【Ⅶ】#17 生と死の境目があるのなら
虚華は見るからに重厚な「背反」の館の扉を開くと、ぶわっと死者の匂いが鼻腔に襲いかかるのを感じ、思わず鼻を摘んだ。
血の匂い、腐った死体の匂い、発酵しきった糞尿の匂い、その他にも不快感を募らせる物を全部ぐちゃぐちゃに掻き混ぜたそれらは、ディストピアを離れた久しい虚華にとっては、筆舌に尽くし難い物だった。
臨と何気ない会話をしていた虚華は文句を言いつつも、館の中へと足を運んでしまった。
──だから、虚華はまだ見ていなかった。館の内部の惨状を。
「何この匂い……ねぇ、ブルーム。昨日まで本当に此処は人で一杯だったの?」
「……ああ。今も人で一杯だけど、それにしても予想外だ」
「え?どういう事?」
臨は、ん。と壁面を指差す。虚華は何があるのだろうと指差された方を見ると、目を見開き、叫ぼうとする本能を抑え込む為に、自分の口を無理矢理手で覆う。
(酷い……一体誰がこんな酷いことを……)
臨が指差した方角にあったものは、恐らくこの館に居たであろう人間の成れの果てだった。
壁に埋め込まれたその成れの果ては、身体のあちこちが欠損しており、痙攣しながら蠢いているのを見ると、死んでは居ないのかも知れない。
例え生きていたとしても、人間として生きていくことはもう出来ないだろう。
そんな人間で出来た不気味な調度品があちこちに置かれている。外にあった黄金の調度品とは対称に、内部の調度品は配置に拘っているように見えるが、虚華にはその法則が分からなかった。
臨が近くにあった首の代わりにランプが付けられている死体に触れると、死体は拒絶するようにぶるぶると震える。
ランプ型の調度品の反応を見た臨は、嗜虐的な笑みを浮かべ、虚華の方を見る。
「随分と悪趣味だね。奴らは「終わらない英雄譚」の面子だけど……哀れだ」
「……見覚えあるんだ。彼らの事を」
「所属こそしていないけど、ボクも一応盗賊職を齧っていたから、昔から強引な勧誘が多かったんだ。だから、構成員の顔を覚えていただけさ」
虚華が悲痛な声でそう尋ねると、臨は不思議そうな顔で返事をする。
二人が会話をしている間、手持ち無沙汰だった雪奈は、臨に倣って近くの壁面に身体の半分以上が埋め込まれている調度品に触れると、調度品は言葉にならない呻き声を上げる。
「ブルーム、これは?」
「格好だけ見ると、「背反」に侍っていた卑しい雌豚だったんじゃないかな。顔が潰されて、拡声器が取り付けられているから……多分、蓄音機か、壁面スピーカーの役割をしているんじゃない?華美なドレスも糞尿と凝固した血でアレンジされてて、本当に醜いけど」
臨は心底不快そうに元取り巻きを唾棄すべき人間だと蔑みながら、せせら笑う。
雪奈は臨の言葉に、そっか、とだけ言って、まるで美術館の内部を巡るかのように、あちこちの調度品を見て回っているが、彼女の瞳には恐怖も憎悪も宿ってはいなかった。
(こんな酷いのを見て、二人共何とも思ってないんだ……)
あちこちにある調度品をなるべく見ないように、虚華はうつむくように下を向く。
虚華はぼんやりと下にある物を眺めていたが、ふと気づいた。気づいてしまった。
赤い絨毯が一面に敷かれているものだと思っていたが、少し屈んでよくよく見ると、それらは赤黒い血で何かをコーティングして作られている物だった。
虚華は、言葉にせずとも理解していた。この状況下で普通の素材なんて絶対使っていない。
この屋敷の調度品は全て、「終わらない英雄譚」の構成員で作られている。だから、この地面に敷かれている絨毯のような物の材料にも見当が付く。
(人間の皮膚を屋敷の広さに合わせて延して何枚も積み重ねて作ってる……!?)
絨毯にあるべきふかふか毛の部分は人間の体毛を、豪華絢爛な赤色は血液を、肝心な生地の部分には人間の皮膚が用いられている。
その出来は最低の物だ。歩くだけで粘着質な水音が聞こえ、毛は血で固まり切っているせいで棘のようになっており、靴を履いていないととても歩けたものではない。
悪辣な出来の絨毯の下には大理石の床が覗き込んでおり、剥がすことも検討したが、最低な絨毯を素手でなんて触りたくはない。
何処を見ても最悪な調度品を見るのならと、虚華はようやく前を見るが、やはり凄惨の一言に尽きる惨状だった。
あちこちから調度品の悲痛な声や、呻き声が聞こえてきて、頭が痛くなる。
(一体誰がこんな事を……。酷い……)
虚華が耳を塞ごうとすると、臨が少し離れた場所から勢いよく、一つの調度品を蹴り飛ばす。
珍しく顔のほとんど原型を保っていた調度品で、何やらずっと同じ言葉を繰り返していた物だったが、臨の一撃を受けてからは、唸っている声色が変わった気がした。
臨の表情からは怒りが滲み出ており、放置すればあの調度品を何度でも蹴り飛ばすだろう。流石に不味いと思った虚華は、臨の腕を強引に引っ張って、止めようとする。
──そうでもしないと、虚華を蔑んでいた臨を脳裏から追い出すことが出来なそうだから。
「や、止めなよ、ブルーム。このスピーカー?だって、元は人間だったんだよ?」
「……」
臨は息を深く吐くと、視線を調度品から虚華の方へと移す。
「さっきまで、あのゴミがなんて言ってたか。聞いてた?」
「……え?ううん。何か悲痛そうな声を上げてるなとは思ったけど……」
虚華の言葉に臨は眉を下げ、優しそうな表情を見せると、直ぐに振り返り、先程以上の怒りの表情を顕にして再度、同じ調度品を蹴り飛ばす。
すると、その調度品は顔だった部分を真っ赤に腫らして、叫び声のような音色を奏でる。
「ブルーム!もう止めてよ!その人が何をしたって言うの!?」
「このゴミはこれで三回言ってる言葉が変わった。最初は「助けろ、どうして俺がこんな目に、俺の代わりにお前らが死ねばいいのに」だった」
「え……?」
虚華には悲痛な叫び声、何かを懇願するような呻き声、何を言っているのかは分からなかったが、確かに臨が元人間を蹴り飛ばす度に、音色が変わっていることには気づいていた。
そんな彼が「俺の代わりに死ね」と言っていた?自分に?どうして?自分が一体何をした?
