【Ⅷ】#7 ObscurR=CorpsE
突如現れた錫杖型の仕込み刀を操る男は、先程まで相手にしていた中央管理局の職員とは比較にならない程の猛者だった。
パンドラが身体の一部を消失させようとするも、ひらりと躱される。
アラディアが『終末の空』で急所を狙撃するも、間一髪の所で避けられ、ダメージにならないのだ。
虚華も『虚飾』と『欺瞞』で応戦するも、まるで手応えがない。使用に制限のある“嘘”以外の手で二人に合わせた攻撃を仕掛けても、毎度の事、綺麗に躱される。
こちら側は必死に攻撃を仕掛けているのに、あちら側は涼しい顔で此方をただ見ているだけだった。
埒が明かないと判断したパンドラは、戦場で刀すら構えずに居る男に、苛立ちをぶつける。
「此処で死んで貰う、等と宣った割には攻撃の一つもせぬのか?」
「道化の舞踊が此処迄と言うのなら」
「貴っ様……、言わせておけばっ」
「文句があるなら、掛かってくればいい」
男の言葉にパンドラは青筋をこめかみに浮かべ、強めの地団駄を踏んでいる。一方、男の方は無表情のまま、パンドラの売り言葉を買っている始末だ。
罵詈雑言を見知らぬ男に浴びせているパンドラと、涼しげな顔で受け流している男の姿は対照の存在に見えてしまう。
後方で待機していたアラディアと虚華は、困ったような表情で二人のやり取りを見守っている。
「なんで「歪曲」様はあんなに彼を目の敵にしてるんでしょう?」
「さぁ?て言うか、此処何処?随分とジメジメしてるし、あのでっかい塔も見たこと無い。それに、意識を奪われた人形が蔓延ってるこの街も知らないし、何で私達を襲ってくるのかも分からない、キヒ」
アラディアの瞳は聖骸布で覆われ、此方のことは見えていないはずなのに、彼女の顔はきっちりと虚華の方を向いている。
ぷいっとそっぽを向いた虚華を見たアラディアは少しオーバー気味に肩を落としたが、虚華の声色で何かを悟ったのか、いつもの特徴的な笑いも鳴りを潜め、いつにもなく神妙そうな顔でアラディアは言葉を続ける。
「多分、パンドラの災禍の影響を受けてないから珍しがってるんだと思う。ま、彼もきっと、人の道を外れた何かなんだと思うけど。それでも珍しいことに変わりはないから」
「……何者なんでしょうね、彼は」
目の前で繰り広げられているやり取りを見ている虚華は、何処か懐かしい気持ちになりながら、パンドラと見知らぬ男を眺めていた。
──此処が何処だか忘れそうになりながら、警戒心を引き上げたままではあったが。
彼らが口論を止めない限りは、あの二人の間に水を刺そうとは思えなかったのだった。
だからこそ、周囲と彼らの警戒以外にやることがない虚華達は時間を持て余している。そんな状況下でアラディアがやることなど一つに決まっていた。
むにぃっと虚華の頬を引っ張りながら、アラディアは「ねぇねぇ」と虚華に声を掛ける。
「いふぁいれす、なんれすは、はふぁひははん」
「折角時間あるんだし、お話しようよ」
虚華の頬はむにぃっと伸びており、アラディアは楽しそうに虚華の頬で遊んでいる。
悪戯っ子っぽく笑うアラディアの顔を覆っていた聖骸布はいつの間にか消え去っており、アラディアはいつもの陰気な笑みを浮かべながら、虚華の顔を覗き込んでいる。
距離を詰められることに慣れていない虚華は顔を赤らめながら、頬を摘む手を振り払い、アラディアから視線を逸らす。
ただ、何故か申し訳ないと感じた虚華は、そっぽを向きながらもアラディアの為に口を開く。
「……話ってなんですか」
「さっきも聞いたけど、ココ何処?パンドラはココが何処だか知ってるみたいだけど、キヒ」
アラディアは小さな段差に座り込み、空を見上げ、手のひらを空に向ける。何も見えていない筈なのに、彼女の瞳には確かにこの世界が映っている。
この世界を楽しそうに見ている彼女の瞳には映らないように、虚華は小さな憎悪を胸で膨らませながら、彼女の隣に座る。
「私の故郷ですよ、私が生まれ育った場所です。アラディアさんには此処がどう見えますか?」
「それは、視界を借りてもいいって事かな?」
虚華は無言で首を縦に振り、アラディアは瞳を閉じ、虚華の視界を共有しようとする。
再三言っておくが、此処はディストピア。中央管理局の職員や、被管理者層が各地区を巡回し、治安の悪化に繋がる可能性のある存在──被管理者層を処分する地獄のような世界だ。
そんな地獄のような世界をアラディアは、なんて表現するだろうか。地獄の掃き溜め?スラム街?灰被りの地下街?想像が付かない。そうこうしているうちに、アラディアが虚華の視界を魔術によって共有する。
