【Ⅱ】#1 “Knight”は“Queen”の盾、護る為に牙を剥く
私達三人が逃げ惑い、生きていた世界。ディストピア。この世界での私達はチェスで言う所の、チェックメイト寸前の状況だった。
今では三人しか居ない自分達ではあるが、元々は七人で行動しているチームだった。残り四人はとうに亡くなっている。遺体も確認はしたが、弔う余裕などは虚華達にあるわけもなく、簡易的に焼却だけして去っていた。
まず最初に防御の要であった盾役が暗殺され、次にその者の死に動揺した近接戦闘者が銃で撃たれた。
仲間内の武具を制作する少女と、皆の補助をする立ち位置に居た少女は、少し前の争いで虚華を庇い斃れた。
その二人と仲が良かった虚華は、幸いにも命からがら逃げ出すも、彼女の心は大きく壊死してしまっていた。なんとかしようと、臨と雪奈はあれこれ画策したが、効果的な成果は一切得ることが出来なかった。
虚華は分かっていた。四人の仲間を失った時点で、これ以上「世界」に抗っても無駄なのだと。勿論言葉には出していない。その言葉を真実にするわけには行かないのだ。それに勘の鋭い臨に勘ぐられてしまう。
それでも心では既に理解していた。十歳の幼い少女でも分かるほどには、目の前の現状は絶望的だった。
残ったのは、銃が扱えるだけの少女が一人。結代虚華。「世界」に追われるようになった原因。
魔術は初級炎系統しか使えず、片手剣ですら扱うことが苦手な痩身の少女。自分が握るのは母親の遺した愛銃が三丁。そのうちの一本は弾を込めることも、弾丸を放つことも出来ない役立たずだ。でもそれでも虚華はこの銃を大事に持ち続け、今に至る。
唯一の武器、“嘘”は両刃の剣。歪める現実が重い程、自分に降り注ぐ代償も重い。そんなものを無闇矢鱈に振り回すことは出来ない。
残ったのは、人間の放つ言葉が真実であるかを判別できる少年が一人。黒咲臨。虚華が今の現状でも尚、諦めるわけに行かないと考えているのは彼の存在が大きく寄与している。
魔術は雪奈程ではないが、最低限の魔術と高度な索敵系の魔術を持つ。武器は片手剣を主流としているが、場合によっては銃器や様々なものを臨機応変に用いる事が出来る。
真実が見えた所で、現実は何も変わらない。真実を知った所で、それが現実に影響は与えない。
虚構が見えた所で、相手は何も変えれない。虚構を知った所で、それは現実を歪めることは出来ない。
その一番知りたくない「事実」を知る頃には、彼がどうなっているのか。
残ったのは、魔術における戦闘能力、才能がずば抜けている少女。緋浦雪奈。
虚華が今の現状でも尚、諦めるわけには行かないと考えているのは彼女の存在が大きく寄与している。
彼女は周りの人間に疎まれていた。その美貌が、その才能が、その全てが、誰かの悪の感情を増長させた。そして、何よりも、彼女の本来の性格はとても褒められたものではなかった。そんな少女が虐められるのは、感情を将来的に奪われる事を約束されているディストピアであっても同じであった。
そして、虚華に対しては、今のような無表情さを基本的に貫いているため、虚華は彼女が感情を失ってしまっていると思い込んでいる。でもそれは違うのだ。彼女が虚華に対して表情を消して接しているのは……。
雪奈はそんなどうしようもない地獄から救い出してくれた虚華にだけは、懐き、彼女の願いは何でも叶えたいと考えている。
そんな中、ある日、移動してきた新アジトの中を確認していると不思議な装置が置いてあった。
それに虚華が触れると、その直後には此処ではない何処かに飛ばされていた。その不思議な場所で、虚華は先程死んでしまった少年、透に出会った挙げ句にナンパされて気分が悪くなったから逃げ帰ってきたと。
