【Ⅶ】#4 翡翠の瞳が、赤く濁る
夜が明け、雪華を後にする虚華はぼんやりと昨晩パンドラから渡された銃を眺める。
(罪を解放する銃って言ってたけど、とてもそうは見えない……どちらかといわれたら粗悪品……)
虚華もディストピア時代からずっと相棒として用いてきた武器が銃なだけあって、最低限の観察眼位は持ち合わせている。
そんな虚華は、この武器が「銃の見た目をしているだけの何か」であると見ている。
パンドラはこの粗悪品を渡す際にこう言っていた。
──弾も出ない上に、他の輩が使ってもただの鈍器にしかならぬ。
きっと、パンドラの言うことは確かなのだろう。発動のトリガーはこめかみへと銃を突きつけ、引き金を引くだけ。引き金を引いたパンドラは、いつもの妖艶な聖女へと姿を変えていた。
(私の罪……、私は一体何の罪があるんだろう)
パンドラは虚華の事を「虚妄」のヴァールと名付けていた。
パンドラの二つ名は「歪曲」、これは恐らく彼女の得意な遺伝子操作魔術が、存在を「歪ませる」事から名付けられているのだろう。
禍津は「禁忌」。彼のことは詳しくは知らないが、何かしらの「禁忌」に触れたのだろう。
アラディアは「虚飾」。自分を好きな姿に見せることが出来ると言っていたが、自分が見たのは「葵琴理」の姉、「葵薺」としての姿だけだ。
(じゃあ私は「虚妄」。意味は嘘偽り、真実なんて一切ない影である事)
虚華はパンドラが与えた二つ名の意味を想像して、一人でくすっと笑ってしまった。
そうか、そうだったんだ。“嘘”が罪ならば、私の存在自体が罪そのものだったんだ、と。
そう考えると、あの時の疑問も紐解ける。そりゃあ自分だけが違っていても可笑しくはない。
何故かは分からないが、笑みが止まらない。どうして笑っているんだろう?
虚華が嘲笑にも似た虚ろな笑みを浮かべていると、後ろからドスンと衝撃を感じた。痛みはなく、少しだけ身体が重く感じるこれは、今日一日受け続けなければならない宿命なのだろう。
虚華は銃を懐に納め、溜息をつくと首を後ろに向ける。
「クリム、降りてよ……。私がひ弱なの知ってるでしょう?」
「あたしも、疲れたの。ホロウおんぶぅ」
先頭には地理に詳しいイドル、次に虚華、最後方には雪奈といった配置で進んでいたせいか、時折後ろから雪奈に抱き着かれる。正直言って心臓が飛び出そうになるから止めて欲しい。
今虚華が手にしているものは自分が「七つの罪源」であるという証拠に他ならないのだから。
(この銃は何だって聞かれても、私はなんて答えれば良いのか分からない……)
この銃を使うのは、相手を消す前提で味方が誰も居ない時だけ。
罪の権化としての姿を味方に晒すな、そして正体を明かすな。それが「七つの罪源」のリーダーであるパンドラからの命令だった。
虚華の脳内が罪に染まりそうになる中、背中にくっついている雪奈が、全身を使って揺さぶってくるせいで、思考が現実へと強制的に引き戻される。
「クリム……重……い、離れて……」
「女の子にそれは重罪。それに、ホロウの方が」
「あーあーあー!そういう事言うんだ!?私は一般的だもん!クリムが軽いんだもん!」
歪な銃の引き金を引く──そんな時が来ないことを祈りながら、背中にへばりついている雪奈を半ば無理やり引き剥がし終えると、先頭を警戒しながら進んでいたイドルが足を止め、二人の方に振り向く。
「ホロウちゃん達、いちゃついている所申し訳ないんだけど、ちょっと良い?」
普段のイドルがあまり見せない、緊張感の孕んだ表情で虚華を見つめている。なにか嫌な予感がした虚華は恐る恐るイドルに尋ねた。
「別にイチャついてないですけど、どうかしました?」
