【Ⅷ】#5 InvisiblE=ReasoN
楓達が喫茶店に入った時は空が未だ青かったが、気付けば夕暮れ時になっていた。
居なかった筈の店員が素知らぬ顔で他のテーブルの片付けをしており、いつの間にか自分達のテーブルには人数分のコーヒーカップが置かれている。香り高い湯気が楓の鼻腔を擽り、この珈琲が淹れたてである事を示していた。
夜が近付いていることもあるのか、喫茶店に人気はなく、楓達以外の客は居なくなっていた。
楓はチラリと琴理の方を見る。どう見ても落ち込んでいる彼女は、死んでいた筈の旧友との再開を果たしていた。
けれど、そんな旧友は再開を喜ばず、自分の命を元の持ち主に返したいと言っており、琴理のささやかな反論も完全に論破された。
その結果、依音の隣でしょぼくれているのだが、楓自身に出来ることは無い。
(そもそもこいつら蒼の区域に帰った筈。何で此処に平然と居るんだ?)
蒼の区域の大都市──ブラゥからジアまで大体歩くと数日は掛かる。その数日というのも、それなりに旅に慣れた探索者の話だ。十代半ばの女子二人が此処まで来るのに相当の時間を要しただろう。
(とは言え、無言の時間が続いても仕方ねェ。口火ぐらい切ってやるかァ)
楓は、何故自分がこんな事をしているのだろうと、心の中で毒を吐きながら“雪奈”を見る。
「あー。クリムじゃなくて、お前の事は“緋浦”って呼べば良いんだよなァ?」
「あん?そうだなー……一応自己紹介するべきか……」
ふむ、と考え込んだ“雪奈”は、椅子から立ち上がる。各々が各々の感情を“雪奈”に視線でぶつける中、“雪奈”は薄櫻色の瞳で全員を見る。
「全員知ってるとは思うが、改めて名乗っておく。あたしは“緋浦雪奈”。アイツに殺された筈の、あの雪奈だ。なんとかしてこの身体を元の持ち主に返したいと思ってる。それまでの短い時間だが、よろしく頼む」
「……本当にあの雪奈なの?死者が蘇るなんて俄に信じ難いわ」
雪奈を爪先から頭まで舐めるように見ていた依音は、琴理の頭を撫でながら目を細める。
「そりゃああたしだって信じ難いが「事実は小説よりも奇なり」って言うだろ?現にあたしが今此処に居る。それが何よりの証拠じゃないか?」
「……っ。そうね、確かに貴方からはクリムから感じていた知性が見られないわ」
「ひっでぇ謂われようだなぁ。あたし何かしたか?セントラル・アルブに居た時も大して絡み無かった筈だがなぁ」
依音は唇を噛み締めながら“雪奈”を睨むも、“雪奈”は一切意に介さない。依音自身も理解している。あの時、虚華の背中に背負われていた瀕死のクリムはどう見ても彼女とは違う存在だ。
あの時の彼女からは一切の“雪奈”っぽさを感じていなかったが、今は“雪奈”らしさが全開だ。
その事を琴理も感じていたのだろう。だから彼女との再会を心から喜んだのに、“雪奈”は蘇った事を喜ばずに、クリムに身体を返そうとしているのだ。
隣で沈んでいる琴理も、悔しさを顕にしている依音も、彼女の帰りを望んでいた人間だ。
(その態度が気に食わねェんだろうな。俺には知った事じゃねェが)
楓が冷静に二人のやり取りを分析していると、黙りこくっていた臨が口を挟む。
「おい、“緋浦”、ボクらは喧嘩しに来たわけじゃないだろ。何しに来たか忘れたのか?」
「ちっ。別人と分かっててもやっぱ不快だな。こいつらは気づいてないのか?」
「さてね、ボクには判りかねる。ボクもクリムが恋しくなるとは思っても見なかったよ」
“雪奈”は青筋を浮かべ、臨はドレスの裾から糸を取り出そうとしている。これはまずい。
身体の影響で身体能力が大幅に制限されているとは言え、“雪奈”は元来かなりの武闘派、ブルームも、不思議な糸を使うようになってからメキメキと実力を上げている。
この二人が喫茶店内で暴れだしたら、今度こそこの喫茶店が危ない。
喫茶店壊さないよな?という店長の心配そうな目線が楓の背中に直撃しているのだ。他にも従業員からも睨まれているし、何ならしのも楽しそうな目線を此方へと投げかけている。助けてくれよ。
その願いが声に出ていたのか、イドルが一触即発状態の“雪奈”と臨の間に割り込む。
「まぁまぁ、此処はボクの顔に免じて許してくれないかい?ブルームくんも好きでその顔になった訳じゃないし、雪奈ちゃんは何も喋らずに無表情で居たらクリムちゃんそのものでしょ?」
イドルのその言葉を聞いた“雪奈”と臨はお互いの顔をみやり、首を一つ縦に振った。
