【Ⅶ】#18 無垢な少女の嗜虐性が牙を剥く
虚華は一際豪華に装飾されていた扉の前で一呼吸してから扉を開く。
中にどんな物があっても、どんな人物が居たとしても、対処出来るように心構えをしていた。
(他の部屋に、「背反」は居なかった。逃げた可能性もあるけど)
おそらくは逃げては居ないだろう。否、逃げることを許されなかったのだろう。
此処には大半の「終わらない英雄譚」の構成員が居た。この状況が一体どうやって作られたのかは分からないが、各部屋の惨状を見るに、この屋敷の中を一気に改変した可能性が高い。
此処を確認していなかったら、再度各部屋の洗い直しだ。彼がどんな格好をしていたのかは、臨が覚えている。調度品と化した元人間達を間近で見る事は苦痛だが、やむを得ない。
そんな事を考え、虚華は「主賓室」の内部を見渡す。どうせ居ないと高を括っていた。
──だから、驚いた。中には男が、「背反」が満身創痍になってこちらを見ていたのだから。
彼の華美な格好は酸化した血で固まっており、顔には既に枯れきった涙の痕、鼻水やその他色々な体液が付着していてとても不潔だった。
この部屋も例に漏れず、地面や壁面まで異形化しているが、元人間の調度品は見当たらない。
居るのは、壁に凭れ掛かり、怯えたような目で虚華達を見ている黒髪の美丈夫一人だけだった。
虚華は男の視線に目もくれず、男の事をじっと観察する。
(探索者とは思えない程の軽装甲に、小型剣にしては長く、長剣にしては短い、何とも中途半端な長さの剣が収められている特徴的な鞘……彼が「背反」なのは間違い無さそう)
臨から聞いていた情報だと、常に女を侍らせており、自身に満ち溢れていた黒髪の青年との事だった。目の前の彼も「背反」の特徴に全て当て嵌っている。彼が「背反」なのは間違いないだろう。
虚華が物色するように「背反」の事を見ていると、弱々しい表情で「背反」が口を開く。
「キミは……ホロウ・ブランシュか……よくもやってくれたね……ゲホッゲホッ」
「そうだけど……、やってくれたって何の話?」
忌々しそうにこちらを睨む「背反」の瞳には憎悪や、憤怒の色がギラギラと輝いている。
咳き込んだ時に血を吐く程に弱っているのに、彼からは虚華への敵対心が滲み出ている。
「背反」の言葉が理解できなかった虚華は、首を傾げると、「背反」は声を荒げた。
「僕の館をこんなにして、仲間をっ、あんな凄惨な姿にして……キミは最低な人間だっ!」
力強くこちらを罵倒する度に、「背反」は苦しそうに咳き込み、血を吐き出す。
全身を怒りで震わせている彼は虚華を罵っているようだが、まるで心当たりがない。
自分達はジアを焼き討ちにされ、その犯人が「終わらない英雄譚」の「背反」だという声明文を見たから話を聞きに来ただけだ。
加えて、並行世界の人間をこちらの世界で殺すことで、人格が入れ替わって蘇生されるという言う噂についても追求したかった。お陰様でかつての仲間と同一人物の存在に、仲間を殺されかけるという出来事にまで発展したのだから、文句の一つぐらい言ってやりたかったのだ。
虚華達が、犯行声明を握り締めて乗り込んだ結果が、この訳の分からない人間という人間が異形と化した屋敷と、満身創痍の屋敷の主が一人だけ居たという物だった。
その主に漸く話が聞けたと思えば、この惨状は虚華達のせいだと宣う。
(どういう事?彼は何を言っているの?とにかく話を聞かなきゃ)
「背反」は相当弱っている。話を聞くには一先ず治療をしなければならない。口を開く度にこちらに対する呪詛と血を吐かれては堪らない。
けれど、回復した途端に牙を剥かれても困る。彼は「エラー」を洗脳し、操ったのだ。その他にも悪名は広く轟いている。直接会ったことのない虚華の耳にすら入ったこともある程だ。噂好きな人間なら、知らないものは居ないだろう。
(ならあれを付与してみようかな。善人で試すのは気が乗らなかったんだけど)
虚華は、前々から呪と闇の二属性の魔術を、重点的に禍津やパンドラ、アラディアに学んでいた。