「いやどう見ても……って、良いから二人共構えて!敵襲だよ!」
緊迫した声色でイドルがそう叫ぶと、虚華と雪奈は各々武器を構えて、何処から来るかわからない敵の襲来を待つ。
虚華は最大限警戒範囲を広げて、銃を構えるも、誰かが襲ってくる気配はない。イドルは自分たちが進んでいる方向、要はジアの方角をじっと睨んで警戒している。普段使っている護身用の武器ではなく、見慣れない武器を取り出している辺り、相当の手練が襲ってくると見ていい。
(一体誰が、何で私達を狙うんだろう)
ピンと張り詰めた糸は長時間、緊張状態を維持することが出来ない。だから、虚華は一瞬だけ油断してしまった。
イドルが凝視していた方向以外を見ていたその一瞬を、相手はこの時を待っていたのだろうと、襲われてから理解する。
斥候役が見ていた方向から、凄まじい速度で見慣れた槍斧が飛んでくる。後コンマ数秒、反応が遅れていただけでも虚華は確実に死んでいただろう。
虚華達が恐々とした表情で槍斧を見ていると、無骨な展開式槍斧は軋む音を放ちながら、飛んできた方向へと戻り、持ち主の手に戻る。
槍斧の持ち主は、忌々しそうに標的として狙っていた虚華を睥睨し、悪態をつく。
「な、なんで……?今、私を殺そうとした……よね?」
「ちっ、非人は本当に勘が良いですね。前から言ってませんでした?あぁ、無能で生きる価値のない“紛い者”には記憶能力もありませんか」
少し前まで自分に見せていた笑顔が全て嘘だった。そう言われても可笑しくない程、目の前の彼女の放つ言葉は冷たく、心を蝕んでしまう凶器の様に感じてしまった。
(まるで初めて会った時に戻ったみたい。でもあの時とは違う。明確な殺意を孕んだ瞳)
完全にこちら──厳密には虚華一人を目の敵にしている彼女は、雪奈とイドルには目もくれない。
イドルに至っては旧知の仲だというのに、“虚華”の眼中にもないのだろう。
ギリッと歯を噛み締めて、“虚華”は虚華を睨み付け、槍先を喉元へと向ける。
「私はこの世界全ての非人を殺し尽くす者。私を騙る紛い者よ、貴様の命、貰い受ける」
「「エラー」!!何で……ヒッ」
虚華が説得しようと試みるも、「エラー」は自身の体躯と相違ない槍斧をこちらへと投擲し、言葉を遮る。
もはや言葉を交わす気もないのだろう。あの時と同じだけど、全然違う。臨や雪奈に助けられ、無様に気絶寸前まで追い込まれていたあの時とは、違うのだと。彼女に証明しなければならない。
「エラー」の翡翠色の瞳に赫黎い光が宿り、妖艶に煌めく。口角が吊り上がり、投擲された槍斧が手元に帰ってきたのを掴み取る。
「来なさい。仮にも私と同じ顔をした紛い者。無様な死に顔を見せてくれるなよっ!」
「っ!!あの時とはもう違うんだっ!!」
槍斧を構える「エラー」の元へと、虚華は「虚飾」と「欺瞞」の二本を持ち、走り出す。
懐には、切り札として切るつもりの歪な銃も携えながら。
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「もし仮に、自分の命だけを狙う相手が来たのなら、一騎打ちで戦わせて」
そう虚華から言われていた雪奈は、目の前で繰り広げられている殺し合いに手を出せずに居た。
きっと、自分が愛する人を守った所で、愛する人は喜んでくれないだろう。
そんな事は、仮に心が失われていようと、失われていないであろうと、簡単に分かることだ。
雪奈は、自分の隣で爪を噛みながら二人の争いを見ているイドルを見る。焦燥感に駆られているのか、普段見せているような余裕そうな態度は鳴りを潜めている。
(イドルは、どっちが勝つと、思っているのかな)
