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逃走経路 2





「エーヴァ、逃げろ!」


その瞬間、エルベルトはごろつきの男がエーヴァを掴む手の力が緩んだことを見逃さず、エーヴァをごろつきの男の拘束から解放し、その背中を押した。


おかげさまでエーヴァは晴れて自由の身となったが、しかしその代わりに、後ろから飛び掛かってきたごろつきの仲間たちにエルベルト自身が拘束されてしまっていた。



まったく。

エーヴァなら放っておいても赤子の手をひねるように簡単にごろつきの拘束から逃れることが出来るというのに、このお人よし王子はいつもそうだ。

いつも自分の身を守るよりも先に他人を助けようと動いてしまう。

そしてこれを反射的にやってのけるのだから、本当に困ったものだ。



「はあ」

つい、溜息が出てしまった。


なんて生粋のお人よしだ。

お人よしが人の形で生まれ落ちたと言っても過言ではないほどのお人よしだ。

本当に、まったくとしか言いようがない。


……だがまあ、エルベルトが助けようと飛び出して行ったものの実力が伴わず、ボコボコにされるだけな訳ではないことが、せめてもの救いか。




数人で束になってエルベルトを抑え込もうとしているごろつきと、それに相対するエルベルトが立つ部屋の中央に、エーヴァは視線を向けた。


ごろつきの仲間に後ろを取られていた筈のエルベルトは次々と彼らの攻撃をいなし、独特の構えで立っている。


ごろつき達が飛び掛かっても飛び掛かっても、エルベルトは流れる水の如くその攻撃をするりと躱すのだ。



「……っ、クソ!この男、得体の知れない武術を使ってくるぞ。お前ら、気をつけろよ!」


ごろつきのリーダーの男が大きな舌打ちをし、声を上げた。


「得体の知れない武術ではない。これは東方の国が起源の伝承拳法といってな……」


「んなことはどうでもいいんだよ!お前ら、意地でもこの男をぶっ潰すぞ!!」


「待て、それよりも伝えたいのは……」


「ごちゃごちゃ言ってやがるが、怯むな!野郎ども、かかれ!!」


「一度深呼吸をして、話を……」


「うおおおおおお!!!」



お人よしのエルベルトは、ごろつきに対しても丁寧に対話しようと試みたようだったが、それらは全てごろつきたちの怒声によって掻き消されてしまった。


ごろつき達は拳や武器を振り上げてエルベルトに襲いかかってくる。



「……そうか。ならば申し訳ないが」



トン。

トン、トン。


暴言を吐きながら尚掴みかかってくるごろつきたちに、エルベルトは心底申し訳なさそうな顔で手刀をお見舞いしていった。


一瞬で気絶したごろつきたちが、次々にバタバタと倒れていく。


……いや、バタバタ倒れると言うと語弊がある。

気絶したまま倒れて床に顔面でも打ち付ければ少しはすっきりしただろうが、エルベルトは気絶させた相手を一人一人抱き留め、静かに床に寝かせてやっているのだから、何とも穏やかなものだった。



