッと手を挙げたのは。
「あの……」
全員の視線が集まる。入社二年目のAD、天野ヒカリだった。
場違いなほど真っ直ぐな瞳が、阿久津を見据えている。
「なんだ、新入り」
「違和感があります」
ヒカリの声は震えていたが、言葉は明瞭だった。
「騒音トラブルの件、私も現場に行きました。でも、あのお爺さんは子供が憎いわけじゃなかった。ただ、最近耳が遠くなって、補聴器の調整がうまくいかなくてイライラしていただけなんです。その後、子供たちと和解して、今は一緒に花壇の手入れをしてます」
「だから?」
阿久津が鼻で笑う。
「『仲直りしました、めでたしめでたし』じゃ、ニュースにならんのだよ」
「どうしてですか!」
ヒカリが立ち上がった。相馬は慌てて彼女の袖を引くが、止まらない。
「和解したなら、その解決策を報じるべきじゃないですか? 『日本はダメだ』『日本人は冷たい』……そんなニュースばかり流して、誰が得をするんですか? 私たちがやってることは、日本という国に対する『いじめ』と同じじゃないですか!」
会議室が凍りついた。
誰もが思っていても、決して口には出さなかったタブー。
それを、一番下っ端のADがぶち撒けたのだ。
阿久津の顔から表情が消えた。彼はゆっくりと相馬の方を向く。
「相馬。お前のところの教育はどうなってるんだ?」
「……申し訳ありません。まだ現場を知らない新人なもので」
相馬は頭を下げた。自分の情けなさに、胃のあたりがキリキリと痛む。
「現場を知らない、か。そうだな」
阿久津は不気味な笑みを浮かべ、ヒカリを見た。
「そんなに『綺麗事』が報じたいなら、やらせてやるよ」
「え?」
「深夜27時(午前3時)。来月の改編で空く枠がある。そこをお前たちにやる。予算はゼロだ。スポンサーもつかん。機材も余り物を使え。……そこで、お前の言う『日本を元気にするニュース』とやらを流してみろ」
それは事実上の左遷であり、嫌がらせだった。
誰も見ていない時間帯。予算なし。失敗すればクビ。
「ただし」
阿久津は付け加えた。
「三ヶ月で結果が出なければ、天野、お前は辞めろ。連帯責任で相馬、お前もだ」
会議は終わった。
人々が逃げるように去っていく中、相馬は頭を抱えていた。
終わった。定年まで波風立てずに過ごそうと思っていたのに。
「相馬さん!」
顔を上げると、ヒカリが目を輝かせて立っていた。
「やりましたね! 番組持てますよ!」
「お前なぁ……あれは『死ね』って言われたのと同じだぞ。深夜の3時なんて、誰も見てない」
「誰か一人は見てますよ。それに、予算がないなら工夫すればいいんです」
ヒカリは手帳を開き、猛然とメモを取り始めた。そのポジティブさは、どこか狂気じみてすらいた。
「私、ずっと考えてたんです。暗闇みたいなニュースばかりだからこそ、小さな明かりでも目立つはずだって」
「明かり……?」
「はい。批判じゃなくて、希望を照らすような。……名前、決めました。『ニュース・ライター(News Lighter)』。どうですか?」
相馬は呆気にとられた。
だが、その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で燻っていた何かが、小さくパチリと音を立てた気がした。
かつて自分が、マスメディアを志した頃の熱。
「……勝手にしろ」
相馬は立ち上がり、背を向けた。
「俺は定年まで逃げ切りたかったんだ。……だが、道連れにされるなら、最後くらいは付き合ってやる」
背越しに、ヒカリの「はい!」という弾んだ声が聞こえた。
窓の外、東京の空はどんよりとした曇り空。
日本を覆うこの厚い雲に、風穴を開ける戦いが、今始まろうとしていた。
(第2話へ続く)




