【Ⅶ】#16 虚構が、嘘憑きの現実を侵食し始める
虚華が「歪曲」の館から出る際に指定した座標は、「背反」が根城としている場所から程近い外れ。
いきなり自分が現れた事を雪奈に悟られるとマズイと感じていた虚華は、事前に探知魔術に引っ掛からないようにする魔導具を作動させてから、指輪型の魔導具に魔力を注ぎ込む。
「覆い隠せ、影縫」
黒い塊が虚華の影から湧き出し、その塊が虚華ごと指輪を覆い尽くすと、虚華の周囲に黒い花弁が舞い上がる。
吹き荒ぶ黒い花弁が消え去る頃には、白と黒が歪に入り混じっている奇妙な屋敷から、木々が織り成す木陰が涼しい燦々とした森へと変わっていた。
「此処は……、確認する前に念の為」
虚華は、雪奈や臨の索敵魔術対策で、一つ小さな魔導具を取り出す。少し前まで使う必要がなかったので、鞄の奥底で大事に眠っていたが、此処最近は重宝している代物だ。
──雪奈には知られたくない。自分が手を出した存在に、力に、代物に。
仲間に知られたくないから、という理由で使う嘘は、果たして誰の為の嘘なのだろう?
答えの見つからない自問自答を繰り返す虚華は、指輪型の魔導具に魔力を注ぎ込む。
闇属性が得意な虚華が魔力を注いでいるせいか、指輪は黒い輝きを放っている。これで、雪奈や臨の索敵には引っ掛からないだろう。
(こんな玩具で防げるのなら良いんだけどね)
これで安心して、「背反」の元へと向かえる。その最中に二人と出会えれば尚良い。
出会えないのならば、一人で罪の力を解放してでも倒す。これ以上、雪奈を脅かす存在を野放しになどしておけない。自分達を手に入れるためにジアを燃やすなど、言語道断が過ぎる。
「さて……「背反」の屋敷はどっちかな……」
小さい頃から方向音痴だった虚華は、方位磁針を取り出す。昔から何かと迷子になりがちだった為に、ディストピアの琴理が作ってくれたものだ。
昔は気恥ずかしくてありがとうなんて言えなかったが、今なら胸を張って言えるだろう。
「琴理、ありがとうね」
「ん……、あたしは葵じゃない」
感傷に浸りながら方位磁針を握り締めていた虚華の右腕に何やら柔らかい感触が一つ。
聞き覚えのある声に、虚華は首を油不足の機械のように動かすと、そこには赤髪の見覚えのある少女がこちらを見ていた。その少女は、濁った雪のような瞳で、こちらをじぃっと見ている。
虚華はぎこちない笑顔で、その少女に声を掛ける。若干震えていたのも自覚しながら。
「えーと……、クリム?な、なんで此処が分かったの?」
「ん。愛の力」
勝ち誇った顔で両手でVサインをしている少女は間違いなく、緋浦雪奈の物だった。
恐らくは常時索敵魔術を展開していた中で、一瞬だけ自分の反応を感知して、短時間でこちらまで移動してきたという事だろう。化け物か?愛の力は万能じゃないんだから、多少は抑えて欲しい物だ。
引き攣りそうになった表情筋に鞭打って、虚華は笑顔で雪奈の言葉を飲み込んだ。
「そっか、凄いね。私はこれから「背反」の所に行くけど、クリムはどうする?」
「聞く意味、ある?」
虚華は、ですよねと心の中でツッコミを入れ、出そうになっていた言葉を寸での所で抑える。
長い間「七つの罪源」でツッコミを入れていたせいで、その流れをこっちでも流用しそうになった。
「どうしたの?」
雪奈がぎゅむっと虚華の右腕を無意識に圧迫する。並の男なら多少は揺らぐだろうが、何もない虚華は最早修羅の顔になりつつあった。
それなりに大きいものが虚華の右腕をずっと独占しているせいで、なんとも言えない気分になってきた虚華は、すっと腕を雪奈から逃がす。
──その時に雪奈が見せた表情から、目を背けて。
「何でもないよ。ジアをこんなにしたアイツに一言ガツンと言ってやんなきゃね」
「……ん」
