【Ex】#3 歪曲、女児を泣かせる
虚華が「背反」の館から脱出し、普段からよく使っていた宿屋の一室に手紙を置いて失踪し、「喪失」の面々から距離を置いた虚華は、七つの罪源が主、「歪曲」のパンドラの元で悠々と過ごしていた。
何処も彼処も白と黒が奇妙に入り混じっているパンドラの私室で、紅茶を嗜んでいたパンドラは物憂げな顔をしている虚華を見る。
「のぅ、ホロウ。いい加減何があったか話さぬか?無論、ずっと此処に居ても構わぬがな?」
虚華は、目の前に差し出されていたティーカップをそっとテーブルに置き、パンドラの方を向く。彼女の顔からは若干の呆れと、心配そうな表情が見て取れる。
けれど、本来ならば虚華が事情を説明する必要は無い筈だ。虚華の動向を全て遠隔から見ることが出来るパンドラに、報告出来ることなんて何一つ無いのだから。
しかし、屋敷の主の言葉を無下には出来ない。虚華は困り顔で進言する。
「「背反」の館での一連の流れはご覧になっていないのですか?」
「無論、一部始終全て見させて貰った。拒まれない限りは視ても良いという話じゃからな。じゃが、分からぬのじゃ」
「分からない……というと?」
パンドラが立て肘をついて、若干不貞腐れたような表情を見せる。相当年上を自称する割には、虚華自身とあまり感情に差異が無いことに微笑ましさを覚えながら、虚華はパンドラの言葉を待つ。
「お主が「喪失」から離脱した理由が、じゃ。もし仮にクリムが恣意的に偽りを吐いたのだとしても、それを飲み込んでやるのが主の勤めではないか?」
パンドラはトライブの主たるもの、しょうもない嘘一つで機嫌悪くして、出ていくなど子供のすることだ。と虚華を窘めているのだろう。
(私が子供だなんて、分かってる。けど、許せなかったんだ)
勿論、雪奈が敢えてあの場で嘘を付いたのなら、それはそれでいい。
もしそうなら、あの時、臨が首を縦に振った理由を問い詰めるだけだ。
「勿論、彼女の発言が、悪意のある嘘ではないことは百も承知です。ですが、此処最近の彼女に対する違和感と、魔術に対する誤認。並びに「背反」とのやり取りで一つの仮説が生まれたんです」
「ほう?仮説とな。どんな物か言ってみよ」
虚華が至って真面目に話しているにも関わらず、パンドラは楽しげな表情で虚華の言葉を待っている。その態度はどう見ても親に絵本を読んでもらうのを待っている子供にしか見えなかった。
現在の姿が自分よりも一回り小さいのもあって、なんだかほっとする錯覚に陥る。
「恐らくですが、「背反」の館に居た時のクリムは、緋浦雪奈だった可能性が高いんです」
「ほう……?ホロウがその名を言うということは、お主らの世界の緋浦ではない方──妾達の世界に住まう方の緋浦……という認識で良いな?」
そう、彼女だけ、パンドラだけは虚華が別の世界から来た人間であることを教えている。その事を知った上で、パンドラは誰にもその話をせずにこうして自分と話して接してくれている。
だから、この仮説を一蹴せずに、考慮の余地ありと判断しているようだ。
パンドラは、先程までのあどけなさが残る顔つきから、一気に永きを生きているのを感じさせる表情へと変貌する。
その温度差が、普通の人には恐ろしいらしく、七つの罪源の中でも重い災禍──普通の人間と対峙しても会話すら成り立たなくなる。に苛まれているとの事だった。
(私が何とも無いのは、なんでなんだろ?やっぱり私、人じゃないのかな?)
