秀才児「折尾レオ」の華麗なる苦悩
薔薇園とレンガに囲まれた東京南部に位置する西洋チックな高校、その名は私立ベルモンド学園。ここに在学する学生の9割9分は政財界のトップや大手企業の御曹司など貴族階級の生まれを持つ。今日も煌びやかに彩る男女がこの高校にて華やかな生活を送っているのだ。
「キャアア!レオ様よ!」
「今日もお美しい…。その立ち姿はまるで不動明王を思わせる荘厳な迫力…ッ!」
「まさしく…薔薇の御曹司!」
廊下で立ち話に花を咲かせる女子生徒を差し置き、高校三年生の折尾レオ(別名: 薔薇の御曹司)は苦悩の声を漏らした。
「むぅ…」
折尾レオは顔の筋肉をぴくつかせ、掛けたメガネを上下させながら、苦しい顔で学内の掲示板を眺めていた。ため息混じりの呼吸を繰り返す。
掲示板には以下のように、デカデカと文字が掲載されていたからだ。
三年生、卒業まで登校日あと180日!
折尾レオはあらゆる面において優秀である。顔、学力、運動神経、人間性…どれを取っても、彼は一流であると誰もが認めるだろう。
折尾レオは学内でも崇拝の対象として挙げられる。彼が二年次に生徒会総選挙が行われた際には、彼は立候補していないにも関わらず、在校生の半数以上が自由記入なのをいい事に折尾レオを生徒会長に推薦したのだ。
結局、その推薦は取り下げられたが、折尾レオの影響力がどれほどのモノなのか全校教師生徒共々身に沁みて理解した事だろう。
折尾レオは部活動の一環として「お助け部」の部長を務めている。学内の問題事…いじめ、酒タバコの使用、教師と生徒の密会、果てには学内に仕掛けられた爆弾の解除までも、全てを解決する便利屋である。
当然、顧客満足度100%の「お助け部」は学内にて絶大な人気を博した。毎日のように行列が後を絶たない。何でも解決してくれる薔薇の御曹司がいる…。その知名度は学内でもあっという間に雪だるま式に膨らんでいった。
だがしかし、そんな秀才児「折尾レオ」にはたった一つだけ悩み事があった。それは…
「適格な後継者が…ッ!いないんだ…ッ!」
折尾レオは苦悩の言葉を吐き捨てた。
「後継者問題」…貴族社会では避けては通れない鬼門である。大貴族の死と共に、かつての兄弟達が己が地位のために命を賭して殺しあう。そのような悲劇を歴史は何度も繰り返してきた。
実際、折尾レオの後継者を座を巡って学内で大規模な暴動が数日間に渡って発生したのは学内でも有数の大事件である。この事件で二十三名余りの学生が退学処分となったのは記憶に新しい。
その暴動がスキャンダルされ、いくつかの大手メーカーは、社長息子娘が起こした騒動が影響し、一時的な株価の大暴落が発生した。
このような惨劇を避けるため、折尾レオは愛弟子二人以外に弟子を取らない声明を公式に発表した。その愛弟子とはタケルとフースケである。しかし…この二人。
「(いかんせんバカなんだよ…あいつら。)」
そう、二人まとめてバカなのである。折尾レオとこの二人を比較するには月とすっぽんなんて言葉では生ぬる過ぎるのは誰の目から見ても明確であった。
折尾レオがいなくなった後のこの学園の将来を憂いて、彼に留年するよう懇願する署名が生徒教師問わず集められたのも事実なのだ。
折尾レオは頭を悩ませながら重い足取りを何とか動かし始めた。
「さぁ、そろそろお助け部の前に長蛇の列が出来る頃だ。部室へと行かなくては。」
薔薇で彩られた廊下を優雅に歩く、廊下にいる者は老若男女を問わず全て見る目を奪われる。それが、この折尾レオという男の魅力である。
部室に到着し、静かに扉を開ける。中ではタケルとフースケが再来週から始まる定期テストのため、勉学に励んでいた。
「タケル、フースケ。もう勉強を始めているのか、偉いじゃないか!」
折尾レオの言葉にタケルは笑いながら応じた。
「そうでしょう?僕たちは前回の屈辱を晴らすために戦うんすよ!」
フースケも大きく膨れた腹をさすりながら自信ありげに答えた。
「レオ先輩が二年次に樹立した全10教科合計1001点をぜひ超えてみせます!」
折尾レオは二年次に数学の記述問題の回答の流れで、新たな定理を発見したことにより特別賞として1点を追加付与されたことがある。その結果1000点満点の全10教科定期テストで1001点という偉業を成し遂げた。この記録は未だ破られることを知らない。
「ふふっ、大きく出たな。お前達は伸び代が天まで届くほどある。期待しているぞ!」
「はい!」
タケルとフースケは威勢のいい返事と共に再び勉強を始めた。
「なぁ、タケル。このシントーアツってなんだ?」
「お前そんな事も分かんないのか?…俺も分からん。ハッハッハ!」
折尾レオはがっくりと肩を落とした。
「(この二人に後継者など務まるわけがない…。もう、書くしかないのか。)」
折尾レオは部長のデスクの椅子に腰掛け、おもむろに筆を取り出して手紙を書き出した。
拝啓 柴山校長
この度は不躾ながら私を留年にしていただきたく、このような駄文を送る事になってしまい申し訳ございません。
すらすらと筆が動く。もはや折尾レオの覚悟はここまで決まっていたのだ。折尾レオが自ら留年を望むほどに。
タケルが勉強に疲れたのかゆっくりと立ち上がり、自分のポケットから財布を取り出した。
「俺、ジュース買ってくるっす。フースケはどうせオレンジジュースだし、レオ先輩は何が飲みたいっすか?」
「そうだなぁ…俺はレモネードを。」
「分かりました!」
タケルが部室を出ようとしたその時だった。