そんな報告を臨は真に受けることは無かったが、虚華は嘘をついてはいない。
その事実だけがどうにも引っ掛かって悩んではいたが、この先どうすることも出来ない袋小路ならば、その不思議な場所に行くのも一興だと思った。
彼女が望むは、仲間との再開と現状の打破。臨と雪奈は生活が出来ることを望んで。
此処より終わった世界でないことを祈り、再度黒い靄の掛かった扉を、今度は三人で開く。
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三人で相談した結果、二人が賛成してくれたので私達三人は黒い靄の掛かった扉を潜る。
最初に扉を潜った臨はいつもの仏頂面をまま表情を変えない。多少目を見開いて周囲を見渡している事から、何かしらの感想は抱いているのだろう。最後に潜った雪奈は、興味もなさそうに虚華に声をかける。
「魔術で部屋に鍵掛けた。念の為」
「あー……考えてなかったや。ありがとね雪」
軽く雪奈の髪を虚華がぽふぽふと撫でると、少しだけ鼻息を荒げて満足そうにしている。暫くポフポフしていると臨から声を掛けられた。
「本当にあの世界とは別物かもしれないな。森なんて無かった」
少し感心しながら臨に、よく此処を見つけてくれたと感謝の意を述べられる。虚華は、にへへと嬉しそうにしていると、まだ報告していない事があることを少しだけ焦がした床を見て思い出した。
(どうしよう、色んな意味で複数回怒られる気がしてきた……でも黙ってても仕方ないもんね……)
「あ、あのね。臨」
「ん?どうした、虚」
「あっちで言い忘れてた事があってさ」
そう申し訳無さそうに虚華が言うと、臨の周辺からほのかに冷気が漂ってきた。
(前々から報連相は大事だって言われてたのに忘れてたぁ……)
「言い忘れてた事?」
臨がいつもの表情でいつもの声のトーンで聞き返す。顔は見れないが、かなり冷気が濃くなってきている。内容が内容なので、明日は臨の胃の中に入ってるんじゃないだろうかと錯覚してしまいそうになり、虚華は涙声になりながら俯く。
「さっきの……えーと、ディストピアと比べて此処だと魔術が上手く使えない気がするなーって思ったんだけど、でもこれは多分、私が練習を最近出来てないせいかも知れないと言いますか、なんと言いますか……」
自分で言ってて思ったのだが、これだと自分が魔術の鍛錬をサボったor報告を忘れた戯者かの二択だ。
どっちにせよ叱られるのになんて馬鹿な言い訳したんだろうと思い、そっと顔を上げて臨の方を見やる。
「………」
臨はいつものように仏頂面で顎を触りながら何かを考えているようだった。その仕草を見て虚華は、あぁ、怒りよりも考えることが優先事項で助かったなぁとほっと胸を撫で下ろしていた。
「雪、軽く魔術を発動してくれるか」
「虚、やったほうが良い?」
臨が雪奈に頼んだことなのに、雪奈は虚華に聞いてくる。毎回のことだが、雪奈は虚華以外の頼みや、命令などは基本的に無視したり、素直に聞いてはくれない。
それを知っている臨もはぁと息を吐きこそしたが、特に彼女のこの行動に対しては文句もないようだ。恐らく反論したけど、聞いてくれなかったんだろう。
その姿を想像した虚華は臨にこっそりと心の中で同情してから雪奈の方を向く。
「ん、そうだね。お願いしよっかな。後出来れば、臨のお願いも聞いてくれたら嬉しいなぁって」
「臨が虚になったら考えるね」
即答である。臨はこめかみに青筋を浮かべながら、何も言わずに雪奈の方を見ている。聞いてくれたら……の辺りにはもう言い出していたので、同時に話していた時間がある程には雪奈の返事は早かった。その返事の後に雪奈は魔術を詠唱し始める。
(臨の事、嫌いなのかなぁ……?仲直りとかさせるべきなのかな……?)