臨が“雪奈”に耳打ちすると、“雪奈”は何やら魔術を詠唱し始める。危険を察知したイドルはその場から逃げようとするも、臨の“糸”がイドルを捕縛した。
怒りを隠しきれない臨は、青筋を浮かべながらイドルに近寄る。
「ボクの“糸”から逃げられると思った?流石に此処だとマズイから場所を変えるけどさ」
「あたしらの琴線触れといてただで済むと思うなよ、情報屋風情が」
身動きの取れなくなったイドルは引き攣った笑みを浮かべながら、“雪奈”の詠唱を聞いていた。
「あはは……糸だけに琴線って上手いねぇ、雪奈ちゃ……」
イドルの言葉も途中で途切れ、いつの間にか三人は姿を消していた。
忽然と姿を消した三人を見た楓は、“雪奈”が発動させた魔術が転移系統の物だと理解した。そう考えると蒼の区域に居た筈の二人がこの場所に居ることも何らおかしくはない。
楓は、臨が座っていた席に一枚の紙が置いてあることに気づき、紙を拾い上げると、どうやら臨が書き殴ったメモ書きのようだった。
「先に白雪の森へ行っている。他のメンツも連れて追いついて来い。
バカ情報屋を沈めたら話を進めよう。アイツが居たら話が進まないからな」
(気持ちは分かるが、俺を引率係にすんなよ……)
ひとまず現状残っている「エラー」、しの、琴理、依音の四人に声を掛け、楓は喫茶店を後にした。オロオロして要領を得ない「エラー」は取り敢えずしのに任せて、楓は琴理と依音に声を掛ける。
「お前ら、“緋浦”の転移でジアまで来たのか?」
「えぇ。でもまさか術者の中身があの“雪奈”だとは思ってなかったけど」
「なんでなんすかね……、うちはただあの人と話したかっただけなのに」
琴理のやかましさは鳴りを潜め、トボトボと歩いている姿を見ていると、楓自身まで調子が狂いそうになる。
けれど、慰めるという選択肢が無かった楓は琴理の肩を両手で掴み、自分なりの言葉をぶつける。
「“緋浦”のしたいようにやらせてやれ。例え、それがどんなに辛いことでも」
「なんでっすか!!絶対雪ちゃんが生きて、あのよく分からない魔術師が死んだ方がうちらも、雪ちゃんも幸せに決まってるじゃないっすか!!!」
琴理が強く言い切った後、乾いた音が鳴り響く。琴理の頬を依音が強く引っ叩いたのだ。
自分が引っ叩かれたのが信じられないという顔で琴理は依音の方を見る。
「あのね、琴理。虚華──ううん、ホロウだったわね。あの子も私達を殺せばかつての仲間と再会することが出来たのよ。けれど、それはしなかった。何でだと思う?」
「そんなの知るわけないじゃないっすか……」
「あの子はね、優し過ぎるのよ。きっと最初は私達を殺してでも、あの子の世界の私達を蘇生しようとしてたと思う。けど、出来なかった。私達は私達の世界で生きていることを知ったホロウに、人を殺すことなんて出来なかった。言ってたわ、地獄の世界でも、自分だけは誰一人殺すことが出来なかったって」
「その事と、うちが雪ちゃんに死んで欲しくないのとどう関係があるんすか……?」
未だに頬が痛むのか、琴理は頬を擦りながら依音に尋ねると、依音ははぁと溜息を吐く。
露骨な依音の態度に、琴理は少しだけ不機嫌になりながら、そっぽを向いてしまう。
「簡単な話よ。ホロウにはもう仲間と呼べる仲間は二人だけしか居ないの。そんな少女からクリムやブルームを奪って、自分達の知ってる友人を蘇生なんてしてみなさい。あの子、どうなると思う?」
「考えるだけでゾッとするなァ……。おー怖い怖い」
楓と依音は自身の肩を擦る仕草を見せ、そんな事にならないと良いよなと言い合っている。
理由が分からなかった琴理は、素直に答えた。どうなるんすか?と。言ってしまった。
「あの子、普段は超温厚だけど、本気になったら全てを捨ててでも奪いに来るわよ」
「あァ、俺も本気のホロウにボコされたしなァ。ま、大分昔の頃の話だが」
「そ、そっすか。でも、そんな大切な仲間を置いて、あの人は何処行ったんすかね?」
琴理が腕を組んで、首を傾げるも、その問いに対する答えを二人共持ち合わせていなかった。
この話の本題は、ホロウ・ブランシュが何故失踪したのか?に尽きるからだ。恐らくこの問の答えは当の本人であるホロウにしか分からないのだろう。そして、何故“雪奈”は自分達を呼びつけたのか?
(分からねェ事だらけだが、白雪の森に何があるってんだ?)
そう言った楓は臨達の待つ、白雪の森へと足を進めた。