「失礼しますっっっ!」
ドアが豪快に開かれた。タケルは思い切り顔面をぶつけ、壁側へと吹っ飛ばされた。立ちこめる埃の中、姿を現わしたのは可憐な女学生だった。
「いてて…っ!何すんだっおわっ!」
タケルがその美貌に一目惚れしたからか言葉に詰まる。
「ごっ、ごめんなさい!」
「いいのいいの全然いいの!じ、じゃあ俺ジュース買ってくるっす!」
タケルが部室を飛び出していった。折尾レオが女学生の方を向き、優しく語りかける。
「依頼だろうか?まぁ、とにかく座ってくれ。フースケ、机の上を片付けるのを手伝ってくれないか?」
「はっ、はいいい!」
てきぱきと机の上を片付け、特製のブレンドティーを折尾レオは女学生に差し向けた。女学生は小さく、どうもと言うとそれを口に含んだ。
「美味しいです!」
「口に合ったようでよかった。それで…依頼というのは?」
女学生は少し顔を赤らめたようにして、言った。
「大変お手数をおかけする事になると思いますが…実は、この私…。高校一年生の祷カエデに勉強を教えてほしいのです!」
「なるほど…了解した。」
折尾レオはデスクの鍵付き棚にしまってあった薄い冊子をカエデに手渡した。
「これは自作の国数英総合の学力テストだ。制限時間は100分。これで、まずはおおよその学力を測ろう。」
「が、頑張ります!」
タイマーのピッの音と共にカエデはペンを取った。問題文をすらすらと読み進めて行き、ペンを動かす。
「す、すげぇ…。」
フースケが驚きの声を漏らし、ジュースの缶を抱え込んだタケルと共にカエデの問題を解くスピードに感嘆していた。
その間も折尾レオは他のお助け部への依頼者の問題をすらすらと解決していった。
ピピピピ!とタイマーがテストの終了を告げる。カエデは冷や汗をかきながら恐る恐るテスト用紙を折尾レオに手渡した。
「お疲れ様。採点するから、しばらく待っててくれ。」
赤ペンを握り、カエデの解答用紙を模範解答と照らし合わせる。衝撃の結果に思わず声を漏らした。
「…なんということだ。」
折尾レオは絶句した。必ず、かの無知蒙昧のカエデを助けねばならぬと決意した。
折尾レオは何も言わず、テスト用紙を返した。カエデは震える声で呟いた。
「ひゃ、100点中…35点…。」
タケルとフースケがすかさずフォローを入れる。
「カエデちゃんすげーじゃん!俺なんか、このテスト解いた時20点だったぜ!なぁ、フースケ?」
「そ、そうだよ!俺は11点だった!」
「(そのフォローは罷り通らないだろ…)」
と折尾レオは内心考えていた。折尾レオは表面上はある程度冷静さを保っていたものの、内心かなり驚いていた。
丁寧に手入れされた美しい黒髪、曲がっていない制服リボン、膝下まで伸びたスカート、そしてこの一つ一つの所作。間違いなく賢いと思い込んでいたからだ。
折尾レオはカエデに歩み寄り、テスト用紙を彼女の手から取って言った。
「正直…この点数は褒められたものではない。留年の危機に瀕する可能性も否定できない。」
その言葉にカエデは俯いた。それにつられるようにタケルとフースケも俯いた。
「(なんでお前達もダメージを受けてるんだよ…)」
「しかし…数学は33点中23点を獲得している。得点率で言えば70%。よく頑張ったな。」
タケルとフースケがぱちぱちと拍手を鳴らした。折尾レオはテスト用紙をカエデに返して言葉を続けた。
「40分…再来週のテストが終わるまで毎日、夜7時から40分間は図書館にある勉強スペースで勉強に付き合おう。」
折尾レオの言葉にカエデの顔は明るくなった。折尾レオは
「これからよろしくな、カエデ。」
「は、はい!」
「ちょうど今、6時50分だ。今から図書館に行って40分間付き合おう。フースケ、部室の戸締りは頼んだぞ。」
タケルが不満そうにこちらを見つめてくる。
「レオ先輩、俺たちは連れて行ってくれないんすかー?」
折尾レオは笑いながら冗談混じりに告げた。
「お前達は自力で勉強しろ。二年次の俺の功績を超えるんだろう?期待しているぞ。」
折尾レオとカエデが部室を後にするとフースケがにやにやしながら言った。
「女の子と二人で勉強会か…。そういうところ、レオ先輩はちゃっかりしてるよな。」
「なー。」
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図書室の席に着くと、カエデは最も苦手な教科である英語の教科書を開いた。
「今日は英語を教えてほしいです!ここの文法が分からなくて…。」
「そうだな…。そこは、関係代名詞が用いられているから主語が丸ごと省略されているんだ。」
「なるほど…!こちらは?」
「仮定法だからwereが用いられている。だが最近はwasも間違いではない。」
「あぁ、分かりました!」
折尾レオはカエデの地頭の良さを瞬時に理解した。教科書の例題を解き進める中で一度教えた事を応用段階まで引き上げることができている。
あっという間に40分は過ぎ、二人は帰宅の準備を始めた。
「たった40分でここまで理解力が上がるとは…やるじゃないかカエデ!」
「えへへ…そうですか?」
折尾レオは目を輝かせて続けた。
「あぁ、タケルとフースケとは比べものにならないくらいにね。…外は暗いし、家まで送ろうか?」
「お、お願いします…。実は、じぃやが今日は足を痛めてしまい車を運転できないので…。」
この学校の人間はほとんどが大金持ちなのを折尾レオは改めて実感した。
「そうか、なら丁度よかった。」