くっつこうとしている雪奈は、先程の拒絶が効いたのか、今度は触れ合う直前で手が止まる。
そうして貰えると虚華としても助かる。雪奈に悪い部分はない。触れられても悪い気はしない。
けれど、あの悪夢を見てから、時折災厄の光景が脳裏から離れない。
「エラー」の槍斧が背中に突き刺さり、血塗れになって倒れている雪奈が、現実でこうして自分に抱き着こうとしている雪奈を侵食していく。
勿論、それが偽りである事は分かっている。現に目の前の雪奈は生きているし、あの悪夢の雪奈が嘘偽りである事は分かっている。頭では分かっていても、自分でも分からない何かが、虚構を求めている。
(どれだけ言葉を紡いでも、この現実と虚構を拭い去ることが出来ない……)
言葉に魔力を注ぎ、代償を支払うことで現実を歪めることが出来る能力“嘘”
その力を持ってしても、この呪いは解けることはないだろうと、虚華は悟る。
だからこそ、こんな物を見せてくれた犯人を知るべく、虚華は前に進まなければならない。
「虚、大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ。雪、心配掛けたけどもう大丈夫だから」
雪奈は周囲に誰も居ないからか、ディストピアでの渾名で自分を呼ぶ。
虚華もそれに答え、雪と呼ぶ。それだけのことで、雪奈の傷が癒えるのなら、喜んで呼ぼう。
凄惨な姿を晒し、隣を歩く彼女を直視することは出来ずとも、共に歩くことは出来る。
(この世界でやらなきゃいけないことがまた増えた)
「所で……、「背反」の屋敷はこっちであってる?」
「……、あたしが先導する」
「助かるよ、雪」
全く逆の方向を指差していた虚華を、雪奈は何も言わずに手を引く。
その時見せた虚華の表情を、雪奈は見ていなかった。きっと、見ない方が幸せなのだと。
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雪奈の先導のもと、虚華達は「背反」の屋敷へと辿り着いた。
道中は白雪の森と酷似した鬱蒼とした木々もあったが、雪奈が魔術で感覚の補助をしてくれたお陰で、難なく進むことが出来た。
敵性生物も確認出来なかったことから、此処まで到達するだけなら容易に感じた。
森を抜けた先には、「歪曲」の館とはまた違った方向で豪華絢爛な屋敷が見えてきた。
(初めて来たけど、これだけ見たら良いイメージは抱かないよね)
成金の匂いを漂わせているその風体は、そこに住まう人間の内面を映し出しているかのようだった。
虚華があちこちをキョロキョロと見回していると、至る所から金で拵えたであろう彫像や、調度品が野晒しで置かれている。手入れはされていることから、輝きこそ失われていないが、この屋敷を管理している人間の気苦労が絶えないであろうことは、目に見えて分かってしまう。
(こんなに高い物を、自分は意に介さないアピール?なのかな)
「ホロウ、あそこ……」
雪奈が虚華の服の袖をくいっと引っ張り、屋敷の大門の方を見るように促す。
促されるまま、虚華が視線を動かすと、其処には見慣れた姿が見えた。長らく行方を眩ませていた少年の姿だ。すっかりメイクを決めていることから、その外見は美少女そのものだが。
久方振りのその姿を見た虚華は、そのまま彼の元へと走り抜ける。
「ブルー……!?」
虚華の走り出した足は急速に速度を落とし、最終的には止まってしまった。
あの雪奈を見ただけでも、災厄の光景がフラッシュバックしていた。だから、嫌な予感はしていた。もしかしたら臨や、イドルを見ただけでもあの光景が蘇るのではないのかと。
案の定だった。目の前に居る彼を見ている筈の自分の目は、現実とは異なる彼を見ている。
(なんでなの!どうして私は……!)
