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逃走経路 1





化物のような暗殺者たちが動き始めた王城を後にして、エーヴァは夜道を駆けていた。

エルベルトの手をむんずと握りしめ、城下町の方へ、人込みに紛れることのできる場所を目指して走っていた。

全速力で。


帝国の暗殺者たちの恐ろしさを身に染みて知っているエーヴァは、奴らから逃げ切るしか勝ち目がないと知っているので、脇目もふらずに一心不乱だった。


城の抜け道を使い、城下へ下る道を抜け、人目を忍んで町へ入る裏道まで誰にも見つからぬよう走らなければ。



……しかし。




「……エーヴァ。ちょっと待ってくれ、エーヴァ!!」


背後から息も絶え絶えにエーヴァを呼ぶ声と、手をぎゅっと握り返された感覚でハッと我に返る。

エルベルトの呼びかけに、エーヴァは渋々走りながら後ろを振り返った。


「なんですか。走りながら喋ると舌を噛みますよ」


「いやそれ以前の問題だ……ゼイゼイ……君は、速、速すぎる……っ!」



エルベルトだって並の人間に比べれば良く動ける方だし、一通りの訓練も積んではきているが、流石に限界だったようだ。


獣人と肩を並べて帝国軍に従事していたエーヴァのスピードと持久力についていくのは、確かに尋常なことではない。


エーヴァはエルベルトと同じ人間という種族だが、全て屈強な獣人基準の帝国軍で、生まれた時から厳しい訓練を受けて身体能力を高めることを強いられてきたのだから、それについていけないエルベルトが途中でへばってしまうのも無理のない話だ。


というよりむしろ、よくここまでエーヴァについてこれたものだと褒めてもいいかもしれない。

なんて、ちょっと感心したエーヴァだったが、基本的にエーヴァが人を誉めることはない。

特に、エルベルトが相手ならば尚更だ。



「足を止めてはいけません。走るか死ぬか。今はそういう場面です、エルベルト様」


「……そうは、言うが……ゼイゼイ」


「そうは言うが、なんですか? もしかしてエルベルト様は、今の危機的状況をまだきちんと理解できていませんか?こんなことなら、多少危険を冒してでも陛下たちの御遺体を貴方に見せておいた方が良かったでしょうか。そうすれば今もっと危機感を持って走れていたかもしれません」


「エーヴァ、それは……」


「ええ、分かります。なんと残酷なことを言うのだろうかこの女は、と貴方は思ったことでしょう。でも、私はそうしてでも貴方に走ってもらわないと困るのです」


「……だが、君の速さで走り続けることは冷静に考えて普通の人間には無理だぞ」


「そうですか。では、どうしても足が動かないというのならば仕方がありません。私が貴方をおぶって走りましょう。貴方は私より体が大きいですから、私もそれなりに体力は使いそうですが」


そう言ったエーヴァは完全に振り返って、その勢いでグイッとエルベルトを引き寄せた。

エーヴァの素早い動きに反応が出来ずにされるがままに引き寄せられたエルベルトは、肩で息をしていたことも忘れて、驚いた顔で首を振った。


「い、いや!君におぶってもらうなんて、それは流石に出来ない。俺は汗だくだし、そもそも君より上背だってあるし、重いだろうし」


「でも走れないと私に迷惑をかけるのであれば、貴方など私の背の上でお休みしているしか無いではないですか」


「だが」


「貴方が汗だくなのも重いのも、仕方がないので我慢して差し上げます」


「……分かってはいるが、ものすごく嫌そうな顔をするな」


物凄く嫌そうな顔をしてみせたエーヴァを、エルベルトは恨めし気に見つめてきた。


それを見たエーヴァは、堪らずふふっと小さく笑ってしまった。


実はエルベルトのそんな顔を見るのは嫌いではない。

エルベルトは普段やんわりとした微笑みを浮かべていることが多いが、それとは違った表情が見られることが少し楽しいと思わなくも無い。

だからつい、意地悪を言いたくなるのだろう。



「なんだ。俺の顔がおかしかったか」


「いいえ、別に」


「……まったく。人をおちょくって楽しむとは、本当の君は意地が悪かったんだな。俺の侍女だった頃は俺の冗談にも笑うか笑わないかくらいの無口な人だったのに」


「まあ任務中だったのですから、それは仕方がありません。本当は意地悪して差し上げたい場面もたくさんありましたが、任務の為に我慢していました。 でも、エルベルト様は無口な方の私が良かったですか?」


