朝の密室
数ある物語の中から、本作を手に取っていただき、心より感謝申し上げます。
この小さな物語が、あなたの日々にほんの少しでも彩りを添えられますように。
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なお、全く別ジャンルの物語も公開しております。気分転換に違う世界を覗いてみたいときは、ぜひそちらもお楽しみください。
報告者:惑星メナリス第三調査隊 知覚係 α=12-β。
対象:地球人類、局所時間における通勤列車内の行動観察。
——搭乗完了。
対象便は「JR山手線」なる環状型金属移動体。
地球人はこれを用いて都市を周回し、一定のリズムで集団移動を繰り返している。
当該便、搭乗者数はすでに設計限界を超過。
数値換算で混雑率170〜190%。
個体間距離はゼロ。
圧迫により一部は呼吸効率を半減させつつも、誰一人として悲鳴を上げない。
——観測開始。
1. 同調する親指たち
観測者が最初に気づいたのは、車内の個体の8.6割が共通行動を取っているという事実だった。
それは——
「小型の光る板を操作している」という行為である。
人類はその板を「スマホ」と呼ぶ。
地球人はその板を握りしめ、親指をせわしなく走らせていた。
・左手で吊り革を保持し、右親指で板をタップする者。
・両手で板を構え、まるで楽器演奏のように叩きつける者。
・顔面を板にほぼ密着させ、眼球ごと吸い込まれそうな者。
光る板の画面には多様な映像が流れていた。
仕事の文字列。踊る人間。回転する猫。
だが、驚くべきはその表情である。
——誰も笑っていない。
——誰も怒っていない。
ただ、真顔。
眼は乾き、口角は水平。
まばたきの回数は通常の約30%に減少。
それでも彼らは凝視を続ける。
もし観測装置の電源を切れば、彼らが「呼吸を忘れている」と錯覚するほどの静寂。
2. 感情の外部委託
観測者としての仮説はこうだ。
地球人は、感情を光る板に預けている。
怒りや喜びを自らの表情で表現することなく、
その代替を板の中の映像に委任している。
つまり彼らは、外部デバイスを媒介とした感情分散システムを発達させたのだ。
笑うのは自分ではなく、画面のキャラクター。
泣くのも自分ではなく、動画の中の俳優。
彼らは感情を外注し、自らは無表情の殻に徹する。
——合理的かつ、恐ろしい。
3. 板を持たぬ者の孤独
勇気を出して、観測者は“板を持たない個体”を装って立ってみた。
結果、周囲の反応は驚くべきほど「無」だった。
視線が来ない。
存在を確認されない。
人々は観測者を**“空気の欠片”**として扱った。
なるほど。
この密室において「板を持たぬ者」は、社会的不可視化の対象になるのだ。
——これは宗教的儀式の参加証に似ている。
板を掲げれば信者。
板を持たなければ、ただの異物。
板はシールド。
板はパスポート。
板を通じてのみ、彼らは“この密室の成員”として承認される。
4. 集団瞑想か?通信儀式か?
吊り革に捕まる数十人が、一斉に下を向き、光の板へ祈るように指を滑らせる。
その光景は、観測者の目には宗教的儀式に映った。
あるいは、一種の集団瞑想。
何千人もの地球人が、同じ時刻に同じ姿勢で、
自らを板の光に同調させる。
ここに音楽も説法も不要。
ただ無音と画面の光だけで、彼らはひとつの意識圏を共有している。
「スマホをいじる」という動作は、
単なる娯楽ではなく、都市生活における必須の“精神防御術”なのではないか。
——そう考えざるを得ない。
5. 終着の舞
やがて次の駅に到達すると、奇跡が起きる。
一斉に、音もなく、板をしまうのだ。
そして流れるように降りてゆく。
数秒前まで“個の殻”に閉じこもっていた群衆が、
一瞬にして“群れの流れ”へと変貌する。
その切り替えの鮮やかさは軍隊以上。
まさに都市の舞踏。
観測者の記録装置はこう刻む。
地球人類——
それは個別にして集団、無言にして多弁、
触れることなく接続し続ける、不思議な生物である。
あとがき
私たちはあまりに慣れてしまっている。
だが、誰もが黙って板を見つめている光景は、外部から観察すれば明らかに“異常”である。
情報過多の都市社会では、沈黙と集中が「普通」として受け入れられている。
しかし、もし異星人がそこに立っていたら——こう思うだろう。
「この星の人類は、感情を光る板に預け、
その板を通してしか互いを認められないのだな」と。