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街灯が微かに照らす夜道を折尾レオとカエデは歩いていた。夜の住宅街はあまりにも静かで、時折スーツ姿の男性や女性が帰路についているようだった。
「カエデ、やはり君は筋がいい。本当は一切勉強していなかっただけじゃないのか?」
折尾レオの冗談を含んだ物言いにカエデは少し寂しげに笑って返した。
「そうなんです。私実は勉強してなくて…。私、中学二年生の春から中学三年生の秋まで寝たきりだったんです。」
思いもよらぬ事実が折尾レオの心臓の波打つ鼓動を定常よりもずっと早めた。
「突然刺されて…そのまま1年と少しほど意識不明の状態で。なんとかリハビリして高校に通えるようにはなったんですけど…。」
折尾レオは何とも言えず、ただ自分の軽率さを悔やんだ。だがその重い口をゆっくりと開いた。
「…すまない、君の事情も知らずに。」
落ち込んだ様子の折尾レオにすかさずカエデが否定を加えた。
「そんなっ…私が勝手に話しただけですっ!先輩は何も悪くありません!」
「そう言ってくれるだけで気が楽になる、ありがとう。…だが、どうして今日出会ったばかりの俺にそんな話をしてくれたんだ?」
カエデは少し慌てた様子を見せながらも落ち着き払って答えた。
「えーと、何ででしょう?気まぐれ…ってやつでしょう。」
「はは、何だそれ。」
やがて、折尾レオの家の敷地面積の数十倍もありそうな大豪邸が姿を現した。
「東京の一等地にこの大きさの豪邸なんて建てれるものなのか…。」
「いえ、ここは父が先代から代々受け継いでいる土地なのです。大豪邸とは名ばかり、他の学生様方にはお家柄でもお金持ち度合いでも敵いません。」
「私立ベルモンド学園…恐ろしや。じゃあ、ここまでだな。明日も夜7時に図書室に集合だ。」
「はい!では、また明日!」
軽やかな足取りで大豪邸へと走り去っていく姿を、折尾レオは穏やかな目つきで見守っていた。
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帰宅後、カエデは自身の勉強机で勉学に励んでいた。今日、折尾レオに教示を受けた英語の教科書の復習をするために、ペンを握りながら頭を悩ませていた。
「(レオ先輩は凄いなぁ…。あんなに勉強が出来て、しかもスポーツ万能。その上でお助け部の部長を務めて人助けしているなんて。)」
「それに比べて私は…。」
カエデは自分を卑下しようとしたが、思い切り両手で自分の頬を叩き、発破をかけた。
「ダメダメ!暗い事考えてちゃ!せっかく高校にも通えるようになったんだから!」
下の階から、夕飯の用意を済ませた給仕の声が聞こえてくる。
「お嬢様、夕飯の準備が出来ましたよ。」
「はーい!すぐに行くよ!」
少女は可愛い嘘をついた。彼女のペンはより早く、より正確に動き始めた。時間はみるみると過ぎていった。
給仕が階段を登ってくる音が聞こえる。ドアがゆっくりと開かれた。
「お嬢様?もう、いつまでお部屋で遊んでいらっしゃる…」
「あら…。」
給仕が目撃したのは机に突っ伏して、スヤスヤと眠るカエデの姿だった。給仕は少し笑いながら困り顔をしたあと言った。
「お嬢様、起きてください。夕飯は食べないとお勉強も捗りませんよ。」
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それからあっという間に二週間が過ぎた。毎日夜7時からたった40分、カエデにとってはその時間が楽しくて仕方がなかったのだ。
「ついに明日からテストだ…!」
カエデは自信に満ち溢れていた。折尾レオの指導が的確であったからだ。カエデの未熟な要素を一瞬で見抜き、その補填に力を注いだ。
それに、折尾レオは何よりも優しい。カエデは折尾レオを専属の家庭教師にしたいとすら願っていた。
カエデは休憩所の自販機へと向かい、折尾レオへ感謝を伝えるためにレモネードを購入した。そんな時、女生徒たち三人程度の声が、休憩所付近のトイレから聞こえてきたのだ。
「最近、レオ様に熱愛報道が出ているのは知っていらっしゃる?」
「あら、どういうことかしら?」
「実はレオ様と一年生の女生徒が毎日図書室で密会を開いているそうですの。帰りも二人で歩いていたとか…。」
「その事なら存じ上げておりますわ。あの祷カエデとかいう女狐でしょう?」
「そうよ、レオ様に手を出そうだなんて…。レオ様もあのような女に騙されるなんて可哀想なこと。私が救ってあげたいですわ!」
カエデはこの状況に戦慄した。
「(私…そんな風に思われていたんだ。とっ、とりあえずここから離れないと…)」
忍足でその場を後にしようとした束の間、背後から声にカエデは心臓が止まりそうになった。
「あら、泥棒猫さんごきげんよう。」
「…盗み聞きなんて、躾がなっていないわね。いらっしゃい、躾というものを教えてあげるわ!」
女生徒の一人がカエデの腕を掴んだ。カエデは懸命に対抗するもずるずると引っ張られていく。
「やめてください!」
「いいからっ、来なさい!」
「そこまでだ、そこの女生徒。」
女生徒達とカエデがその声の方を見る。その声の正体は折尾レオであった。
「その手を離したまえ。暴力沙汰を見過ごすわけにはいかない。」
女生徒は嫌々カエデの手を離すと、すらすらと話し始めた。
「あら、レオ様。何か勘違いをしてらっしゃらない?この娘が先に私たちに乱暴を振るおうとしたのよ。」