その結果、雪奈だけから教わっていた時よりも、代償が重い代わりに効果も強力な物や、普通の人間が人道的に使うのを躊躇うような物を多数習得していた。
虚華が雪奈にそういった物を教えてと乞うも、「虚にはまだ早い」とあしらわれて禄に教えてくれなかった所に、教えてくれる先生達が現れたのだ。
そういった魔術を覚えたかった虚華に、彼らから教わらない理由が無かった。
結果、現在の虚華はそれなりに非道な魔術を習得している闇魔術師に、片足突っ込んでいる状態になっている。
交渉の算段を付けた虚華は、困り顔を顔に貼り付けて「背反」の前にしゃがみ込む。野生動物のように全力でこちらを警戒している「背反」の琴線に触れないように最新の注意を払いながら。
「話聞きたいけど、その傷じゃ厳しいよね。私が治療するから、傷が治ったら話してくれない?お互い誤解してると思うの」
「……キミが?僕に回復魔術を……あはは……ゲホッ、良いよ、キミが治療出来たら話を聞こうじゃないか」
虚華は頷くと、歪な笑みを浮かべながら、覚えたての詠唱を開始する。
臨と「背反」は虚華の詠唱に反応を示さなかったが、雪奈は違った。きっと、虚華の詠唱を聞いただけで、どんな魔術を使用しようとしているのか分かったのだろう。
「ホロウ……その魔術……何処で……?」
雪奈が虚華に近づこうとすると、臨が腕で雪奈を静止する。雪奈が無理矢理押し通ろうと、魔術を詠唱し始めると、臨は雪奈の口に指を添える。
その行為を良しとしなかった雪奈は強めに拒絶し、虚華の所に向かおうとするが、臨がやはり行かせはしなかった。
力じゃ勝てないことを理解した雪奈は、虚華が詠唱中なのを良いことに、臨にしか聞こえない声で会話を始める。
「何故止めるの?虚が、どんな魔術を詠唱してるのか、分かってる?」
「少なくとも純粋な回復魔術じゃないことは……な。リーダーの作戦を信じよう」
「…………」
沈黙した雪奈に、臨はふっと小さく笑うと雪奈にだけ聞こえるように小さな声で笑う。
「少し見ない間に変わったな、クリムも、ホロウも」
「一番変わったのは、ブルーム」
「はは、違いない。ん。詠唱が終わったみたい。あの魔術は結局どんな物なんだ?」
臨の疑問に、雪奈は少しだけ瞳を曇らせた。顔色は変わってないのに、たったそれだけのことで表情がガラッと変わったように見える。そんな雪奈の様子を臨は少しだけ楽しそうに見ていた。
「あの魔術は…………、…………」
雪奈が虚華の使用した魔術の説明をすると、小さく口笛を吹いた。その顔には愉快でしょうがないと言った笑顔が浮かんでいたが、雪奈はその顔を見て、臨の足を強めに踏み付ける。
「痛ったぁ……何するんだ……、にしてもそんな魔術をあのホロウがねぇ。誰に教わったんだろうな、もしかして独学?」
「分からない。あたしが、あたしの、知らない虚が、映る度に、心がザワザワする」
そうこう言っている間に、虚華の魔術が発動し、「背反」の傷がみるみる癒えていく。
魔術が発動し終える頃には、「背反」の傷は消えており、苦悶を浮かべていた彼の顔は、普段の時と同様の軽薄そうな顔つきに戻っていた。
余裕そうな笑みを浮かべ、自分の身体が完全に回復していることを確認すると、「背反」は虚華に近付く。
「いやぁ、本当に回復魔術を使えるとは思ってなかったよ。ありがとうね、ホロウちゃん。僕の屋敷をこんなにしたのは許し難いけど、今回の所は見逃してあげるよ」
「え、いや、あの。話をしてくれるんじゃ……?」
「背反」はオドオドしながら困り顔で自分の方を向いている虚華を見て、前髪をかきあげながら、笑う。まるで心の底からおかしくてしょうがない、そう言わんばかりにケラケラ笑っている。
一頻り笑ったのか、「背反」は息を切らしながら、甘美な声で虚華に嘯く。
「悪い大人はね、約束を守らないんだ。勉強になったね、お嬢さん?」
悪い大人がそれだけ言い残すと、臨と雪奈など意に介さずに、外に出ようと扉に手を掛ける。
