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準備





「さあ時間がありません。早く外套を羽織って!大切な物は懐に!おやつは3つまで!」


エーヴァはテキパキと指示を出しながら、絨毯の上に叩き付けた暗器を拾い直してスカートの下に仕舞い込んだ。


エーヴァは流石の身のこなしと素早さで逃亡の準備を進めているが、エルベルトは全然訳が分からないという顔をしていた。

普段は凛々しく意志の強そうな整った顔をしているのに、きょとんとしている時は少しばかり道に迷った犬のような顔をする。



「エーヴァ、今のは完全に俺を殺す流れだったよな……?」


「だから、それは無理って言いましたよね」


「いやいや、でもエーヴァは帝国軍で訓練を受けたエリートの暗殺者なんだろう?」


「それが?エリートの暗殺者が寝返っちゃいけないルールなんてあるんですか?」


「でもこの任務が失敗したら、今度はエーヴァが帝国軍に追われることになったりは……」


「だから5秒で準備をしてさっさと逃げようと言っているのです。貴方も私もこれから追われる身なのですから」


自分が殺されそうな時には冷静にしていたエルベルトだが、今回はエーヴァの身を案じたらしく青い顔をして口をパクパクさせている。


準備をしろと言っているのにイマイチ動いてくれないエルベルトを見て、エーヴァは仕方なくエルベルトに外套を被せ、そのポケットに目ぼしいものを詰め込んでいった。


たとえばエルベルトが大切にしている万年筆や、彼が伯父からもらい受けたという指輪、それから彼の友人が作った判子や少しばかりの金貨、万能ナイフなどなど。


それから仕方がないので、ポケットにはエルベルトが好きなチョコチップクッキーも詰め込んでやった。

エルベルトはお茶の時によくチョコチップの入ったクッキーはあるかとエーヴァに聞いてきて、出してやると嬉しそうにエーヴァにも分けてくれるのが常なのだ。

だから今回も従者の癖で、つい主の好きなクッキーを準備してしまっていた。




エーヴァに勝手に身支度をされていたエルベルトは暫く黙っていたが、やがて静かに口を開いた。

チョコチップクッキーを詰め込まれてもそれに気づいていない程神妙な顔をしている。


「……エーヴァ。君は本当に俺を生かすつもりなのか」


「なんとも愚かな愚問ですね。エルベルト様が嫌だと言っても私はもう決めたのです」


「……そうか。君は言い出したら絶対に曲げないから、どうしてもそうするつもりなんだろう。だが、その理由くらいは聞いてもいいか。君は何故俺を生かすんだ?俺には使い道があるのか?」


「今は余計な会話をする時間などありません」


「それではあまり納得は出来ないな」


「エルベルト様が納得していなくともこの際構いません。もう決定事項ですから」


「……」


エルベルトは到底納得していないという顔をしていたが、それ以上理由について質問はしてこなかった。

だが、それで良い。

先程も言ったように、今は詳しい理由を今ダラダラと説明してやっている暇はないのだから。




エーヴァは自らも持って来ていた黒い外套を羽織り、準備の為にテキパキと手を動かし続ける。


「でも安心はしてください。私が責任を持って貴方を逃がします。今宵アイゼルバルト王国の王城は帝国軍によって制圧される予定です。本当はもっと前に貴方を逃がせていれば、こんな鬼難易度の逃走劇を覚悟しなくてよかったのですけれど」


