絶対に肩を貸さない男
数ある物語の中から、本作を手に取っていただき、心より感謝申し上げます。
この小さな物語が、あなたの日々にほんの少しでも彩りを添えられますように。
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なお、全く別ジャンルの物語も公開しております。気分転換に違う世界を覗いてみたいときは、ぜひそちらもお楽しみください。
記録者:惑星メナリス第三調査隊 感情行動班 γ−04。
観測地:都市部鉄道・午前通勤帯。
対象:座席右端の男(仮名:オオツカ)。年齢35±2。ジャケットの肩に異様な緊張感あり。
今朝の観察対象は、実に興味深い。
隣に寝そうな人がいても、決して肩を貸さない男。
我々の調査隊、心を勝手に覗くことは禁止されているし、倫理規定でも厳重に制限されている。
だが、脳波の表層に浮かぶ“自己呼称タグ”を読み取ることは許可されている。
地球人は驚くほど高頻度で、自らの名前を無意識に反芻しているのだ。
特にこの対象は読み取りやすかった。
——「遅刻するな、オオツカ」
そうした断片的な信号を解析し、我々は彼を「オオツカ氏」と記録したのである。
現場状況:
左隣には例によって、“起きてるふりで寝てる女”がいた。
(前回のあの個体である可能性も高い)
彼女の首は次第に傾き、重力に逆らえず右側へ。
そう、今まさにオオツカの肩に、優しく頭突きしようとしている。
だが。
オオツカ、微動だにしない。
いや、正確には、わずかに身を逸らす。
絶妙な刹那のタイミングで、ほんの5.4211cm、体をそらし、「接触を許さぬエア障壁」を構築。
メナリス文明を持ってしても、高速移動中の車内で1万分の1までの測定が限界だった。
観測者は、もっと正確に測りたかったと後からぼやいていた。
これは、メナリス的に言えば**「物理境界による意識保持装置」**であり、
まさに防御型の優しさである可能性が出てきた。
観察を続行する。
隣が寄る → 少しずれる。
寄る → またずれる。
寄る → 咳払い(さりげなく)。
それでも眠気に負けて、彼女の頭が彼の肩に触れかける――
……オオツカ、電光石火の身体ひねりで新聞を広げる!
これは完全に“寝させない意志”。
もはや肩を貸さないだけでなく、**「お前は今、目を覚ましておくべきだ」**というメッセージすら含んでいる。
その結果、彼女はついに目を開け、少し姿勢を正した。
そして次の駅で、確実に降りた。
——そう、彼女は乗り過ごさなかったのである。
一見すれば、ただの冷たい中年男。
「もう少し肩を貸してもいいじゃない?」と、周囲の目もありそうだ。
だが、彼の行動はこう言っていた。
「俺が肩を貸せば、君はきっと乗り過ごす」
「だから、俺は貸さない。君が降りる駅を逃さないように」
そう、これは彼なりの実用主義的な、そして一方通行の優しさだったのかもしれない。
追記:観測データ訂正
後日の解析で、我々は重大な誤りに気づいた。
対象の脳波から抽出された「遅刻するな、オオツカ」という信号は、**自己呼称ではなく“部下への叱責イメージ”**であった可能性が高いのだ。
つまり我々は、彼の名前を取り違えていた。
本報告で「オオツカ氏」と呼称した人物は、実際には**“オオツカの上司氏”**である。
観測者の誤認をここに訂正し、謝罪する。
地球人の思考にはしばしば「他者の名」が混線するため、脳波呼称抽出には依然として改良が必要である。
あとがき
地球人の優しさは、時に二極化する。
■「肩を貸す優しさ」
■「肩を貸さない優しさ」
今回の“オオツカの上司氏”は、後者に属する稀有な存在だった。
その冷たさは、誤解されがちだ。
だが、そこには**“未来を見据えた保護”**というもう一つの可能性が潜んでいた。
肩を貸す者が“今”を救うなら、
肩を貸さぬ者は、“明日”を支えているのかもしれない。