「そうですの。あまりにも手がつけられなくて…。」
女生徒達の真っ赤な嘘にカエデは否定する。
「わっ、私はそんな事してませんっ!」
「…たった二週間だ、カエデと知り合ってから。だが彼女はそんな人として最低の行動はしない。俺はそう信じている。」
「なっ…なんですって…。」
「さぁ、行こうカエデ。今日で最後だ。」
折尾レオはカエデの手を取り、勉強スペースへと向かった。
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40分が過ぎた。カエデは勉強道具をしまい始め、折尾レオの顔を見つめる。その顔は満足気で、自信溢れる顔つきだった。
「カエデ、この二週間で著しい成長を見せたな!やはりお前には才能があると信じていたんだ!」
「…レオ先輩、どうして助けてくれるんですか?」
「それはだな、あのテストで40点以上の者には教鞭を取らず自力で勉強するように促している。それ未満の者には勉強を教える。それだけだ。」
「そうじゃなくて…ッ!どうしてここまで私一人に尽くしてくれるんですか?」
その言葉を聞くと、レオは苦笑した。だが、やがて決心したように息を吐いて話し出した。
「俺にはな…立派な父と母がいた。」
「レオ先輩の…ご両親…。」
「そうだ、母は俺が幼い時に震災の救助隊として働いていたが、瓦礫に巻き込まれて死んだ。父が死んだのは一年半前…人を庇って男に刺されて死んだ。」
「そんな…私、踏み込んだ質問しちゃってごめんなさい!」
「いや、良いんだ。…俺は両親から人助けがどれほどの人を笑顔に出来るのかを学んだ。父が死んだ後、父の葬式には大勢が来ていた。聞いた話によると、彼らは父によって更生の機会を得た不良少年達らしい。」
「彼らは父がどれほど親身になってサポートしてくれたのかを熱弁してくれた。まるで、第二の父親のようだった。そう、話してくれたんだ。」
「その時、俺は気がついた。人助けは手を差し伸べる方も手を取る方も両方が幸せになれる最高の行為だと。情けは人の為ならずの言葉に倣うように、俺は誰かに感謝されるため、人助けをしているんだ。」
その話を聞いたカエデがしんみりとした様子で言った。
「レオ先輩…立派ですね。」
「ふふ、だろう?両親が居なくなってからはSPとして働いている。これも人助けの一貫だ。」
「それはまた…凄い立派ですね!」
「だから、何なく頼ってくれ。これは俺の自己満足だ。」
「もちろん!それより…もう今日でこの関係も終わりなんですね…。でも、ちょうどよかった!レオ先輩との変な噂を聞かれちゃ、先輩が可哀想ですから…。」
「変な噂って、なんだ?」
レオがきょとんとした顔で聞いてくる。
「えっ?知らないんですか!?レオ先輩が…その…女生徒と熱愛密会してる…みたいな。」
それを聞くなりレオが笑い飛ばすかのように答えた。
「ははは、そうかそうか。そんな風に思われていたのか。タケルとフースケも教えてくれればいいのに…噂というのはまるで厄介だな。」
「気にしないん…ですか?噂とか。」
「事実無根だろう。なら、堂々とすればいい。」
「ですよね…。あの、先輩!もし先輩がよろしければ…これからもたまに勉強を教えてくれませんか!」
カエデは頬を赤らめ、顔を俯けながら頼んでみせた。レオは柔和な笑顔を浮かべ、
「あぁ、もちろん。」
とだけ言った。
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折尾レオの朝は早い。朝6時に起床後ベランダのミニトマトの苗に水をやり、シャワーを浴びる。
昨晩使っていておいた料理を朝食にし、弁当に詰めて手早く登校の準備をする。制服のネクタイをきちんと結び、鏡の前で身だしなみを整える。
折尾レオの登校は見ていて飽きようがない。迷い猫を飼い主の元へと送り届け、信号を渡るのに苦労するお婆さんがいれば、彼女をおぶり運んでやる。
変質者がいれば問答無用で叩きのめし、通る道全てに落ちているゴミを掻き集め、分類し、まとめて捨ててしまう。
そんな地域への根強く積極的な貢献度からか、折尾レオの認知度と人気度は脅威のものである。折尾レオの歩く道にはおはようの声が絶えない。
そんな折尾レオはいつもに増して気分が爽快であった。なぜなら、今日はテスト結果発表の日だからである。
全学年の全順位が全て大広間にて張り出される私立ベルモンド学園では、この日だけは大広間から阿鼻叫喚の声が聞こえてくることも稀ではない。
「(想定では…恐らく2位だろうな。1位までは惜しくも届かなかった。そんな壁を感じた。)」
もしかしたら1位かもしれない。そんな期待に胸を膨らませて折尾レオは大広間へと辿り着いた。百にもなる生徒がごった返し、結果を前に感情を露わにしている。
折尾レオは順位表を上から目で追う。
「(一位にいない…二位にいない…3位、4位…五位だと!?この俺が…五位!?)」
折尾レオには衝撃の結果であった。いつもは1位2位の常連であった折尾レオが5位だったのだ。
「なんということだ…。テスト期間、某製薬会社の新薬の研究開発に携わっていたのが原因か…?」
頭を悩ませている折尾レオの元へ、満面の笑みを浮かべたカエデが飛びつく勢いで姿を見せた。
「レオ先輩…先輩のおかげです!私…173人中50位になることができました!先輩も5位ですって…流石です!」
「おぉ、凄いじゃないか!苦労した甲斐があったな!まぁ俺のテスト結果は放っておいてくれ…。」
