第10話 異世界へ
女神様の広げられた両腕は、円を描きながら下から少しずつ上がり……肩の高さで止まった。そして、腕を伸ばされたそのままの状態で──
『パァン!』
──拍手のように、ご自身の正面で勢いよく手を打つと、そこから眩い光の粒が大量に──宛ら打ち上げ花火が花開いた時のように辺りへ拡散する。
そして、光の粒子がピタリと止まった──と、思った刹那、まるで映像の逆再生のように、吸い込まれるかのように、一瞬で女神様の御手へと収束する。
合わされていた掌が水を掬うような形で上に向けられると、光が湧水みたいに次々と溢れ出す。
女神様がそこへ──ふうっ──と、息を吹きかけられると、光は一筋の撚り糸のようになって此方へ向かって伸びてきて、それに触れると俺と子猫の体は輝きに包まれる。
──まるで魔法をかけられているみたいだ……。いや、本物の魔法……いやいや、神の御業か……。
俺達が光に包み込まれたのを確認されると、女神様は、その御手に残る煌めきを頭上へと勢いよく振り撒かれた。そしてそれらは、闇に溶けて見えなくなってしまった。
今の俺達よりも小さな光となられてしまった女神様が、少し淋しげに微笑まれて仰る。
「(此れにて暫しのお別れですね……)」
──え゛っ!?
「あ、あの……異世界へ行っても、女神様はもう少し一緒にいて下さるものかと……」
「(いいえ? 今使った神気が最後の力なので……)」
「まだお尋ねしたいことがあったのですが……」
「(えーーっ!?)」
『ペシペシペシペシ!』
「うおっ! やめろ! 猫パン連打やめろ! いや──だって──ここで──お別れとは──思ってなくて──」
『ペペシペシペシペペペペシ!』
「ひゃべろって ネッコおま うおおっ!」
「(人の子! 疾く疾く! 聞きたい事とは何ですか!?)」
「ええと! ええと! 忘れました!」
「(ええっ!?)」
『ペペペペペペペペシシシシシシシシ!』
「くううっ! あっ! 思い出した! 異世界では! 言葉は通じますか! 「(大丈夫です! 但し! 同じ様な言葉でも意味合いが違ったりして、戸惑う事が在るかもしれません! 其処は似て非なる世界なので! 「た、食べ物とかはどうですか! 子猫はまだ小さいので離乳食的な物は──「(其の幼き命の食事は特に大丈夫です! 人の子は──和洋折衷、若しくは無国籍料理! 「物のやり取りはお金ですか! 「(然り! 「あとぉ、あとはぁ──どんな世界ですか! 「(う゛〜ん゛……其れは一言では無理です! 一番の相違は環境により様々な技術体系の進化が異なる点でしょうか!)」
──と、ここで女神様の輝きは殆ど消えてしまわれる。
「(……刻が……来ましたね……)」
それでもほんのわずかに、トクントクンと脈打つ様に、明滅をされていた。
「(今度こそ……本当にお別れです……)」
足の指先から光の粒子となって、少しずつ御身体が霧散していかれる。
「女神様……!」
「(此処での会話……とても楽しく……此の様に穏やかな気持ち、誠、久方振りでした……。汝らならば……きっと、あの子とも、仲良く出来ましょう……。そして……再び会える時を、心待ちにしていますよ……)」
「女神様! お助け下さり本当にありがとうございました! 必ず! 俺達が必ずお救いしてみせます!」
「みぃーっ!」
女神様は嬉しそうに微笑まれて──
〝願いの心象〟が……きっと助けとなりましょう……どうか……忘れないで……
──輝きの……最後の欠片がフッと消える……
「女神様……」
「みぃ〜」
「あんなお礼の言葉しか言えなかった……どれだけ感謝しても足りないくらいなのに……」
感傷に浸ったのも束の間、上から何かがフワリヒラリと降ってきた。これは……雪? いやそれにしては随分と彩やかな気がする……。
──それは光の粒だった。先程、女神様が頭上へと擲たれた輝く粒子が、今、雪の様に舞い降りてきたのだ。
目の前を通り過ぎ──るかと思いきや、何もない所で消えると、そこに光の波紋が広がる。あれ? 一瞬、波紋の向こうに何か見えたような──?
光彩を放つ粉雪はその数を徐々に増してゆき、上下左右、至る所で波紋が生まれ始める。
──やはり波紋の向こう……何か見える。眩しくて良くは見えないけれど、あれは……景色──風景!
降雪の速度が上がり、本降りの雨──豪雨のようになっていた。輝く波紋が乱れ飛び、最早目を開けていることが困難になって瞼を閉じる! 子猫の目も塞ぐ!
──眩しすぎる!