そんな事をうんうんと考えていた虚華だったが、雪奈の方を見て、あれ?と思った。
普段と比較して詠唱時間がやけに長い。彼女は詠唱時間を半分以下に出来る技術詠唱短縮が使えるはずだから、並大抵の魔術なら直ぐに発動するはずだが、目の前の少女は未だに魔術を発動させていない。
(もしかして……)
「雪、ストップ。今どんな魔術を詠唱してたの?」
虚華のその言葉を機に詠唱を中断させた雪奈はこう返した。
「この付近の森?木を全部燃やすつもりで、簡単な超級炎魔術を、使おうとした」
(超級は簡単な部類に入るんだろうなぁ……雪にとっては)
簡単な超級魔術という矛盾した単語の羅列はひとまず置いておいて、虚華はそんな危険なものを発動しようとした雪奈を止められた事で、飛び出そうになった心臓が元の位置に戻るのを確認した。
(止めて良かったぁ……もし発動してたら、私達小屋の中で全員焼身死体になるとこだったぁ……)
多分、少しだけでも自分に良い所を見せようと張り切ってくれたのだろう、だから責めることは出来ない。でも流石に危険が過ぎる事だし……と悩んでいた虚華を見た臨が、呆れた気配を漂わせながら、雪奈に小言を述べる。
「虚は何も言わないが、ボクは言う。そんなものを此処で発動したら即座に全滅だ。詠唱時間が掛からず、虚が止めなければな」
「ん。発動しなくて詠唱してただけ。発動する前にキャンセラしてた」
感情を持たない者同士が言い争っているが、どうすれば二人を止められるのだろうとあわあわしていた虚華だったが、ひとまず自分が割って入れば止まるだろうと思い、止めに入る。
「まぁまぁ、でもこれであっち側よりも魔術が使いにくいのは分かったでしょ?ね?」
二人の間で火花が散っていたが、なんとか収めてくれた二人を見て、虚華はやれやれと思う。
怒りの鉾を収めたのか、臨はふんと鼻を鳴らすと、怒りを忘れたようにつらつらと口を動かした。
「……虚の言うことにも一理ある。ボクも探知魔術を詠唱したが、範囲があちら側……虚はディストピアと呼んでいたから、それに合わせよう。ディストピアに居る時の約半分ぐらいの精度しか無かった」
「ふむ……じゃあ私だけじゃなくて三人とも何かしらの魔術に対する妨害か何かが掛かってるんだね」
「いや」
虚華が「これってもしかして名推理では?」と得意げに纏め上げた内容を臨は一言で一蹴する。
「そう決めるのは早計だ、今は情報を集めよう。ボクは周囲を探知魔術を使いながら哨戒する。虚と雪は此処に居て」
要件だけ独りでに言うと臨は足早にログハウスの扉を開き、哨戒しに周囲を探索しに行った。
出ていく臨を見送った虚は雪奈に声を掛けようとするも、「あたしも魔術面で、考えたいから休んでて」と言われ、自分一人だけ手持ち無沙汰になってしまった。
臨に付いて行っても足手纏になる。かといって雪奈の邪魔するわけにも行かないから、自分の思考に整理を付けておこうと虚華は空いている椅子に座り、自分だけの世界に潜り込む。
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透、夜桜透は虚華が小さい頃からの友人。幼馴染と“言われている”男だ。
残念ながら、虚華には幼い頃に彼と何かした記憶は殆どない。記憶の殆どが両親や仲間を殺されたショックで失われてしまっている。
その他にもディストピアでの暮らしでのストレスからも、大まかな出来事を臨から教えてもらったこと以外は、何も分からない。
それでも、この逃亡生活の前後で、最低限の礼節や生き方、銃の扱い方などは教わっているため、生きていくことだけなら難しくはないレベルまでは成長している。
透はそんな臨によって色々教えて貰っている時にひょっこり現れた同年代の少年だった。
彼との(虚華が覚えている中での)最初の出会いは小等部に通いながら、臨にも基礎教育を教わっていたある雨の日だった。
「あれ、虚華ちゃんじゃん。放課後の小等部では見かけなかったから何処に居るんだろうって思ってたけど、こんな所に居たんだね」
誰も来ることがなさそうな場所を臨が選んでアジトにしているのに、そんな事は知らない透がこちらへ向かって笑顔で手を振りながら走ってくる。
透を見た虚華はひぃいと言いながら、臨の後ろに隠れる。虚華はぷるぷると震えて臨の背中から離れようとしない。
それをみた臨は本来ならば、虚華が返事をするべきなのだろうが、出来ないものと判断し、代わりに透に言葉を返す。
「お前は……誰だ?」
「君に名乗る名前は無いけど。そうだね、虚華ちゃんの幼馴染といった所かな」
爽やかな笑顔を貼り付けて話している眼の前の少年に、臨はある種の嫌悪感を感じながら彼の言葉の続きを待つ。後ろには何故か怯えている虚華が居る。理由は分からないが、彼が苦手なのだろう。
「こんなにも虚が怯えているが、お前は何をしたんだ?」
「うーん、仲良くしようとしただけで、何もしてないんだけどなぁ。君は誰だい?虚華ちゃんの何?」
虚華に対しては柔和な対応をする透だが、臨には些か厳しい表情と語気を放つ。どうやら臨の事を敵だと思っているらしい。
(あの人、何なんだろう。私、何かしたのかなぁ……)
そんな事を考えながら、臨の背中から離れない。自分に対しては甘い顔と声をするのも、臨に対しては厳しい顔と態度を取る、その差も全てが今の虚華には受け入れがたいと。虚華はそう感じていた。
「名も名乗らない奴に名乗る名前はない。虚も怯えてる。用が無いなら消えろ」
自分の名前は名乗らないのに、こちら側には名前や立場がどうなのか聞いてくる透に対して、臨も多少の不快感を感じたのか、苛立ちを隠さずに透に言い放つ。
「確かに、少し失礼だったかな。ごめんよ。僕は夜桜透。虚華ちゃんは気軽に透って呼んでね、お前は夜桜様呼びなら許してあげなくもないけど」
透は最初に非礼を簡単に詫びる。その後に自己紹介と虚華に対しての媚売り、挙げ句には臨には失礼な態度を取る。その目の前の偉そうにしている少年に対して虚華は、臨の背中でぷるぷると震えながらも少しばかりの嫌悪感を募らせていた。
(この人が私に何の用なんだろう?私はこの人を知らないのに、あの人は私を知っているの?)
