優先されるべきは、どっち?
数ある物語の中から、本作を手に取っていただき、心より感謝申し上げます。
この小さな物語が、あなたの日々にほんの少しでも彩りを添えられますように。
もし気に入っていただけましたら、ブックマークや感想をお寄せいただけると、作者にとって大きな励みとなります。
なお、全く別ジャンルの物語も公開しております。気分転換に違う世界を覗いてみたいときは、ぜひそちらもお楽しみください。
報告者:惑星メナリス第三調査隊
対象:地球人類、青山から品川へ向かう快速電車の中。行動観察。
観測場所:地球圏首都域、都市間高速鉄道「快速電車」内部。午前十時半。
休日の緩やかな時間帯にしては、予想外に混み合い、座席は埋まり、立つ者も多い。
窓外には初夏の陽光が差し込み、人々の衣服にきらめく。
対象個体「高木」、年齢推定二十代半ば。
黒いスーツに身を包み、ネクタイを緩め、瞼を重く垂らした状態で優先席の片隅に腰を下ろしていた。
三日連続の休日出勤。
過労の影響で、彼の思考には書類の山が夢の中にまで侵入している。
「若いからって疲れないわけじゃないんだぞ」と彼は心中でつぶやいていた。
地球における「若さ」と「労働力」は不可分に結びつき、同時に酷使の口実となる。
そのとき——車内の空気を切り裂くように、明るい笑い声が到来した。
カラーキャップにウエストポーチ、登山リュックに派手なステッキ。
老年探検隊とでも呼ぶべき、一団の高齢者がドアから流れ込んでくる。
「今日は海鮮丼よ〜!」
「あらやだ、スパリゾート寄ってく?」
「膝がね〜、でも昨日二万歩歩いたのよ私!」
——元気。
ただひたすらに元気。
少なくとも高木の疲労状態と比較すれば、生命力の天秤は明らかに彼らに傾いている。
そして、その中の一人、陽気な女性が声を発する。
「ねぇお兄さん、若いんだから席譲ってくれない?」
——来た。
高木の胸中に微かな迷いが走る。
外見的には確かに「高齢者」であり、優先される資格を帯びているように見える。
だが、彼の“疲労年齢”は今まさに八十五歳を超えていた。
(……そっちはこれから“遊びに行く”んだよね?
こっちはこれから“働きに行く”んだけど?)
しかし彼は、その反論を呑み込んだ。
口にすれば、悪者となるのは自分だと本能的に理解していた。
優先席に潜む魔法——「若さ=立てる」「老い=座る」という単純で絶対的な構図。
「はぁ……どうぞ」
彼は静かに立ち上がり、陽気なおばあちゃんがその場所を占める。
「ありがとね〜若いのに偉いわぁ〜」
その言葉とともに、彼女の顔には小さな勝利の微笑みが浮かんでいた。
隣席では、別の高齢男性が唐突にスクワットを開始する。
「この待ち時間が筋トレにちょうどいいのよね〜」
高木は心の中で叫ぶ。
(座れや!!!)
揺れる車内で吊り革を握りながら、窓に映る己の顔を見つめる。
そこに浮かぶのは、若さという仮面を貼り付けられた存在。
(若さって、便利だけど……雑に扱われるよな)
■補足観察
この場面の根幹は、「優先とは何か」という問いである。
地球人類の制度における「優先席」は、本来“身体的困難を抱える者”のために設けられたものだ。
だが実際には、視覚的に「高齢」と認識されるだけで権利が発動する。
「遊びに向かう元気な老年団体」と「疲労困憊の若年労働者」。
本当に優先されるべきはどちらか?
この問いは表面化することなく、ただ空気の中に埋没する。
さらに興味深いのは、声の大きさが支配権を握る点である。
「ねぇお兄さん、譲って」と口にした瞬間、場の流れは固定化され、反論の余地はほぼ消える。
沈黙は同意となり、拒否は冷酷と映る。
この構造は、地球人類社会における「空気の圧力」の典型例である。
制度よりも空気、理屈よりも雰囲気。
それが地球社会の不可視の重力であり、我々の観測対象として最も興味深い点でもある。
■あとがき
「優先」とは誰のためのものか。
年齢か、体力か、疲労か、あるいは声の大きさか。
優先席において繰り広げられるのは、ただの席取り合戦ではなく、
社会が抱える「見えない序列」と「沈黙の規範」の縮図である。
高木が譲った一席は、単なる座面以上の意味を帯びていた。
それは「若さが負担を担う」という地球社会の小宇宙的縮図であり、
誰もが無言で納得する、不思議な契約だったのだ。
——今日もまた、優先席という舞台の上で、
「優先されるべきはどっち?」という問いは解かれぬまま、
ただ静かに人々の間を揺れ続けている。
お読みいただき、ありがとうございました!
皆さんの周りにも、似たような“観察したくなる人”はいますか?
コメントや感想で教えていただけると、調査隊の記録に加えられるかもしれません……。
引き続き、地球人観察を一緒に楽しんでいただければ嬉しいです!