「えっ?どうしてですか?」
不思議そうな顔を浮かべるカエデと、ため息混じりの折尾レオの元へタケルとフースケがひょこひょことやって来た。
「せーんぱい!俺186人中170位っす!」
「俺、185位!」
「お前ビリ寸前じゃねぇか!」
「(こいつらは本当に人生楽しそうだな…。)」
微笑ましい様子を見て、折尾レオは自分の順位なんて良いくらい気持ちが楽になった。
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折尾レオは放課後、部室で茶を飲んでいた。かぐわしい香りが鼻の中を突き抜け温もりを与える。だが、その優雅な雰囲気を崩すかのようにお助け部の部室の扉は豪快に開かれた。
折尾レオの目の前に現れたのは筋肉ダルマと呼ぶに相応しい、身長は190cmを優に超え、はち切れんばかりの上腕二頭筋を掲げた男が息を切らしながら部室の前に立っていた。
「折尾レオさん…っ!い、依頼に来ましたっ!」
「名前は?」
「お、俺の名前はゼンマルです!あ、あのっ!今日は——。」
「落ち着け、とりあえずそのソファに腰掛けるといい。話はそれからだ。」
折尾レオはしっかりと掃除されたソファに目線を送り、ゼンマルに支持した。
ゼンマルはどっしりと座り込み、誇りを巻き起こすと深刻そうな顔で折尾レオを見つめていた。
「じ、実はこの俺…。脅迫されているんです…。」
「ほう、脅迫か。しかし、君のような大男に脅迫とは相手もいい度胸をしているじゃないか。」
「ついさっきのことです。下校しようと靴箱を開いたら、中にこんなものが…。」
ゼンマルが取り出したのは小さな手紙であった。折尾レオはその内容に目を通す。
一週間後、午後9時にこの学校の3階にある会議室に1万円を持ってこい。さもなくば、お前の秘密「週末は好きな女の子の写真を朝から晩まで眺めている。」をばらす。
「…本当に、朝から晩まで眺めているのか?」
「そっ、そうかもしれないし。そんなことないかもしれませんよ!」
(これはやってるな。)
「でも、一万円だなんて端金を持って来させるだなんて。何を考えているんですかね。」
ゼンマルの言葉に折尾レオは天を見上げ、ふと笑った。
「端金…か。まあ俺に任せておけ。俺が全てを解決してやる。」
その時だった。部室の扉をドンドンドンと叩く音が鳴り響いた。折尾レオが廊下を覗くと、慌てふためく生徒たちが大行列を成していたのだ。
その中に紛れるタケルとフースケが真っ先に折尾レオに飛びつくようにして言った。
「レオ先輩聞いてください!この行列、みんな脅迫文が送られているらしいですよ!」
「な、なんだと…。」
折尾レオは不安がる生徒たちの顔を見つめながら、不穏な気配を感じていた。
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「結局、全校生徒784名中少なくとも325名はこの脅しを受けたことが分かった。校内の防犯システムにアクセスしたところ、素顔を隠した謎の人物が靴箱に脅迫文を入れたことがわかっている。」
折尾レオの言葉に、タケルはむぅと口を膨らませていった。
「相当大規模な犯行っすね…。でも、俺は納得いきません!いくらレオ先輩がすごいからって…秘密を隠したいから警察や学校には言わないでくれ。だなんて。都合が良すぎませんか?」
その言葉にフースケも同意する。
「全く同感。レオ先輩、俺は思うんです。レオ先輩に頼りすぎるが故に、この学校の生徒達は自分で立ち上がることをやめてるんじゃないかって。」
折尾レオははぁ…とため息をついた。
(俺のやっていることはただのお節介なのだろうか。だとしたら俺は…。)
「いや、俺は請け負った仕事を必ずやり遂げる。タケルとフースケ、お前達の身の安全を保証したい。お前達は当日家にいろ。」
タケルとフースケは何を言っているんだ、という顔をして笑いながら言った。
「レオ先輩、面白いこと言うっすね。俺たちが腕っぷしが自慢なんですよ?ここで活躍しなくてどこで活躍しろと?」
「そうですよ、俺たちはあなたの弟子なんです。あなたのためなら命すらもかける覚悟で。」
「お前達…っ!」
折尾レオは満足げに笑いながら、拳を突き出した。その合図に、タケルとフースケも拳を突き出した。三人は覚悟を決め、一週間が乗り込むことを決めたのだ。
「そういえば、カエデちゃんがいないっすね。」
「たしかに、どこにいっちゃったんでしょうね。」
折尾レオはふむ、というように首を縦に振った時、窓の向こうに急足で帰宅しようとするカエデの姿が見えた。
折尾レオは部室を飛び出し、カエデの肩に軽く手を置いた。
「カエデ、ちょうどよかった。俺たちはお前を探していたところだ。」
「なっ、レオ先輩!?わっ、私は帰りますので…。」
カエデは折尾レオの手を軽く振り払い、早足で家へと駆けて行った。背後から現れたタケルとフースケがにやついた表情で言った。
「はははっ!レオ先輩、振られちゃったんですねー。」
「いけないものを見ちゃった感じが…。」
「ああっ!もうっ!お前達っ!そんなわけないだろ!…俺はカエデが心配だ。彼女の家へ行く。」
「家、分かるんすか?」
「そうだな、この間家の前まで送迎したからな。」
「「ええっ!?」」
驚く二人を尻目に、折尾レオは豹のごとく走り出したのだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
しばらく走り続け、折尾レオはとぼとぼと道を歩くカエデを見つけた。