虚華は脳裏で笑っている彼の姿を振り切り、再び足を進める。
そして、自分を待っているであろう、彼の元へ辿り着き、ニコリと笑う。
何て言おうか、そんな物は考えていなかった。けれど、お帰りぐらいは言ってやりたかった。
「もうっ、ブルーム!私心配したんだから!全部終わったら話聞くからねっ!」
「ああ、勿論だ。でも今は「終わらない英雄譚」の対処が先決だ」
「ん。久々に、三人集まったね」
きっとそういう事を言ってくれているのだろう。虚華はそう信じて、二人の顔を見る。
無表情ながらも、こちらを無垢な瞳で見ている雪奈の顔は、時折ぐちゃぐちゃに潰されたものに変貌していてしまっている。正直、視界に入れたくないと思ってしまう程には、凄惨なものだ。
反対側には、不思議そうな顔をしつつも、普段とは様子の違う虚華のことを心配している臨は、今にでも自分ではない誰かを主人と言って、自分を捨てて何処かへと捨てていくように見えてしまう。
この光景が嘘偽りであり、自分の妄想なのは重々承知している。
(今は「終わらない英雄譚」の「背反」をどうにかすることが先決)
とても広い敷地内を歩きながら、虚華は思考の海を泳ぎながら考えて、ふと思った。
此処で今こうして、談笑している臨は、虚華の記憶の限りでは「終わらない英雄譚」に加担し、「エラー」達の前に立ち塞がっていた筈だ。
けれど、臨は今こうして自分達の前に立ち、隣で一緒に歩いている。
「エラー」達と臨は一戦交えたはずだが、どうなった?なんて、とても聞ける雰囲気ではなかった。彼女らをどうしたのかを。その事を雪奈が聞いてくれない限り、自分が知ることが出来ない。
虚華がその出来事を知っていることを、知られてはならない。けれど気になった虚華は、言葉を選んで雪奈に声を掛ける。
「そう言えば、「エラー」は?一緒じゃないの?」
「ん……ブルーム、結局どうなったの?」
顔の潰れた雪奈がずいっと臨の方を見ているが、虚華は視線を外す。
この虚構に目を慣れさせるべきなのだろうが、それでも辛いものは辛いのだ。
「「エラー」には軽く眠ってもらってる。イドルさんに介抱をお願いしてね」
「えーと、話が見えないんだけど……どういう事?」
臨は、何処か合点のいったような顔をする。その顔を見て、虚華は自分の言葉に失言が混じっていることに気づいた。
相変わらず表情が読めない雪奈は、不思議そうな顔で見ているが、虚華はそっと視界から外すと、少しだけ寂しそうな表情を見せている気がする。
(しまった……、話が見えないが偽りってバレたのか……)
臨は虚華の質問に答える。ただ、彼のその目には明らかな疑念が含まれていた。
「ボクの都合でね。彼女にも何か思う所があったみたいだけど」
「そうなんだ……、無事なら良いの。それにしても……此処ってこんなに静かな場所なの?」
「……いいや。ボクが来た時は盗賊職の人間がわんさかいて喧しい位だったよ」
無理やり話題を変えようとした虚華だったが、その無理矢理に批判的な人物は居なかった。
この屋敷は随分と静かだ。虚華自身、初めて来た場所だから此処が本来どういう場所だったのかは分からないが、白の区域の中でも数少ないレギオンの一つがこんなに人気がないのもおかしな話だ。
「ブルームが此処に最後に来たのっていつ?」
「そうだなぁ、言っても一日空いてない筈だ。だからちょっと不気味に感じてる」
お~怖い怖いと、全く怖そうに感じていないのに、臨はわざとそんな素振りを見せる。
臨なりに気を使ってくれているのだろう。その気遣いが虚華の恐怖心を増幅させるとも知らずに。
(つまり、この短期間で盛んだった場所が此処まで人気が無くなったって事……?)
屋敷の扉までの長い道のりを、人っ子一人会わずに通り過ぎてしまった。
あちこちに人の手が行き届いている物が点在しているから、臨の言っている事は正しいだろう。
じゃあ、此処に居たはずの「終わらない英雄譚」の人々は何処に行った?
「この扉を開けたら誰か居るかも知れない。開けるね」
「ん」
雪奈が念の為にと、詠唱を始めたので、終わるまで待った後に虚華は扉を開く。
詠唱を聞いた感じだと、雪奈が発動しようとしているのは索敵魔術だ。内部に誰が何人居るのかを、知れるのはとても有難い。情報ほど、戦闘時に必要なものなんてないのだから。
少し安堵した虚華は、重厚な扉を開く。そして深く後悔した。なんて物を開いたんだと。
中を見た虚華は、あまりの光景にこれは夢なんだと頭を抱え、膝から崩れ落ちた。