隣りに座っているアラディアが興味津々といった表情で周囲を見回し始めるも、徐々に表情が曇り始める。
普段ならば数十分は辺りを見回すのに、今回はいつもの半分程度の時間で、共有は終わった。
「ん、もう良いんですか?」
「うん。此処が……本当にキミの故郷なの?」
アラディアの声色に、普段の虚華を誂うような気配は感じられず、何処か落ち込んだような感じがする。それもそうだろう、知り合いの故郷がこんな場所だったら笑い飛ばす事など出来ない。
(久々に帰ってきたけど、此処はこんなにも酷い場所だったんだ)
虚華もふと空を見上げる。此処は昏い。ただただ昏い。太陽の光など届かない深海のようだ。
どんよりとした雲が空を覆い、街には活気など一切なく、先程まで相手取っていた被管理者層の人々の血の匂いがあちこちから漂ってくる。
虚華が顔を覗き込むと、彼女は何もみえていない筈の瞳で虚華の方を見る。
精一杯の優しさを声色に混ぜ込み、虚華はアラディアの肩に触れた。
「そうですよ、どう見えました?」
「空気は淀み、人々の活気は一切感じられず、寂しい場所なのかなって、最初は思ってたんだけど、けどそれだけじゃなかった。此処の人々は多分、生きながら死んでいるんだって感じた。私は、此処に、この街に恐怖すら感じたんだ」
震える声で、そう言ったアラディアの手を握る。普段の虚華なら絶対にしないことだ。
仮にもアラディアは組織内では先輩という立ち位置だ。そんな彼女の手を握るなんて事は畏れ多くて出来ないが、何故か今はしなければならない気がした。
突然の刺激に驚いたアラディアは「ひゃあっ」と小さく驚き、虚華の方を向く。
「な、何するのさ?キヒ、普段なら私が近付いても逃げてくのに……どしたの?」
「手、震えてましたから。収まるまでは繋いでておこうかなって思っただけです」
「そっか」と小さく呟いたアラディアはそれ以降何も言わずに、虚華の隣で暫くの時間を過ごした。
周囲のことなどお構いなしに、引っ付くアラディアを鬱陶しそうにしながらも、引き剥がすこと無く、虚華は中央に聳え立つ塔を見る。
あそこにはきっと黒咲現葉や、先程話にあった宵紫柚斗も居るのだろう。彼らが存在する限り、自分も含めた「喪失」の面々が安らかに眠れる事はないだろう。だからこそ、探しに行かなきゃならない。
(場所は覚えてる、当時はどうしても辿り着かなかったけれど)
肩に伸し掛かる温かさを感じながら、虚華は心の中で決意する。
「うん、決め……」
「ていっ」
「あいたぁ!?」
虚華が決意を口に出そうとした途端、頭上から強烈なチョップが振ってきた。脳が凄まじい衝撃を受け、脳震盪になったのかと錯覚しそうになる。
急に襲い掛かってきた痛みに頭を抑え、頭上を見ると其処には頬を膨らませたパンドラが、腰に両手を腰に置き、此方を睨んでいる。虚華は反射的にパンドラから目を逸らす。
「何で目を逸らした、もう一度此方を向くのじゃ。あと阿呆は早う離れろ」
この状況は大変マズい。隣にはアラディアが、熱々のカップルばりに密着している。別に疚しい事も無いし、パンドラともアラディアともそういった関係にはなっていないが、この状況がマズイ事は、ジアの図書館で読んだ小説の末路が特徴的で記憶に残っている。
おかしい。周囲はそれなりに警戒していた筈だ。仮にも此処は地獄であり、煉獄だ。何故パンドラが自分の頭に手刀でチョップしている?見知らぬ男はどうなった?
どうしようどうしようどうしよう。
機械のように首をギギギと動かし、パンドラの方を再度向き直す。
「どうした?斯様な見られてはいけない物を見られたような顔をして」
「い、いえ……所で先程の男の人は……?」
「やはり見てなかったな!?酷い、酷いぞ!ヴァールぅ!!」
そう虚華が聞くと、パンドラはヒステリック気味に叫んだ後、薄い笑みを浮かべる。
何故だろう、その笑顔がディストピアの何よりも怖い気がした。パンドラは右手を上に上げ、勢いよく振り下ろす。
(あっ、これ、気を失う奴だ。此処で死ぬのかな、私)
次に目が覚めた時、アラディアは上半身が地面に埋まっており、その隣でパンドラに膝枕をされているというなんとも言えない状況だった。
あまりにも信じ難い現実に、虚華は再度眠ろうかと悩んだが、ひとまずはアラディアを助ける所から始める事にした。
ちなみに、見知らぬ男をどうしたのかは、パンドラと男との間の内緒です。
出来れば虚華には見てほしかったのに、見てなかった上にまさかのアラディアが彼女ばりに引っ付いているのを見て、思わず気絶させてしまったという訳でした。
やってることは地獄の二股百合なのに、虚華はどちらとも恋慕の感情を抱いていないのが残念ですね。