【Ⅶ】#6 観測者無き物語に、真偽の判断は下せない
「という事があってですね……。これで以上です」
虚華──ヴァールは慣れない手付きで纏め上げた報告書を机の上で束ねる。
ヴァールが今いる場所には、世界規模の大罪人が五人も揃っている。
各々がこちらの方を見ているが、仲の良いパンドラ、それなりに関わっていたアラディア以外はほとんど面識もないような人達ばかりだ。
そんな人達に自分の身に降り掛かった災難を説明しろとパンドラに言われた時は、絶望に明け暮れた顔をしていたらしい。
実際、こうして説明用の資料を纏めたり、どうやって話すかを考えていた時間はとても長かった。
しかもその事を表の仲間たち──「喪失」には知られてはならないのだから、心労はその比じゃない。
発表を終えたヴァールはようやくその無理難題が解決したと胸を撫で下ろしていると、後ろから肩を叩かれる。
ぎょっとしたヴァールが勢いよく振り向くと、そこには眠たげな顔をしているパンドラがちまっと立っていた。
「わ、「歪曲」様、いかがなさいましたか?」
「あー。そうか、ここでは無理か。「虚妄」よ、ちとこっちに来るのじゃ。「寂寞」「忘我」お主らは確か所要があったらしいな?往くが良い。「虚飾」「禁忌」お主らは暇じゃろ?ちと付き合え」
パンドラがこの場に居る「罪源」達に指示を出す。「寂寞」と「忘我」は無言で頷き、各々が生成した扉を潜り、この白黒屋敷から退出する。
居残りを指示された「虚飾」と「禁忌」はお互いの顔をみやり、パンドラの方を見る。
「キヒ……、なんで私が」
「それは俺のセリフだ。被害者は「虚飾」だけで充分だろ。それに今回不参加だった「瑕疵」と「汚染」は良いのか?」
「禁忌」の言う二つ名は未だにヴァールが見たことのない「七つの罪源」の面子なのだろう。どちらもあまりいい意味で用いられる言葉ではないだけに、ヴァールが警戒心を引き上げていると、パンドラはあっけらかんとした態度で手をパタパタと振る。
「お主の茶と茶菓子がなければ何も始まらぬではないか。あの二人に関しては……まぁ、基本的に自由じゃからな、あの者達は。「汚染」も研究が一段落しないと顔を出さぬし、「瑕疵」に至っては恐らくまた何処かで殺戮の限りを尽くしておるのじゃろうて」
全く仕方のないやつじゃ、とパンドラは言っているが、全員が集まらないことに不満はないようだ。
パンドラが「虚妄」「虚飾」「禁忌」の三人を会議室から「歪曲」の私室へと連れて行く中で、ヴァールはおずおずと手を挙げる。
「んん?ヴァール、どうしたのじゃ、いきなり手を挙げて。お手洗いならあっちじゃぞ」
「っ、違います!その……「汚染」様と「瑕疵」様がどういった方なのか気になって……」
顔を少し赤らめ、そういったヴァールの肩が少し重くなった。
重くなった方の肩を見ると、アラディアがヴァールの肩に顎を乗せていた。
「あの、「虚飾」様?」
「キヒ…いつもどおりの呼び方で良いよ。私はヴァールちゃんて呼ぶから、ケヒヒ……」
「わ、分かりました。アラディアさん」
アラディアが口を開く度に、肩がこそばゆくなってしまい、ヴァールの顔が少し綻ぶ。
その顔を見たパンドラは、目的地へと何も言わずに足を進めていった。
ヴァールが不思議そうにズカズカ歩いていくパンドラの方を見ていると、重くなかった反対側の肩も重くなった。油切れの機械の如く首を動かすと、とても大きな「禁忌」の手がヴァールの小さな肩に置かれていた。
「えっと、あの……どうされました?というか「歪曲」様はどうかなされたのでしょうか?それと、どうして私達は「歪曲」様の私室に?」
「あれは単なる醜い嫉妬だ。それと俺らが呼ばれる理由は単純明快、話を聞いてなかったからもう一回お前に報告させるつもりだ」
「え、何ででしょう……?私の報告に何か落ち度が……?」
ヴァールが申し訳無さそうに「禁忌」の顔色を窺うと、「禁忌」はヴァールを鼻で笑い、「歪曲」の私室へと歩みを進める。
その反応にムッとしたヴァールは早足で「禁忌」を追い掛け、再度同じ質問をする。今度は少しだけ語気を強めて。
すると、「虚飾」はいつものように陰気に笑い、「禁忌」はこちらの方を向きはしないが、肩が震えている辺り笑っているのだろう。
苛立ちを抑えられなかったヴァールはなんとか「禁忌」に追い付いて、袖口を掴んで足を止めさせる。振り返った「禁忌」の顔はまさしく罪人といった邪悪な笑みを浮かべていた。
つい怖くなったヴァールは上ずった声を出し、手を離してしまった。解放された「禁忌」はヴァールに何も言わず、「歪曲」の私室へとノックもせずに入っていった。
