【Ⅶ】#9 妄信的信頼が、人形に火を灯す
虚華に強制退去の現実改変能力を使われ、その場から追い出された雪奈とイドルは、雪華から西の方角──そのまま進めばジアへの帰路になる方向へと進んでいた。
雪奈達は自身が行っている行動に何の疑問も抱かずに降り積もる雪を踏み分け歩いていると、急に凄まじい頭痛に襲われる。立っていることすら困難だったのか、雪奈は膝を雪に付けて、頭を抑えている。
その様子を見ているイドルの目は未だにハイライトが戻らず、ただぼんやりと跪いている雪奈を眺めている。
「ん……。やっと戻った。……此処は」
凄まじい頭痛が治まり、よろよろと立ち上がる雪奈は自分が虚華の“嘘”によって此処まで移動させられていたことを瞬時に理解する。隣にはぼんやりと立ち尽くしているイドルが居ることも確認しながら。
虚華の“嘘”の力からようやく解放された雪奈は、現在の自分の状況を把握するために辺りを見回す。
何処も彼処も雪が降り頻っているせいで景色は同じ、目印になりそうなものを置いていく事が出来る状況下でもなかったので、目印もない。木々はどれも同じ針葉樹だから判断材料にはならない。
(足跡だけが痕跡……。方角的には……西。ジア近くの、象牙渓谷が見えれば……)
雪奈の持っている方位磁針は自分達の足跡が無い方角を西と示している。雪華から西に進めば概ねジアへと向かっていることになっている筈なので、“嘘”で自分の思考を奪われていても向かっている方向だけは正しかったのだと、雪奈は判断する。
雪奈は一人で試行を全力で回転させている中、現在唯一行動を共にしているイドルが未だにぼんやりとしていることに気づく。瞼を少し閉じ、半目になりながらため息交じりに詠唱を開始する。
「いい加減、起きて、イドル。ん……「雷光衝撃」」
雪奈はイドルの身体に深刻な障害が残らない程度の電撃を浴びせる。「あばばばばば」とイドルは痙攣しながら全身から黒い煙を発していると、咳き込みながら雪奈を涙目で睨んでいた。
「もうちょっと優しく起こしてくれないかい……?いくら僕でも死ぬよ?」
「大丈夫、ホロウは死ななかった。だから、大丈夫」
あちこちが電撃で焦げている自分の姿を見ながら、イドルは溜息をつく。
「そりゃあ、人間じゃない子なら死なないだろうけどさぁ……おっと、何する気だい?」
「分からない?愛する人を貶す愚か者を、殺そうとしてる、だけ」
濁った雪のような瞳にギラリと殺意の炎が宿っていることは、普段からぶっきらぼうな態度を取っているイドルでも容易に分かった。こいつはガチで自分を殺そうとしている。選択肢を間違えれば、即座に殺されても可笑しくはないと、イドルは唾をゴクリと飲み込む。
イドルは身振り手振りで本当に殺めてしまいそうな雰囲気を漂わせている雪奈に弁明する。
「わ、悪気はないんだ、ほんとだよ?でも、人間以外にも知性がある種族は沢山居る!」
「それでも彼奴は、人間以外を、根絶させようとしてる。違う?」
「そ、それはそうだけど……白の区域の皆が皆、そうって訳じゃない!機械族や獣人族、長耳族の知り合いは何人も居る!僕はそんな差別をしたりしないよ!」
イドルの必死の弁明を聞いていた雪奈は、ふぅっと溜息をつく。この溜息をつく癖は虚華の癖なのだが、普段は一切しない雪奈がするとすっかり怯え切っているイドルの恐怖心を更に掻き立てる。
雪奈は、暫くの間黙っていたが、ふとイドルに背中を向ける。普段から感情が籠もっていない雪奈の声色が数段冷たい物になっていることに、イドルは気づきながらも耳を傾ける。
「じゃあ、何故、白の区域には人間しか居ない?ギルドもそう。ホロウの種族欄が、空欄だっただけで、騒ぎになりかけた。受付嬢のセエレやリオンに、ホロウは自分が人間じゃない可能性を隠蔽するように念押しされてた。イドル・B・フィルレイス。あたしの疑問、おかしい?」
雪奈はイドルに背を向けているせいで、イドルがどんな顔をしているのか分からない。
けれど、それでいい。彼女の表情は猫箱に閉じ込めてしまえば、雪奈は知らずに済む。
もし仮にイドルが笑っていたのなら、逆上してこちらに襲いかかろうとしているのなら。
(それを理由に、殺してしまうかも。その真実を虚は望んでいない)
背後で息が荒くなっているイドルはどんな表情をしているのだろうか。
