【Ⅷ】#6 UnknowN=FactoR
楓達が白雪の森に到着し、臨達の元へと辿り着いた頃には、イドルは既に黒焦げだった。
漆黒のロングドレスを身に纏っている臨は、切り株に腰掛け、忌々しそうな目で黒焦げのイドルを睨み、薄櫻色の瞳で空を眺めている雪奈は、いつもの知的な方の雪奈に見えた。
楓達が来たことに気づいた臨は、待ちくたびれたような仕草をしながら、切り株から腰を上げる。
「随分遅かったな。邪魔者は気絶した事だし、話を進めようか」
「ちッ、やっぱアイツが居ないとお前らは危険だなァ。鋭利な刃物でももう少しは加減するぜェ?」
「コイツと一緒にすんな。あたしはあたしだ。クリムがどういった考えで行動してるかなんて、あたしには知ったこっちゃないから」
空を眺めていた“雪奈”は、イドルの事を心配そうに見ている「エラー」を見て、バツが悪そうに視線を逸らす。
此処に来るまであわあわしていた「エラー」はようやく、自我が戻ってきたのか、黒焦げになっているイドルの元へと駆け寄る。
揺さぶっても何の反応も見せないイドルに、「エラー」は涙を零し、悲しみに明け暮れる。
「あぁ……、イドルさん、大丈夫ですか……?一体誰がこんな酷い事を……」
「お前……この状況で犯人が誰だか分からないとか正気か?」
呆れながらも「エラー」の言葉に反応する楓を無視し、「エラー」は肩を揺らし、涙する。
実の所、「喪失」というトライブのメンバーは、リーダーであるホロウと別行動をしている間、割とあちこちで好き放題していた。
そのせいか、ホロウが預かり知らぬ間に、妙な風評被害が及んでいることもしばしばあった。
「全魔と絶糸には気をつけろ、助けは魔弾に乞え。」とジアの初級探索者の間ではよく言われていた。別に彼女らに悪気はなく、臨達にも彼らを害するつもりは無かった。けれど、噂は噂を呼び、悪意ある者達が噂に尾鰭を生やしながら、悪評を広めていった。
その結果、臨と雪奈は、ある一定の層には畏怖の象徴となってしまっていた。
そんな噂を、ホロウは一切耳に入れないまま、今日という日を迎えているのだが、この光景を見た楓は、噂の全部が全部、嘘のようには思えなかった。
(やってることは1対2のリンチだもんな、これ見たルーキーはそりゃビビるわ)
ホロウが「喪失」内では、毎回話を進める役割に居るということを、以前本人から聞いてはいたが成程確かに、彼女が居ないと話がまともに進む気配がない。
隣りにいるしのも、心配そうに“雪奈”の事を見ているが、若干身体が震えている事に楓は気づく。
「今は黒焦げの情報屋のことは良い。実際、そいつが悪いしなァ。俺らを此処に呼んだ理由、あるんだろうな?ブルーム」
「勿論。この建物に見覚えはあるか?」
「あァ?」
ようやくかと、臨はある方向を指差したので、楓がその方角を向くと、そこには素朴なログハウスのような小屋が一つ、建てられていた。
楓の不審そうな表情を見た臨は、若干の侮蔑を瞳に孕ませる。
「その反応だと、見覚えはないようだな」
「そうだな、俺にはこの建物を見た記憶がねェ。それがどうした?」
実際に楓はこの建物に対して、違和感を覚えては居なかった。目の前に聳え立つのは何処にでもあるようなログハウスであり、わざわざ此処まで呼んだ理由がこれとは到底思えなかった。
臨は目に見えて落ち込むような仕草をした後、ドアノブをガチャガチャと乱暴に回す。しかし、扉は開かずに、何やら魔術式のようなものが扉に浮かび上がる。
楓としのはログハウスの扉に近づき、扉に浮かび上がる魔術式を眺める。
「……随分新しい魔術錠だな?しかも、内側から掛けられてんのか?これ」
「バカの割に話が早くて助かる。そうだ、元々この扉には外側から鍵が掛けられていたんだ」
臨の言葉を聞いた楓はほう、と言って、まじまじと魔術錠を見る。
使用者によって形や強度が変わってくる魔術による施錠──魔術錠は、魔術式がこうして露出している時点である程度は解除されているような物なのだが、どうやら開けることが叶わないらしい。
基本的に魔術錠は、魔術式が露出さえしてしまえば、施錠者を呼び出して解錠させるか、魔術式を解除させる鍵を作成させるのがセオリーだ。
(コイツの口ぶりからして、外から鍵を掛けたのは恐らく……)
「外側の鍵を、誰かが勝手に解錠した挙げ句に、内側から鍵を掛けられたって感じか?」
「そういう事らしい。どうやら外側の鍵を掛けたのはあの子だと、コイツが言うんだがな」
やはり彼女もフィーアの人間ということもあって、臨の姿をしているブルームに、ある程度の嫌悪感を抱いているのだろう。“雪奈”は嫌そうな顔をしながら、魔術式に強めのノックをしている。