「制圧……そうだろうとは思ったが、ということは皆、もう生きてはいないということか」


エルベルトは、王国の王城が現在おかれている状況を正確に想像できているようだった。


そう。

王国を我が物としたい帝国が計画を実行して、第二王子を暗殺するだけで留まるわけがない。

むしろ本命は、エルベルトの父である国王と正統後継者のエルベルトの兄である第一王子の殺害だ。

そしてついでに王妃、第二王子のエルベルト、その弟も今夜暗殺される計画なのだ。


そして翌朝には帝国軍の本体が王都にやって来て町と城を制圧するだろう。

エルベルト達王国の王族、それから王城の使用人と騎士たちはひとたまりもなく壊滅だ。


王国の象徴である王族と王城は跡形もなく無くなる。



「……帝国はまだ幼いアメリアも殺すのか」


「それを聞いてどうするのです」


「いや、獣人は女子供には慈悲を持つと聞いたことがあってな。もしアメリアが生きているのなら助けに行かねば」


「……。生きてなどいないと思います」


「今間があったな。もしかして、アメリアだけはまだ生きているのか?」


無駄に造形の良い顔が近い。

エーヴァはグイグイと迫ってくるエルベルトを無言で睨みつけた。


実は、王国を帝国傘下に入れるにあたり、エルベルトの妹である幼い第一王女は駒として帝国要人と婚姻させる計画なのだと、仲間の暗殺者から以前聞いたことがある。

王国の王族の血をひく帝国人を作る為に、第一王女は十中八九生かされて捕らえられているだろう。




「それに……そうか。帝国は王家の血が欲しいんじゃないのか」


はい、ご名答。

エーヴァは何も言わなかったし、ただ無表情を貫き通していたので考えが読まれたわけではあるまいが、エルベルトは一人で勝手に答えに辿り着いてしまった。


そしてそうと分かるやいなや、キッと眉根を寄せたエルベルトは間髪入れずに扉の方へと飛び出した。


予想はしていた。

この善良で正義感の強い王子が、囚われて帝国に道具として扱われることになる妹を助けに行きたがらない道理はない。


その動きを予測していたエーヴァは、予備動作なしでエルベルトの進行を阻んだ。



「行ってはいけません」


「……そこを退くんだ。アメリアが生きているというのなら助けにいかねば」


「いけません。貴方が行ったところで何の役にも立ちません。彼女に付いていた暗殺者は私よりも手練れの者。貴方や私では救出はおろか、まだ生存していることがバレてあっという間に八つ裂きになるだけです」