ごろつきたちは為す術なく気絶させられては抱き留められて床に寝かされていくが、エーヴァから見て、エルベルトは決して強いわけではない。

ごろつき達が弱すぎるのだ。


エルベルトは戦闘のセンスに恵まれている訳でもないし、特別な肉体を持っている訳でもない。

反射神経も運動神経も、並の人間よりマシ程度。

帝国軍の化物に揉まれて生きてきたエーヴァからしてみれば、エルベルトは非力も同然だ。


しかしながら、エルベルトは馬鹿でもお人よしでも真面目で勤勉な王子だから、学びによって最低限の護身術くらいは身に付けているという訳だった。

頭の悪いごろつき数人程度ならば、エルベルト一人でもこの通り一掃できる。




「はあ、なんとかなったか。 大丈夫だったか、エーヴァ」


もう部屋の中に向かってくるごろつきがいなくなったので、エルベルトは一目散にエーヴァの所にかけてきて、真っ先にエーヴァの体を気遣った。


エーヴァはよりもエルベルトの方が砂埃を被っているのに、彼は自分のことは全く二の次なのだ。



「あれしきの事で、私が怪我などしている筈もありません。私は帝国軍の出身ですよ」


「そうか。ならばよかった。だが嫌な思いをさせたな。俺が話をするべきだった」


「……だから、私は帝国軍の出身です。私に言わせれば、あのような賊の言葉など五月蠅い羽虫よりも可愛いくらいです」


「そうか、そうだな。君は強いんだったな。しかしまだ少しハンナのイメージも残っていてな」


エルベルトは小さく鼻の頭をかいた。


そして、「約束を違えたのは彼らですし、お金は回収していきましょう」というエーヴァを制して「行こうか」と手を差し出してきた。


どうやら、襲われたにも関わらずお金をごろつき達のために残していくつもりらしい。

分かってはいたが、さすがお人よし代表のエルベルトだ。



もう今日はそれについては何も言うまいと諦めたエーヴァが、そっとエルベルトの手の上に自分の手を載せると、エルベルトは小さく微笑んでそのまま歩き出した。


2人は先ほどとは位置が逆転していて、エーヴァがエルベルトに手を引かれる形になっている。

エルベルトの手をむんずと掴んでいたエーヴァと違って、エルベルトはエーヴァの手を包むように優しく引いてくれている。

そして、時々気遣って振り返ってくれる。



「こちらであっているか?」


「いいえ反対方向です。方向音痴王子」



こうしてエルベルトが道を知らないので、位置は直ぐに元通りになったのだけれど。







裏から見れば廃墟同然の裏道は、城下町の中から見ると町の隅にある少し人気のないバーの入り口だった。

抜け道はこうしてカモフラ―ジュされているのである。


王族として正門から入る城下町しか知らないであろうエルベルトは、城下町の中に出た時、感心したような驚いたような何とも言えない顔をしていた。



そこからエーヴァとエルベルトは、夜でも賑わう城下町の人ごみの中に溶け込んだ。





馬を確保する為、目的地までの道を歩いていると、エルベルトが唐突に後ろでぽつりと呟いた。


「彼らは大丈夫だろうか」


「彼らとは?あのごろつきゴミ虫たちの事ですか?」


「どこかで聞いたことのある絵本のタイトルのように貶めてやるな」


「あのおなかをすかせた貪欲虫の絵本ですね。 ……まあそれはいいとして、彼らがどうしたのです。まさか気絶させたまま寝かしてきたことを心配しているのですか?私は息の根を止めてやっても何ら問題なかったと思っていますけど」


「……そんな物騒なことは思っていない。ただ、ちょっと」


「ではなんですか?うかない顔ですね。 エルベルト様、その顔はもしかして、この美しい観光名所であるアイゼンバルト城の城下町に、ごろつきなんて下品な輩はいないと思って驚いていたのですか?」


「いや。下品だなどと思ってはいない。俺はごろつきの彼らを悪く言いたい訳じゃない。ただ、彼らはごろつきになるしかなかったのだろうかと思ってな。この王国で望まない思いをしている人間がいるんだと思うと、もう少し何とかしてやれなかったのかとな」


真剣な顔でそんなことを言い出すエルベルトは、びっくりするほど真面目だ。

そしてやっぱり、死んでも直らないほどのお人よしだ。

彼は決して理想主義者なわけではないが、目の前に人がいれば親身にならずにはいられないたちなのだ。



「彼らには不自由なこともあるだろうな」


「エルベルト様、いいですか。彼らは貴方が思うほど不自由はしていません。見ましたよね、彼らが法に縛られず自由に私からお金をふんだくったところを」


「だが、それは自由な選択の末の行動ではなかったのかもしれない。彼らはああして人を脅してお金を奪い取る道を選ばざるを得なかったのかもしれない」


エルベルトがいよいよ真剣にごろつきたちを心配しだしたので、「やっぱり戻ってごろつきたちを助けてくる」と言い出す前に、エーヴァは話を変えることにした。



「エルベルト様は、いつもそんなどうしようもないことを考えていますよね。以前デートに誘われて出掛けていた時もそのような話をして、お相手をタジタジにしていました。私は侍女に扮していた頃から思っていたのです。それもエルベルト様がモテない要因の一つだと」


「む……。 というかエーヴァ、なぜ俺が令嬢と出かけた先でこのような話をした事を知っている」


「え? ……ああ、カマをかけてみただけですよ。貴方はどうせいつも人を心配しているのですから」


「なるほど」


「ええ、そうです。それ以外にあり得ません。 それからエルベルト様。女性に好かれたいのなら社会の話ではなくて、好きな花や好きなタイプの男性を聞いてみるのが定石です。あとは髪やアクセサリーを誉めるとか」


「ふむ、そうか」


「そしてなにより、いい雰囲気に持っていく技術が大切です」


「いい雰囲気とは?」


「……。いい雰囲気はいい雰囲気ですよ。ほら、なんかこう、いい感じの……。というかもう成人してるんですから、それくらいは自分で考えてください」


「……ははっ」


エーヴァの顔をじっと見ていたエルベルトが、いきなりおかしそうに笑った。


「何で笑うんですか」


「いや、そう言うエーヴァも、そう詳しく知らないのではないかと思ってな」


「……。」


エルベルトが小さく噴き出して笑った顔を、エーヴァはしばらく恨みがましく見つめていた。


そりゃあ、エーヴァは生まれた時から帝国軍で立派な暗殺者になるべくしごかれてきたし、色気を武器に戦う暗殺者がいないこともないけど、その適正より毒殺に適正があったエーヴァは男性を落とす手練手管を1ミリも学ばずに終わったけど。

