眠り否認個体♀
数ある物語の中から、本作を手に取っていただき、心より感謝申し上げます。
この小さな物語が、あなたの日々にほんの少しでも彩りを添えられますように。
もし気に入っていただけましたら、ブックマークや感想をお寄せいただけると、作者にとって大きな励みとなります。
なお、全く別ジャンルの物語も公開しております。気分転換に違う世界を覗いてみたいときは、ぜひそちらもお楽しみください。
記録者:惑星メナリス第三調査隊 文化感知班 ρ=8-Σ。
観察時間:地球時間 午前7時21分。
地点:某私鉄、上り方面。目的不明。
——本日、またしても謎めいた行動様式を持つ地球人個体を確認した。
観測対象は、座席に腰かける若年層・女性個体。
外見、20代前半。持ち物:トートバッグ、イヤホン、化粧は未完成。
まず、彼女の状態を記述する。
・瞼、半分以下の可動域。
・首の傾き角度、およそ27度。
・手は鞄の上に添えられているが、握力は失われている。
・目線は“虚無の1.2cm上”を捉えている。
——明らかに眠い。
それどころか、
観測開始5秒後には、睡眠開始の兆候が確認された。
しかし、ここで予期せぬ挙動が発生する。
彼女は、ガクンと首が落ちた直後、
ハッと目を開き、「いやいや寝てませんよ」的な小さな瞬きと咳払いを挿入。
自分の眠気をごまかす、奇妙な儀式である。
我々は困惑した。
なぜ、“眠っている”という明白な事実を、
“眠っていません”という顔で無かったことにしようとするのか?
その後も観察は続く。
・寝る(12秒)
・起きてるふり(3秒)
・寝る(6秒)
・起きてるふり(咳1回+目をゴシゴシ)
・寝る(……)
これは一種の**「自我の断続的維持」だろうか?
あるいは、「意識を手放すことは恥」とする地球文化の刷り込みか?
それとも、「今にも眠る」状態を最も魅力的とする地球人独自のエレガンスの形**なのか?
もしくは単に……
「ちゃんとしてると思われたい」という謎の集団心理的マナーかもしれない。
——だが観察者としては、思う。
もう、寝ればいいじゃないか。
誰も責めない。
むしろその**“寝てるのに頑張って起きてます風”**が、
余計に“かわいそうな進化”に見えるのだ。
どうせ5秒後には再び夢の世界へ。
だったら潔く、今この瞬間を“全力で寝る”選択はできないのか?
この個体は、駅が近づくと再び目を開けた。
だがそれは、「寝てた私ではありません」という演技の再開だった。
眠っていた事実だけが、朝の車内にだけ静かに残された。
■あとがき
この個体に限らず、地球人類は“眠ること”を極端に否定したがる傾向がある。
とくに座席における“うたた寝”は、
「見られたら恥ずかしい」
「寝顔を晒したくない」
「寝てる=だらしない」といった謎の羞恥コードが絡んでいるらしい。
だが我々から見れば、
寝るのを否定しながら寝るという状態こそ、最も不安定で、最も地球的な美学なのだ。
もしこれが進化の一形態ならば、
それはもはや「意識のスライム化」であり、
“目を開けたまま寝る文明”の始まりなのかもしれない。