恐怖に打ち克とうとしているのかも知れないし、今にも逃げ出そうとしているのかも知れない。どんな表情をしていても構わないけれど、逃がすつもりは毛頭ない。
雪奈は背を向けたまま小声で詠唱し、イドルに気付かれないように周囲に結界を貼る。
結界を展開し終えても尚、イドルからの返事はない。ただ、先程のような荒い呼吸は聞こえてこなくなった。だから、雪奈は答えを催促した。指をぱちんと鳴らし、発動を保留させていた魔術を一つ展開する。
唯でさえ寒い雪原の中で周囲の気温をジリジリと下げていく天候操作系魔術。天候操作は使い方によっては準禁術にも禁術にもなり得るが、それら周辺の条件や知識は、「全魔」と呼ばれている雪奈に抜け目など無かった。
背後から歯がガチガチと鳴る音を聞きながら、雪奈は淡々と質問を続ける。
「そろそろ答えて。時間に、余裕無いから」
少しの間があったが、振るえている声でイドルは少しずつ語り始めた。
「……忖度だよ。白の区域長──“虚華”ちゃんの父に当たる人物が、“虚華”ちゃんの異変に忖度した結果、人間以外の他種族を排斥したんだ。……現に彼女は白の区域長が他種族を別の区域へと異動願いを出してる間にも数人を闇討ちしているからね。この情報は中央管理局が隠蔽してるから一般人が知る由はないけど」
「……そう。|聞かなかったことにしておく《虚華には報告しない》」
「そうしてくれると助かるよ、本当に」
雪奈が殺意の炎を収め、イドルの方を向くとイドルはほっとした表情を見せていた。
相変わらずの無表情の顔を見せているのに、どうしてそこまで安堵の表情を見せられるのだろうと、雪奈は心の中で疑問に思いながら、首を傾げる。
(あ、魔術。忘れてた)
ガチガチに振るえているイドルを見た雪奈は、自分が周辺の気温を著しく下げていたことを思い出し、天候操作系の魔術を解除する。
そして、虚華が今何処にいるのかを探るべく索敵系の魔術を詠唱し、展開する。
気温が元に戻ったことで、イドルはほっと一息つきながら温かい飲み物を何処からか取り出し、飲んでいた。
「所で、此処は……雪華とジアの間の針葉樹林帯だよね?いつの間にこんなにジアに近づいてたのかなぁ?全く覚えがないんだけど……」
「……ただの夢遊病、普通に歩いてた」
雪奈が魔術の傍らに返事をすると、イドルはえー!?と驚いたような声を出す。
さっきまでの張り詰めた殺気のようなものが無くなったのを確認したや否や、イドルはいつもの冷静なお調子者のように戻っていた。
「そっかぁ。それで、ホロウちゃんは?あ、あと虚華ちゃんも!あれ?あの二人は?」
「……周辺に一人反応アリ、「エラー」かも、ホロウじゃないから」
自分の言った言葉に雪奈は疑問を抱く。自分が発動した索敵魔術の範囲はこの針葉樹林帯全域だ。魔物等の反応は全て拾えている上に、「エラー」らしき人間の反応もある。けど、虚──ホロウの反応だけは何処にもない。
(“嘘”にしては、持続し過ぎ……。既に、この周辺から居ない……?)
「ホロウちゃんの反応がないなら、先に虚華ちゃんの所に行かない?二人より三人の方が安全だし、何でホロウちゃんを襲ったのかも聞かないと……」
「……ん。あっちだから、少し遠回りだけど」
どうせ「エラー」のことを最優先にしたいだけだろうと、雪奈は思ったが、逆の立場なら同じことをしている自信があったので、何も言わずに「エラー」らしき反応がある場所へと二人で向かった。
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雪奈達が居た場所から少し北上した所に、開けた場所があった。
魔術で焼け焦げている木々、積もっている筈の雪が溶け掛かっており、大地が露出している。あちこちには銃創が残っており、此処で虚華が弾丸をぶっ放したことは容易に想像がついた。
そんな戦闘後の広場の端の木の下に、結白虚華──フィーアでの虚華、「エラー」が横たわっていた。ご丁寧に凍えないように炎属性が含まれている魔導具を握らせながら。
雪奈は何かしらのトラップを警戒して、索敵魔術と遠視魔術を展開する。結果は何も引っ掛からず、彼女の周囲に罠が仕掛けられていることもない事は確認できた。ただ、この状況に雪奈は違和感を覚える。
(怪我は無し、眠らされてるだけ。……此処にも“嘘”……?)