それまで何も反論せずに俯いていた虚華は、指をパチンと鳴らす。
その場に居た三人全員が虚華の方を向いた。雪奈は発動させてしまったかぁと顔を手で覆い、臨はこれから起こることが楽しみだと言わんばかりに「背反」を見ており、「背反」は一度は何か起きると警戒はしたが、何も起きないことを確認すると、再び余裕そうな笑みを浮かべる。
「なんだい?今のフィンガースナップは。ただの脅しなら僕は効かないよ?」
「今に分かるよ。ただの脅しなんかじゃないって」
「はぁ?何言って……ほえ?」
「背反」は自分の身体に異変がないかを焦って探すも、何も起きてないことを確認すると、再び余裕そうな顔つきで、虚華の方を見る。けれど、虚華は自分の顔を見ても何一つ焦っている様子が無い。
この場に「背反」の味方は居ない。誰も自分を肯定してくれない。そんな中、相手は自分の言う事が間違ってると言わんばかりの態度を取っている。
気づいたのは、虚華が微笑んでいることに気づいてからだ。
「なっ……、僕の身体が……!?」
「背反」の身体が崩壊している。ボロボロと、砂上の楼閣のように崩れていく。何が起きたのかと自身の手や身体を見つめた所で、身体の崩壊は留まる所を知らない。
犯人は目の前で、「背反」の身体が崩壊しているのをただじっと見ている。その態度が気に入らなかった「背反」は虚華の胸ぐらを掴もうと駆け寄る。
「おい!どうなってるんだ!どうして僕の身体が!?」
「さぁ。どうしてだろう?私には分からないな」
「クソッ……このガキがぁ!」
半ば錯乱状態にある「背反」に詰め寄られるも、虚華は知らんぷりを決める。
「背反」が顔を真っ赤にして怒っても、虚華は涼しい顔で何もしようとしない。
虚華はただ、やり返したのだ。約束を反故にしたのが悪いんだぞと言わんばかりの態度だったが、血が登りきった「背反」には澄まし顔のクソガキにしか見えていなかったようだ。
「おいっ!早く助けろ!くっ……何が目的だ?」
「私はただお話がしたいだけですよ」
虚華はニコニコしながら、「背反」の身体が崩れていくのを見ている。臨と雪奈も二人のやり取りを見ていたが、一歩距離を置いて見守っていた。
そうこうしている内にも「背反」の身体がどんどんと崩れていく。進行が進み、腕まで崩れ去ったせいで、虚華の胸倉を掴み上げることすら叶わない。
(あぁ、腕が無くなっちゃった。次は多分足が崩れ去っちゃうなぁ)
このままだと、彼は全身にまで崩壊が進んでしまって死んでしまうだろう。
虚華が彼に求めているのは情報の提供。話がしたいだけなので、殺すつもりはないが、死ぬ直前まで苦しんで貰っても結構だと思っているので、ただ笑顔で見守っているだけで良い。
ついに「背反」は足まで無くなった辺りで、虚華の前に頭を垂れた。
「分かった。キミの求めるものは全て差し出す!だから助けてくれ!!」
「その言葉は、本当ですか?嘘じゃない?」
「あぁ!本当だ!だから早く助けてくれ!あぁ、もう下腹部が……」
虚華は「背反」の悲痛な訴えに耳を傾けずに、臨の方を見る。臨は何も言わずに首を縦に振った。
嘘じゃない、この言葉はどうやら信じて良いものらしい。
悪い大人も、死の恐怖には抗えなかったようだ。
虚華は小さく溜息をつくと、指をパチンと鳴らす。「背反」の下腹部が崩れ去った辺りで、彼の身体の崩壊は止まった。
(さて、欲しい情報をさっさと吐いて貰わなきゃ)
安心したのか、「背反」の身体は上半身だけとなっているが、横に倒れ込んだ。
四肢は既に消え去り、下半身まで失っているのに、死んでいないと言うだけで人間は安心するものなのかと、虚華は冷ややかな目で、「背反」の一挙手一投足を見守っていた。
「背反」が落ち着いたと思った辺りで、虚華はそっと「主賓室」にある椅子の一つに座る。そして、「背反」に手を差し伸べる。
──腕も足も奪われた彼に取る手段なんて何一つ無いのに。
「さぁ、座って。下半身ぐらいは再生してあげるから」