【Ⅷ】#2 BrokeN=DesirE
パンドラに抱き締められていたはずなのに、虚華の身体は、何処か寂しさを覚えた。
よくよく耳を傾けると、何やら騒がしい。虚華は涙に濡れた顔を袖で拭き、前を見る。
(あれって……?何処かで見たことがあるような……?)
「捕縛対象“疫”を発見。情報を閲覧。これより戦闘態勢に入ります」
「感情を失った人間を機械と融合し、都合の良い機械兵に、と言う訳か。つくづくこの世界の管理人とやらは趣味が悪いようじゃなぁ?そうは思わんか?アラディア」
「キヒ、普段なら無視するんだけど、相手が相手だし、付き合ってあげる。悲しいことに、私とパンドラの組み合わせはトライブで二番目に強いからね」
目の前の相手は、此方に銃を構えている。攻撃しないのは、増援を呼んでいるせいだ。
あちこちに、“疫”と呼ばれる存在──恐らくは虚華のことだろう、が居ることを伝達している。
そんな相手のことには目もくれずに、パンドラは楽しそうにアラディアに尋ねた。
「ほう?一番は誰じゃ?気になるではないか」
「キヒッ、決まってんじゃん。二人共あの子が一番、でしょ?ケヒヒヒヒ」
「はっ、違いないのぉ。……今は二番目で妥協してやろぅ」
アラディアは何処からか、自身のヰデルヴァイス──『終末の空』を取り出す。
崩れ落ちたまま、こちらを惚けた目で見ている虚華を一瞥し、アラディアは不敵に笑う。
「まさか、本物様が現れるとはねぇ……キヒヒ。丁度いいし、持って帰ろっか」
アラディアは指をパチンと鳴らし、自身の身体をぐちゃぐちゃと捏ね繰り回す。
人型の姿に戻る頃には、いつもの戦闘スタイルに変わっていた。
盲目の少女は、不敵に笑い、聖骸布の内の瞳は閉ざされたまま、敵の居場所を正確に見抜く。
「『虚飾』のアラディア……、目を開けた時が最期。本物には負けはしない」
アラディア達は意気揚々と目の前の相手を狩ろうとしているが、虚華は彼女ら中央管理局に支配されたままの人間と、それらを管理し、指揮する職員の残酷さを知っている。
『終末の空』を構えている彼女が狙っているのは、何処か見覚えのある目の前の蒼い髪の女性だ。
けれど、その女性は被管理層である。感情を喪失しており、倒した所で無理矢理蘇生され、何度でもリサイクルされるだけの悲しい兵隊だ。
(奴らは被管理層を人だと思ってない……。いざとなれば特攻させることだってある……)
彼女らとの戦い方を知らなければ、消耗戦に持ち込まれて不利になる。ましてや此処はディストピア。フィーアと違って魔術の使い勝手も違うのだ。その一瞬の隙が命取りにだってなる。
虚華は歯を食いしばり、拳を強く握り締めて、少し離れた場所にいるアラディアとパンドラの為に立ち上がらんと、決意を固める。
なんとか立ち上がった虚華は、中央管理局の職員を指差す。指された職員の顔が歪むのを見ながら、大声を上げる。
「「歪曲」様!「虚飾」様!狙うのは少し奥にいる白い制服を着た奴です!アイツ以外を倒した所で、大した意味はありません!!!」
二人は振り返らなかった。けれど、その背中を見れば虚華には分かる。
彼女らの標的が、少し離れた場所の指揮官に移ったことが。
自分も行かないと。もう、護られるだけのリーダーじゃないんだから。
走り出した虚華の右手には暫くの間、懐で眠っていた黒い銃を携えていた。
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「話になんないねぇ、キヒヒ……」
「全くじゃ。この世界の輩は腑抜けておる。躾直す必要があるのかも知れぬな」
虚華が手を出すまでもなく、彼女らは中央管理局の連中を制圧していた。
厳密に言えば、虚華は懸命に被管理層の人達を相手に殺さないように、と四苦八苦していたが、パンドラは足や体の一部を消滅させることで戦えないようにする戦術で大量の被管理層を無力化し、アラディアはパンドラが有象無象を無力化している間に指揮官の元に辿り着き、こうして捕縛していた。
「ちっ、普段と違うメンツだと思えば……、おのれ“疫”……」
「私は特に何もしていないんだけど……」
虚華に唾を吐いている中央管理局職員は、パンドラによって手を後ろに組まされた姿で捕縛されている。
被管理層の兵士達は、動きを停止するように指示しているので、この指揮官が命じない限りは虚華達に牙を剥くことはない。
虚華は職員と被管理層を眺めているが、一年前とまるで変化がないことに気づく。
普通ならば、暫く振りだったな、とか言われるものだと身構えていたのに。
(そう言えば、こっちは今、何年の何月なんだろ)
気になった虚華は、捕縛されている職員の前でしゃがみ込む。何故か職員は目を逸らしているが、こっちを見させるために顔の位置を調整する。
後ろで見守っている二人も、「おぉ……これが天然かっ」「キヒッ、中々やるねぇ」と声が聞こえてきたが、何のことか分からない虚華は気にせず、職員に話し掛ける。
「何赤くなってるの?ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「……話せることなんて何もない」
虚華は彼の対応に違和感を覚えた。中央管理局の職員が虚華に対して黙秘しようとしたのだ。
虚華の“嘘”を知っているのに、何故、尋問を拒んだのだろうか?