言葉に出せなくても、言葉にしなくても。少年の背中に隠れているだけの少女が嫌悪感を募らせる。虚華を見たわけではないが、臨が虚華の気持ちを汲んだのか、臨は語気を荒げて透を糾弾する。
「虚が怯えている。今日は帰れ。そしてもう二度と来るな」
「うーん、ここらが引き時か。また来るよ。虚華ちゃんとナイトさん」
軽薄そうな彼は、虚華に投げキッスをし、去っていた。
それから、小等部を抜け出して逃げ回っているつい先程までの数年間。
透には一度も居場所を教えては居なかったが、何度も顔を合わせる度に最低限の会話をしていった虚華は、透に最大限の警戒心は持ちながらも、話すことは出来ていった。
透に対しては雪奈も臨も最期まで打ち解けることはなかったけど、私だけはそれなりに会話を重ねていった。好きだったものや、臨達が語らなかった昔の話とかも。その部分でしか知らなかったものもあったから、新鮮だったことを今でも覚えている。
最終的には死なせてしまったけど、最期の瞬間は嫌いじゃなかったなぁと。たった数時間前の出来事をまるで遠い昔の出来事のように思いながら感傷に浸っていると、急に身体が揺れだした。
地震かと周囲を見渡すも、誰もおらず。真っ暗闇に一人立たされていた。
「……い、……ろ」
「おい、起きろ、虚」
「ね、寝てないよ」
「……別に寝ていても良かったけど。疲れてただろう」
臨はぷいっとそっぽを向いて自分のことを心配してくれる、その不器用な臨の優しさが先程までの不快な透への気持ちを一気に浄化してくれる。
当時の何も知らなかった自分が付いていく人間を間違えないでよかったなぁと、虚華はほっと息を付いていた。
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身体を揺さぶっていたのは、先程哨戒する為に外に出払っていた臨だ。その様子を見るに虚華は考え事をしているつもりだったのに、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
(じゃあ、さっきまでのは夢だったんだ。私の記憶力にしてはやけに鮮明だと思ったや)
そんな自虐を心のなかで呟き、あくびをしながら、臨の声に耳を傾ける。
「ボクは付近を哨戒してる間に付近のことは大体把握できた。雪も魔術に対して報告があるらしい」
だから……と虚華に対して、何かをして欲しそうな言葉の投げ方をする。
あぁ、こういう時に臨は自分にどうして欲しいのかは知っている。会議を開いて欲しいのだ。
でも臨自身がしようとすると雪の性格上、必ず何かしらの軋轢を生むからと言う理由で、こうやって促しているのだろう。
(大変だなぁ、臨も、私ももう少ししっかり出来れば良いんだけど……)
「分かった。会議をしたいのね。雪ー、こっち来て。二人共情報を共有したいみたいだし、会議をしよっか」
「ん。了解」
「分かった」
二人は短い返事をし、虚華の左隣に臨。虚華の右隣に雪奈がちょこんと座る。
「はいはい、臨はこっちで、雪はこっちね。そんな私に二人共くっついちゃ話にならないでしょ」
「むぅ。虚、いけず」
「全くだ」
二人はこういう時だけは意見が合うのが、個人的にフフッとなってしまう一部分だ。
こうして、座る位置を変えさせて、会議をしやすい状況を作るのはこの中では自分しか出来ない。だから、これは数少ない虚華の出来る仕事と言っても過言ではないだろう。多分。
いい加減仲良くしてくれないかなぁと苦笑しながらこのやり取りをする虚華を見ている臨と雪奈も、少しだけ顔が綻んでいる気がする。
会議の内容を全く知らない虚華は、そうしてルンルンで場を整える。