「いや。どちらでも構わない」


エーヴァが何食わぬ顔でさりげなく問いかけると、エルベルトは特に迷うこともなく返事をした。


エルベルトは容姿端麗・文武両道で性格も温厚ときていかにも女性に人気がありそうなのに、何故かモテモテということはなかった。

エルベルトの侍女を何年かやってきたエーヴァは、彼がすべての人間に分け隔てなく接し、誰のことも平等に思いやるというそのスタンスを持っていることが原因なのではないかと分析している。

なんというか、女性からしたら特別感が無いというやつだ。



「エルベルト様らしい、つまらない答えですね」


「なんだそれは。失礼な」


「好き嫌いのない人間程つまらないものはありません」


「またそんな暴論を」


エルベルトはまた困ったような顔をして突っ込んでくれたが、少しだけ首をひねって言葉を続けた。


「……だがよく考えてみれば、今の君の方が話し甲斐があると言えばそうなのかもしれないな」


「それは、今の私の方が良いということですか?」


「どちらが良いという話ではないが、まあ、楽しいというか新鮮というか」


「……そうですか。楽しいですか。エルベルト様は酔狂なお方ですね」


予想はしていなかった答えを聞いたものの、努めて素っ気なく返事をしたエーヴァは、話を変えるように手を差し出した。



「とにかく、どうしてもおぶられるのが嫌だと仰るなら、妥協案です。スピードを少し落とします。でも、もう止まることはしません。 さあ、もう走れますか?」


「ああ、それならなんとか」


息を軽く整え終わった後のエルベルトは、エーヴァが差し出していたその手をスッと取って頷いた。



少しずれてしまっていたフードを被りなおし、2人は再び駆け出した。


スピードは落としているが走り続ける負担を少しでも減らす為、エーヴァは先ほどよりも更にエルベルトをフォローしながら走っていた。




そのまましばらく真っすぐ走り、暗い夜道で目が利くエーヴァは、ようやく道の先に城下町へ入ることのできる裏道を視界に捉えた。

素早く周りに視線を走らせる。


人影はない。


痩せた黒猫の影がこちらを見ているだけだ。


大丈夫。

まだ奴らに追い付かれている訳ではない。

少なくとも、この裏道はまだ使える。


予定通り正門から堂々と入るのではなく、この隠された裏道を使って出来るだけ隠密に城下町へ入って人込みの中に身を隠す。


だが朝には王都へ帝国軍が到着し王国の占領を始める予定だから、城下町にいつまでも潜伏しているわけにもいかない。

今夜中に城下町で馬を手配して、早急に次の場所へ向かうことになる。

忙しないが、この逃走を成功させなければ未来はない。




「エルベルト様、こちらです。城下町には裏道から入ります」


「裏道?そんなものがあったのか」


エーヴァは、一見すると廃墟が寄せ集まったような場所にしか見えないところに、エルベルトの手を引いたまま滑り込んだ。


欠けた石壁や倒れた塀のあいだを器用に進み、エーヴァは迷わず前進する。

暗殺者らしく抜かりなく、万一の時の為にとこの場所の調査は済ませてあるので、エーヴァが道に迷うことはない。


迷路のようなその道を右へ左へと進んでいくと、橙の灯が石壁に仄暗く反射する大きな広間に出る筈だ。

広間といっても、屋敷の広間のような立派なものではなく、廃墟と化した建物が折り重なって作りだしたただの広い部屋だ。

そしてそこにある階段を登れば、誰にも気づかれず城下町へ入れる。


だが、部屋に近づくにつれ何やら音や声が聞こえてきて、想定よりも賑やかな気配を感じ取ることができた。


おおかた賊でもたむろしているのか。

事態を察知したエーヴァは眉を顰めた。





部屋の前に到着し、影から中の様子を窺う。

そこには何人かのいかつい男たちと、ガラの悪そうな人間や体の見えるところに古傷を持ったような人間が、金貨の数を数えていたり酒を飲んでいたり、はたまた刺青を掘っていたりとそれぞれの事をしていた。