四面楚歌の状態にある中、誰かが此処に来るのを待っている?救援として来た被管理層は粗方処理し終えた。
(まぁ、良いか。今は情報を集めることが最優先だし)
虚華は職員に近寄り、唇に人差し指を添える。“嘘”を発動させる為に言葉に魔力を込める。
「汝、|我に逆らう事能わず《私の言うことに逆らえない》」
虚華の言葉を聞いた職員は、虚ろな目でそっと頷く。“嘘”が効いた証だ。
あまり長い時間この状態にさせるとお互いに良いことがない。話は手早く済ませなければ。
虚華は改めて、職員の前にしゃがむと、職員は虚ろな目で見上げる。
「それで、今は何年の何月?」
「XXXX年の、X月だ」
(月日が流れていない。時計が止まってたのもあるし、やっぱりそういう事ね……)
少し考え込んだ虚華は、次の質問を職員に投げかける。
「貴方の直属の上司は?誰の指示でこの地区を回っているの?」
「俺の上司は宵紫柚斗管理課長、指示も宵紫課長の命令だ」
虚華は脳裏に残っているディストピアでの記憶を読み漁るが、知らない名前だった。
以前まで、虚華の捕縛を命じていたのは「黒咲夢葉と黒咲現葉」の二人だった。流石に彼女らの役職までは知らないが、課長以上なのは間違いないだろう。
(それにしても管理課長なんて役職すら初めて聞いた。そんなのあったんだ)
一月以上の時が流れていない筈なのに、知らない人間が指揮官に対して指示している?
確かに、黒咲夢葉は既に死亡している。だから、上司は現葉だと思っていたのだが、出てきた答えは知らない名前だった。
動いていないと思っていた世界が、少しずつ変わっていることは理解出来た。
虚華が考え込んでいると、職員が呻き声を上げながら頭を抑えている。これは“嘘”による現実改変能力の副作用だ。長時間使用していると、自我が侵食に抵抗して壊れてしまう場合がある。
時間はそう残されていない。虚華自身、彼を殺したいわけではないのだから。
虚華は、後ろで周囲を警戒していたパンドラの方を向く。
「「歪曲」様、彼に何か聞きたいことはありますか?」
「ん?んーむ……」
パンドラは周囲を警戒しながらも、考える素振りを見せる。その間も職員は頭を抱えながらも、何とか意識を保っているが、そろそろ解除しないと彼の健康を害する可能性がある。
焦りを感じた虚華は、パンドラの袖をくいっと引く。
「特に聞きたいことがないなら……」
「いや、ある。おい、そこな白い奴。何故此奴は“疫”なのだ」
確かに気になった。虚華は自身に害がない限りは、中央管理局の人間に“嘘”を使用しない。
パンドラの言葉に、虚ろな目の職員は答えんと口を開く。
「それは……結代虚華は……」
「そこまでだ」
職員が何かを言おうとした時だった。低い男の声と、錫杖の遊輪が鳴る音が少し離れた場所からした。
見慣れない格好だ。この世界に立っているのに、被管理層のような住民服でもなく、戦闘服でもなく、中央管理局の制服でもない。真っ黒の装束に、フードを深めに被ってはいるが、背は虚華とそこまで変わらない。
虚華がそっちに気を取られた瞬間に、職員の苦しむ声が大きくなった。
「あああああぁああああああうああああああああ!!!!!」
「!?これは一体!?」
虚華が職員の方を振り返ると、職員はドロドロに溶け、最期には何も残らなかった。
まるで元々彼は水で出来ていたのを、無理やり蒸発させたような感じだ。
目の前で起きた異常な死に、直面した虚華は、錫杖を鳴らし此方に進む男を睨む。
「貴方は!?どうして彼を殺したんですか!?」
「異な事を。敵側に情報を漏らす味方など、居らぬ方が良いだろうが」
男は、錫杖の柄の部分を引き抜き、刃を晒す。どうやら錫杖型の仕込み刀だったようだ。
独特の構えで、刃先を虚華の方へ向け、濃密な殺意をこちらへと発している。
「悪いが、此処で死んで貰う」