【Ⅶ】#11 囚われのお姫様(♂)、王子に脅される
「喪失」のメンバーである黒咲臨は、見知らぬ所で目を覚ました。
普段なら眠い目を擦って、漸く意識が覚醒するのに、今日は何故か身体を起こした時から目が冴えていた。
(ここは……?ボクは……何をしているんだ?)
臨は辺りを見回すも、見覚えのない場所だった。最近こういう事が増えてる気がする。
ベッドも調度品もキンキラキンで普段遣いして良いものではない気がしながら、臨はベッドから降りる。
窓も椅子も何もかもが豪華絢爛で痛々しさを感じるほどに「成金」が似合う部屋の中を模索するも、部屋の中からは、自分が何故此処に居るのか、という自問に対する解は得られそうになかった。
(ボクが覚えてる限りの荷物は全部あるし、服も着たまま。じゃあ何の目的で……?)
窓の外を見ると、ふと臨はこの景色に見覚えがある気がした。近くに流れている河川は恐らく、ジアの北部に流れている清濁河川だろう。その清濁河川が目前にあり、それでいてかなり大きな屋敷──つまり……。
「此処は「終わらない英雄譚」の本拠地、背反の館か……」
「おや、答え合わせは要らなかったかな?」
臨の声に反応する声が背後から聞こえてきた。臨が振り向くと其処には、随分と軽薄そうな見た目の青年が手を叩いて、臨のことを褒め称えていた。
軽薄そうな青年は、一頻り手を叩き終えると、目を細めて笑う。
「流石だね、ノワールちゃん。それとも此処が有名過ぎたかな?」
「お前は……、まさか「背反」か?」
「おやおや、御明察。そうだよ、僕が「背反」さ。会えて光栄だろう?」
軽薄そうな青年は自身の事を「背反」だと言う。その言葉に「嘘」はない。恐らくは真実だ。
臨には、目を細めて口角を上げている眼の前の青年が、白の区域内に存在するレギオンの中でもトップクラスに勢力が強い「終わらない英雄譚」という存在を、本当に仕切っているのだろうかと疑問に思った。
(きっと此奴は傀儡で、摂政が居るんだろ。歴史は繰り返すんだな)
「そうだな、それよりもボクは何故此処に?」
臨が服の中に仕込まれている糸と暗器がきちんと収納されているのを確認すると、「背反」はニッコリと笑う。常に笑顔を浮かべている奴程、胡散臭いと感じるのに。
「あぁ、実はね。白雪の森を警邏していた僕の仲間がキミを見つけたらしくてね。どうやらキミも盗賊職のカテゴリを修めているらしいじゃないか。だから……」
「勧誘ならお断りだ。世話になった。では」
臨は「背反」の言葉を途中で聞くのを止め、そのまま重厚な扉に手を掛ける。
しかし、扉は開かず。臨は舌打ちをして再度、「背反」の方を見やる。
「なるほど。勧誘だと思ってたけど違うようだ」
「おや。じゃあ何だと言うんだい?」
この状況を作り出した犯人は、優しく、それでいて軽薄な笑みを浮かべたまま臨を見る。
臨は目に毒な程豪華絢爛な椅子に座り、手を組み顎を乗せて口を開いた。
「脅迫って言うんだろ?脅される側は初めてだけど」
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観念した臨を見た「背反」は、にこやかな顔を崩さずにメイド達を顎で使う。
きっとこれが此処での日常なのだろう。メイドとは思えない格好で給仕をする女達も、その女達の尻を揉みしだいて満足げな顔をしている「背反」も。いつの間にか「背反」の周りには艶やかな格好の女達が数人、「背反」を囲うように侍らせていた。
(女に興味はないが、いつの間に、何時から“そこ”に居たのかは気になるな)
そんな男を恣意的に欲情させるような格好をしていた女が「背反」と臨の前にティーカップを置いて、そこに紅茶のような飲み物を淹れた。「背反」は飲むように促すが、当の本人は女遊びに夢中で、紅茶には目もくれない。
出された飲料が安全という確証を得られずに居た臨は、一滴も飲まずに居ると、「背反」がそっと臨のティーカップを奪い、自分のティーカップを差し出す。
「折角の茶葉だ、飲まれずに冷めるのは惜しい物だよ」
「はっ。口だけは達者だな。ボクも最低限の目利き位、造作も無いさ」
臨は「背反」が奪ったティーカップを奪い返し、ぐいっと紅茶を飲み干す。湯気が出ており熱いはずの紅茶は適温になっており、高級茶葉特有の香りが臨の鼻腔を確かにくすぐった。
臨の行動を見ていた女達は、各々口汚く臨を罵るが、当の「背反」だけはその薄ら寒い笑顔を顔に貼り付けたまま、臨を称えるべく手を叩く。
「どうやらその“眼”は伊達じゃないみたいだね。僕の周りの女は騙せても、ノワールちゃんの眼は誤魔化せなかったみたいだ」
「さっきから気になってたんだが、何でボクの事をちゃん付けする?」
「背反」は不思議そうな顔で臨の顔を覗き込む。