虚華が自身の事を理解出来ていない不甲斐なさに気を落としていると、考察を終えたパンドラが簡単にホワイトボードのような物に此処までの情報を簡単に纏め上げる。
今のパンドラの形態では身長が足りなかったので、普段よりも少しだけ高く浮きながら、ペンを何処からか取り出す。
「わぁ、その記録板。懐かしいですね」
「ん?前に使ったのは「ニュービー惨殺事件」の時じゃろ?あれって精々数ヶ月前の物ではなかったか?」
虚華の言葉に、パンドラは疑問符を頭上に浮かべながらも、記録板に書き込む手を止めない。
スラスラと達筆な字で書き込まれていくそれを、虚華はぼんやりと眺めていた。
言葉には出来ないが、虚華はパンドラがこうして宙にふよふよ浮かびながら自分の為に何かをしてくれるのが、たまらなく好きなのだ。
「あれから、色々あったせいで随分と昔に感じちゃったんですよ」
「そういう物か?まぁ良い。……っとこんな物か。これだけを見ると……残りは“誰がどんな魔術で蘇生したのか?”と“自史世界の緋浦雪奈が殺され、並行世界で蘇生されたとされる根拠”に対する解答が必要になる訳じゃが。答えはあるのか?」
つらつらと書き上げた情報をパンドラが精査し、これが分かればなぁと記録板を少し離れた場所から見ながら言う。
パンドラはうーむと少し考えるも、分からなかったのか、そっと虚華に記録板に書き込む用のペンを差し出す。さながら授業で黒板に答えを書けと促す新米教師のようだ。
ペンを受け取った虚華は、自分の考えをペンに乗せて、書き連ねる。
(まぁ、授業なんて殆ど受けたこと無いから、想像だけどね)
「まず最初に“誰がどうやって蘇生したのか?”ですが、蘇生対象が事前に仮死状態になるように魔術を発動させ、その後仮死状態を解除することで、一度死んだ状態から蘇生されたのと同じ状態になると考えています。勿論、これが根拠、と言う訳ではなく、あくまで否定されない為の可能性の一つではありますが……」
この世界でも、あちらの世界でも、人間、もしくは生物を生き還らせる魔術は禁術か準禁術に当て嵌まる為、表立っての使用はできない。
此処にいる人達も、元々は禁術などを開発、使用してしまったから中央管理局によって捕縛された存在だ。そんな厳重に管理されている魔術がおいそれと使用できる訳がない。
だが、「背反」の流した噂を信じた上で、雪奈が何らかの理由であっちの世界の雪奈に入れ替わろうとしたのならば、不可能ではない。
(問題点を上げるとするなら、一度入れ替わったのは良いけど、どうやって身体を返してもらうつもりなのかは、聞いてみたいものね)
「ふむ。確かに「全魔」なら可能じゃろうな。現に使用できる魔術の数は恐らく妾達の中でも勝てるものは居らぬ故な」
「重ねてですが、「背反」の目撃情報は恐らくはフェイク。同時に同一存在が存在した可能性は大いに薄いと思います」
虚華の言葉に、パンドラは「ほう?」とだけ言って興味深そうに黒板の文字を凝視する。その後、軽い足取りで、床に足を付けて歩き、手近な椅子に足を組んで座る。
虚華はパンドラの言葉を待たずに、話を進める。ここから先の言葉は言われずとも分かる。「根拠は何だ?」だ。
「根拠ですが、現状はまだありません。ですが、一箇所、心当たりがあるのでパンドラ様に其処へ同行して頂きたいのです。其処に行くことで私の考えが正しかったのかを判断出来ると思います」
「それは構わぬが、妾が行く理由はあるのか?」
一人でも十分ではないのか?と訝しむ目で見るパンドラに敵意や悪意はない。
恐らくは、それほどまでに危険な場所に赴くつもりなのか?と聞きたいのだろう。実際、そんな危ない場所ではない。癸種の探索者でも余裕で散策できる場所だ。それでも、虚華はあの場所を一人で向かいたいと思えなかった。
(出会いたくない人と初めて出会っちゃった場所だしね。それに……あの中がどうなってるのか、私は以降、一度も見ていない)
どうやって、パンドラを説得しようか。素直に怖いからです、なんて言った日には不貞腐れたまま、この屋敷から追い出されるのではないだろうか?
虚華は必死に言い訳を考えたが、この刹那とも言える短い時間ではまともな言い訳は思いつかなかった。
(思いつかない……此処まではなんとか言葉を続けてこれたのに……しょうがない)
慣れない手段ではあるが、虚華が出来る限りの全力を尽くして、パンドラの元へと向かう。
近づいてくる虚華に、何してんだこいつ?と言う眼差しを向けるパンドラのことなど構いもせずに、虚華はパンドラの膝の上に両手を置いた。
すると、パンドラは若干頬を染め、虚華の顔を見る。普段は凛々しい声色なのに、少しだけ上ずっていた気もする。
「えーと、ホロウ?これは一体……?」
「……い……で……す」
「ふぇ?」
「こーわーいーんーでーす!!」
何処からかとめどなく溢れ出す涙を抑えつつ、虚華はパンドラの顔を見る。
きっと、困らせているだろう。目の前で部下が急に泣き出すのだから、訳も分からずに。
そんな物を視ても、不気味に思うだろう。気持ち悪いだろう。そう思うと、尚更涙が止まらない。
けれど、パンドラの反応は、虚華の想像していたのと大きく違っていた。
「……そうか。分かった。ならば妾が共に向こうてやる。だから涙を拭くのじゃ」
そっと虚華を抱き締めるパンドラは、きっと何処かで眠っている母親のように感じた。
それほどまでに、パンドラは優しくて暖かった。彼女がどれほどの罪に塗れても、自分だけは信じていたいと、そう思うほどに、虚華の冷え切った身体をゆっくりと暖めるようだった。
この後、暫くの間、虚華は泣き続けたが、最終的にパンドラの同行を勝ち取った。
この時の虚華はあざとさと涙目なのも相まって、可愛さが臨界点を突破しており、危うくベッド・インする所だったと後のパンドラは語る。
本当の理由は何だったの?とアラディアに聞かれた虚華は、悩んだ挙げ句に自分の居場所をすぐに見つけ出すストーカーが二人(雪奈と透)が怖いので、その護衛にと伝えると、あぁ……みたいな顔もされたそうです。