雪奈にはどうにも何がか引っ掛かるらしく、今にも「エラー」の元へと向かおうとしているイドルを抑えることもせずに、一人考え込む。その隙を突いてか、イドルは「エラー」の元へと駆け寄った。
「虚華ちゃん!!しっかりして!こんなトコで寝てたら本当に死んじゃうよ!?」
「ん……んぅ……?あれ、此処は……イドル、さん?」
寝ぼけ眼を擦り、まるで自室で朝目が覚めた時みたいな状況違いの起き方をする「エラー」をイドルは全力で抱き締める。
ぐえぇ、と蛙が潰されたような声を出しながらも「エラー」は深刻そうに自分を抱きしめているイドルを剥がすことも出来ずに、ただただ戸惑ったような顔で雪奈の方に視線を送る。
「(どういう状況ですか?これ)」
「(さぁ、あたしにも分からない)」
それだけを意思疎通した後、「エラー」はいい加減鬱陶しくなってきたのか、無理やりイドルを引き剥がす。
「色々聞きたいことがあるんですけど……。まず何で私此処で寝てたんでしょう……?というか此処は……針葉樹林帯ですよね?」
「話せば長くなるけど、簡潔に言えば」
雪奈は「エラー」に自分達が知っている情報をあらかた共有した。ただ一点、自身が暴走して虚華を殺そうとした殺そうとしたことだけをぼんやりと隠して。
話を聞き終えた「エラー」は神妙そうな顔をしながら俯いていた。
「「エラー」が、最後に憶えていることは、何?」
「……「背反」と面会してた所迄です。そして気がついたら此処で眠っていた。この間に何があったのかまでは分かりません……」
此処で「背反」の名前が出てきたことにイドルは驚いていたが、雪奈は顔色を変えずに「エラー」の話の続きを促した。
「それで?何で「背反」に会ったの?」
「実は……」
「エラー」はイドルから「七つの罪源」の「寂寞」という存在についての話を聞いたことで、単独で潜伏先まで突進していったが、恐らく敗北した上で戦闘時の記憶が消去されていたことを簡潔に話した。
その結果、ジア付近の森に放り出されてたらしいのだが、そこからどう負けたかも分からずに彷徨っている所に「背反」と出会い、今に至るということらしい。
(……流石に馬鹿じゃない?これが虚と同じ人間?)
雪奈は心の中で「エラー」を思いっきり罵倒しながら「エラー」の話の続きに耳を傾ける。
「そう。それで、「背反」と、何話したの?」
「その、力が欲しい、と。ホロウにも「寂寞」にも負けない力が……」
「エラー」のその言葉を聞くまで、否定的なことを言わなかったイドルが、「エラー」の頬を甲高い音を響かせて叩く。目を白黒させながら、「エラー」はイドルを見るが、イドルは悲しそうな顔に怒りを滲ませているのを見て、何も言わずに目を伏したままイドルの言葉を待つ。
「あのね、虚華ちゃん。そういうのは自力でどうにかするの。他人に頼った力で勝って何が嬉しいの?人の力で勝っても、それは自分で勝ったとは言わないんだよ」
「エラー」は俯いたまま何も言わなかったが、イドルは悲しげな顔で言葉を続ける。
「強くなりたいと願う気持ちは分かるけど、あのゴミに願ってまで叶えたい願いだったの?」
「……きっとその時はそう思ってたんでしょうね、時々、自分が自分じゃないみたいに感じる時がありますから」
(ふぅん。自分の意志じゃない、って言いたげなの、ムカつくね)
雪奈は二人の話を黙って聞きながら、心の奥の淀みが深みを増していくのを感じていた。
自分の愛する人と同じ顔をしておきながら、自分の愛する人を平然と殺そうとした挙げ句に、自分の意志じゃない?
ふざけるな。愛する人を殺される前にぶっ殺しておくのが筋じゃないのか?
今の自分でもあんな紛い物の女一人程度なら容易に殺すことだって出来る。
なら今すぐに殺めてしまおう。そうしよう。それこそが愛する人を守る事になる。
(……なんて、虚が仲間殺しを禁じなかったら、殺ってたかも)
感情を失った筈の少女は、身を焦がす程の激情を胸に秘めながらも、自身の激情に気づかない。
そんな妄想に駆られていると、いつの間にか二人で話が進んでいたのか、雪奈にも話を振られる。
「それでクリムちゃん、これからどうするの?」
「ん?」
勿論、全く話を聞いていなかった雪奈は、この言葉の真意を分からずに聞き返す。
若干半眼になっている「エラー」を見て、何か胸がモヤッとしたことにも気づかずに。
「だから、ホロウちゃん、今何処に居るか分からないんだよね。「喪失」としてどうするのかなって」
「ん……。一先ずジアを目指すつもり。ホロウはそこで落ち合おうって言ってた」
「そうなんですね、では一休みしたらジアへ向かいましょうか。此処からなら一日掛かるかどうかですし、クリムさんもそれでいいですか?」
「ん。それでいい」
雪奈は索敵魔術を展開するも、やはり周辺に虚華の気配はない。索敵範囲にジアまでは入っていないため、先にジアに入った可能性が否めない今、彼女らの提案に乗っかってジアに向かうのが得策なのだろう。
(ねぇ、ホロウ。何処に居るの?)