でも少なくとも、お人よしバカのエルベルトよりは知識があるはず。

エーヴァは過去に少しだけ、こっそり恋愛についての書物だって読んだことがあるし。(あまりに甘ったるい内容ですぐに読むのをやめたけど)


そう思いながら、エーヴァはふうと息をついた。




「笑われた腹いせではありませんが、この際ですからお伝えしておきます。ごろつきに渡したあのお金は、エルベルト様がせっせと貯めていたお金を拝借したものです」


「なに?」


笑っていたエルベルトがハッと我に返った。


「エルベルト様が、ベッドの下のチョコクッキーの瓶に隠れて貯めていたお金です」


「な、なんでそれを……」



エルベルトはお人よしだから、信頼する人間が自分の秘密を暴く筈などないと思っているから驚いているのかもしれないが、それは残念、そんなことはない。


エーヴァは特に善人でもないし、いやむしろ世間一般で言えば性格は悪寄りだし、現に人のお金を勝手に持ち出してきている。


とりあえずエーヴァは、もう二度と帰ってくることの無い王城にお金を無駄に残していくこともないと思い、それなら有効活用しようと考えたのだ。




「エルベルト様は自分のお金は殆ど慈善事業に使ってましたけど、余りはあの瓶に入れていましたよね。それで、貴方は入用の時に使っていました。そういえば私の誕生日のプレゼントも、その瓶に貯めたお金で買っていましたか。あの誕生日は身分を隠すための嘘っぱちの誕生日でしたけど、まあ嬉しくないことはなかったですよ」


「エーヴァ、君はどこまで知ってるんだ……。というか、君の誕生日も嘘だったのか」


「その通りです。自身の情報を偽るのは暗殺者の基本なのです、エルベルト様。そしてターゲットの情報を集めるのも暗殺者の基本です。貴方のヘソクリの場所や用途を知ることくらい朝飯前なのです」


その言葉通り、ヘソクリくらい暗殺場所の下見やらターゲットの弱点を探す過程で、いくらでも見つけられる。


エーヴァは暗殺の教えに則って必要以上の情報収集はしないが、ただ普通にベッドの下に隠してあっただけのクッキー瓶など、掃除に入ったメイドだってその存在を知っているかもしれない。


そんな平然とした顔のエーヴァの横で、エルベルトはハアと溜息をついていた。



「君がお金を使ったことは問題ではない。だが何故、平然と俺の貯金の場所まで知っていたんだ。プライバシーの侵害だ……」


「その考え方はいけません、エルベルト様。ターゲットに人権などないと思ってください。 私はエルベルト様が、小さい時から宝物入れにあのチョコクッキーの瓶を愛用していたことまで知っていますから」


「そんなことまで知っているのか? ……俺はそんな小さい時から君の暗殺対象だったのか?」


「あ……いいえ。そんな事だろうと予想したまでの事です。暗殺者ならば、そんなことも朝飯前ですから」


「ふうん……」


エルベルトの訝し気な目を向けられたエーヴァは慌ててフードの裾を引っ張って顔を隠し、「勿論そうです」と言って会話を強制的に終了させた。




それよりも。

そろそろ目的地の近くだ。

馬を手配し、化け物の暗殺者たちに見つかる前にこの町を去らないと。


集中しなおさなくてはいけないとこっそり手の甲をつねり、エーヴァは気合を入れ直した。





エーヴァがエルベルトの手を引き、馬を求めて目星をつけていた店の前まで来ると。




その瞬間、ぞくりとした。


エーヴァは足を止め、当たりに目を凝らした。

何も見えないが、確かにいる。

どこかに。

この辺りに。


そう感じたエーヴァは、反射的にエルベルトを背中で隠す。



店に近づく前から注意深く辺りは観察していたのに。

何もいないと判断したのに。

安全に見えたのに。



……やられたか。



そう覚悟すると同時に、肌を掠めるような異様な気配がした。




そしてバサバサと。

無数の不気味な羽音と共に。

エーヴァ達の向かう先に、目の下にクマを作った男の影が立ちはだかった。


黒く掠れた大きなマントを夜風になびかせ、笑う。

闇に光る両目が細くなる。



「ドンピシャ」


突然現れたその男はそう呟いて、にやりと鋭く尖った犬歯を覗かせた。





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