やはりエーヴァの予想通り、ごろつきたちがたむろしているようだった。

以前エーヴァがこの裏道を見つけた時は人一人いなかったが、今夜は何ともタイミングが悪い。




彼らの視界に入る前に、エーヴァは自らのフードとエルベルトのフードを思い切り下へ引き、ほとんど顎しか見えないような状態にしてから、部屋へ一歩足を踏み入れた。



あまり見ない雰囲気の二人が入ってきたことで、部屋にいた数人の人間の顔がエーヴァ達に向けられる。

観察するような目で見てくる者もあれば、睨んでくる者も下品な笑顔を浮かべている者もいる。


その中で、ニヤニヤ顔で金貨を数えていた男の一人が、エーヴァ達に気づいて立ち上がった。

部屋にゲートのような場所を勝手に作り、そこでふんぞり返っていた男だった。

ごろつきのリーダーでもやっている男なのだろう。

男の安っぽい筋肉を見ながら、エーヴァはハアと小さく溜息をつく。



「ここから城下町へ入んのか。2人で2000ルビおいてきな。通行料だ。ギャハハ」


この廃墟の持ち主でも何でもない癖に、ごろつきのリーダーはふてぶてしい態度でエーヴァ達の進む道を塞いだ。



時間が惜しいというのに、邪魔だ。


半場無意識のうちにスカートの下の暗器に手が伸びかけたが、ハッと気づいてストップをかける。


こんなごろつき集団くらいならばエーヴァ一人でもなんとかなるが、ここは出来るだけ手短に、そして静かに事を済ませるべきだ。

それに、こんなところで雑魚相手に体力を消耗することも愚かだ。




「どうぞ」


考え直したエーヴァは、スカートに伸びかけた手を懐に持っていき、麻袋に入った硬貨を探り当てた。

そしてそれを木製のテーブルの上に置いた。


「ふうん、どれどれ……。 よし、いいぞ通れ」


エーヴァが寄越した麻袋の中身を確かめてジャラジャラさせつつ、満足気な顔をしたごろつきの男はエーヴァとエルベルトの前に道を開けた。




……と見せかけて、ごろつきは背中を向けたエーヴァの腕をぎゅっと掴んだ。



エーヴァが振り返ると、ごろつきは黄色い歯を見せてにたりと笑う。


「お前、いい声した女だな。相当な上玉なんだろ。気が変わった。お前だけは行かせねえ。俺とココで遊んでいけよ」



時間を取られないためにお金を渡したというのに、まだ何かあるのか。

苛々した感情を隠すこともせず、エーヴァはごろつきを睨みつけた。



「俺は気の強い女が好みでなあ」


フードの下で見え隠れしたエーヴァの苛立ちを感じ取ったのか、ごろつきは嬉しそうに言ってエーヴァのフードに手を伸ばす。

フードを剥ぎ取って顔を覗き見るつもりのようだった。



なるほど。

では、もういい。エーヴァの堪忍袋の緒は短い方なのだ。


今度こそ、エーヴァは暗器に手を伸ばした。



しかしエーヴァがスカートの下から暗器を取り出してそれを容赦なく振り上げる前に、それを遮った声があった。


「待て」



声の主は、エーヴァの後ろにいたエルベルトだった。

彼はエーヴァを庇うように一歩前に踏み出してくる。


そしてエーヴァを捕まえているごろつきの腕を掴んだ。


実はこの場面で命拾いをしたのはエーヴァではなくごろつきの方なのだが、特にその自覚はないエルベルトはごろつきの男をキッと睨みつけていた。



「嫌がる者に無理を強いることは褒められた事じゃない。彼女を離してくれ」


「なんだお前、しゃしゃり出て来るな。男に用はねえんだ。とっとと消えろ」


「俺は直ぐにここから立ち去るつもりだが、それは彼女と共にだ」


「ああん?この女は俺が貰ってやるから、殴られる前にお前はさっさとどっか行けって忠告してやってんだぞ。それともあれか。痛い目見ねえと分からねえか」


ごろつきの男は、ニヤニヤしながら後ろに控えていた仲間の男に合図を送った。


仲間の男は心得たとばかりに頷く。

そしてエルベルトの背後に回り、彼を取り押さえようと間髪入れずに飛び掛かってきた。






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