「「禁忌」!ノックぐらいせんか!妾の私室じゃぞ!?」
「呼ばれたのは此方側だ。常に準備を怠るほうが悪い。それにもう直来るぞ」
大声で会話していたであろうその部分だけは聞き取れたが、すぐに聞こえなくなってしまった。
二人に置いていかれたヴァールはその場に立ち尽くす。
(怖かった……けど私、負けなかった。あの人は私に何か恨みでも抱いてるのかな)
最後まで取り残されていたアラディアは取り敢えず、その場で立ったまま思考の海の溺れていたヴァールの手を握り、「歪曲」の私室へと向かう。
アラディアにされるがままになっているヴァールを一瞥し、聞こえているか分からないと思ったアラディアはボソリと呟いた。
「ケヒ……、キミは発表に必死だったから知らないだろうけど、「歪曲」はずっとキミの事を見てた。けど、あんまりにもこっちを見てくれないからって理由で拗ねて寝ちゃった。だから全く話を聞いて無くて不味いと思った「歪曲」はもう一回報告を聞こうと私室に呼んだ。私達が呼ばれたのはきっと、報告の体を保ちたいからだろうけど……」
独り言を一旦区切り、アラディアははぁとため息を付いた。
「あんな乙女みたいな顔されたら私も禍津も文句言えないや……ケヒヒ…」
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ヴァールが意識を取り戻したときには、「歪曲」「虚飾」は既に席に座っており、「禁忌」は不満げな顔をしつつも、各席に茶菓子と紅茶を用意していた。
淹れたてであろう紅茶は香り高く、茶菓子からは美味しそうなバターの香りが漂ってきている。
手に取りたくなる衝動をなんとか抑え、ヴァールは「歪曲」を見据え、口を開く。
「「歪曲」様、再度報告して欲しいとの事ですが、何処から報告すれば良いでしょうか?」
「良い」
「歪曲」はこちらの方を見向きもせず、投げやりにそう言った。
ヴァールは「良い」という言葉がどういう意味を示すのか理解出来なかった。
えっと……とヴァールが困惑していると、何も言わない「歪曲」に変わって「禁忌」が助け舟を出した。
「おい、パンドラ。「虚妄」を困らせるだけなら帰らせるぞ。こいつは表の世界の人間でもある。無駄な時間を過ごさせるな」
「貴様……妾と共に居る時間が無駄だと宣うか。随分と偉くなった物じゃな?あ?」
「禁忌」の言葉に「歪曲」は青筋を浮かべ、椅子から乱暴に立ち上がる。
普段のパンドラとは掛け離れているその姿にヴァールは恐れを抱く。恐怖する。
全身から冷や汗が吹き出し、震え上がりそうになるこの感覚は身も心も恐れを抱いている証拠である。顔が真っ青になり、寒気までしてきた辺りで、ヴァールは違和感を覚える。
「ふ、二人共……や……ぁ?」
(あれ?私は一体何でこんなに怖いって思うんだろう?頭では怖くないって分かってても、身体が言うことを聞いてくれない。一体私は何に怯えているの?)
頭を抱え、椅子の上で小さく蹲るヴァールを見た「虚飾」は、テーブルをダァンと叩く。
「歪曲」と「禁忌」の二人は言い争いにまで発展していたが、大きな物音のせいで「虚飾」達の方を向く。
その過程でヴァールが椅子の上で蹲っているのを見て、自分達の行いでこうしてしまったことに気づき、「歪曲」は焦りを含んだ表情でヴァールの元へ駆け寄る。
「ヴァール……済まなかった。そなたを怖がらせるつもりはなかった。禍津、頼む」
「俺にも責はある。ヴァール、こっちを向け」
「ひ、ひっ、やめて……ぁぁ……」
「禁忌」が先程までよりも数段優しい声色で、ヴァールのことを呼ぶ。
何故自分が怯えているのか理解出来ていないヴァールはパニック状態になり、「禁忌」の言葉は耳に届かず、より自分の心を閉ざそうとする。
頭を抱え、怯えているヴァールを見た「虚飾」はいつもの引き笑いをしながら呟く。
「まぁ、これが本来のあるべき姿なんだけど。でもいざこうされると悲しいよね、キヒ……」
「あぁ、全くだ。俺達の災禍で仲……知人が苦しむのは困り物だ」
仲間だと言おうとした禍津は、コホンと咳込み、知人だと訂正するが、「虚飾」と「歪曲」はニマニマとした厭らしい笑みを浮かべる。
青筋をピキピキと浮かべていたが、ここで怒鳴れば、ヴァールの恐怖心は増大するだろうと判断した「禁忌」は沈黙したまま、「歪曲」の言葉を待つ。
「のぅ禍津。そなたの万物記録の中に治す方法は載ってないのか……?」
「あるにはある。ブランシュが恐怖を抱いたのはつい数刻前の話。その間の記憶を飛ばせば元に戻る。ただ、消すには俺の居る方を見て貰わなきゃならん。「虚飾」、出来るか?」
