トリモツニブルー
見上げると水色シャツの大男が背中をむけて覆いかぶさっているような、雲ひとつ泳ぐだけの隙間すらない空だった。快晴だった。その一言で済めばよかった。鳥が低空飛行になってエサの羽虫を探し回っている。雨の予兆がおばあちゃんの知恵という単語と紐づいて、あるいは、男のシャツの色で天気を比喩するのはムダが多いという。赤い自販機にまとわりついた逆博識のツル植物もいる。残念なのは、そんなクレームは大抵コールセンター止まりになるものであって、声は根幹まで届かず、電話ごしに聞かされる手慣れた謝罪文と引き換えに、時間を失ってハッとして中華屋から市立図書館の分館までの距離を散歩に出かけるための動機になるかならないか、それ程度にしか、今のところ使い道が判明していないのが単なる事実止まりであることだった。
これでも一応、歴史は2000年を超えていた。紀元前から数えればさらなる時間が経っていた。経過してしまった時間を今暇だから悔やむためのそういった呪文は、他人の家の前の車のバンパーを金属バットでへこませて、その音で街の夕方の時報をかき消していたあの頃みた景色を、どうにか自分の記憶とするまではどうしても諦めきれないで、見上げると空は快晴だった。
(国内線客機コックピット、副操縦士の視点。ヘッドセットから砂嵐に混じって、次の言葉が囁くように繰り返される。送信元をみると管制からではなかった)
「……防犯カメラを明かしてみるまでは間違いなくあなただった」
(副操縦士は不安に思ったが、それを周りへ伝染させてはいけないと息を押し殺した。怪しい声は目的の空港へ到着するまで途切れることなく、同じ内容が繰り返されていた)
全国を飛び回る国内線が、それがてらに飛行機雲を生み出していて空がとてもきれいだった。そしてそれは見方を変えれば、空にとっては大きな損失でもあった。永遠に引かれる尾ひれのような飛行機雲に、空は快晴に秘められていた、どこまでも澄み切った心を完全に喪失してしまった。多くの敗北と勝利を刻み込んだ歴史とともに、気持ちと心から熱を抜かれ、もはやそれらを思い出としてしか取り出せないよう、頭の仕組みが一瞬にして作り替えられてしまっていた。それはもうほとんど不全麻痺と呼んで差し支えない代物だった。トリモツとブルーベリーを煮詰めたものを瓶詰めにして、近くの溶鉱炉へ投げ捨てていたのはやはりあなただった。