「…ふぅ。カエデ、どうして今日はそんなにすぐに帰るんだ。いつもなら部室に顔を出すというのに。」
カエデは苦しむ顔を取り繕いながら言った。
「な、なんでもないんです…。では、私は行きますので。」
背を向けたカエデに、折尾レオは彼女の手を掴んだ。彼女が必死に抵抗する。
「は、離してください!もう私にかまわないでください!」
「お前、何か隠し事をしているだろう。お前も、脅迫文を送られたんじゃないのか?」
折尾レオの言葉にカエデははっと表情を変えた。そして、俯きながらこくりと頷いた。
「どうせ、お前の秘密をばらすとかいう程度の知れた内容だろう。見せなくていい、俺がお前を救ってやる。」
「そ、そんなのじゃないんです…。そんなのじゃない!」
カエデは震える手で白い小さな手紙を撮影した写真を取り出し、それを折尾レオに見せた。
折尾レオに構うな。さもなくばお前を殺す。
折尾レオは絶句した。自分の名前が出ただけではなく、カエデを殺すという物騒なワードが飛び出したかりだ。
「これ、警察には見せたんだよな?」
カエデはこくりと頷いた。しかし、その不安気な表情が消えることはない。
「昨日のことです。我が家の郵便受けに投函されていました…。しかし警察も犯人の足取りが掴めないようで…。」
「なるほど…。しかしこのタイミング、学校で話題となっている脅迫文と同一の人物・団体が差し出したものの可能性が高いな。」
「カエデは知っているか?一週間後に300余名の生徒が俺たちの学校に夜九時に集められる…と。」
「いえ…。そんなの…知りません。」
「お前が俺を避けた理由は理解した。それだけでも安心だ。だがお前の身の安全は心配だ。お前はとにかく護衛をつけて家から出るべきじゃない。」
「…わかりました。」
カエデの言葉に、折尾レオは優しく微笑んだ。
「うん、それでいい。俺に全て任せておけ。」
折尾レオはそう言うなり、背を向けて家路へと歩き出した。カエデは何も言うことなく、その背中を見送っていた。
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——一週間後。折尾レオ、タケル、フースケの三人は夜9時にもなる校舎内へと入っていた。目指すは3階の会議室だ。そこは、折尾レオにとっても因縁の場所であった。
「暗くて怖いっすね…。」
2階への階段付近を通りかかった時、折尾レオは異様な雰囲気を感じ取った。
(誰かに…それも大勢に見られている…ッ!)
慌てて辺りを見渡すも暗がりの中ではほぼ見えることはない。その時だった。
「ぎゃあっ!」
と悲鳴をあげたのはフースケだった。暗がりの中へとフースケが足を引っ張られ、姿が見えなくなりそうになるところをタケルと折尾レオは必死に両手を掴んだ。
「フースケ!ふんばれ!」
タケルの言葉にフースケが涙目になりながら頷いた。その次に狙われたのはタケルであった。ぐわぁっと言い残した後、声が聞こえることもなくなった。
「タケル!フースケ!」
折尾レオは構えをとり、全方位に注意を伺った。急に明かりが付き、折尾レオは目の前の光景に唖然とした。折尾レオは百名以上の黒装束に囲まれていたからだ。
「どういうことだ。何者なんだ、お前たちは。」
折尾レオの質問に黒装束が答えることはなく、その内の一人がぼそりと呟いた。
「あなた様ではない…有象無象の集は。どこへ…。」
「何を言っているのかさっぱりだが…来ないのならこちらから行かせてもらう。」
折尾は瞬時に距離を詰め、黒装束にアッパーを喰らわせた。それを皮切りに、他の黒装束たちも次々と折尾レオへと襲いかかった。
最初に折尾レオにパンチを繰り出した黒装束の隙に入り込んだ折尾レオは、黒装束を抱え込み、足を掴んで豪快にぶん回して円を描いた。
折尾レオを台風の目としたサイクロンは辺り一帯の黒装束達を吹き飛ばしたのだった。
だが、続々と黒装束達は姿を現す。折尾レオは冷静ながらもこの状況を危ぶんでいた。
(いったい幾らいるんだ…。このままでは俺の体力も持たん!)
その刹那、一人の少女の声が校内に響き渡った。
「レオ先輩、助太刀に…参りました!」
折尾レオは驚き、声のする方を見据えた。そこに立つのは、可憐な少女カエデ、そしてゼンマルを筆頭とした大勢の生徒達であった。
「お前達…どうしてここにっ!」
「カエデさんが俺たちにレオ先輩に任せっきりじゃダメだって言ってくれたんです!」
「そう、私たちも立ち上がらなきゃいけないんだって!」
「この一週間、一人一人に声をかけて回ってくれてたんですから!」
「俺たちにも手伝わせてください!先輩!」
「…ふっ、たまには。お前達の手も借りとかないとな!」
折尾レオを先頭に、生徒集団と黒装束は大乱闘を始めた。折尾レオは十数名の黒装束を捌いた後、カエデに声をかけられた。
「レオ先輩、タケルさんとフースケさんは!?」
「何者かに連れ去られた。どこかの空き教室にいるはずだが…。」
「私たちで探しましょう!」
「ああ…。」
折尾レオがカエデを庇いながら、タケルとフースケの捜索を始めた。一階奥にある理科準備室の扉の奥から、何か声が聞こえる。
「カエデ…扉を開けるぞ。」
「…はい。」
中ではタケルとフースケがガムテープを口に貼られ、縄でぐるぐる巻きにされ横たわっていた。カエデはすぐに縄を解こうと二人に近づいた。
折尾レオは嫌な気配を感じ取った。これは…。タケルとフースケが必死に上に目線を送る。まさか…上!?
