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【Ⅷ】#4 CleveR=DingO


 「お前、誰だ?今日のお前はとても「全魔」のクリムとは思えない」


 イドルのこの言葉がただでさえ、不穏だった喫茶店内の更に空気を凍てつかせる。

 言われた張本人である雪奈は、涼しい顔を崩していなかったが、自身の目を手で覆い隠す。

 各自の視線は雪奈へと集中するが、当の本人は何も言わずに俯いたまま動かない。

 そんな雪奈の態度に思うところがあったのか、イドルは座ったままの雪奈の襟を掴む。

 

 「黙っていられる状況だと思うかい?キミが為すべきことは一つだけだ」

 「おい……、運び屋、その辺にしておけ」


 イドルの冷徹な怒りに、楓は止めに入るが、その程度の静止をイドルは意にも介さない。

 楓の掴む手を振り払い、何も言わない雪奈の顔を自身の方へと向けると、「ふぅん?」と興味が少し混じった声を出す。


 「可能性の一つだとは思ってたけど、まさかそうだったとはね」

 「…………………………ん……ぇよ」

 「ん?何か言った?聞こえなかったな」


 雪奈は何かを言ったようだったが、この場の誰もが聞き取れなかったようだった。これ幸いと、イドルは雪奈を盛大に煽る。

 普段の雪奈ならイドルの煽りなど無視したり、受け流すが、どうやら今回はそうも行かないようだった。

 雪奈は、自身の顔を掴むイドルの手を無理矢理振り払うと、イドルのこめかみ辺りに強烈なハイキックをお見舞いする。


 「しっ……」

 「は?お前、そんなに運動神経良かったか?」

 

 運動不足で運動音痴気味の雪奈の蹴り程度、普段ならばイドルが軽くいなす筈だが、雪奈が下した一撃を躱す為に顔を庇ったイドルの右腕は、凄まじい打撲痕と、薄っすらではあるが火傷の様な傷が残っていた。

 雪奈とイドルが視線で火花を散らしている中、楓は内心この状況にツッコミを入れたくて仕方なかったが、ぐっと堪える。閑静な喫茶店だったはずが、いつの間にか店主も居なくなっているし、どうなっているんだ。

 

 (喫茶店で何してんだよお前ら……てか、店主何処行ったんだよ……)


 この状況をどうにかしようと、楓は喫茶店内を見回していると、しのと目が合う。

 【蝗害】からの一件以来、あまりプラス方向の感情を顕にすることがなかった彼女だったが、どうやらこの状況が面白いらしく、薄っすらではあるが、久々に笑顔を見せていた。

 

 (しのが笑ってるのは嬉しいけど、この盤面だと俺が笑えねぇ……)


 楓が頭を抱えていると、右手をぷらぷらと振りながらイドルが口角を吊り上げて笑う。

 

 「へぇ?あのクリムちゃんが良い蹴りするじゃん。何処で習ったの?」

 「あたしが誰だか、もうわぁってんだろ?相変わらずまどろっこしい奴だな」

 「さぁ〜。何のことだか分かんないなぁ」

 

 楓が見ても、彼女の様子は明らかにおかしかった。口調から始まって、態度や立ち振舞、その他の何もかもが自分達の知る「全魔」のクリムとは大きく異なっている。

 瞳の色も濁った雪のような灰色から、薄い櫻のようなほんのりと赤みの帯びた色に変わっており、クリムが纏っていた知性も今では見る影もない。

 どう考えても目の前に居る彼女は、沈黙が似合う魔術師ではなく、気高き武闘派の一匹狼だ。


 「も、もしかして、貴方は……」

 「あ、こら。琴理、止めなさいっ」

 

 おずおずとイドルと雪奈(?)の前に出たのは、琴理だった。

 依音の静止も虚しく、止まらなかった琴理を雪奈(?)は訝しげな表情で見るも、彼女自身は琴理が誰なのか、ピンときていないように見えた。

 彼女の瞳には、怯えの中に一抹の期待感を孕ませている。彼女と一番仲が良かったのは琴理だったのだ。

 楓も目の前の彼女の正体について、既に勘付いていた。

 彼女の立ち振舞、態度、口調、その全てが何処かで見覚えがある気がした。それに以前からクリムは彼女に似ているとは思っていた。ただ、同一人物にしてはあまりにも容姿以外が似てなさ過ぎたのだ。

 けれど、今目の前に居るクリムは、そういった内面も含めて彼女に酷似していた。

 

 ──四年前に死んだ、かつての学友に。


 琴理は胸に手を抑え、期待半分不安半分と言った表情でクリムに問いかけた。

 

 「(せっ)ちゃん……なんすよね……?」

 「あぁ?お前、もしかして琴理か?あたしの知ってる琴理と随分と違うけど」 

 