「……そんなことを恐れている場合ではない。君を巻き込むつもりはないから、せめて俺には妹を助けに行かせてくれ」


しかし、エーヴァは静かに首を振った。



今宵の暗殺計画に備えて送り込まれた帝国の暗殺者たちは皆、精鋭と呼ばれるほど優秀なものばかりだ。

エーヴァでさえ、彼らと比べたら劣っているという評価を下されかねない勢いの化け物揃いなのだ。


もし戦って制圧できるのならば王女の一人くらいついでに助けてもいいが、今回ばかりは逃走が最優先事項だ。

化け物揃いの暗殺者集団を前に逃走を図っても鬼難易度なのに、そこからノコノコ王女を助けに行ってわざわざ逃走の難易度を上げるなんて馬鹿でもしない。


エーヴァが今夜絶対に成し遂げなければいけないのは、エルベルトを逃がすことだ。

その足枷になるのだから、王女が幼かろうが唯一生き残った肉親であろうが妹だろうが可愛かろうが助けずに放っておくべきだ。


エーヴァの意思は変わらない。

まるで永遠に春の来ない雪山の氷のように、最重要項目は変わらない。


だが、頑固なのはエルベルトも同じだった。



「妹をおいて自分だけ逃げおおせることなど俺にはできん」


「いいえ。出来なくともしてもらいます。少しでも早くここを出て、少しでも早く遠くへ行きます」


「俺に唯一生き残った肉親を見捨てろと?」


「ええ、そうです。鬼畜の所業だと思いますか?別にそう思っていただいて構いませんよ。私は貴方を生かすと決めたのです。他の者に構っている余裕はない」


「……だがな、君は俺のことをよくわかっているはずだろう?なら俺が家族を見捨てて一人逃げおおせる事はしないとわかるはずだ」


「そうですね。でも私は貴方を行かせることはできません」


「君が行かせてくれなくとも、行く」


埒が明かないと思ったのか、エルベルトは無理やり押し通るようにぐっと踏み出した。


だがエーヴァの鍛え抜かれた反射神経が、ただ稽古程度に剣術を習ったくらいのエルベルトに劣ることは万に一つもあり得ない。


「こればかりは看過できません。いいですか、王女は有用な駒なのですからまだ殺されはしない。それでも行くというのなら、こうします」


エルベルトは、エーヴァを躱して扉に到達することは叶わず、そればかりかあっという間に両腕を縛り上げられた。

エルベルトを拘束する頑丈な組紐の先は、リードのようにエーヴァに握られている。


「エーヴァ。頼む。行かせてくれ。俺に家族を見捨てて逃げることなどできない」


「だめです」


「頼む、これを解け。妹を助け出したら、あとはどんなことでも君の言うことを聞こう。だから」


「何でも言うことを聞く?そんな約束要りません。どうしても従わせたいときはこうして力づくでやらせていただきますから」


顔色一つ変えないエーヴァは、グイッと紐を引っ張った。


「ま、待てエーヴァ!」


エルベルトはどうしても妹を助けに行きたいようだが、エーヴァはエルベルトの拘束を解くつもりはない。


無視を続けてもまだエーヴァの説得を試みているエルベルトだが、エーヴァは器用にエルベルトの声だけシャットアウトして、逃走準備の最後の仕上げに入った。



逃走成功の確率を上げる為、最後に完了させるべきことは、帝国の暗殺者を欺いて少しでも時間を稼ぐことだ。

奴らに気づかれて追われ始めた時点で、成功の確率は限りなくゼロに近くなる。

今回の任務に就いている暗殺者にはエーヴァと同期の最優秀生だった男もいるし、エーヴァの先輩にあたる女や、教えてもらったこともある大ベテランの暗殺者も混じっている。

エーヴァではどう足掻いても奴らに勝つことが出来ない。


だから王族を殺し自分の任務を終えた他の暗殺者たちが、一向に姿を見せないエーヴァを不審に思ってエルベルトの部屋を調べに来るその前に、出来るだけ遠くへ逃げなくては。

そしてその時間を少しでも稼ぐために、細工だけはしていかねば。



エーヴァは懐から取り出してきた特製レシピで調合した秘伝の血糊をベッドにぶちまけ、残りの血糊で赤い血痕が浴室まで滴っているように偽装し始めた。

そして浴室に、実は毒殺学が得意科目なエーヴァ特製の毒薬をたっぷりぬたくった簡易の罠を設置した。

こちらも、エーヴァしか知らない秘伝調合の毒だ。

鬼のように優秀な暗殺者軍団でも、毒に精通したエーヴァが複雑に組み合わせたこのオリジナルの毒ならば、解毒に多少の時間はかかるだろう。


窓枠や鍵穴、そして絨毯の至る所に、刺されたことも感じないほどの細い細い毒針を設置して、最後の準備は完了した。



「エルベルト様、行きますよ」


エルベルトが声を出して他の暗殺者に気取られない為にエルベルトの口にハンカチを詰め込んで、エーヴァは窓から準備していた麻布にエルベルトをしっかりと巻き付ける。

麻布がしっかりとエルベルトを固定したことを何度か確かめて、エーヴァはエルベルトを窓の外に放り出した。


いきなりの暴挙にエルベルトが声にならない悲鳴を上げていたが、エーヴァはベッドの柱を上手く使い、麻布の先に縛られているエルベルトを地面に降ろす。

帝国軍にいたと言っても部隊は暗殺部隊で、ムキムキなわけでも馬鹿力がある訳でもないエーヴァだが、道具とちょっとした工夫で、自分より体の大きなエルベルトを上から下へ運ぶことに成功した。


エルベルトさえ安全に下に降りてしまえば、身軽なエーヴァが下へ降りるなど造作もない。


窓を閉め、逃走した痕跡を消した後城壁を伝ってひょいと地面に降り立ち、エルベルトを拘束していた麻布を切り捨てる。




自身とエルベルトに深くフードを被せて、ぎゅっと手を握って暗い方を目指して走り出す。

逃走開始である。







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