折尾レオは天井に張り付いていた敵の攻撃から、間一髪でカエデを庇った。敵の刃物は折尾レオの肩をかすめた。
「レオ先輩!」
「俺は大丈夫だ!早く二人の縄を解いてやってくれ!」
折尾レオは天井から現れた敵と見つめあった。敵は小刀を振り回し、折尾レオに襲いかかってきた。折尾レオはとっさに近くにあった人体模型を手に取り、刃とぶつけあった。
敵は弾き返され、バク転して低い姿勢で折尾レオを睨みつけていた。
「拳相手に刀だなんて、少し卑怯じゃないか?」
折尾レオの挑発的なセリフに、敵はすぐに距離を詰めてきた。折尾レオは刀を蹴り上げ、敵の首元に手刀を入れた。
敵はその瞬間、ドサリと地面に伏したのだった。カエデも二人の縄を解き終わり、三人が折尾レオの元へと駆け寄ってきた。
折尾レオが敵が身につけていた仮面を剥がすと、そこには見覚えのある生徒の顔があった。タケルが大声を出す。
「あーっ!こいつ、俺と同じクラスのマサっすよ!」
「マサって…?あのマサか!まさかそんなことが…。」
フースケが落胆したように声のトーンを落とす。
「この脅迫文を出したのはうちの生徒ということか。それもたくさんの。」
「レオ先輩、会議室まで行きましょう。そこに黒幕が…潜んでいるはずです。」
折尾レオは頷き、四人は会議室へと向けて階段を突っ走り始めた。
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会議室まではほとんど敵の姿はなく、隙がガラ空きだった。しかし、会議室前に立ちはだかる巨漢が遠目でも折尾レオ達の目を引いた。
タケルとフースケが覚悟を決めたように巨漢へと飛びかかる。巨漢はバランスを崩しながらも、タケルとフースケを投げ飛ばした。
だが、それでもタケルとフースケは巨漢に喰らい付いた。汗を滲ませながら、真っ直ぐに折尾レオを見据える。
「レオ先輩…俺たちを置いて、先に進んでくれっす!」
「そうです…。最後は先輩が…美味しいとこどりしちゃってください!」
「…ああ!頼もしくなったな。二人とも。」
折尾レオはカエデの手を握り、会議室へと飛び込んだ。
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会議室は暗くしんとしていたが、折尾レオが歩を進めると、神秘的な灯りがついた。
会議室の奥へと向かって、紫色の灯りが道を成している。その先に見えたのは…黒装束姿の男だった。
「お前は何者だ…。大方この学校の生徒ということは予想がついているが。何のためにこんなことをした?」
男は笑いを浮かべながらにじり寄ってきた。
「私は…あなた様の信奉者。あなた様のためなら…どんなことでも。」
「意味がわからん。お前の名は?」
「私はリュウキと申します。忘れもしない…一年半前。この学校で起きた事件、その時私はあなたに命を救われたのです!」
折尾レオは唇を噛み締めた。一年半前、この学校で起きたのは文化祭で発生した殺人事件のことだ。その名を血の文化祭事件と呼ぶ。
当時28歳だった犯人の蔵持板男は文化祭を行っていた学校内の模擬店から包丁を盗み出し、複数名を殺害・殺害未遂を働いたのだ。
「血の文化祭事件…。それにお前と何の関係がある…ッ!」
折尾レオはリュウキに殴りかかった。リュウキはそれをひょいと避け、背中を向けた。
「犯人の倉持板男は用意周到な犯人でした。手薄な時間帯に1ヶ月以上も前から爆弾を仕込むという徹底ぶり。」
「その爆弾を解除したのは…紛れもなくあなたでしょう?」
折尾レオは顔に蹴りを定めるも、リュウキはそれを右腕で軽く受け止めた。
「あぁ、そうだ。俺は爆弾を解除した。だがそれだけだ。」
「あの時から、あなたは全生徒の憧れの対象となりました。あなたに会うためにこの学校へ入学したという生徒は大勢います。」
「しかし、あの事件より以前。あなたは軽蔑の対象でしかなかった。」
「…。この学校は富豪がほとんどだ。俺のような平民は風体からも雰囲気からもその平凡さが滲み出ている。学校中の嫌われ者だったよ…。」
「でも!この私は見抜いていました。あなたが天賦の才を与えられた親切すぎる心の持ち主だということを…。」
「ですからっ!!!!!」
リュウキは急に声を荒げた。息遣いを荒くし、頭をぐしゃぐしゃと掻きむしった。
「許せないのです。今まで軽蔑していたはずのあなたに何でもやってくれと頼み込むクズの富豪の姿が…。」
「だからあなたのためにっ!私はっ!あいつらから金をむしり取ってやろうとしたんですよ!」
「それにそこの女ァ!」
リュウキはカエデの事をするどく指差した。カエデがびくっと肩を振るわせる。
「お前のせいでレオ様の成績が落ちたんだ…。レオ様ら特待枠でこの学校にいらっしゃる…。成績TOP5位をキープできなくては…学費が払えなくなるではないか!」
「…そうなんですか?レオ先輩。」
「そんなのは妄言だ。俺は最近私用で忙しかっただけだ。それに、俺は自分の稼ぎもある。なんとか…工面してやるさ。」
「とにかくぅ…。血の文化祭事件からあなたは神になりました。だから私はあなたを崇めるのです。理解していただけましたか?」
リュウキの言葉に折尾レオは首をしっかりと横に振った。
「血の文化祭事件…あれは。俺の父の命日だった。」
折尾レオは回想をゆっくりと話し始めた。
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——一年半前。俺と父はお化け屋敷が行われている会議室を訪れていた。そこで目にしたのは…まさに地獄絵図と呼ぶべき光景だった。部屋は血だらけ、人が何人も倒れていた。
「くそっ!何が起こってやがる…。」
父は血眼になって生存者を探し始めた。会議室を隔てる仕切りの向こうにいたのは、腹を刺されたのか血を出しながらうずくまる少女、そして刃物で襲い掛かろうとする男の姿だった。