目を瞑っているにも拘らず辺りが光で満ち満ちているのが分かった。そして、一際大きな輝光が通り過ぎたように感じた次の瞬間──
サアアッ
風が──頬を撫でた。地に足を着けている感触……。
ゆっくりと目を開くと……
青い空…… 白い雲…… 緑の草原…… 向こうには何だかでっかい樹……
おお……おおーーっ! ここが! 異なる! まるっと世界!
初めて外国に行ったりした時とか、こんな気持ちになったりするのだろうか? ワクワクと不安! ドキドキしかしないぜ!
「みっ!」
子猫が降りたそうに鳴くので、地面へリリースすると、ピョンコピョンコと楽しそうに駆け回り出した。
「あんまり遠くへ行くなよー」
ここは小高い丘みたいだな。あっちには河が流れているし、その奥には森が広がって、さらにその先には山々が聳えている。
あっ、蝶々だ。
何だか、ただの知らない土地に来ただけのように錯覚してしまうけれど……これが、似て非なる世界……か。
んんーーっ!
俺は とうとう 降り立った! ──異世界に! ──学ラン姿で!
「──学ラン姿で!?」
いや、学ランは元々着てたけど! 何か丈が伸びて長ランになってる!? 更には 下駄!? スニーカーを履いていた筈だけど!?
──待て待て、落ち着け 俺。
そもそも〝俺〟は死んだから〝実体化〟出来たけれど、衣服は何故〝実体化〟したのだろうか……。えーと、〝存在核〟が……全く同じ物は無理だから……
──と、色々考えようとしたけれど、それは止めにした。きっと〝理〟が気を利かせてくれたのだろう! 迷惑をかけたのに、ありがとうございました!
俺が思うこと……否、思わなければいけない事は唯一つ。それは……
スッ ポン ポン じゃなくて 良かったーー!
女神様の 前で 真っ裸じゃなくて 本当に良かったーーー!
こ れ に 尽 き る !
よし! 改めて自分の格好を確認だ。まず学生服。
長ラン──裏地の色がこれは……紺碧っていうのか? 深く濃い青色。割と好きな色だ。ボタンは……校章だった所が巴紋になってる……。
ズボン──膝の辺りから裾にかけて妙に広がっている。これ、パンタロンとかフレアパンツっていうんじゃ……。〝理〟さん……の……趣味ってわけじゃないよな……?
ベルト──バックルのダブルピンが左右二箇所で変な感じだけど、まあ……ベルトだ。色はこれまた紺碧。
シャツ──無地の白いロンT。以前は七分袖だったけど、長袖になっている。
下 着──トラン──どし! ふんどし! 赤い褌!? 赤ふん! 初めて見た褌の実物を、見る以前にもう着用していたとか──そんなことってある!?
下 駄──下駄は下駄。白木っぽい色で鼻緒は黒。 THE 下駄 である。
こんなところか……にしても…… ふんどし て……。
サアアアッ
風が気持ちいいなぁ。ずっと暗闇の中だったから尚の事そう感じるのかなぁ。
子猫は依然、走り回っている。その後ろ姿……
「そうか、子猫……オスだったのか」
どこを見たとは言わないけれど、うむ! オスである。
「そう言えば、こうして子猫をしっかりと見るのは初めてだな……」
意外に毛の量がモッフリとある。前の世界で見た時よりも、毛並みが少しきれいになっている気がする。
眉間の辺りから鼻筋、ヒゲの生えてるプニっとした口周り、あご、首、胸、腹と、生えている毛は白い。
足の先も白いな……。靴下を履いているみたいだ。俺は裸足なのに……。まあ、子猫も裸足なんだけどさ。
その他の毛の色は、グレーと……灰茶って感じかな。光が当たると赤っぽくも見えるなぁ。
目は碧い。尻尾は……結構長いぞ、あれ。
子猫……ひょっとして、成長したらなかなかのイケメンになるんじゃないか?
「みぃーー」
子猫が向こうの何だかでっかい樹の方へピョンタカピョンタカ走り出す。
「あ、コラ! 遠くに行くなって言ったのに!」
慌てて追いかけるが、下 駄! 走り難いったらありゃしない! うあっ! デカい石が挟まった!
ヒーコラ走ってようやく追いついた。子猫は樹を見上げている。俺もつられて見上げてしまう。
何の樹だろうか? 正直、樹木の見分けに自信はない。ましてやここは異世界なわけで……。
「ちょっとそこのアンタ!」
──突然、背後から声をかけられる。ビクッ! として、反射的に振り向いた……けれど、誰もいない。
「どこ見てんの! ここよ! ここ!」
視線を下げると、そこには──謎の生き物(?)が、俺を睨みつけていたのだった。