臨は、幾ら相手が美形とは言え、自身のパーソナルスペースを侵害されるの嫌い、のけぞる。すると、「背反」が臨の上に覆いかぶさる形になってしまう。
一部の女は黄色い声を上げるが、臨含めた大多数は顔を顰める。「背反」はいつもの顔のままだ。
「早く離れろ、お前が近くに寄ると虫酸が走る」
「おや、僕の近くにいる子猫ちゃんに嫉妬したのかい?でも僕はキミのことも愛してあげたいな」
至近距離で「背反」にそう囁かれ、臨は辟易とした。何が楽しくて男に口説かれなければならないのか。自分の格好が今どうなっているのかを棚において、臨は溜息をつく。
すると、周囲の女達が、ようやく「背反」から逃れられた臨に食って掛かる。
「ちょっとぉ、「背反」様に言い寄られたのに、何その態度ぉ」
「そうよそうよ。女としての至上の喜びでしょう?何が不満なの?」
(お前達の存在を含めて全てが嫌悪対象なんだけど、言っても分からないか)
臨に詰め寄る女達の勢いが激しくなる中、少し離れた場所から手を叩く音がした。
その音を聞いた女達は、皆が皆、目のハイライトが消え去り、機械のように動きを止めた。
そんな静寂の中で、革靴を踏み鳴らす音が一つ、「背反」が笑顔を消して佇んでいる。
「いやぁ、すまないね。僕の女達が粗相をして。お詫びに彼女らの行動を制限した。だから赦しては貰えないかい?ノワールちゃん」
「何なんだコイツら。ボクまでこんな風にするつもりか?」
無表情でそう言う臨がよほど魅力的に見えたのか、「背反」はぴゅうぅと口笛を吹いて、臨を見る目に熱を帯びさせる。
臨は嫌悪感を全開にしているつもりでも、感情を喪失している臨の事を、フィーア人である「背反」は、精々感情薄い系美少女程度にしか見られていないのだ。
艶やかな格好の女を見慣れている「背反」の見る目に、臨の格好がどストライクに映っていることも、臨本人には知る由もない。
「酷い言われようだなぁ。僕を何だと思っているんだい?」
「状況的に拉致監禁した挙げ句、自分の物にしようとしているクズって所か?」
「背反」はダメージを受けているような素振りを見せているが、その実楽しそうにしている。その事実が、どうにも気に食わない。
何故自分は拉致監禁までされてる挙げ句に、その犯人を喜ばせているのか。そう思うと、感情こそ無いにしろ、怒って然るべきなんだろうと臨は思った。
「ひっどいなぁ。でも僕の手に落ちない女は居ない。どうすれば僕の物になってくれる?」
「ならない。早くうちに帰せ。お前に感謝はしてる。それ以上の感情はない」
(そもそも、ボクは男だ。けどこんな可愛らしい格好してて、今更男だとは言えない)
黒を基調としたゴシック調のファッションは、外では多少派手に見えるが、この屋敷内では相当おしとやかな部類に入るのだろう。
糸を武器としている臨は、この日によって格好が変わる魔導具を着ないと本領を発揮できないのだが、せめてもっと地味な格好にならないものかと苦心している。
(此処でコイツを殺しても何の解決にもならない上に、殺しは基本禁止だ)
どうすればこの状況を打破できるか?答えは既に分かっていた。そんな物は存在しない。
どう足掻いてもこの屋敷から出る手段がない以上、此奴に従うしか無い。
索敵系、隠密系、残りは多少の攻撃魔術を習得しているが、転移系の魔術も魔導具も今は所持していない。
(けど、ボクは「喪失」のブルーム・ノワール。こんな奴の下にはつきたくない)
綺麗な茶髪のウィッグをたなびかせ、臨は両手を上げる。
突然の行動に「背反」は目を開いて驚く素振りを見せる。
「どうしたんだい?」
「ボクを逃さないんだろう?逃げられないことは理解した。ただ、お前の女になるつもりはない。「終わらない英雄譚」に個人的に参加するだけだ。それを条件に自由にしろ」
臨の精一杯の譲歩に、「背反」は目を細めて笑う。軽薄そうな笑みは大抵の人を不快にする筈なのに、何故かこの男の顔には妙に似合っている。
「良いよ。今回はそれで赦してあげる。これから宜しくね、「絶糸」のブルームちゃん」
「?」
「知らないんだ?最近のキミ達は「魔弾」「全魔」「絶糸」って呼ばれているらしいじゃないか。それに倣っただけさ」
(ここで嘘つかれるのか。複雑な心境だな。でも当然といえば当然だ)
今までの文言に何ひとつの嘘もなかっただけに、臨は少しだけ残念に思った。
嘘が見えることも良いことばかりではないのだ。それだけに、彼の言葉は耳障りだったが、疲れはしなかった。
臨は複雑な心境で、懐に忍ばせている暗器を触る。そうすることで、此奴の命は自分が握っている。そう思い込むことで自身が優位であると自分を騙す。
(ホロウ、お前は何処に居るんだ)
目の前のいけ好かない男の側で、臨は虚華の心配をしながら祈りを捧げていた。
これから開始する「背反」の行いに加担することがどういうことかも知らずに。