「そして、ボクがその声を聞いて蹴ったら今度は「二人の命を捧げれば、俺は解放されるかも知れない、早急に命を捧げろ、そうすれば俺だけは助かるんだ」だったな。言ってる事も、そのザマも、ダサいぞ、おっさん」
「そんな事言ってたんだ……どうして?」
「さぁ。けど、コイツだけは呻き声じゃなくてギリギリ聞き取れる言葉を話してたんだ」
臨がこの調度品を侮蔑していた理由も、蹴り飛ばした理由も分かった。じゃあ最後──今はなんて言っているのだろう?
気になった虚華は、すっかり恐怖心も消え失せたのか、調度品に近づく。
顔の部分以外を壁に埋め込まれているそれは、虚華が近づく度に顔を歪めている。
「ブルーム、多分今も何か言ってるんだよね。なんて言ってるの?」
「「俺はコイツのせいで、お前が悪いんだ、俺は何もやってない」だってさ。もう良いよ。黙ってて」
臨が、短剣を調度品の目、鼻、口に突き刺すと、調度品はビクビクと痙攣を起こしながら、怒声を上げた後に、完全に沈黙した。
恐らくだが、調度品へと作り変えられても完全には死んでいないのだろう。
──人間として完全に死んでいることは、明白だが。
虚華は近くで色々物色していた雪奈を呼び戻し、臨の案内の元、「背反」が居るであろう主賓室へと向かう。
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道中、このだだっ広い屋敷の中を歩き回ったが、やはり何処も彼処も人間で作られた家具やモニュメントがあちこちに置いてあった。中には何人もの素材を使った可能性が高い物まであった。
「ねぇ、ブルーム」
「なに。人が居ないとは言え、警戒するべき時だけど」
臨の言葉は正論で、実際その通りだ。油断していると言われたらその通りだと思う。
けれど、今聞いておきたい。もうすぐで「主賓室」へと辿り着くのだから。
他でもない黒咲臨に、ブルーム・ノワールに。目の前に居る君に。
「此処にある人間を素材にした調度品……あれってどうやって出来てるの?」
「魔導具関連ではないだろうね、魔術関連ならあっちのが詳しいでしょ、ほら」
臨が顎で雪奈の居る方向を示すと、そこには不機嫌な態度を見せたいのか、無表情で頬だけ膨らませている何ともシュールな雪奈が腕を組んで仁王立ちしていた。
──時々他の調度品のような姿になっていなければ、きっと笑顔で相手が出来ただろうに。
この呪いのように付き纏う悪夢は一体何なんだろうか。
現実を蝕み、虚構を現実にするなんて、なんて厄介な代物なんだろう。
(まるで、私の“嘘”みたいじゃないか)
首を強めに横に振ることで、幻想の雪奈を追い出して、話を再開させる。
何故横に首を振ったのか分からない二人は不思議そうな顔をしていたが、虚華の真面目そうな顔を見ると、二人も真剣な顔つきで虚華を見る。
「クリム、人間をこんな風に出来る魔術が、この世界にあるの?」
「……ディストピアの魔術に、近い物はある、でもこっちでは初めて見た……かも」
普段なら断言する雪奈が言葉に言い淀んだ。語尾に「かも」を付けることで、臨の真偽を問う真眼を曇らせることを知ってのことだ。
虚華は臨の方を見るが、臨は無言で首を横に振る。判定は不明、嘘か真か分からない。
此処に臨が居るからきっと、そういう濁し方をしたのだろう。理由は分からないが、隠さなきゃいけない理由があった、だから雪奈は言い淀んだ。
(ううん、私が信じなきゃ。きっと見たかどうか自信がないんだ。そういった場合でも真偽判定は出るけど、それは正確じゃない)
臨の真偽判定は、基本的にその本人が嘘を自覚して話しているかどうかで、判断されるものだが、時々過去の記憶があやふやで判定に支障が出る時がある。
今回もそうなるのを危惧しての物だと、虚華は思い込むことにした。
「そっか、分かった。もうそろそろ「主賓室」だけど、二人共準備はいい?」
「勿論だ、誰が来ようとも負けるつもりはない」
「ん、右に同じ」
虚華達は「主賓室」を除いて屋敷の中を一通り回ったが、五体満足で歩き回っている人間と呼べる者は一人も居なかった。もしも「背反」までもが調度品にされていたのならば、見つけることは不可能だろう。虚華はそう思いながら最後の一部屋である主賓室へと辿り着いた。
あけましておめでとうございます。いつも嘘救を読んでいただいでありがとうございます。
来年以降も時間のある限り、更新していきたいと思いますので、応援の程よろしくお願い致します!