ふと気になった雪奈は、ねぇとイドルに声を掛ける。
ハッとした表情でこちらを向いたイドルは、取り繕うようにいつもの態度で、雪奈に接しようとする。
その姿はきっと虚華ならば滑稽だと笑っている所だと思うが、生憎隣りに居たのは自分だ。虚華でないのならば、今回は何事もなかったかのように話を進めよう。
「正直、どっちが勝つと思う?」
「同じ体躯な二人で、前衛職と後衛職。身体能力とか諸々で考えると“虚華”ちゃんが勝つとは思う。けど、相手を殺さないという意味ではホロウちゃんに勝って欲しいかな」
半ば取り乱しているように見えた眼の前の大人は、自分と全くの同意見だった。
虚華と“虚華”は世界が違うだけの同一人物だ。けれど、育ちや境遇等が全く違ったばかりに、得意な得物から、好きな食べ物まで違っていた。
虚華は重い物すら持てず、銃以外には魔術が使える程度だが、“虚華”は剣術、槍術、斧術、拳闘術etc……と武闘派として名乗るには充分過ぎる技術を16にして修めている。
それに、この戦いの目的も二人の間で大きな違いがある。
虚華は相手を殺す気など無いが、“虚華”は相手を非人だと呼び、殺すと断言している。
そんな状況下で、流石のイドルも“虚華”を応援することは出来なかったようだ。
(もし一人なら、“嘘”を乱発出来る。けど、それが出来ない今、どう誤魔化し、相手を惑わし、勝利するかが鍵)
最悪の場合は介入するつもりでいるが、雪奈もイドルも現在は手を出せずにいる。
現状、勝負は均衡している。どちらが勝つかはまだ分からない。
自分達に出来るのは、ただ祈るだけ。願わくば愛する貴方が死なないで居て欲しい。
狂気に駆られた“エラー”が嬉々として凶刃を振るう姿は見ていて、胸が締め付けられる。
(虚は、きっと前の戦いと……。あの時は、余地があっただけマシ。今回は最初から殺す気……)
「ねぇ、もう一つ聞きたい」
「何?この戦いはあの子の命が懸かってるんだよ?それを差し置いて僕に何が聞きたいのさ」
若干不満げに口を尖らせているイドルの言葉を無視して、雪奈は言葉を続ける。
「「エラー」は、何時からあぁなの?」
「…………」
イドルは雪奈の質問に、思考を巡らせた顔をするも、何も応えない。
イドルが瞳を曇らせている理由を雪奈は汲み取ることが出来ない。
知らないものを知らないままで居ることが苦痛な雪奈は、イドルの服の襟を掴む。感情の消えた顔を近づけて、再度答えるように促す。
「いつから、人間以外を赦さないようになった?答えて」
「……ん……だ」
「……ん?」
細々と呟くイドルの言葉を聞き取れなかった雪奈は首を傾げる。
わなわなと震えるイドルの態度が理解出来なかった雪奈は、濁った雪のような瞳でイドルを見つめていると、イドルは徐々に苛立ちを顕にする。
「分からないんだ……小さい頃からあの子と知り合いだったけど、気がついたら非人を見ると、あぁいう態度を取るようになっていた。歳を重ねるにつれて、歪んだ正義感を振り翳す事が増えていった。きっと僕が運び屋の仕事をしている時に何かあったんだろうね……」
(嘘じゃなさそう。何があったのかは本人のみぞ知る、か)
雪奈は悩んでいた。恐らく、“嘘”以上の何かを虚華が隠しているのは確かだ。
その切り札を切れずにいるのは、何か条件があるからだと推測出来る。視線を戦場へと向けると、先程よりも虚華が押されている。“嘘”も使わずに純粋な力量では、必ず負ける。殺される。
(あたしが、あたし達が、居ない方が良いなら、躊躇わないで)
その一言を虚華に送る。この行動が彼女を変えると信じて、愛する人を守る為に。