 雪ちゃん、と。昔懐かしい渾名に反応できるのはクリムじゃない。

 そう確信した琴理は、薄櫻の瞳を持つ雪奈に飛び付いた。


 「もう逢えないと……、そう思ってたのに……」

 「あー……、まぁ、もうあたし死んでたからな」


 ポリポリとガサツな仕草で頭を掻く雪奈の姿に、皆が皆、複雑な表情をしていた。

 イドルは嬉しそうにしながらも、この状況がどうなっているのか気になっている様に。

 依音は、死者が蘇るあの噂が本当だったのか、と信じられないものを見る様に。

 各々が、各々の感情を発している中、雪奈の変貌に顔色を変えない者が居た。

 

 ──ただ一人、臨を除いては。


 「うち、嬉しいっす。雪ちゃんが帰ってきて。これからどうするつもりなんすか?」

 「あぁ。その事なんだけどな」


 琴理のマシンガントークも、おざなりに躱した“雪奈”は臨と視線を合わせる。

 暫く“雪奈”の事を睨むように見ていた臨は、勝手にしろと言わんばかりに視線を切る。


 「あたしは、この身体をもう一人のあたしに、クリムだっけか?に返したいと思ってる」

 「え……、なんでそんな事言うんすか?」

 「へぇ?折角生き返ったのに?ボクなら第二の人生を謳歌するよ?」


 “雪奈”の言葉に異を唱える琴理に、同調するようにイドルが面白可笑しく言葉を挟む。

 片や絶望、片や好奇心満々で、この場の温度差が酷過ぎて楓は風邪を引きそうになる。


 「たりめーだろうが。良いか?人格があたしのモンでも、この身体や受け継いできた技能は、クリムのモンだ。現にさっき情報屋にかました一撃もしょぼい。頭の中には魔術やあたしの知らない情報が詰まってやがる」

 「で、でも、今は雪ちゃんの物なんすよね?ならそのまま雪ちゃんの物にしちゃえばいいじゃないっすか!」


 琴理の言葉に、“雪奈”ははーっと溜息を吐いて少し強めに琴理にデコピンをする。

 

 「いったぁ!?何するんすか!?」

 「当たり前でしょう……、雪奈じゃなくても怒るわよ?」

 「気づかなかったがお前、依音か?随分と見違えたな。好きな人でも出来たか?」


 背伸びたな、と依音に近づき、背比べをする“雪奈”から依音は、耳を真っ赤にして距離を取る。

 普段ならば、いつも冷静だった依音がここまで取り乱すのも珍しいことなのだが、すぐに落ち着きを取り戻した依音はコホンと咳き込む。


 「わ、私の事は良いから。話を続けなさい」

 「はいはい、相変わらず無駄にお硬いお嬢様だ。で、話を戻すが、琴理を言うことは論外だ。何度も言うが、あたしは既に死んだ身。何かを犠牲にあたしが生かされてるってのは我慢ならねぇ。ましてや他の人間の生命を奪ってんなら尚更な」

 「で、でも人間は、生きる為にずっと何かを犠牲にしてるじゃないっすか!その犠牲の対象が、たまたまノコノコやってきた並行世界の自分だったってだけ。自分が良ければそれでいいじゃないっすか!それが人間ってもんなんじゃないんすか!?……ひぃっ!」


 琴理は“雪奈”の言葉に必死に反論していたが、“雪奈”はギロリと琴理を睨みつけると、琴理は息が詰まったような声を上げ、黙りこくる。

 黙ったのを確認すると、“雪奈”は怒りの矛を収め、困った顔で琴理の頭を撫でる。


 「あたしが生者で、犠牲があたし(クリム)じゃなかったら琴理の言葉も一理あったかもな。でも逆の立場で考えてみろ。あたし(クリム)は死んでいるのに、蘇生するためにあたしを犠牲にしろって言われたら、琴理は納得出来るか?」

 「っ……!」


 琴理は言葉を発さなかったが、無言は肯定とみなした“雪奈”は言葉を続ける。


 「出来ないだろ?だってそれは簒奪者の正当化でしか無いからな。死んだあたしの為に、クリムが命を投げ出す必要は無い。だからこの命をクリムに返したい。それにな」


 “雪奈”は胸に手を当て、目を瞑る。

 先程まで“雪奈”達に蔓延っていた喧騒は既に消え去り、喫茶店の中は静寂に包まれている。


 「頭の中に浮かぶ魔術式をあたしは殆ど使えねぇ。だから()()()()。あたしには魔術の造詣が一切無い。必要に差し迫られたから、探知魔術と感知魔術の二つを急拵えで覚えたが、それだけでもかなり無理をした。正直、宝の持ち腐れも良い所だ」


 薄櫻色の瞳を輝かせながら、“雪奈”は薄い笑みを浮かべる。

 クリムが決して見せない表情に、この場に居る人間全員は、彼女がクリム・メラーではなく、四年前に夜桜透に殺された筈の緋浦雪奈であることを確信した。





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