「禁忌」がお願いするなんて珍し〜と軽口を叩いた「虚飾」は銃を取り出し、ヴァールに声を掛ける。
恐怖の対象になっているのは、現在の所、「歪曲」と「禁忌」の二人だけ。
ギリギリではあるが「虚飾」とは対話できる。そう踏んだ「虚飾」は少しずつ距離を詰める。
「ケヒヒ…。おっけ〜。ホロウちゃん。薺だよ。ちょっとこっち、見てくれるかな?」
「虚飾」は自身のこめかみを歪な銃で撃ち抜く。すると瞬く間に身体中を靄が包み込み、靄が消え去る頃には葵薺の姿をしていた。
薺の声に、震えながらも応えたヴァールは、知り合いの顔を見て少し安堵する。
「ぁ……薺さん……?どうして、ここに……?それに私は……?」
「ここはね、私のおうち。ホロウちゃん、このおじさんの顔を見て」
薺は穏やかな笑顔を浮かべ、「禁忌」の方を指差す。
「禁忌」は顔を顰めたもの、「虚飾」の言葉に反論せずに、黙って二人のやり取りを眺めていた。
恐る恐るといった態度で、ヴァールは「禁忌」の方を向くと、「禁忌」は既に詠唱を終えていたので、魔術を発動した。
「微睡め、堕ちろ、幸福の為に沈むが良い「堕落する世界」」
ヴァールの首がガクリと落ちるのを確認した「禁忌」は詠唱を再開する。
短縮詠唱を習得している「禁忌」はサラリと大掛かりな魔術を詠唱し終え、発動させる。
眠っている人の持っている物を何でも奪える準禁術。扱える人間は存在せず、全種族の中でも、「禁忌」しか扱えない文字通りの禁忌。
命を奪えば、即ち死。感情を奪えば、即ち木偶人形。姿を奪えば、即ち怨霊と化す。
最早、存在が「禁忌」となった彼が使えることは自明の理。
「禁忌」が奪うものは、この数十分の記憶。代償は何も要らない優しい禁術を。
「奪え、喰らえ、彼の者を構成する一部を「悪食の管理人」
「禁忌」の詠唱に応え、何処からか醜悪な魔神の頭が顕現する。魔神の口はヴァールを捉え、がぶりと喰らいつき、飲み込む。
直ぐに魔神の姿は掻き消え、そこには安らかな顔で眠る少女が一人居ただけだった。
恐る恐るヴァールの寝顔を拝んだ「歪曲」は、ニヤけた顔で「禁忌」を見る。
「あの魔術で色んな物を奪っている禍津を見てきたが、ここまで被対象者を想った「悪食の管理人」は初めて見たわ。正しい使い方かは知らんが、その使い方をしていれば投獄されることはなかったんじゃなかろうか?」
「歪曲」の言葉を「禁忌」は鼻で笑い飛ばす。
ヴァールの寝息を聞いた「禁忌」はすっかり冷めてしまった紅茶のカップを下げ、こう言った。
「さてな。俺は俺のしたいようにやるだけだ。ただ、初めて誰かのためにこの準禁術を使ったかも知れないがな」
すやすやと眠るヴァールを心配そうに眺めていたパンドラは、はっと何かを思いついたような表情で振り返る。
「のぅ、アラディア。こういうのをもしかして「ツンデレ」って言うんじゃないのか?」
「ぷくく……「禁忌」がツンデレ……やばい、ツボったかも……キヒヒ…」
薺の姿をしたままのアラディアは、パンドラの発言がクリーンヒットし、抱腹絶倒状態になり、地面を転がり続ける。パンドラもその姿を見て、満面の笑みで笑っている。
禍津の顔からは表情が抜け落ち、淡々とした口調でパンドラに告げた。
「こいつが起きる前にお前が拗ねて寝てた部分の補填をしてやろうか?そうすれば、ヴァールは起きれば元通り、報告も終えて表へと帰ることが出来るよな?」
「う……それはそうじゃが……そ、そうじゃ!妾はヴァールの口から聞きたい!」
「確かこいつが寝始めたのは、歪な銃を取り出した所だったか。あの後は……」
パンドラがどの部分から寝ているのかを正確に言い当てられた上に、話し出そうとした禍津をパンドラはわーわー!と子供のように制止しだした。
「やーめーんーか!妾はヴァールの口から聞きたいんじゃ〜!」
「出来れば自分の方を見て欲しかったり?ケヒヒ…」
「そーうーじゃ〜!……( ゜д゜)ハッ!」
言葉にしてしまったことを、言い終えてから気づくパンドラ。
聞いてしまったことを現在進行系で記録している禍津。
抱腹絶倒中なのに、笑い過ぎてブリッジしながら笑っているアラディア。
(大罪人の集まりっていうより、芸人集団って言っても信じる人いそうだなぁ)
少し前から起きているけど、起きるタイミングを逃したヴァール。
ヴァールが報告を再開するまでに少しだけの時間が掛かったが、パンドラの望み通り、ヴァールの口からあの後どうなったかの報告がなされるようになった。