父はとっさにその少女を庇い、背中で何度もその凶刃を受け止めた。俺はその光景に足がすくみ…一歩飛び出すことすらできなかった。
男が地面に伏せた父の腹を思い切り刺した時、踏ん切りがついたのは俺は大声をあげながら男に飛び交かった。そして、顔が見えなくなるまで…顔を殴り続けた。
「父さん!待ってろ、今処置を…。」
父は口から噴き出る血を必死に抑えながら、震える指で少女を指差した。
「お、俺のことはもう…いい。あの子を…助けろ。」
「でも——。」
「見捨てろ!お前は…俺たち二人とも殺すつもりなのか!」
覚悟を決めた父の言葉に、俺は唇をぐっと噛み締めた。父さんは静かに目を瞑った。父の手を強く握り、最後に涙を溢しながら言ったんだ。
「さようなら、父さん。」
目から、体温から生気が失われた父さんが、その言葉に返答することはなかった。俺は息を荒くする少女に応急処置を施した。
「大丈夫か?今救急車を呼んだ。もう少しの辛抱だ。」
「う…うん。」
少女はか弱い声で言った。10分後、救急車が到着し…少女は運ばれていった。その後、少女がどうなったのか俺は知らない。
同時に警察も到着し、犯人の男を連行しようとした時だった。男が急に不審なことを喚き立てたのだ。
「こ、この学校の校長像に爆弾を仕掛けた!あと5分で…木っ端微塵だ!」
俺は絶望した。思考を巡らせたが、爆弾処理班が到着するのにも10分を要する。もう…間に合わない。
俺は校長像に向かって駆け出した。校長像の元には茂みに隠れて巨大な爆弾が仕掛けられていた。俺はふぅ…と息を忍ばせ、爆弾の配線を確認した。タイマーを確認すると、時間はもう2分もない。
残された時間が少ない中、俺は配線を一つ一つ切断していった。残り2秒、残り2秒で爆弾のタイマーはストップした。俺は…ただ安堵した。
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折尾レオの言葉に、カエデは確信した。やはり、あの時私を助けてくれたのはあの二人だったのだと。
折尾レオはリュウキを見据えて話を続ける。
「俺はあの時から生徒達に多大な信頼を寄せられた。俺はそれを受け入れ、彼らのために尽くすことを望んだ。ただ最近、これでは…彼らのためにならないのではないか。そう思い始めていたんだ。
「でしょう?ですから——。」
「でも今は違う。カエデ、タケルやフースケを筆頭にみんなが俺を支えるために立ち上がったんだ。俺がここまで来れたのも、みんなの力添えあってのことだ。」
「彼らはいつまでも羽化しない蛹などではない。彼らは…信念を持った人間だ!」
折尾レオの言葉にリュウキはがくりと膝から崩れ落ちた。
「そうですか…そうなってしまったのですか…。」
折尾レオは優しくリュウキに歩み寄った。
「お前の信念は間違っている。だが、まだ遅くない。今からでも…正しい道を歩むんだ。」
「あなたはそこまで…毒されてしまった!」
リュウキが突然小刀を取り出し、折尾レオの腹に刺した。折尾レオは血を吐きながら地面に伏した。
「レオ先輩!」
「ぐぅ…。」
「私の信念は間違ってなどいない!レオ様、目を覚ましてください!邪悪なる血に支配されたその体を解き放ってください!」
薄れゆく意識の中、折尾レオはカエデのために…必死に体を動かそうとした。しかし、もう…意識はプツンと途絶えた。
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「うおっ!?」
折尾レオは病室で目を覚ました。顔を覗かせていたカエデと思い切りおでこをぶつけ合う。
「「いたっ!?」」
折尾レオとカエデはお互いに見つめ合い、声を出して笑った。
「ははは!レオ先輩、本当に目を覚ましてくれて…私は!」
「なぁカエデ、俺はどのくらい眠っていたんだ?」
「…2ヶ月くらいです。あの後、警察が来てリュウキは逮捕されました。レオ先輩は救急車に運ばれて、その間もこうやってずっと通い詰めていたんですから。」
「そうか…ありがとう。さて、俺がようやく目覚めたんだ。医者を呼ばなくては。」
ナースコールに手を伸ばす折尾レオの手をカエデは抑え、折尾レオの膝の上に頭を置いた。
「もう少しだけ…こうさせてください。」
「わ、分かった。」
「レオ先輩達は…命の恩人なんですから。」
カエデは膝に頭を置きながら、折尾レオに向かって微笑んだ。
折尾レオが病室のドアの方に目を逸らすと、窓からはタケルとフースケがこちらをニヤつきながらこちらを覗いていた。
病室のドアがガラリと開いて、二人が部屋に入ってきた。カエデは慌てて姿勢を正す。
「おいおいカエデちゃん!俺たちは見ちゃったぜー?」
「レオ先輩も膝枕なんて、隅におけないっすねぇ!」
「うるさいお前達!病室では静かにしろ!」
タケルとフースケに続いて、数百名の生徒がなだれ込んできた。病室はあっという間に生徒達でいっぱいになってしまったのだ。
「先輩!お目覚めしたようで何よりです!」
「お帰りなさい!」
生徒達が口々に歓喜の言葉をあげる。
「レオ先輩、俺たちをもっと頼ってください。」
タケルの言葉に折尾レオはしっかりと頷いた。折尾レオの悩み「お助け部」の跡取りがいないことは重大な問題であった。
しかし、今は勇気のある少女カエデ。腕っぷしには自身のあるタケルとコースケ、そして大勢の信念を持った生徒達がこの学校には居る。
「お助け部は…もう俺がいなくても安心だな。」
「そんなこと言わないでください!レオ先輩にはぜひとも留年していただきたいです!」
「それだけは勘弁してくれ…。」
フースケの冗談に折尾レオは懐かしさを覚えつつ返答した。病室には幸せな笑いが巻き起こった。
折尾レオの重い悩みはこれにて解決した。しかし、折尾レオには新しい、とてつもなく大きい悩みが現れたのだ。それは——。
折尾レオは、冷静を保ちつつも頬を赤らめ、可憐な笑顔を浮かべるカエデの姿を見つめていた。