「もしそれが本当なら、誰かがクリムに鍵を作らせて、このログハウスに入り、内側から鍵を掛けた。それでこの話は終わりじゃねェか。そもそもこのログハウスが何なんだよ。ブルーム、どうしてお前はそこまで此処に固執する?大した物じゃないなら、そこまで焦らねェもんなァ?」
「……………………………………………………」
臨は唇を噛み、楓の言葉を無言で受け続ける。その臨の対応に、楓はしびれを切らすまでの時間はそう長くはなく、終いにはヰデルヴァイスまで取り出そうとしていたが、そこはしのによって止められた。
楓の背からひょっこり出てきたしのは、以前の活気さを全て失ったような表情で、臨を見る。
「普段なら黙秘するのも選択肢の一つだと思う。でもこの状況で情報をひた隠しにされちゃ、うちら、なんにも出来ない。何も知らせずに動かそうなんて、うちらを舐め過ぎてる」
「……………………………………………………」
それでも臨は、何も言わない。臨の隣りにいる“雪奈”も臨の対応に合点が行っていないのか、周囲の空気をひりつかせ始める。
徐々に空気が悪くなっていくのを肌で感じ始めたしのは、服を正して、改めて臨に問う。
「そろそろ話してくれない?何があったのかを。」
「……そうだな、話すべきだろうね。それが対価になるかは分からないが」
臨は、近くの切り株に腰掛け、此処数日の出来事を簡潔に話し始めた。
その際、臨は御丁寧に“糸”で人数分の席を用意し、話を聞ける環境を作り出すと、お茶まで淹れ始めた。
黒焦げになっているイドルには何もしなかったが、「エラー」含めて、自業自得だと思われているせいか、彼女に関しては誰も触れなかった。
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臨の話を聞き終えた、楓は頭を抱える。
予想はしていた。それでもブルーム──並行世界の黒咲臨が、語った内容はあまりにも耳に優しくない内容だった。
クリムが“雪奈”へと変貌した事実、ブルームのことを異常に嫌悪している“雪奈”や琴理、依音の存在、ホロウが行方を眩ませた理由が、恐らく“雪奈”がクリムと入れ替ってしまった事にあること。
そして、このログハウスの中にある黒い扉から、ブルームやホロウ達がこの世界へと来た事。この黒い扉へと至るログハウスの扉には、クリムがかなり緻密な魔術錠を施した筈なのに誰かが侵入し、内側から鍵を掛けられている始末だと、臨は苦々しい顔でそう語った。
話を聞き終えた、楓は改めてログハウスの魔術錠を見る。
「“緋浦”、今目の前にある魔術錠はクリムが作ったものかどうか、分かるか?」
「あー。これは多分違う。あたしも魔術錠自体、見慣れないものなんだけど、あー、言葉にしにくい……、元はあの子が作ったけど、それを誰かしらが改造したのが、目の前にある魔術錠って感じだな。伝わったか?」
「なら、不味いわね。施錠されている内側に誰かが入る必要があるのに、魔術錠が邪魔をしてる……なるほど、だから人手が必要だったという事ね」
“緋浦”の言うことが確かなら、この魔術錠を解錠したのはクリム本人で、内側から鍵を掛けたのもクリムという可能性が一番高くなる。
本来、製作者以外が開けるのは不可能なのだ。鍵があれば勿論開けられるが、臨曰く、ホロウにすら鍵を与えないように厳命していたらしい。
(鍵も無し、製作者は実質死亡状態、だが、目の前の魔術錠は何者かが書き換えた上で、内側から施錠されている。どうすればこの扉を破ることが出来るのか……そんなの文字通り常識破りだ)
其処まで考えた上で、そうか、と楓は一つの答えに至った。
臨が自分達を此処まで連れてきた理由、そして彼のあの苦い表情、言いたくなかったのだろう。
彼女が、現実を捻じ曲げた結果としか考えられない、目の前の事象に対する解答を。
(コイツはホロウが此処に侵入し、施錠したと考えている。理由は不明の儘なのに)
「大体分かった。それで?要は俺らは此処を突破しなきゃならねェんだろ?方法はあんのか?」
「あるにはあるが……」
また臨は言葉を言い淀んでいる。それほどまでに言いにくいことなのだろうか?
ホロウは自分達にとっても、「喪失」の面々にとっても必要な存在な筈だ。協力を惜しむつもり等無い。例え、言い出した首謀者がブルームが犯罪者である黒咲臨の同一存在であったとしてもだ。
楓は臨の背中を強めに叩く。突然の行動に、臨は驚き、楓の方を見る。
「なら言ってみろ。協力してやる。良いかァ?俺らは“行方不明の”ホロウを捜し出すために手伝ってやるだけだ。原因はお前ら「喪失」が解消しろ。良いな?」
「ふっ、本当にアイツはいい友達を持ったんだな……羨ましい限りだ」
少しだけ寂しげな表情を見せる臨は、簡易魔術紙に作戦内容を印字し、各員に渡した。
そこに書かれている内容を理解し、楓達が実行に移す迄に、そう時間は掛からなかった。




