車内ゲーミング個体、戦闘中
数ある物語の中から、本作を手に取っていただき、心より感謝申し上げます。
この小さな物語が、あなたの日々にほんの少しでも彩りを添えられますように。
もし気に入っていただけましたら、ブックマークや感想をお寄せいただけると、作者にとって大きな励みとなります。
なお、全く別ジャンルの物語も公開しております。気分転換に違う世界を覗いてみたいときは、ぜひそちらもお楽しみください。
記録者:惑星メナリス第三調査隊
地球調査第41日目、朝7:58分。
観測地点:東急田園都市線・下り電車・4号車。
——異常個体を発見した。
彼は、座席の端に腰をかけ、
一点を凝視し、親指を高速で動かしていた。
対象は、“スマホ”と呼ばれる地球人の万能装置。
だが、彼はその機械で、明らかに通信も読書もしていない。
しているのは——“戦闘”だった。
まるで敵が見えているかのように。
口をうっすらと開け、目を剥き、右の親指が尋常ではない速度で画面をスワイプし続けている。
手汗。
息遣い。
身じろぎ。
——完全に没入している。
観察記録:
・指の動きが体内の心拍数より速い。
・たまに「ッしゃあ!!」という微小な勝利音を発する。
・肩越しに見える画面には、「ドラゴン」「宝石」「数字」「ゲージ」「謎のアイコン」など、理解不能な図像が大量に詰まっている。
彼の前では、別の個体がスマホで猫の動画を見て笑っている。
後方では、新聞を読む旧人類もいた。
だが、彼だけは違った。
彼は今——地球の電車ではなく、“異世界”にいた。
おそらく彼は、
“朝の通勤”という最も精神を削られる儀式を前にして、
自ら異世界を開拓するという対抗手段を選んだのだろう。
混雑も、人の目も、重力すら無視して、
彼はひたすらにタップし、滑らせ、撃ち、集め、強化していた。
突然、「あっ……ッ!」と声が漏れた。
見ると、ゲームの画面には**“敗北”を示す赤い文字。**
彼の眉間に一瞬、宇宙規模のシワが走る。
だが彼は数秒の静寂ののち、
リトライを押した。
その姿は、ある意味で地球人の精神性を象徴していた。
負けてもやる。
敗れても挑む。
寝不足でも、指が攣れても、まだ戦う。
——これはただのゲームではない。
彼にとっては“今日を生きるための儀式”なのだ。
車両が目的駅に到着。
彼は一度も顔を上げることなく、立ち上がり、スマホを見つめたまま降りていった。
彼の目には、
朝の街ではなく、たぶん“次のステージ”が見えていた。
■あとがき
地球の乗り物には、
「逃避」「戦い」「祈り」が同時に共存している。
今回観測した個体は、スマホという小さな板に全精力を注ぎ、
通勤という地獄に“ゲーム”という剣を持ち込んだ戦士だった。
彼が倒していたのは、
実はモンスターではなく——
“無気力”だったのかもしれない。




